君は王子の婚約者 3
ある日、王宮で貴族子息だけが集められ、チェスを行うという催し物が開催された。
人を寄せ付けない王子に友人を作ろうという国王夫婦の目論見だったようだ。
それぞれ、テーブルに分かれて対戦したり、対戦を眺めたりとそれなりに楽しい時間だったのだが。
王子は穏やかに微笑んだまま勝ち抜けて行った。
俺も対戦して負けてしまったが、手加減したのではなく本当に王子は強かった。
そうして、それぞれが何試合かすると、少し緊張も緩んできた。
周りの令息たちはなんとか王子の関心を買おうと話しかけていたが、王子はさらりとあしらっていた。
(毎回あのように張り付かれては、人を寄せ付けなくもなるだろう…)
あからさまな媚びへつらいに、聞いているこちらが辟易としてしまう。
アデルの婚約者であることは置いておいて、彼は将来仕えるべき主である。
しかし、ここでは何より同年代の友人として望まれているはず。
俺は人に囲まれる王子に声をかけた。
「…殿下、俺と感想戦をしていただいても?」
「ダグラスか。あぁ、かまわないよ」
渋るかと思ったが案外すんなりと誘いに乗ってくれた。
どうやら周りの令息たちを引き剥がすための誘いだと察してくれたようだ。
さすがに王子とダグラス公爵子息との会話に割り込む猛者はいないようだ。
他の令息はそれぞれチェスの対戦に戻って行った。
テーブルには、王子と俺の二人になった。一応形だけでも感想戦をしようかと、侍従に棋譜を持ってこさせたのだが。
「殿下、棋譜を」
「必要ない。ついさっきのことだろう?」
「は…」
(さっきと言っても、俺と対戦したのは三戦前なのだが…)
王子は宣言通り、棋譜も見ずに対戦を再現していった。
俺は思わず本音を漏らしてしまった。
「…驚きました。そして殿下は本当にお強い」
「なんだ。そんなに能無しだと思っていたか」
王子はふっと微笑んだ。美しい顔にぎくりとしてしまう。
「いえ、そんなことは」
「いい。まぁ私もあまりこのように人と話すことは無いからな」
「さようで…」
俺はふうと息を吐いた。さすがに緊張するのだ。
すると王子が笑みを深めて言った。
「さっきは助かった」
「は?」
「あいつらを散らしてくれただろう」
「いえ…」
「さすがに、ああも囲まれると逃げ場がない」
すっと細められた瞳に、かすかに苛立たしさが見える。
王子本人が強く言えば、その令息だけでなく家までも睨まれたと思われてしまう。
それを避けるために大人しくしていたらしい。
俺は少し王子が不憫になってしまった。自分も公爵家の人間であるから、擦り寄ってくる輩は多い。だが王子という立場ならその数はけた違いなのだろう。
「また、ああいうことがあればお助けしますよ」
俺が声を潜めてそう言うと、王子は少し目を見開いた。だがそれは一瞬で柔和な微笑みに変わった。
「…期待しよう」
「できる範囲でですけどね」
「公爵家の人間だ。上手くやってもらわないとな」
「殿下…」
なんだか変な期待を抱かれてしまった。本当なら王子には社交を勧めたほうがいいのに。追い払い要員にされそうだ。
俺が少し悩んでいると、ふと王子が聞いてきた。
「確か、ダグラスはアデルの幼馴染だったな?」
「…ええ、そうですが…」
いきなりアデルの話題を振られて驚いた。なぜ知っているのだろう。アデルに聞いたのだろうか。
王子はまじまじと俺の顔を見ていた。
「なるほどなるほど…」
「何か?」
「いやいや。なんでもない。なるほどな」
王子は何事か納得して、満足そうに微笑んでいた。俺にはさっぱり何のことか分からなかった。
その催し物の後、王宮に個人的に王子の話し相手として何度か招待され、いつのまにかエリックと呼ばれるようになり、俺は王子の友人になった。
時折、お茶会やパーティーでアデルと王子と同席することもあったが、王子の前ではアデルとは特に努めて友人として振舞った。
きっと、誰にも俺の思いはバレていないはずだ。
〇〇〇
学園に入学した俺は、アデルと同じクラスになった。
この幸運を喜べばいいのか悲しめばいいのか分からなかった。
(王子の目のないところで話をする機会が増えることは嬉しいが、俺に気持ちを押し殺していくことができるだろうか…)
アデルは、入学早々目立っていた。
当たり前だ、王子の婚約者であり、これだけの美貌を持っているのだ。
さらに、アデルは多くの逸話を持っていた。王宮の庭園にある毒草を指摘しただとか、庭師を再教育しただとか、さらには王子に男女関係なく社交を勧める懐の広い素晴らしい人物だとか。少し誇張されているように感じないでもないが、話自体は事実なのだ。
それが誇らしくもあり、切なくもある。
アデルを手の届かない存在として再認識してしまうからだ。
本当は幼馴染として誰よりも近くにいたのに、こんなにも遠い。
彼女が幼馴染として遇してくれることに満足しなければいけない。
そう思っていたのに。
学園生活が始まってすぐに、アデルは大勢の生徒に囲まれることになってしまった。
王子の婚約者に取り入って便宜を図ってもらおうとする者のなんと多いことか。
アデルも公爵家の令嬢。こんな風に寄ってこられることには慣れているだろうが、さすがにそれに上級生も多数含まれているとなれば、強く振り払うこともできないようだった。
連日、そのような状態になり少しアデルの表情に陰りが見えた時、居ても立っても居られなくなってしまった。
昼休みにアデルを囲んで話しかけまくる生徒達の輪に、俺は割って入った。
「皆様失礼。あまりそのようにアデルを取り囲むと、殿下とお話しできませんから…」
俺がそう言うと、渋々人垣は散っていった。つい王子を引き合いに出してしまったので後ろめたいが、アデルはほっとしたように微笑むと俺に言ったのだ。
「エリックは頼りになりますわ…これからもわたくしを助けてくださいね」
「あぁ…」
その様子があまりに儚げなので、ぐっときてしまった。
殿下の目の届かないところでアデルが大変な思いをするなら、俺が守ってやらねばならないと思ってしまった。
殿下の数少ない友人だと思われている俺がアデルをかばったところで、そういうものだろうと認識されたようだ。俺が地味な外見なのも幸いした。
俺の外見。撫でつけても跳ねてしまう栗色の髪に、鳶色の瞳。
目立たない地味な配色に、十人並みの容姿。でも俺は卑屈になったことは無かった。
アデルは覚えていないだろうが、彼女は俺の髪や瞳を褒めてくれたことがあるのだ。
あれは彼女が婚約するもっと前、お互い四つか五つくらいの頃だ。
庭園で遊んでいた俺たちは、疲れたと芝生の上に座って休んでいた。
その時、きらきらした金の巻き毛と日に透ける琥珀色の瞳があまりに綺麗だったから、アデルを褒めたのだ。
「アデルの髪と目、すごく綺麗。きらきらしてる」
「ありがとう」
その時、俺はアデルと自分を比べて少し悲しい気分になった。
なにせ母上がアデルを絶賛するのだから。
「おれも、アデルみたいなら良かった」
そう言った俺に、アデルはきょとんとした顔で言ったのだ。
「どうして?エリックの髪も目も、私大好きよ」
「こんな地味な色、嫌だ」
「そう?髪はほんとの栗みたいにつやつやだし、それに目は森の木の色、土の色だわ。でも時々明るい赤茶色が見えたり、暗く透明な黒色になるのよ。不思議で綺麗だわ」
「そうなの?」
「そう。ずっと見てても飽きないわ」
彼女は俺の目を覗き込むとふわっと笑った。俺はその日の夜、鏡で自分の瞳を見つめた。
確かに光の加減で明るい赤茶になったり、黒に近くなったりする。
特別、やっぱり綺麗だとは思わなかったが、それ以来俺は自分の容姿を卑下することはなくなった。
綺麗なアデルが気に入るのだから、悪くは無いのだろう。そう思ったのだ。なんとも単純な理由だ。
こんな風に人格形成にすらアデルが関わっているのだから、惹かれるなというのが無理なのだ。
ある意味騎士役としてそばにいることで、アデルと関わることが増えた今、ブレーキをかけるのが大変だった。
王子も「世話をかけて悪いな。ついでに俺の周りも追い払ってくれ」というなんとも軽い反応だったので、アデルのそばにいても良いとお墨付きをもらったようなものだった。
王子はチェス会でアデルの想い人はエリックなんだろうなーと気が付いたのです。
そして、誰よりエリックが一番色々悩んでいる…ということで…。
あれ…そして思ったより長くなっています…読みにくかったらすみません!