間奏
目が、瞳孔が見開かれていくのが、分かる。
思考回路が停止する。
ころす?
「…奥方様がナイト様をお連れして、この屋敷を出て行ったときから、アルト様に自傷癖が発症し始めたのです。
日に日にその頻度と規模は大きくなっていき、
ついに――使用人の一人に重傷を負わせたのです」
松方さんは言う。
傷口はすぐに塞がったものの、危ういところまでいったのだという。
アルトは自分が刺したことをしっかりと、自覚していた。
「自身だけではなく他人を傷つけてしまうほどに進行した自傷癖。
旦那様の診断では、貴方と離れたショックと環境の急激な変化からのストレスを、すべて御自分に向けたのだと」
これは、アルトの話だ、俺と母さんと別れた後の。幼い頃の。
アルトは辛かったんだ。辛くて辛くて、思った。
母さんが出て行ったのも、
父さんが冷たいのも、
俺がいないのも、
一人ぼっちなのも。
――この人が死ぬのも、自分のせいだ、と。
「しかし、旦那様はそれに対して『愛情』以外の治癒方法を試されました。
『弱いままではこの先、生きてはいけない』と仰って。
それから十年経たれて、学園でアルト様は貴方に出会われました。
この十ヶ月間、『欲求』は徐々にですが弱くなっています。
旦那様も、この経過には驚いていらっしゃいました」
松方さんは、口元に笑みを深くする。
「身寄りのない私には分かりませんが…
おそらく、アルト様と貴方は、ひとつのものなのでしょうね」
双子だから、という気持ちはなかった。
姿かたちじゃない、遺伝子の問題じゃない。
細胞を越えて、アルトとは深くつながっていたんだ。昔から。
「私は、アルト様が信じていらっしゃる貴方を、信じています。
ですから私の願いを聞いていただいてもよろしいですか?」
その願い事を聞く前に、俺は松方さんに申し出ていた。
俺の言葉に松方さんは泣きそうな笑顔で、何度も頷いてくれた。何度も謝りながら。
いつも実行は夜なのだという。
伊達の眼鏡をかけて、黒い礼服を着て、アルトは松方さんの車に乗り込む。
その目は空ろだ。昼間に見せる笑顔の面影はない。
松方さんのリムジンを、使用人と俺の車がそっと追いかけていく。
俺は黙ったまま、前の車を見つめていた。
アルトは今、何を思っているんだろう。
黒いリムジンが行き着いたのはある刑務所だった。
この場合のアルトの立場とか、権利とか、どうなっているのかさっぱり分からないけれど、松方さん曰く、『法律の抜け穴は探せばいくらでもあるのですよ』とのこと。
この人の経歴は知らないけれど、知らないからこそ、過去の経験値が違うのだろう。できれば敵には回したくない人だ。
夜の街灯に、アルトの手錠が緩く光る。
手錠をはめたまま、アルトは松方さんに肩を押され、ゆらゆらと歩いている。
刑務所の最下層にある、一室。そこは死刑を執行する部屋なのだという。
役員が部屋のドアに手をかける。
松方さんは後ろから、アルトの手錠の鍵を外した。
がちゃんと手錠が外れる音と、鍵が開く音が重なる。
開け放たれたドアの前、アルトの眼前には、目隠しをされた死刑囚。
松方さんはいつもここから目を閉じるのだという。
生きたまま腹や目を裂かれ、内臓を引きずり出し、悲鳴と共に肉片を撒き散らしていく。
それを自覚的に、アルトは行っている。
だから自分が手をかけた人々の名前を全て覚えているのだ。
決して忘れない、忘れてはならない、と強く言って。
「あの小さな背中に、いくつ十字架を背負っているかご存知ですか」
両の手を真っ赤に染め、黒い礼服も髪も無機質な壁も真っ赤に染め、瞳から透明な涙を流して。
――自分を追いつめて、責めて、傷つけている。
それは俺と再会しても、癒えない過去からの強迫観念。
「助けてください、アルト様を…」
ようやく松方さんは涙を流した。
血塗れのまま、アルトは次に待機した目隠しの死刑囚を、まるで死神のように見つめている。
俺はアルトの背中にそっと呼びかけた。




