卑怯な王女様の婚約破棄騒動
ありがちっちゃありがちなお話。軽い気持ちでどうぞ。
悪い魔女は王子様に倒されて。
悪いドラゴンは騎士に退治されて。
――なら、悪いお姫様は?
すべての物語は“めでたし、めでたし”で終わる。
それは悪役ではなく、主役たちに捧げられるハッピーエンド。
誰からも愛される女の子が、誰もが憧れる王子様と結ばれる。一度は夢見たその世界が自分には遠いものだと気づいたのはいつだっただろう。
悪辣で、欲張りで、嫉妬深くて……おまけに卑怯な王女。
これが童話なら、きっと私は悪役だ。
お姫様を閉じ込めたり、王子様をカエルに変えたりする醜い魔女。悪役に待っているのは優しい終わりじゃない。最後に行き着くところは働いた悪事の報い。
もう随分と長い間、お姫様という名の魔女は訪れるべき結末を待っている。
◇◇◇
いつかこんな日が来ると思っていた。
「ひどいっ、殿下を騙して……あなたは少しも悪いと思わないんですか!?」
婚約者の周りをうろつくハイエナ……ではなく、可愛らしい平民のお嬢さんに呼び出されて大人しくついて来てみれば、予想していた通りの台詞を吐かれる。あまりの滑稽さに笑いすら漏れない。
一方的に責められるなんて、小国とはいえ一国の王女たる身では初めての経験だ。経験したかったわけではないが、いつかこんな風に責められる日が来ることはわかっていたから、自分でも驚くほどに動揺はなかった。
「悪い? 欲しいものを手に入れようとして何が悪いの?」
自分が悪いことなんて誰よりも一番わかっている。
でも、今の私は断罪されるべき悪役だから。思っていることとは反対の言葉を口にした。
わざわざ隣国の学園に留学している小国の王女、ファレーナ・ラナトアラ。それが私だ。
必要以上の勉学に励んでいる理由は婚約者であるこの国の王太子の傍にいるため。嫉妬深くて心が醜い意地悪なお姫様は、自分の婚約者に近づく女を排除するために学園に通っていると専らの噂だ。そんな噂が流れ始めたのはごく最近のことだけれど、あながち間違ってもいないと私自身思っている。
「悪いに決まってるじゃないっ!! 殿下を賊に襲わせて、それを助けたふりをして婚約者になるなんて……っ」
彼女の言葉は半分当たりで半分はずれ。
私が身分不相応にも大国の第一王子であるエレミオ・ファルファッラに恋をしているのは事実だし、彼の正妃になるために色々と画策したのは本当のことだ。もう少し詳しく言うなら、12歳のとき、私は初恋相手のエレミオを暗殺者から庇って消えない傷を負い、恩と罪悪感を盾にしてまんまと婚約者の地位に収まった。
“賊に襲わせた”という言葉に心当たりはないが、己の狡さを嫌というほど自覚している身では勘違いを正そうとも思わない。
あの事件からもう5年。
夢なら十分すぎるほどに見せてもらった。それを覚めないでと願うほど私は強欲になれない。物語のお姫様になれないなら魔女になって王子様を手に入れようとしたけれど、本当のお姫様が出て来てしまっては仕方がないだろう。
魔女はいつでもお姫様と王子様の愛に負けるのだ。
「言いがかりね。私がそんなことをしたという証拠があって言っているのかしら?」
「っ、証拠は……ないけど、あなたがやったってことはわかってるんだからっ!」
まるで駄々をこねる子どものような言い分をフンと鼻で笑ってやった。
自国の王族でないとはいえ王女に食ってかかる気概は買うが、彼女は平民としての自覚に欠けている。これでは王妃どころか側妃になるのも難しい。そのうえ、身分も容姿も教養もすべて私に劣る。こんな女に彼を渡すのは業腹だ。しかし、彼が選んだ相手が彼女だというなら――。
「だから、何だというの?」
もっと、彼女が完璧なお姫様だったら。
そうだったら、この醜く汚れきった恋心を捨てられたのだろうか。魔女に縛り付けられた哀れな王子様を解放してあげられたのだろうか。
「あなたがしてきたこと全部、殿下に言うわ! 騙されてるって、私が殿下の目を覚まさせてあげるんだから!!」
言い捨てて走り去る彼女の背を見送った。言いたいことだけ言って去っていくなんて、本当に失礼な子だ。礼儀とかそういうものをどこに捨ててきたのだろうと思ってしまう。
「ほんと、嵐みたいな子」
短慮で、浅はかな女。
お花畑を頭に乗せて、この世には正しいことだけしかないと声高に叫ぶ。
私が持っているものを持っていない代わりに、私が失くしてしまったものを彼女は持っている。可愛らしい素直さも、胸を張れる正しさも、愛される自信も。
私は彼女が嫌いだ。
だから、他には差し伸べる手を彼女には差し出さなかったり、平民である彼女に対してすべき配慮を敢えてしなかったりはした。それが意地の悪い行いだというならそうなのだろう。上に立つ者として、するべきことをしなかった。彼女の言葉の大半は妄言だが、それだけは言い逃れをするつもりも言い訳をするつもりもない。
「エレミオ様はどうするかしら?」
彼女の話を信じて、私を糾弾するのだろうか。
それとも、私を信じて彼女の言葉を否定する?
「……夢なんて見るものじゃないわね」
美しい姫君に毒林檎を食べさせた王妃は焼けた靴で踊って。
子どもを食べようとした魔女はかまどの中へ。
意地悪な姉は踵を切り落とし、目玉をくり抜かれた。
ファレーナ・ラナトアラという名の悪役の終わりはどこにあるのだろう。
どんな結末でも、これまでの夢の代価だと思えば耐えられる。
たとえ、醜い己を晒すことになっても、王子様に嫌われても――彼が幸せになれる終わりが待っているならそれでいい。
私は悪役らしく、結ばれる彼らを祝福なんてせずに去ろう。口汚く彼女を罵って、誰もが眉を顰める人間に成り下がって、せいぜい彼女の株を上げてやろう。不幸になれと呪いを口にしながら、誰よりも幸福になってと心の中で祈ろう。
それが、私が彼へ捧げる愛の証明。
朽ち果てていくこの愛を糧に彼らの恋が花開くなら、きっとこの想いにも意味があったとそう思える。
◇◇◇
――なんて、思っていた時期があったことは確かだ。
「どういうことだ、ファレーナ」
しかし、怖い顔で睨みつけてくる王子様に相対することができるほどの度胸は、私にはなかったらしい。
広がった噂の火消しをして回るつもりなんて毛頭なく、何を聞かれても沈黙で答えていた。それなのに、彼女が触れ回った噂はいつの間にか消えていて、彼女自身も最近めっきり見なくなった。いつ引導を渡しに来るのだろうと思っていた婚約者はちっとも訪ねて来ず、仕方なく重い腰を上げて会いに行けば笑顔で出迎えられる始末。
自分の口から言わせるつもりかと自虐的な気持ちで婚約を白紙に戻したいと口にしたら、今と同じ背筋が寒くなるような顔を向けられて、気づいたときには逃げ出していた。
いい歳をした婚約者同士が学園で追いかけっこなんて笑えもしない。
たいして経たないうちに私の方の体力がつき、今こうして壁際に追い詰められている。
低い声で問い質してくるエレミオを正面から見るなんてできなくて背中を向けた状態だが、それでも怖いものは怖い。
――どうしてこうなった。
「な、何がです?」
虚勢を張るが、何とか絞り出した声は震えてしまっていた。
“こっちを向け”と無理やりに身体を反転させられ、眉間に皺を寄せたエレミオと目が合う。
「何が、だと? 私の言いたいことがわからないとでも言う気か?」
「わ、わかりませんわ。私は婚約を破棄したいと……っ」
ガンっという鈍い音が真横から聞こえて、届いた風圧がわずかに髪を揺らすのを感じた。エレミオが壁に手を叩きつけたようだ。温厚な性格とはいかないまでも、粗暴な振舞いをするところを見たことがない相手のその行為には目を丸くする他ない。
「なぜ、今になって私を拒絶する?」
「え?」
「まさか他に男ができたというわけじゃないだろう。そんな報告は受けていない。そもそも私のものに気安く近づく男はこの国にいないはずだ。いったいどうしたというんだ、婚約破棄だなんだと言い出して。何が望みだ? お前を陥れようとしていた愚かな女にはその報いを受けさせたし、噂を真に受けた馬鹿共も排除した。早く私を頼ればいいのにお前が何も言わないから対処が遅くなってしまったが――」
彼は何を言っているのだろう。
素直で可愛らしいあの子を気に入っていたのではなかったのか。
だから、婚約者の座に居座る私は邪魔なのだろうと思っていたのに。必要以上の接触を避けて、彼があの子と仲を深められるよう私なりに配慮したのに。傷を盾に卑怯な手で婚約者になった女に付き合うのなんてもう限界だろうと、私から婚約破棄を言い出して。これで、晴れて愛し合う二人が結ばれるのだと考えていたのに……どうして。
「おい。聞いているのか、ファレーナ」
「は、はい! 聞いていますわ、エレミオ様」
「だいたい、婚約はお前が言い出したことだろう。それを一方的に破棄しようなんていい度胸だな?」
「それは……“あのこと”がありましたし、醜い傷が残った身では貰い手がないだろうと」
感謝しているエレミオと彼の両親たちに、これ幸いと婚約を願い出たのは確かにファレーナの側だが。
「……他の嫁入り先でも見つけたか」
「え? エレミオ様、今何かおっしゃって――」
彼の唇が何か言葉を紡いだのはわかったが、呟かれた声は耳にまで届かなくて思わず聞き返した。
しかし、言い終わる前に口を塞がれる。
「っ」
気づけば、輪郭がぼやけるほど近くに彼の顔があって。
何が自分の口を塞いだのか、その感触で知った。
初めての口づけは想像以上に熱く、甘い。
物語のような触れるだけのものではなかった。婚約者とは言っても愛なんてないからと望むことすらできなかったものが、抵抗する隙すら与えず、私から言葉を、余裕を――思考をも奪い去っていく。
長いとすら感じるそれは、離れてみれば一瞬だった。
「な、にを……」
整わない息に羞恥が込み上げる。
吐息が重なるほど近くに彼がいるというだけで舞い上がってしまいそうなのに、それ以上なんていつ倒れてもおかしくない。とりあえず、記憶の隅に追いやってどうにか平静を保とうとしても、乱れた呼吸と熱を持った身体が先程までの行為を忘れさせてくれない。
いまだ間近で見つめる双眸には、耳まで赤く染めた私が映っている。そう思うだけで、さらに体温が上がった。
「婚約は破棄しない。たとえお前が泣いて嫌がっても、お前は私のものだ」
意味がわからない。
私が彼との婚約を泣いて嫌がるわけがないのに。嫌がるなら彼の方だろうに。なぜ、縋るように私を抱き締めているのだろう。
いつになく強い抱擁は、まるで好きだと言われているようで混乱する。嫌われてはいなくとも、愛されてなんているはずがない。彼が私に向ける感情なんて良くて親愛だと、傷に関する罪悪感と婚約者に対する情くらいしかないとそう思っていた。
もしかして、違うのだろうか。
私は夢から覚めなくていいのだろうか。
この想いを諦めなくていいのだろうか。
醜い傷を持った卑怯な魔女でも、王子様に愛されたいと願うことが許されるのだろうか。
「私は、あなたの婚約者でいてもいいのですか……?」
「何を言っている」
今までなら、決定的な一言を恐れて踏み込まなかった領域に一歩踏み込んで。彼の瞳に否定の色がなかったことが私の背を押してくれた。聞いて後悔する結末より、知らずに嘆く結末の方が嫌だと自然とそう思えたから。
なけなしの勇気をかき集めて、早鐘を打つ心臓を宥めすかして、最も気になっていたことを尋ねる。
「エレミオ様はあの子がお好きなのではなかったのですか……?」
「あの子?」
おそるおそる口にした言葉は確かに彼の耳に届いたようで、エレミオはわずかに目を瞠った。
“あの子”には心当たりがない様子だったが、私が彼女の名前を出すと思い出そうとするように視線が宙を彷徨う。名前を聞いても誰だかわからないなんて。すぐに出て来ないなんて。もしや覚えていないのだろうか。気に入っていたというのは、まさか私の勘違いだったのか。
「――ああ、あの愚かな女か」
エレミオはようやく思い出したというように頷いてから顔を顰めた。
「私があんな女を好くわけがないだろう。いったい誰だ、そんな戯言をお前に吹き込んだ者は?」
「あの子が――」
彼女本人がそう言っていた。数回、彼と彼女が二人きりで会っているところを見た。
改めて口に出すとたったそれだけのことでしかない。なぜそうと決めつけていたのかと自分でも思うほどに根拠に乏しかった。彼が彼女を気に入っているという疑いがいつしか真実になっていて、自分が彼に愛されていないという確信がそれに拍車をかけていたことに気づく。
呆れたようにこちらを見るエレミオに合わせる顔がなくて咄嗟に俯いた。
「お前は聡いくせに変なところで鈍いな。それに、頭は悪くないのに愚かだ」
「………………」
「愛してる、とでも言えば満足か?」
告白とも言えないそれに、ただ心が震えた。
「背中の傷一つで私を縛れるなんて思うな。……こんな、傷痕ごときで」
後ろに回された手が制服の生地の上を滑る。服の下に隠れた大きな傷痕をなぞるようなその動きに、思わず肩が揺れた。くすぐったいような、背筋から何かが駆け上がってくるような、そんな感覚に身をよじる。
背中の傷痕。
それは彼を婚約者という場所に縛り付ける枷であると同時に、私の醜さを象徴する罪で――彼を守れた証だった。それを盾に婚約者になったことを恥じたことは数知れないが、この傷を負ったことを恥じたことは一度もない。
だからこそ。私にとっても、彼にとっても、互いの関係に大きく影響するものだと勝手に思い込んでいた。
「私は傷痕に縛られたんじゃない。私を庇って大怪我を負ったくせに嬉しそうに笑って“大丈夫か”と問うてきたお前に縛られたんだ。お前だから――ファレーナだから、縛られてやったんだ」
「でも、婚約したのは私に傷が残ったからで……愛なんて、ないと」
「婚約の理由が、愛じゃないわけがないだろう。何年一緒にいると思っているんだ。それくらい気づけ」
政略的な意味には乏しい婚約だった。だから、罪悪感だとばかり思っていた。お情けで私と婚約してくれたのだと決めつけて、彼の想いなんて考えたこともなかった。
罪悪感で縛ったことを申し訳なく思いながらも、婚約者という立場に心躍らせて、いつか終わる夢だと自分自身に言い聞かせて。勝手に背負い込んだ不幸と不安で、なりふり構わずにせっかく手に入れた幸せを塗り潰していたと今さらながらに気づかされる。
「好きです」
言葉とともに涙がこぼれた。堰を切ったように想いが溢れて止まらない。
「あなたが、エレミオ様が好きです。子どもの頃からずっと、あなただけをお慕いしています」
私は悪辣で、欲張りで、嫉妬深くて……おまけに臆病だから。今日この瞬間まで、愛を告げることも彼の気持ちを確認することもできなかった。
「知っている」
そう言って笑った彼は、愛の言葉を囁く代わりにそっと唇を重ねる。今度は触れ合うだけのキスを交わして、私たちは額を合わせて笑い合った。
ここは物語の中でも、童話の世界でもなくて。
私は悪い魔女でも、誰からも愛されるお姫様でもない。
ただ一人の愛を得られれば、きっとそれだけでハッピーエンド。
――――こうして、自分を卑怯だと思い込んでいた王女様の婚約破棄騒動は幕を閉じた。
普段あんまり婚約破棄ものとか読まないんですが、思いついたので書いてみました。これが婚約破棄なのかどうかは不明です。王道だとは思いますが、なろうテンプレからは外れるような……。
《 登場人物について 》
ヒロイン:ファレーナ・ラナトアラ
自己完結型メルヘンチック女子。高慢な悪役令嬢かと思いきや、恋に臆病じゃないとすれ違いものにならないという作者の偏見により臆病になってしまったお姫様。12歳で初恋の王子様を庇って大怪我負うくらいだから、恋以外にはきっと臆病じゃない。むしろ度胸あるよ、うん。一人称だし自己評価が高くないのでわからないけど、他の人から見ると毅然とした王女様……という設定です。頭はいいけど夢見がちな子を目指しました。なかなかの恋愛脳。
ちなみに、ファレーナはイタリア語で蛾の意味だそうで。ラナトアラは蜘蛛の巣という意味のイタリア語(ラニャテーラ)を適当に変形させました。こんな名前ねえよというツッコミは聞かない。
ヒーロー:エレミオ・ファルファッラ
好きって言った女の子に対して“知っている”とか、イケメンじゃないと許されないからたぶんイケメン。口より先に手が出るタイプ。行動に移すのが早いわりに言葉に出さないため、気持ちが相手に伝わらなかったと思われる。拗れたのはきっとこいつのせいだけど、誰も責めないからここで作者が責めておきます。お前のせいだよ! 聞いてるのか、この野郎!!
ちなみに、ファルファッラはイタリア語で蝶。蜘蛛の巣に引っ掛かった哀れな蝶……というわけでもないですが。名前の方は原形(ミエーレ:イタリア語で蜜)がわからないくらい変形させました。
名もなき少女:???
名前も考えていないモブ子。お馬鹿さんで訳のわからないことを言っていますが、彼女がいないと物語が始まらないので作者は好きです。自己主張しないモブらしいモブ。彼女がどうなったかをちゃんと書けば流行りのざまあになるのかもしれませんが、ざまあには萌えないので……ぶっちゃけどうでもいい。個人的に、彼女にも幸せな終わりが待っていた方が後味いいと思います。
もし名前を付けるとしたら、蟻か蜂かな。どっちにしても働いている方ですね。