3話 絶たれた再会の糸
あれから3ヶ月の月日が流れた。
ん? 2階の探索はどうなったかだって? はは、何のことやら……。
まあ、いろいろ見ては回った。部屋は9部屋、両親の部屋や寝室、そして本が置いてある書斎などがあった。
その部屋に入ったはいいけど、文字は読めないから、何も面白くなかったよ。しかも15分くらいでユリに連れ戻されたからな。
それ以来、まだ2階には行ってない。何故かって? そりゃ、文字が読めないのに本がたくさんあるなんて拷問以外の何物でもないだろ。
興味があるものを知れないなんて生殺しもいいところだ。
この3ヶ月、俺は言語の習得に全てを費やした。おかげでこっちの言葉で会話することもできるようになったんだ。
まあ、1歳にもならない赤ん坊が言葉を話すようになった時、ユリに怖いものを見るような目で見られたのがちょっと……かなりショックだったな。
だが、今日は生殺しに日々とも別れを告げる日だ。ユリに、2階の書斎で本を読んでもらう約束をしたのだ。
ついにいろんなことを知ることができる。そう思うとニヤニヤど止まらないな。
「リオ様、手が空きましたのでそろそろ行きましょうか」
来た、ついに文字の壁を克服する時が来たようだな!
「うん! はやくいこうよユリ」
ちょっと幼い言葉遣いを意識しながら答える。喋るだけであんな驚かれたんだから、大人みたいな受け答えをしたら、どうなることやら。
ゆりに手を惹かれながら、トコトコと部屋から出る。はいはいなんぞはとっくの昔に卒業済みだ。
と、階段の前でユリに抱っこされる。あの時俺が階段から落ちたのを見られて以来、ユリがいる時は必ず階段は抱っこされる。まったく、もう自分で登れるというのに過保護なことだ。
1段上がるたびに揺られて、柔らかい膨らみが当たる。いつも思うが、これは凶悪だ。いくら見た目赤ちゃんでも、中身は16歳なんですよ、健全な高校生なんです。
そっと床に降ろされる、やっと2階に着いたか。やけに階段が長く感じたな。
…………だれももっと抱っこされてたかったなんで思ってないからな!
「さあ行きましょうか」
ユリに連れられて書斎へ向かう。そうだな、まずは地図から見るかな。家族の元へ帰るためには、ここが何処かわかないと話にならないからな。
「さて、どんな本を読みますか?」
書斎にはいるや否や、ユリが聞いてくる。
「地図!」
「え? 地図……ですか?」
「うん!」
信じられないと言った様子でユリが確認してくる。まあ、まだ1歳にならない子供が地図が見たいとか言ってきたら、俺も似たような反応をするだろう。
「はやく、はやく!」
フリーズしているユリを急かす。半分呆然としたまま、ユリは地図をとってくる。
地図はまるで設計図か何かのように丸められていた。
そして、開かれた地図を見て俺は愕然とした。
「これは……?」
「これは世界地図です」
そんなはずはない。大陸が3つしかないし、見たことのある形の大陸なんて一つもない。
測量の技術が未発達なのか? ド田舎だから正確な地図なんてないのかも。
無理やりの、こじつけのような理由を、考える。
「この、一番のの大きいのが、メイリス大陸、その左にあるのがソラス大陸、そして一番小さいのがアーゼラス大陸です。そして…………」
そこまで聞けば、十分だった。まだユリが何か説明してるが、頭に入ってこない。
なんだその大陸名は? 聞いたことがないぞ。ユーラシア大陸は、日本はどうした!? そんなはずは……だってここは地球のはずだろ!
唖然とした。何が起こってるんだ。
「…オ様、リオ様」
いつの間にか、ユリが不思議そうに顔を覗き込んできていた。
唖然としている俺の表情を見たのだろう。彼女の綺麗な眉がさらに訝しげに動く。
だが、それで硬直が解けた俺は、そんなことを気にせずにユリが地図を持って来たところに走って行き、丸められている紙を片っ端から開いていく。
どれだ! どれなんだ!? 何処かに地球の地図があるはずだ、ないはずがない!
『なんでないんだ!』
「どうされたのですか?」
うるさいな、それどころじゃないんだ。
無いなんて、そんなことはあり得ない!
懸命に否定するけれども、頭の隅では最悪の可能性を考えてしまう。理性はそれを認めろと、ここが地球で無いことを認めろと言っている。それでも、現実に抗うように俺は
「……痛ッ⁉︎」
「…………っ⁉︎ リオ様ッ!」
指先から血が滲んでいた。本の端で切ってしまったようだ。
ユリが、俺の手を取る。そしてもう片方の手でエプロンのポケットを探る。 絆創膏でも探しているのだろうか?
予想に反して、出てきたのは幾何学模様をもっと単純化したような線が書かれている札だった。
そしてそれを俺の傷口に近づける。
「治癒」
は? 中二病か?
札がほのかに光ったかと思うと、弾けて複数の小さな薄緑の光の玉になり、それが俺の傷口に吸い込まれて行く。
『え…………?』
痛みが引いている。傷口を確認すると、さっきまであったはずと血が滲んだ筋がなくなっていた。
「リオ様、気をつけてください」
「……今のは…………?」
「はい? ……ああ、今のは魔道符です。簡単な魔法をすぐに発動できる道具ですよ」
魔道符? 魔法?
ああ、そうか。……ここは地球ではないのか。
そう認める以外、俺には選択肢がなかった。
普通なら、異世界だ! とかはしゃぐところかもしれないが、俺にとってはただひとつの現実を突きつけられただけだった。
もう、家族にも、友達にも会えない。
俺の心をおるには、十分すぎるほどの打撃だった。
「リオ様、本当にどうされたのですか?」
ユリが俺を心配してくれている。でも、俺はとても立ち直れるとは思えなかった。
「……もう、いいよ…………帰る」
「……そうですか」
色々と聞きたいことがあっただろうに、ユリは気を利かせて何も聞かないでくれる。それだけいうと、俺を抱き上げ、書斎を出る。
いつもなら俺は、ここで抵抗して自分で歩くというのだが、そんな気力があるはずもなくおとなしくなされるがままになる。
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「では、私はこれで」
それだけいうと、ユリは部屋を出て行った。何もする気が起きず、その場に倒れるように寝転ぶ。
目を閉じるといろんな人たちの顔が浮かんでは消えて行く。今思い浮かべている人たちには、もう二度と会えない。
こんなことなら、転生なんてしなければよかった。もう一度家族に会えるかもしれないという望みが生まれることもなく、そのまま闇の中に消えることができたのに。
何の気力も湧いてこない。世話になった人たちに恩返しがしたいという気持ちを心の奥に持ったまま、生まれ変わってから今まで必死に頑張ってきたのにそれはもうできない。
だって、この世界にその人たちはいないのだから。
ひときわ強く、母の顔が浮かんだ。身体が弱かった俺のために、仕事を辞めて身の回りの世話をしてくれた。
彼女がいたからこそ、俺はあの世界で幸せだと思うことができたんだろう。そんな人に、恩返し一つできないまま俺は死んでしまった。
もう一度会いたい、実現不可能なそんな気持ちが心を締め付ける。
『母さん……会いたいよ…………』
「どうしたの? リオ」
いつの間にか、リーニャが後ろに立っていた。たぶんユリに話を聞いたんだろう。
手を伸ばして、俺の両目に溜まっていた涙を拭う。
母さんじゃない。いや、確かに母ではあるのだが、俺が会いたい母ではない。
そんなことを思ってしまった。
柔らかい感触が全身を包む。自分が会いたいと思っている母ではないのに、抱かれることで本能的に安心する。
どれほどの間そうしていただろうか? 優しく、母が語り始める。
「何があったかは聞かないわ。ただ、一つだけ覚えておいて欲しい。何があっても、母さんは、貴方の見方であり続ける、この命が続く限り貴方を支えることを」
リーニャの顔が地球の母と重なった。俺が外に出ることができず、心が折れかけた時、母も同じことを言ってくれた。
この人も俺の母親なんだ。そう思うと、自然と涙が溢れ、止まらなくなった。
母に頭を預けたまま、俺はいつまでも泣き続けた。