前奏
いつものように学校の音楽室でヴァイオリンを弾いていると、アルトがやってきた。
「ナイトっていつも一人なの?
部活の友達とは演奏しないの?」
「部屋入ってきていきなりそれかよ。
しないわけじゃねーけど、俺が練習熱心すぎんだろ」
にやとアルトが笑う。
「分かるなぁー。ナイトって協調性なさそうだもんね」
「…喧嘩したいのなら喜んで買うくらいの、協調性はあるけど?」
アルトは笑うとヒマワリみたいだ。
学校でもこんな調子でのほほんとしているから、一時期いじめの対象になっていたのに、本人はその自覚さえなかった。違うクラスだった俺は、そのいじめのことをずいぶん後で聞いた。
俺とアルトは双子だけれど、アルトは眼鏡をかけていたから他の人にも気づかれにくかった。
髪の色が違うのも関係していたのかもしれない。
黒髪のアルトと違って、俺の髪は金に近い茶色だった。
なぜなら小さい頃から水泳も好きだったから、塩素で若干色が違っている。
「ねぇお願いがあるんだけど、いいかな」
楽譜に印をつけながら、首を傾げる。
するとアルトはポケットからカセットテープを取り出した。
「今度録音させてね」
毎日聴きたいんだ、と微笑む。
今時、カセットテープかよ。
そう言うとアルトは、苦手なんだよと照れながらも笑った。
その顔に、俺は少しほっとしてしまう。
俺とアルトは、双子だけれど違うところで育った。
両親が離婚して、俺は母さんと暮らすことになった。
本当は後からアルトも一緒に連れてくるつもりだったらしいのだけれど、裁判に負けたのだという。
それでも、ヒマワリみたいな笑顔の母さんの下で育っていって、俺は幸せだった。
でもここ一年ほど、母さんは軽い肺炎を患って入院して…父さんに診てもらっている。
深刻なものではないからもうすぐ退院するとはいえ、俺としては少し複雑な気分だ。
そして、アルトの方は父さんに引き取られた。
どんな生活を送っていたのかは知らない。
母さんの勧めでこの学園に入ってきた時、まさかアルトが通っているとは知らなかったのだ。
俺を見つけたのは、アルトだった。
「じゃあそろそろ松方さんが来るから、また明日ね」
音楽室の戸が閉められ、また独りになる。
もう少し弾いて帰ろうと思って、楽譜に目を移す。
と、開けっ放しだった窓から強い風が吹き込んだ。
揺れるカーテンを押さえて、窓を閉める。
下には、広い校門へと続く通りが見えた。
さすがに五時近くなると、学校には人が少ない。
校門へと歩くアルトと父さんの秘書の松方さんが、足早に校門に停めてある車に向かっている。
アルトの両手を縛るなにかに、夕陽がちかりと反射した。
「手錠?」
アルトの細い手首には、手錠がかけられていた。
どうして、誰が…何のために。
松方さんのわけがない。
――じゃあ、 …じゃあ。
次の日、俺は学校を休んで父さんの病院に行った。
父さんはいないと思った。
病院の規模も大きいし、父さんはそこの院長。
多忙な身だろうと踏んで、会わないだろうことを期待して、俺は病院に入った。松方さんに話を聞こうと思ったのだ。
母さんが知るところでは、松方さんは秘書といってもこの病院の関係者らしい。
母さんと離婚したころから、父さんの近くにいた松方さんは、温厚で人当たりがよいから、父さん以外の人にも何かと重宝されているのだろう。俺も松方さんのことは好きだったし。
アルトの手錠の意味を、教えてもらおう。
「関係者以外立ち入り禁止だ、出て行け」
でもそれは叶わなかった。
運悪く松方さんとは会えず、代わりに父さんのいる院長室に通されてしまったのだ。
院長室に入るなり、父さんは挨拶もせず俺にそう言い放って、書面と向き合った。
俺は昔からこの機械人形のような父が大嫌いだ、それは今も。
「アルトのことで聞きたいことがあるんだよ」
ちら、と黒い目が俺を、視界に入れた。
訝しげに見た後、不快そうに眉をゆがめる。
「お前に関係は無いだろう」
斬って捨てるように言う。
実の親だということすら疑いたくなる。
「なんで手錠なんかしてんだ。答えによっちゃ通報する」
「知った風な口をきくな、お前は所詮何も知らない外部の人間だ。
…あいつにはアレが必要なだけだ」
苛立つように吐き捨てる。
まるで当然のことのように、父さんは答えた。
「――あいつは劣っているからな」
おとって、いる、?
アルトの笑顔が一瞬浮かぶ。
聴覚が、ゆるゆると消えていく。
視界はただ、一点を見つめて。
熱い鼓動。
冷たい酸素。
感覚が無い。
自分の脳を冷たく、重く感じる。
風すら感じない。
振り上げるのは、冷たい自分の拳。
「ナイト様!」
父さんを殴ろうとした俺の手を、止めたのは松方さんだった。
「腹が立つから殴る、か。 ふん…くだらん。
松方、私は診察に出る」
俺が掴んだ胸元を手で直し、父さんは無表情のまま白衣を着る。
「てめぇの、どこが優れているって言うんだ!」
ばたんと院長室の戸は閉められた。
アルトは家のことを一切語らず。
俺はそのことを、聞くこともなかった。
俺とアルトの小さな溝は、そこにあったのかもしれない。
俺は、それをもっと早く改善すべきだったんだ。
何があったのか、聞いておけば…話してくれなかったとしても。
アルトの言葉から、なにか感じられたかもしれないのに
。
あの後、松方さんは父さんに都合をつけて、俺を車で送っていってくれた。
家から電車で来たので、帰り賃が浮いたのは正直助かった。
ぼうっとしていた俺に、松方さんは静かに話しはじめる。
「ああ、最近暖かくなってきましたよね。梅の季節もそろそろ終わりといいますが、私は梅のほうが好きでしてねぇ。
いや失礼…この歳になると、独り言が止まらないんですよ。
この先私が何を言っても、ただの独り言ですので、どうぞ気にしないでください」
信号は青になる。
俺は相槌を打つ気力もなく、ただ窓の外をぼうっと見やっていた。
「最近旦那様はすこぶる機嫌が悪くて…私に無理難題を言っては困らせているのですよ。
まぁ分からないでもありませんよ、あんなに熱心に努めたというのに、アルト様の発作は治らないのですから」
車はゆっくり発進する。松方さんは話し始めた。
…否、呟き始めた。
「もうずっと―――毎日御自分の発作を抑えるために、
アルト様は人を、殺していらっしゃいます」




