商会の次男は暗躍する 2
僕は、ハワード家の一室に案内され、鏡台の前に座らされた。
謎の展開に委縮する僕を、ハワード様とハワード家の侍女が腕組みをして眺めていた。
「…ステラ、どう思いますか?」
ステラと呼ばれた侍女はうむうむと頷いている。
「お聞きしていた通り、お美しい方ですね。それに色気が半端ないです」
「でしょう?」
「…なんだか、見ているとむらっとします」
ひえっと体を強張らせた僕に、ハワード様は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。…でも、どう言ったらいいのかしら…そのびくつくところがまた隙があるというかなんというか…」
「えぇ…!?」
ハワード様はしげしげと僕を見つめていたが、やがてふむと侍女に目配せをした。
「ここは、色気を抑えるのではなく、前面に押し出しましょうか」
「なるほど。わかりました」
侍女は言葉少なに準備を開始した。
僕はなされるがままに、その様子を見つめるしかなかった。
かすかに香水をふられ、眉毛を整えられ、顔剃りをされ、髪をセットされ、鏡の中の僕は二割増しで色気が増している気がした。
前髪は片側に寄せられ泣き黒子側はすっきりと撫でつけられている。そこを侍女が丁寧に前髪が一筋はらりと目尻にこぼれるよう細工していた。それだけなのに一気に妖艶さがでるのだから自分でも怖い。
「は…ハワード様?これでは…」
「えぇ、色気駄々洩れですわね。さすがステラ、良い出来です」
「ありがとうございます、お嬢様。思わず張り切ってしまいましたわ…鼻血でそうです」
「これはまずいのでは…!!ハワード様、僕は…」
公衆の面前で押し倒されるのはごめんだとハワード様に抗議しようとしたが、彼女はふんわりと儚げに微笑んでいた。何故か凄みのある美少女の微笑みにぎくりとする。
「ゴールドスタインさん。ええと、わたくしのことはアデルと呼んで結構です。わたくしもあなたをトゥーイさんと呼びます」
「は…!?」
「それに、エリックのこともダグラス様ではなくエリックと呼ぶように」
「な、何故です?」
「あなたがわたくしたちの友人であると印象付けるためです。一応今までも近くにはいらっしゃいましたが、取り巻きの一人と思われているでしょう。実際に名前を呼ばせるのは身分が近いか、親交の深い者だけですから、これだけでもステータスでしょう?」
「ですが…ルーイ王子殿下の婚約者を呼び捨てには…」
「…まぁ、ではアデル『様』でも結構です」
「はい。アデル様」
僕がそう言うと、アデル様は満足そうに微笑んだが、そのままずいっと詰め寄ってきた。
琥珀色の瞳がきらりと光る。
「そして、ここからが重要ですわよ。これから、あなたはしっかりと自信満々に振舞うのです。俯いたり睫毛を震わせてはいけません」
「えぇ!?」
「これは私見ですが、その様子が大変色っぽく押せばいけるという感じがするで、襲われてしまうのだと思います」
「えええ!?」
「強気な方が、かえって手を出されにくいものですよ。しっかり色気を振りまいてくださいね。押されると人は引くものです」
アデル様はそう言うと、訪ねてきた招待客を迎えに玄関へ去っていった。もうすぐお茶会がはじまるのだ。
アデル様と入れ違いに、エリック様は鏡台のある部屋に入ってきた。
「トゥーイ、準備はできたか?…これはまた…」
エリックが呆れた様子でステラを見ると、彼女は「自信作です」と頷いていた。
「ええっと、あの…アデル様がダグラス様をエリックと呼べと…」
「聞いている。俺のことはエリックと呼べばいい」
「わかりました。では、そう呼ばせていただきますね」
「それに、そんなに丁寧に話さなくていいぞ。友人なのだからな」
「エリック…助かります…」
「君のことは殿下からも頼まれている。それにアデルが張り切ってしまったからな」
エリックは苦笑していた。その表情はとても柔らかだった。
「さぁ、勝負だぞ。しっかりやれよ。もし危ない時は助けてやるからな」
エリックが頼もしく言ってくれたので、僕は顔を上げて会場へ足を踏み入れることにした。
会場はハワード公爵家のティールームだった。
すでに招待客はほとんどそろっており、それぞれ席に案内されているところだった。
アデル様はそれを仕切っているのだ。
できるだけきりっとした表情を作りながら近づくと、アデル様はふんわりと微笑んだ。
「いらしてくれて嬉しいですわ、トゥーイさん」
「お招きしていただき、光栄です。アデル様は今日も美しいですね」
僕がすっとお辞儀をすると、周りからほうとため息が聞こえた。
「ありがとう。では、トゥーイさんはエリックと一緒にお座りになってくださいな」
「では、失礼いたします」
なんとか挨拶をすませたが、エリックが座っている場所は、すでに数人の貴族子息が座っていた。エリックがひらりと手を振っている。
「トゥーイ、ここだ」
「エリック」
会場の目線が僕を追っているのがわかった。貴族でもない商会の息子がなぜハワード公爵家のお茶会に参加しているのかと思っているのだろう。
僕がエリックの隣に座ると、皆目を丸くしていた。
「トゥーイ、今日は何か面白いものを持ってきたらしいな?」
エリックがにっこりと僕に向かって微笑んでくれた。打合せ通りだ。
「あぁ、そうなんだ」
僕はできるだけもったいぶって、ポケットから品物を取り出した。
皆なんだろうと興味津々でこちらを見つめている。
それは、小さな平たい丸い缶。蓋にはシンプルにゴールドスタイン家の紋が描かれている。
「それはなんだ?」
エリックと反対隣りにいる伯爵子息が首を傾げた。
僕はにっこりと彼を見つめた。うっと彼が顔を赤くするが、それは見ないことにした。
「これは、うちの商会で新しく扱い始めたリップクリームです」
「リップクリーム?女性がつけるものじゃないのか?」
「そうですが、男性でも身だしなみに気を付けておられるでしょう?体の細かいところまで気にする方が増えていましてね。これは、男性用に作られています」
「はぁ、そんなのが出ているのか」
「試しに、つけてみましょうか」
僕は缶をあけると、中身が見えるように傾けた。
「へぇ、色はついていないんだな」
隣の伯爵子息が覗き込んできた。
(よし、つかみは悪くなさそうだな)
中にはオイルや植物エキスの入ったシアバターがはいっている。僕はそれをすっと指でなぞると、隣にいる伯爵子息の唇に塗りこんだ。
男性用なので、色はついていない。だがしっとりと潤うのでカサカサの唇になってしまう人にはいい商品だ。
「ね?唇が荒れると印象が悪いですから、いいでしょう?」
「あ…う…」
伯爵子息は真っ赤になってしまった。そんなに唇がしっとりしたのが嬉しかったのだろうか。
「…トゥーイ、それ回して見てもらったらどうだ?」
エリックが声をかけてくれたので、そのまま缶をエリックに渡した。
「あぁ、皆さん使ってみてくださいね」
缶を回すと、令息達は笑いながらも試してくれた。僕も使っていますよと声をかけると後で購入すると約束してくれた。
他に、男性用の化粧品などについて話していると、アデル様が声をかけに来た。
「随分と楽しそうなお話をなさっていますね」
「えぇ、商会で扱うものを少し紹介していました」
「まぁ、あちらでも話を聞きたいとご令嬢達がうずうずしていてよ。後で少しいらしてくださいね」
「はい、光栄です」
丁度招待客の全員が揃い、それぞれが席を立ち他の招待客に挨拶をしにいくことになった。
少しエリック達と会話して落ち着いたからだろうか、気後れせずにご令嬢とも話すことができた。
大体、少し話すとじりじりと近寄られることが多かったので気を張っていたのだが、目が合うたびに逆に顔を伏せられてしまった。皆の顔が赤いが会場はそんなに暑かっただろうか。
こうして僕はお茶会を楽しむことができた。何より物陰に連れ込もうとする輩がいなかったのは幸いだ。
大勢に囲まれて会話に困ることは無かったし、商会の商品にも興味を持ってもらえたようだ。大口の取引を持ち込まれたのには驚いた。
お茶会が無事に終わり、アデル様とエリックと三人で少し話すことができた。
アデル様がおかしくてたまらないといった表情を扇子で隠している。
「お…お疲れさまでした、トゥーイさん。そ、想像以上でしてよ」
「アデル様…何故笑っているのですか…」
「い、いえ、色気のある人が本気でフェロモンを振りまくと、皆さんあのようになるのだと思って…」
「どういうことです?」
エリックがちょっと引いた目で僕を見ている。
「お前、無意識だったのか…?」
「え?」
「本当にお見事でしてよ。それはもう、登場してくるところから…」
「アデル様に挨拶した時ですか?」
「えぇ、匂い立つような美しさでした。なんというか、大変甘くて危険な匂いがしておりましたね」
「まさか…」
「それに、グルード伯爵子息に直接クリームを塗っただろう?」
「あ…あれ、面白いくらい赤面していましたわね…!お可哀想に、彼多分しばらく忘れられませんわよ…」
アデル様はくすくすと笑い声を漏らしている。
僕はただ好意でしただけなのに。
「興味がありそうだったので塗って差し上げたのです…」
エリックは呆れたように頭を掻いている。
「それに、他の令息やご令嬢に流し目を送ったり、色気たっぷりにご令嬢の髪を直したり、あれわざとじゃないのか?」
「特に意識してはいませんが…」
「まぁ!天然って怖いですわね!!」
「俺はお前が全部悪い気がしてきた」
「えぇ!?」
アデル様は扇子で口元を隠したままこう言った。
「と…とにかく、トゥーイさんは明日にでも人気者になりますわよ」
まだ笑ってるな、この公爵令嬢は。
僕はむっとアデル様に言い返した。
「アデル様には感謝していますが、そんなに簡単にいかないと思いますけどね!」
なのにアデル様は気にもせずエリックを見上げた。
「エリック、少し気を付けてあげてくださいな」
「わかったよ…」
エリックはため息をついて僕を見ていた。
まさか、翌日から生活が一変するとは思っていなかった。