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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
朱雀門の月
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朱雀門の月 (三)

 それから時が過ぎるにつれて、博雅(ひろまさ)の姿は老いて行った。朱雀門を訪れることも少なくなり、やがて鬼は博雅が死んだことを知った。

「人の命は儚いな」

 朱雀門の鬼は一人残された楼の中、そう呟く。彼と取り換えた笛は、そのままになってしまった。物は残れども人は残らずということか。

 反魂の術は人を蘇らせることができると言う。その方法は知っている。人骨を拾い集め、人の形に並べ、そして砒霜石(ひそうせき)の薬を塗った後に苺と繁縷(はこべ)の葉を揉み合わせて骨に乗せる。

 七日間の断食の後、藤の若葉の糸で骨を繋ぎ合せ、清水で洗い、さいかちと木槿(むくげ)の葉を焼き、その灰を頭骨に塗る。そして土の上にござを敷き、その上に骨を伏せて二七日の(のち)、乳香を焚く。それで人が出来上がると言う。そう、出来上がるだけだ。

 反魂の術は人を蘇らせる術ではない。新たな人を作り出す法。例え博雅の骨を集めたところで意味はない。もし霊体を宿らせることができたとしても、別の人間が生まれるだけなのだ。

 彼の霊体はただひとつのみ。それももう成仏してしまったことだろう。未練がなければ魂は現世(うつしよ)に留まらない。あの男のことだ。思い残すことなどなくこの世から去って行ったはずだ。それで良い。死んだ(のち)にこの世に執着したところで、良いことはない。

 己一人のみしかいない朱雀門の楼の景色は、いつもと同じものであるのにどこかうら寂しい。もうあの男はこの場所を訪れることはない。合奏することも、双六をすることも叶わぬ。いつかこの日が来ることは知っていたが、鬼の生きた歳月に比べ、博雅と過ごした時はあまりに短かった。

 かつて反魂の術を生み出したという鬼も、もう一度語らいたい誰かがいたのだろうか。

 博雅の言った通り、月は今宵も変わらず煌々と夜に穴を空けている。だが、変わらないものを見続けていてもつまらぬのかもしれぬ。ならば、変わり行くこの時代を見つめていようか。滅び、また生まれ、変化して行くこの現世(うつしよ)を。




 長い時を経て、あれから多くのことがあった。そして、この都もまた終わりへと向かっている。

 この朱雀門という場所にいるからこそ内裏のことは良く分かる。鳥羽上皇の死によって引き起こされた保元の乱。それは崇徳院という人を妖と化させ、この平安京において妖たちが争うひとつの要因ともなった。そして今は平氏が力を持ち、平清盛が平安京の遷都を目指したことで平氏と貴族たちが対立し、争いが起きているようだ。もうこの都が国の中心にあるのも長くはないかもしれぬ。

 ならばこのままこの都に留まるか、それともまた新たに生きる場所を探すか。二つに一つ。朱雀門は羅城門の妖たちを思い出す。彼らの側で妖と人の世がどう変わり行くか、見ているのも良いかもしれぬ。妖の一時代が終わった今、彼らは新たな妖の時代を作り上げるものたちだ。そんな若人たちの生き方を見るのもまた面白いだろう。

「ならば、動かぬ訳にはいかないな」

 朱雀門の鬼は言い、立ち上がった。

 恐らくあの羅城門の鬼は失くした左腕を取り返すため、動くだろう。あの目は執念を信念を孕んでいた。そして今、都に住むものたちの間では羅城門に住まう鬼が噂になっている。どちらが先に動くにせよ、あの鬼たちはまた人と戦わねばならぬ。そして、人の間で噂になるものに妖が気付かぬはずもない。

 妖の影が薄くなったこの都の闇の中、未だ蠢く陰はある。

 鬼は門を降り、そして朱雀大路の真ん中を堂々と進む妖気を辿る。鬼の妖気を感じたのか、その妖も立ち止ったようだった。

「何だお前は?」

 その男はそう低い声で言い、振り返った。漢服を着た、しかし頭を露わにしたその男の眼は鋭く鬼を睨んでいる。

 この時代、成人した男が人前で頭髪を露わにすることは恥とされている。余程に位の低いものでなければそれは、異国のものか人ならざるもの。

 そして目の前の男はその二つを満たしている。

「貴様の向かうは羅城門か」

 朱雀門の鬼は尋ねる。男は水気を含んだ不快な笑い声を漏らす。

「そうかもしれぬ。して、それがお前に何か関係があるのか?」

 おちょくるように男は指を曲げては伸ばし、笑みを見せる。普通の人間と同じ大きさであったその口は、笑ったことによって耳元まで裂けた。

「行くのならば、通す訳には行かぬようだ」

 朱雀門の鬼は懐から竹筒をひとつ取り出し、その栓を抜いた。男は楽しげにそれを見つめる。

 この男から漂う妖気は普通の妖とは違う。もっと禍々しく、そして強い。男の姿は人のものから次第に変わり行く。皮は薄緑色に変わり、そして粘液を纏った鱗が体を覆う。丈は一丈を超え、裂けた口には鋭い牙が並んだ。

「お前のことは聞いたことがある。大陸から来たという水虎(すいこ)だな」

 都に妖の影がなくなった今、外からこの都を狙う妖が来ることはままあった。水虎は人の子ほどの大きさと聞いていたから、目の前にいる巨大な水虎は相当に力が強いのだろう。多くは都に残った数少ない妖に駆逐されたが、稀には今目の前にいるような強大な妖も現れる。

 そしてそういったものたちが狙うのは、かつての六大妖怪のひとり、酒呑童子の右腕として働き、今は羅城門に住まう茨木童子。それがこの都を支配しようとする上で、目下の障害となるのは誰でも予想をするだろう。

 だが都に住まう鬼は羅城門の鬼だけではない。この都には、その盛衰とともに生きた朱雀門の鬼がいる。

 相手は異国の強力な妖。片腕を失った茨木にこの相手をさせるのは酷だろう。それに、廃れ行く都であろうとも、人の都であろうとも、海の向こうの化け物にこの都を好きにさせるなど気に入らぬ。鬼は変わり行く都を見続けて来たその目で、大陸の妖を睨んだ。

「お前もこの都の鬼か。ならば、ここで殺しておくべきか」

 水虎が掌を開くと同時に、水かきのついたその指ひとつひとつに長い爪が現れる。体を覆った鱗はその下の筋肉の形を浮かび上がらせる。

 朱雀門の鬼は竹筒を振り、中の液体を地面に振り撒いた。それはすぐに一つの形を取り、様々な九つの頭を持った鳥の怪物と化す。

 怪鳥の亡骸を集め、一つの体に繋いで反魂の術により傀儡(くぐつ)として蘇らせた妖。これは大陸に現るというある妖を模して作り上げたもの。

「それは鬼車(きしゃ)か?」

 朱雀門の鬼は言葉を発さない。だが異形の鳥は水虎へ向かって翼を広げ、飛び立つ。水虎は満面の笑みを浮かべると、両の掌を開いた。

 鬼車は甲高い声を上げて水虎に突進した。九つの嘴が異国の妖の体にぶつかる。だがそれは矢をも弾くとされる水虎の鱗を貫くことはできない。水虎はにやりと笑うとそのまま鬼車の体を左の腕で抱え込み、右の爪でまず左端の頭を潰した。死体故に粘つき、腐臭を漂わせた血が水虎へと振り掛かる。

 そのまま水虎は鬼車の片翼を掴むと、その根元に食らいつき、翼を根元から引き千切った。飛ぶことができなくなった鬼車を地に叩き付け、牙の間から血を滴らせながら水虎は鬼の方を見て笑みを浮かべる。

 既に死に、また肉体を薬と妖術によって強化された鬼車がこうも簡単にやられるとはと、朱雀門の鬼は興味深そうに水虎を見る。全身に血を浴びた妖は今にも鬼へ襲いかかろうとするように姿勢を低くする。

 だが、一歩踏み出したところで水虎は唐突に膝を崩した。目を見開き、自らの体に起こった異変にうろたえている。

「これは……毒か?」

 口から血を吐き出し、水虎が鬼を睨む。

鴆毒(ちんどく)は知っているだろう?貴様らの国に伝わるものだ」

 鬼は答える。水虎は呻き声を洩らす。その鱗の間から止めどなく血が漏れ出している。

 鬼車の血の中には、朱雀門の鬼自らが作り出した毒が仕込まれていた。鴆毒は人や獣は勿論、妖でさえも死に至らしめることができるような強力な毒だ。鴆という毒を持った鳥の羽により作られるこの猛毒は水に溶けやすく、また味も匂いもないため気付かれ難い。ましてそんな猛毒が血の中に混ざっているとは思わぬだろう。死体を操るという術故に可能な罠だ。しかし見事に食らってくれた。

 どんなに強固な鱗を持っていようとも、体の中に毒を取り込まれればどうすることもできまい。真正面からぶつかるだけが戦うということではない。相手に合わせて対策を変えるのもまた、重要なことだ。

 水虎は最後に大きな血の塊を吐き出し、そして息絶えた。

「鬼車の血は呪いを含むもの。この呪いは少し強いかもしれぬがな。さて、この死体は使えるか」

 鬼は言い、そして別の竹筒を取り出して中の液体を水虎の亡骸に振り掛けた。死体は溶けるようにして液状になり、そして竹筒の中に吸い込まれる。鬼は鬼車も同様に液体化させて竹筒に収めると、背後から馬の蹄が地を叩く音を聞いて気配を消した。

 妖気は感じない。この暗闇の中、人であれば隠れずともこの姿を見ることはできぬだろう。

 やがて音は近付いて来る。馬の背に跨るは腰に太刀を佩いた武士(もののふ)の姿。この男は知っている。渡辺綱(わたなべのつな)と言う名の男だ。あの茨木童子の左腕を切り落とした(つわもの)でもある。

 綱の進む先にあるのは羅城門がある。だが、これは手を出すものではないだろう。

 人と鬼、その因縁はどう転がって行くのか、まずはそれからだ。

「次の妖の時代の幕開け、見させてもらおう」

 鬼は言い、そして小さく笑った。



異形紹介


・朱雀門の鬼

 平安京の朱雀門、その楼には鬼が住んでいたと伝えられている。そんな朱雀門の鬼に纏わる話は大きく分けて二つが残されている。ひとつは『続教訓抄』や『長谷雄草紙』に見られる話で、ここでは人に化けた鬼が双六の目仁、紀長谷雄に双六勝負を挑む内容になっている。鬼は絶世の美女を、長谷雄は全財産を掛けるが、勝負は紀長谷雄が勝ち続け、鬼は後日美女を連れて長谷雄の元を訪れる。鬼は長谷雄にこの女には百日間触れてはならないと言い残すが、長谷雄は八十日を過ぎると我慢できずにその女を抱いてしまう。すると、女は水になって流れてしまったという。女は数々の人間の死体から良いところを集めて作り上げられたものであり、百日間の後に本当の人間となるはずであった。

 もうひとつは『十訓抄』『続教訓抄』『体源抄』『江談抄』において見られる、源博雅に関連する話である。笛の名手であった博雅はある夜、朱雀門の前で笛を吹いていたところ、同じく笛を吹く人があり、二人で合奏した。それ以降二人は月の綺麗な頃になるとこの場所で落ち合って合奏するようになったという。

 ある時博雅が相手の笛を借りて吹いてみたところ素晴らしい音色であったため、笛を交換してもらった。その後返せと言われることもなく博雅は亡くなり、笛もそのままとなった。だがこの笛を博雅のように見事に吹くことができるものはいなかった。そこで当時の天皇は浄蔵という素晴らしい笛吹きがいることを聞き召し寄せ、吹かせたところ見事にそれを吹くことができた。天皇は博雅が朱雀門のあたりでこの笛をもらったということからその辺りで笛を吹けと命じ、浄蔵もその通りにしたところ、門の楼上から「やはりその笛は名器だ」という声が聞こえてきたため、この笛は鬼のものであったと知られることとなったという。そしてこの天下に二つとない笛は葉二(はふたつ)と名付けられ、後に平等院の経蔵に納められたという。


 このように朱雀門の鬼は双六や笛を嗜むなど人間の文化に興味を持った鬼であったようだ。葉二は現在でも宇治平等院に保管され、現存している。また博雅は羅城門の鬼から琵琶「玄象」を返してもらったという話も残されている。

 また、本編で出した「反魂の術」は元々『撰集抄』巻五第十五「西行於高野奥造人事」において西行法師が行ったと伝えられるものだが、ここでも鬼の法として書かれている。方法は本文に書いた通り。ちなみに先に書いた浄蔵も一条戻橋において父親を蘇らせた他、いくつか人を蘇らせた伝説を残している。

 朱雀門や羅城門、その楼には登るための装置が付けられてはおらず、人が入ることは叶わない場所であった。それが人々の自由な想像を掻き立て、鬼が生まれる余地を作り出したのかもしれない。



水虎(すいこ)

 中国の『本草綱目』に伝わる、湖北省の川にいたという妖怪。外観は三、四歳の児童のようで、は矢も通さないほどの硬さの鱗に覆われているが大人しい妖怪だったという。これは後に日本にも伝わり河童の一種として見なされるようになった。長崎県では生き血を吸い、霊魂を食べる妖怪として、青森県では子供を襲う妖怪として伝えられる。また四八匹の河童の親分であるとされることもある。



鬼車(きしゃ)

 日本においては鬼車鳥(きしゃどり)とも呼ばれる中国に伝わる怪鳥。九つの頭を持つ赤い鳥とされたり、天女のひとつとされたりしている。また九つの首の内ひとつを犬に噛まれた、また十個あるうちのひとつの首を犬に食い千切られたために常にその首から血を滴らせ、その血を浴びた家は不幸に苛まれると伝えられる。また毒を持っているとされることもあり、その毒を乾いた子供の着物にかけ、それを知らずに着た子供は病を患うという。

 また後に姑獲鳥(こかくちょう)という妖怪と習合し、同じく日本において姑獲鳥は産女(うぶめ)という妖怪と習合したためか、鬼車鳥(うぶめ)という妖怪が日本に伝わっている。これは正月七日に出て、家の戸を叩くという。

 また、鴆毒ちんどくは鴆と呼ばれる空想上の鳥の羽の毒であり、中国に伝わっている。無味無臭で水溶性のこの毒を酒に溶かし、相手を暗殺するのに良く使われたといわれている。鴆という鳥の羽でなくとも鶏の羽を使っても作ることができるとされ、そのためには雄黄(ゆうおう)礜石(よせき)石膽(せきたん)丹砂(たんしゃ)慈石(じしゃく)の五毒と呼ばれる材料を集め、素焼きの壺に入れて三日三晩焼いた後、白い煙が立ち上がるのでこの煙で鶏の羽を燻すと鴆の羽が出来上がるとされた。

 ちなみにこの毒を消すのには犀角(サイの角)が良いとされ、それがサイを絶滅の危機に陥れた乱獲の原因の一端にもなった。

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