令嬢は婚約する
翌日、起きるともう昼前だった。
気まずいながらも侍女を呼び、身支度をしている間に、意識が無くなった時のことを聞いた。
侍女は、非常に生ぬるい顔で、その時の状況を微に入り細を穿って語り始めた。
「お嬢様が気を失われたあとですが、エリック様がさっとその背をお支えになり、お嬢様のお顔を心配そうに覗き込まれていましたね。そして、優しく頬をさすって『アデル、アデル大丈夫かい』と愛し気に囁かれておりました。でも、お嬢様は意識をお戻しになりませんでしたから、エリック様はうっとりとお嬢様のお顔を見つめて…」
「あーあー!もうもうもう!もういいですわ!!」
「…それから、こちらの侍医に見てもらう時も、エリック様は片時もお嬢様を離すことはなく、後ろから抱え込まれてお手を握っていらっしゃいましたね。診察が終わると心底安心したようにため息をついて…」
途中で叫んで止めたのに、彼女は全然話を止める気配がない。
わたくしは、その間ずっと顔に手を当てて悶絶することになってしまった。
足もばたばたしてしまったかもしれない。
簡潔に言うと、わたくしの体調に大事が無いとわかったエリックは、わたくしを抱いて部屋まで連れて来てくれたのだそう。父上は大変渋い顔をしてその後ろを着いてきたらしい。
侍女は情感たっぷりにエリックがわたくしをベッドにおろして立ち去るところまでを語ると、満足げに頷いた。
「…というのが昨夜の顛末です。良かったですね、お嬢様」
「も、も、も、もっとさらっと報告できたでしょう!?」
「まぁ、私お嬢様が知りたいと思ったので…」
「お、教えてって言ったのはわたくしだけど…!」
わたくしは、恥ずかしいやら腹立たしいやらで、すでに顔が真っ赤になっている。だがそれを全く意に介さず、侍女はしみじみと首を振って言った。
「でも、お嬢様。私も恋物語は好きですが、現実に目の前で見るものではありませんわね。はっきり言って、口から砂糖がでそうでしたわ…」
「これだけ詳細に記憶しておいて、失礼ですわ!」
「まぁまぁ、念願叶って良うございました」
そう言って、にっこりと笑うこの侍女は、エリックのリボンをわたくしの髪に飾り続けた人物なのだ。
もちろん幼いころからのわたくしの恋心や、婚約破棄までのてんやわんやも全て知っている。
「屋敷の者全て、今回のことは喜んでいますよ」
侍女はそう言うと、きれいに並べられたリボンケースを持ってきた。
「今日はどうなさいますか?」
わたくしは赤らむ頬を押さえながらケースを見た。
「…そうね、今日は…これを」
「これですか?」
「ええ、お願いね」
今日は、改めてダグラス家とハワード家で婚約の話をするのだ。
意外にもダグラス家は今回の婚約を喜んでくれたらしい。
是非にとわたくしと両親を家に招待してくださった。
わたくしは、上品なシャンパンゴールドのドレスを選んだ。
そして、揃いのヒールで武装する。
わたくしの髪は金色。瞳も透明感のある琥珀色だ。
同じような色合いの中で、髪の毛に飾るのはあの日のリボンだ。
ほつれは侍女につくろってもらったから、何年も前にもらったとは思えないほど綺麗なのだ。
ローズピンク。この色合いの中では目立つだろう。
ダグラス家では、エリックの両親と、エリックが迎えてくれた。
ものすごく歓迎されたので驚いた。
「いらっしゃいアデルちゃん!嬉しいわ!あなたがわたくしの娘になるなんて…!大丈夫よマリア!あなたの娘ですもの!もちろん大事にするわ!」
「ようこそアデル嬢。うちの愚息でかまわないのかい?ハワード公爵、頼りない息子だがどうか頼むよ」
「父上、母上、まずは中に通してからにしませんか…?」
エリックのご両親ともに、わたくしが王子に婚約破棄されたことは気にしていないようだ。
わたくしとわたくしの両親は応接室に通された。
あっさりと婚約は結ばれ、後はただおしゃべりの時間になってしまった。
その親たちの様子を少々半眼で見つめていたら、エリックがこっそり声をかけてきた。
「…アデル?少し庭を歩かないか?」
「喜んで」
エリックはすっとわたくしの手をとると、庭園へとエスコートしてくれた。
わたくしは懐かしくあの日を思い出した。
そうだ、あの日もエリックはわたくしを庭に案内してくれた。
エリックは、ある場所へ向かっているようだ。
それがどこかは予想がついた。しかし、あの頃より随分と薔薇の種類が増えている気がする。
「…アデルはこの場所を覚えている?」
「えぇ、わたくしがエリックに告白した場所ですわね」
ふんわりと笑ってそういうと、エリックの頬が赤らんだ。
「そうだ。俺は、あの時初めて君が女の子だということを意識したんだ」
「まぁ…」
幼いわたくしの精一杯の策略は、どうやらきちんとエリックに効いていたようだ。
エリックは歩みを止めた。
懐かしい。ここはまるで、薔薇の壁に囲まれた小部屋のようだ。
エリックは、わたくしと向き合った。あの時より随分背が高くなって、もう見上げなければ視線を合わせることはできない。
エリックが、わたくしに向かって腕を伸ばしてきた。頬に触れられるのかと緊張していたら、するりと後頭部を撫でられた。正確には、つけているリボンをだ。
「このリボンは、初めて贈ったものだ」
内心、一体いつのまに確認したのかと驚いた。エリックは、応接室からここまで、ほぼわたくしの前にいたからだ。
「…お気づきでしたのね」
「この一本を探すのに、街中の店をハシゴしたり、出入りの業者に無理を言って悩ませたからな」
「そんなことをなさっていたのですか!」
「当たり前だろう。気になる女性への初めての贈り物だぞ?」
「ふふ。悩んでいただけたのですね」
狙い通りだったとわたくしがくすくすと笑っていると、エリックも苦笑したが、しばらくすると恨みがましい目で見てきた。
「…君はひどい人だ。俺に好きだと言って意識させておいて、王子殿下の婚約者になってしまうんだから」
「それは、わたくしも本意ではありませんでしたのよ」
「それにしても、その後だって可愛いことを言ってきたり、贈り物をねだったり、ハンカチを贈ってきたり、…おかげで俺は他の女性を見るどころではなかった」
「ええっと…」
わたくしは、すっと目を逸らした。
(まぁ、やはりばれていましたのね…)
誤魔化すためにこてっと首を傾げてみたのだが、エリックの恨み言は続く。
「俺を好きだと、ずっとそう思うと言っていたのに、あの時以来、君からそんなことは一度も聞かなかった。手紙すら、通り一遍のものだったな」
「仮にも殿下の婚約者でしたので…」
「君のそういうところは美点だが、それなのに言動の端々に俺を意識していると匂わせてきたな?それがどれだけ俺を惑わせたと思うんだ」
「…そこまで悩ませる気はなかったのですが…」
「俺も殿下と友となり、君には思いも告げることができなくなったし、殿下の横で微笑む君をどんな気持ちで見つめてきたと思う?今回、偶然殿下が婚約破棄してくれたからいいものの…そうでなかったら、俺は一生もがき苦しむことになっただろう」
「…ええと。わたくし、エリックをどうしても他の方に渡したくなくて…」
まさかエリックがこんなことを思っていようとは。
自分からエリックの目を離さないようにすることに必死で、エリックがどう思うか全く考えていなかった。
(だから、わたくしは殿下に似た者同士と言われましたのね…)
改めて自覚して、ちょっとショックだった。
ここはもう正直に言うしかない。婚約は成ったのだから、もうかまうまい。
わたくしは覚悟を決めて、エリックを見つめた。
「わたくし、あの時から何が何でもエリックと結婚するつもりだったのです」
「え…?」
「言ったでしょう?今までも、これからも、わたくしにはエリックだけだと」
「アデル…!」
「だから…きゃ!?」
最後まで懺悔するつもりだったのだが、エリックに抱きすくめられてしまった。
「アデル、可愛いことを…!もういいんだ、これでやっと君に触れられる…!」
「エリック…!」
ぎゅっと背中に腕を回され、髪に顔を埋められた。
わたくしの顔はエリックの肩に押し付けられている。
体に巻き付く力強い腕や厚い胸板の感触に舞い上がりそうだ。
エリックの熱い体から、また微かにムスクの香りがした。
その心地よい香りにうっとりと酔っていると、ふと気が付いた。
(…もういいって言われてしまいましたわね…)
意外と情熱的だったエリックに、あの婚約破棄は王子との共謀だったなんて言ったら、どうなってしまうやら。
(どうしましょう?墓場までもっていくべきなのかしら?)
しばらく悩んだが、エリックは腕を緩める気配がない。
わたくしは、ひとまずその問題を置いておいて、この抱擁を楽しむことにした。
お互い、体の熱がどうしようもなくなってきたところで、エリックがゆっくり体を離した。
「アデル…その、一度後ろを向いてもらえる?」
「え…?」
火照りがおさまらず、ぼんやりしながら言われるがままに後ろを向くと、くるりとエリックの腕を回された。また抱きしめられるのかと思ったが、後ろでかちりと音がして、首元に何かが触れた。
「これを、君に。婚約の証に」
「これは…」
ちょうど鎖骨のラインに冷たい感触がある。
指先で確認すると、どうやらそれはネックレスのようだ。
繊細な鎖に小さな石が重なり合って着いている。
「元々は…卒業の祝いに贈ろうと思って作らせたんだ」
「まぁ…」
「殿下と結婚する君に、これをけじめとしてリボンの贈り物はやめるつもりだった」
「エリック…」
「帰ってからこれを見て、俺に失望しないでくれ」
どういう意味なのかと訝しんだが、エリックの声が絞り出すようだったので、わたくしはくるりと振り返るとエリックに礼をして微笑んだ。
「そんなことしませんわ。エリック、ありがとうございます」
「そうだといいんだが。……………俺たちを呼ぶ声がするな。行かなくては」
「えぇ、戻りましょうか」
遠くからわたくし達を呼ぶ声がしていた。
わたくしは、再びエリックに手を引かれその場を後にした。
今度は二人で、できるだけゆっくりと歩きながら。
やっと戻ってきたわたくしたちを、両親は和やかに迎えたが、わたくしの首にあるネックレスを見て生ぬるい目をした。
一体どういうことだと家に帰って自室の鏡を見ると、それは細い金の鎖に小さな宝石が重なり合うように配されたネックレスだった。
ただ、意外だったのはその宝石の色。
琥珀、スモーキークォーツ、ドラバイトトルマリン、合間にダイヤモンド。
ダイヤモンド以外、贈り物としては地味な色ばかりだ。
だが、見ているとなんとなく、エリックの色彩を思い出す。
(こ…これは…!)
つまり、エリックは卒業して王子と結婚するはずのわたくしに、結婚しても俺を思い出して欲しいという意味を込めてこれを贈るつもりだったのだ。
敢えて今これをわたくしに贈るのは、散々わたくしに振り回されてきたことへの、ささやかな意趣返しなのだろうか。
(な…なんて物を贈ってくるのかしら…!!!)
よろよろとベッドに横になり、両手を顔に当ててじたばたと悶絶してしまった。
失望なんてとんでもない!
ますますエリックのことが愛しくなっただけだ。
もうこれは、毎日つけて過ごそうと固く誓った。
きっと彼はそれを見て、鳶色の瞳を柔らかく細めてくれるだろう。
侍女といいエリックといい、押しに弱いアデルさんです。