令嬢は覚悟を決める
予想通りと言うかなんというか、あれから数日もしないうちにリンデル嬢はあのご令嬢達に囲まれてしまった。
ご令嬢達は、リンデル嬢を学園の裏手に呼び出したのだ。
放課後、そこは人気が少なくなる。
わたくしは偶然、上の教室からその様子を目撃したのだが、思いがけない展開に目を瞠ってしまった。
その時、ご令嬢達はわたくしを囲んだのと同じように、校舎を背にしたリンデル嬢を囲んでいた。
(あの方たちは、徒党を組まないと何もできないのかしら…)
わたくしは、助けに入ろうかどうしようかと迷いながらその様子を眺めていたのだが。
ご令嬢達のリーダーであろう黒髪のご令嬢が、腰に手を当ててリンデル嬢を睨んでいる。そして、じりじりとリンデル嬢に近寄って言い始めた。
「リンデル・フォーンさん。あなた、ルーイ王子殿下といつも何を話していますの!?」
リンデル嬢は困ったように眉を顰めていた。
「いえ…私は何も…」
「言い訳はいいのです!殿下に馴れ馴れしすぎですわよ!」
「…」
「黙っていないでなんとか言いなさいよ!」
「あなたなんて、下町育ちのくせに!」
周りを囲んでいるご令嬢も口々に好きなことを言っている。
ご令嬢達は、リンデル嬢に何かしら文句を言いたくて仕方が無いのだろう。
リンデル嬢が何を言おうが関係ないのだ。ああ言えばこう言う。
それをしばらく黙って聞いていたリンデル嬢だったが、埒が明かないと思ったのか、ふうとため息をついてこう叫んだ。
「…あ!あそこにルーイ王子が!!」
「「「「「え!?」」」」」
「それじゃ!!」
なんと、リンデル嬢は、ご令嬢達が王子に見咎められたと思って焦った、その一瞬の隙をついてダッシュで逃げたのだ。
それはそれは見事なダッシュだった。
令嬢達の間を華麗にすり抜け、彼女は走り去った。
もちろん王子の姿はどこにもない。あまりにも単純な気の逸らし方にわたくしは思わず吹き出してしまった。しばらく笑いが止まらなかった。
涙が出るほど笑ってしまったので周りに人がいなくてよかったと思った。
(あーおかしい!お見事ですわね!)
ご令嬢たちはあっというまに撒かれてしまい、呆然としていた。
それからも、リンデル嬢は囲まれるたびに上手く逃げ出していたので、心配するのはやめた。
(意外と根性のある方ね。まぁスラム暮らしでしたから、わたくしたちとは心構えがちがいますわね…)
そう、リンデルはスラムでもっと危ない目にあったことがあるので、これくらい怖いとも思っていなかった。ご令嬢にやいやい言われるくらい大したことないのである。無言の王子の方がよほど怖い。
だが、ご令嬢たちもやっきになっているのか、リンデル嬢を囲む頻度が増えてきたので、それとなく周りに、婚約者であるわたくしが一度リンデル嬢にお話しますという噂を流した。
これで少しはご令嬢達も大人しくなるだろう。
(まったく、なぜわたくしがここまでしなくてはならないのかしら。全部あの王子のせいですわ!)
だが本音では、わたくしも実際に本人と話してみたかったのだ。なにせ、あの王子の想い人。
彼女のことは、王子への生贄としてしか見ていなかったが、おもしろそうな女性であることは確かなのだ。興味はある。
そして、わたくしはリンデル嬢を少し話があると言って呼び出した。
でも敵意のない証明として、学園の温室にテーブルセットを用意して、お茶会風に場を整えてみた。この場所は、花がたくさんあってわたくしのお気に入りなのだ。
呼び出しに応じたリンデル嬢は、わたくしを見てかちこちに緊張していたが、それでも丁寧に淑女の礼をして挨拶をしてくれた。
礼儀正しく良い子ではないか。
わたくしのほうから、王子の本性をちらりと匂わせてやれば、やっと分かってくれる人がいた!とばかりに目を潤ませた。
「アデル様!ご存じで…!?」
「あの方、昔から変わっているのよね、執着心がすごいというかなんというか…」
「あの、私決して気を引くようなことは何もしていないのです!」
「そうねぇ…何故かあの方はリンデルさんを気に入っているようですわね」
わたくしは思い切りしらばっくれた。
実はわたくしが幼いころから何もかも知っていて、しかも彼女を王子への生贄にしようとしていると分かったら、この場から一瞬で逃げ出されてしまう。あの健脚に勝てる気がしない。
(リンデルさんったら、涙目ね。可哀想に。本当に怖いのでしょうね…。でも確かに、なんだか泣かせたくなるというか、かまいたくなるというか、不思議な方ね…)
なんとなく王子の気持ちがわかったような気がしたが、わたくしは断じてあんなに人でなしではない。
それに、リンデル嬢には気の毒だが、わたくしのために是非とも王子を引き取ってもらわねばならない。
だが、頑張って王子のことをお勧めしてみるが、頑なに断られてしまった。
わたくしもちょいちょい本音が出てしまったので、王子を彼女に押し付けようとしていることはバレてしまったらしい。
そして、説得している間中、リンデル嬢には終始王子が怖いと訴えられてしまった。
やはり、彼女に王子の気持ちはさっぱり伝わっていないようだ。
王子のやばさを甘く見ていた。
(王子があんなに追い回すからいけなのですわ…しょうがない方ね)
これは一度王子ともきちんと話をしなくてはなるまい。
リンデル嬢と別れてから、わたくしはそのまま温室にとどまっていた。
温室には、南国を想像させるような鮮やかな花が多い。それを、見るともなしに見つめていた。
わたくしは、婚約破棄ができるタイムリミットを考えていたのだ。
わたくしと王子は、学園を卒業したら結婚することになっている。
正確には、学園を卒業して王子と結婚するまでは少し時間がある。
だからそれまでに破棄すればいいのだが、わたくしにとってそれは遅い。
王子との婚約を破棄した時点で、エリックに婚約者がいては困るのだ。
わたくしは、学園を卒業するまでになんとしても王子と婚約破棄しなければならない。
エリックは、卒業するまでは誰とも婚約しないと言っていたが、卒業してからはわからないからだ。
(婚約破棄できなければ、一生あの王子と一緒…。そして王子と子供を成さなければならない…のよね…?)
どんなに想い合っていなくても、結婚してしまえばもう本当に逃げられない。
相手は王子。しかも次期国王。世継ぎを望まれるのは間違いない。
エリックに恋い焦がれるわたくしに、どんな顔をしてあの王子に抱かれろと言うのだ。
想像しようとして脳が拒否した。
(ぜ…絶対に嫌ですわ…!!)
結婚。子作り。それが現実に迫ってきた事実に気が付き、背中を冷たい汗が流れた。
(そして、エリックはいずれ他のご令嬢と結婚してしまう…)
考えただけでじわりと涙が出てきた。
懇意にしているダグラス家嫡男の結婚式となれば、ハワード家も招待されるだろう。おそらくアデルも呼ばれるだろうし、幼馴染としてお祝いをしなくてはならない。
誰かの隣で微笑むエリックを想像してつきんと胸が痛んだ。
(どう頑張っても素直に祝える気がしませんわ!たとえ王子と結婚していても、エリックの結婚式をめちゃくちゃにしてしまいそう…)
そんなことをしたら、わたくしも、ハワード家も終わりだ。
わたくしは改めて決意した。もうなりふり構ってはいられない。
王子とリンデル嬢に、密やかに愛を育んでもらい、わたくしが身を引くことで穏便に婚約解消へと持っていこうと思っていたが、もうそんな時間は残されていない。
わたくしはぐっと眉間を寄せた。
あの王子さえわたくしを婚約者にしなければ。
せめて、あの王子がリンデル嬢をきちんと落としていれば。
そう思っても、もう遅いのだ。
学園生活は六年。長いようで短い。
この時すでに在学期間はあと一年を切っていた。
(最終手段にでるべきですわね…)
わたくしは、計画を練り始めた。
次回王子に直談判!