令嬢は逃げ切れない
エリックは、わたくしの肩を抱き、ずんずんと王宮を後にすると、さっさと馬車に乗り込んでしまった。
彼は何も言わない。わたくしと目も合わせてくれない。
そして、その表情は硬く強張らせたままだ。
(怒っているのかしら…それとも…?)
無言の馬車に耐え切れず、わたくしはエリックに声をかけた。
「エリック、…呆れました?わたくしを嫌いになりましたか?」
エリックは、ちらりとわたくしを見ると、片手を目元に当てて天井を仰いだ。
「まったくアデルは…」
「エリック、ごめんなさい。怒らないでください」
「…いや…怒ってはいないんだが…」
わたくしはそれを聞いて少し安心した。
「ええっと、ちょっとさすがに殿下と婚約破棄まで仕組んだとは言いにくくって。でも、殿下も言い方が悪いですわ!あんな風に言わなくても!!相変わらず人でなしですわ!」
エリックは、そこでゆっくりと手を外して視線をわたくしに戻した。
「…殿下とは、随分仲がいいんだね?」
わたくしは眉を顰めた。あのやばい王子と仲がいいなんて冗談ではない。
どれだけ利用されたと思っているのだ。
「え?良くないですわよ。エリックは知らないかもしれませんが、殿下は…」
「聞きたくない」
「…エリック?」
「君から他の男の話など聞きたくない。例え殿下でも」
「…!」
(まぁ…焼きもちですの…!?)
思わずエリックの顔を見つめてしまった。
ちょっと嬉しいと顔に出てしまったのか、わたくしの顔を見てエリックは苦笑した。
そしてそっと頬に手を添えてきた。
覗き込んでくる鳶色の瞳はまっすぐにわたくしを見ている。
「…アデルには、俺を陥れた償いをしてもらわなければならないな」
「つ…償いですか?一体何を…」
エリックは少し首を傾げると、柔らかく目を細めた。
「そうだな。…今からハワード家に着くまでに、声を出さないこと」
「しゃべるなと言うことですの…?」
「では始めよう」
そんなことでいいのかと気を抜いていたら、エリックにしゃらりとネックレスを撫でられた。
びくっと体が強張ったが、声は我慢した。
そのまま鎖骨に沿って肩へ、そして二の腕、指先へとエリックの手が滑っていく。
思わぬことに、それを目で追うしかない。
(な…何を…?)
指先まで撫でられて、するりと指を絡められる。
長い指がなんて器用に動くのかと感心していたのだが。
エリックはわたくしの手を持ち上げると、じっと目を見つめながら口づけてきたのだ。
柔らかい唇の感触にびくりと体が震えてしまった。
「…やっ…えぇ!?」
「ほら、声を出しだらだめって言ったのに」
「ですが…!!」
「静かに」
「ぁ…!」
そこから、震える体や漏れてしまう声を揶揄されながら、一本ずつ指に口づけを落とされ、手のひらや首筋をくすぐられ、腰を抱かれて頬に口づけされたところでハワード家に着いた。
腰砕けになったわたくしを、エリックは嬉しそうに抱き上げて家のソファまで送ってくれた。
執事と侍女がまたぽかんとしていたらしいが、それを見る余裕は一切なかった。
わたくしは、もう顔を上げることさえできなかったのだ。
そんなわたくしの耳元で、エリックはひっそりと囁いてから帰って行った。
吐息と共に告げられて、耳の奥にその言葉が残る。
「俺は、アデルを嫌いになんてならないよ。だけど、あまり君が悪いことをするなら、こうして罰を与えることにしよう」
それが事あるごとに頭に蘇り、わたくしは何度も悶えるはめになった。
こうしてベッドにいても、目を閉じるとエリックの唇や指先の感触が思い出されて全く寝付くことができない。
恥ずかしいやら嬉しいやら。
王子を心底恨みたい。エリックは、もうどうにもわたくしの手には負えない。
(わたくし、今まで本当に頑張ってきたのだと思うのだけど!?わたくしばかりこんな目に合うなんて、ひどいですわ!!)
だが、アデルは自分だけと思っているが、これは因果応報だ。
エリックだってずっとアデルに翻弄されてきたし、本当は今だってそうだ。
甘々っぷりはずっと秘めてきた想いが爆発しているだけである。
リンデルに至っては、幼少期から目をつけられて王子とアデルに陥れられたのだ。しかも、これからだって知らないうちに王子の脅威に晒される。
果たして、一番不憫なのは誰だろう?
〇〇〇
エリックとアデルの結婚話は順調に進められた。
王子の結婚から遅れること丁度半年後に、それは盛大に執り行われた。場所は、あの大聖堂。
ぴしりとした軍服の正装をしたエリックと純白のドレスを着たアデルは、美しくお似合いのカップルとして賞賛を浴びた。
ただ、人々は披露宴が行われた場所に困惑した。
披露宴は何故か王宮。主催はこれまた何故かルーイ王子だったからだ。
エリックとアデルは王族ではないのでこれは異例中の異例。
ルーイ王子が、披露宴は王宮でやればいいと提案した時に、二人は全力で辞退しようとしたのだが無駄だった。
知らない間に、結婚式の招待状が配られてしまったのだ。
ダグラス家とハワード家の面々は、辻褄合わせに奔走した。
これがきっかけで、エリックとアデルは相当王家に気に入られているらしいという噂が、まことしやかに囁かれた。
これだけ噂が広がれば、エリックは他の貴族から一目置かれる。
王宮でも重用され速やかに宰相の地位に着くはずだ。
彼は国王となったルーイ王子を傍で支えることになるだろう。
アデルはどうかと言えば。
ダグラス公爵家に入ったとはいえ、元はガッチリ王妃教育を受けた淑女。
彼女はリンデルの教育係の一人になった。
アデルは厳しくも優しくリンデルを導き、良きお手本であろうとした。
そうしているうちに、彼女はリンデルの良き友になった。
アデルは王子の性癖を知り尽くしているため、リンデルのことを心配して大変親身に相談に乗ってあげたのだ。もちろん、最初は生贄にしてしまった罪悪感もあったのだが。
リンデルは、王子のやばさに気が付いたり気が付かなかったりしながらも、なんとか慣れない王宮で過ごしていた。身近な侍女や、アデルに励まされなければやっていけなかったもしれない。
何より、数々のお茶会や夜会で、社交界でも影響力のあるアデルが近くにいてくれることが、どんなに心強かったか。
王妃教育や社交は辛いが、ひそかに憧れていた公爵令嬢と仲良くなれてリンデルはほくほくだ。
リンデルが朗らかにアデルとの話をするたびに、王子は満足そうにしていた。
現在、エリックは王宮で精力的に仕事に励んでおり、王子と政務で関わることも多い。
アデルは王宮や社交場で、かいがいしくリンデルの面倒を見ている。
二人して、大変王子の役に立っているということだ。
果たして、一番得をしているのは誰なのか?
「…やっぱり、あの二人は傍に置いて正解だったな」
そう呟くと、彼は青色の瞳を輝かせて美しく微笑むのだった。
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番外編は…もし書けたら…