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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
朱雀門の月
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朱雀門の月 (二)

 朱雀門の鬼が朱雀大路の真中を歩いても、それに反応するものは誰もいない。

 朱雀大路の東側は左京と呼ばれ、四条より北は高い地位を持つ貴族やそれに仕える小人(しょうにん)たちが、五条より南には地位の低い貴族や貧しいものたちが住み、屋敷や小屋が並び、栄えている。だが西側の右京はそうではなかった。

 元より湿った大地であった右京は人が住むのには適さず、人がこの地に現れ、住むための都を作り出して程なくして見捨てられた。廃れ、人影も見えなくなった右京は、いつしか妖の住み着く地となった。

 人と妖とが歪ながらも共存していた都。昼は人の、夜は妖の領分だった。昼に都を歩く妖が捕らえられ、殺されることが致し方がないように、夜に都を歩く人は攫われ、食われるのが当たり前だった。

 しかしもう、都には妖の気配はあまりしない。妖同士の争いが、妖を都から遠ざけてしまった。時が経てば戻って来るものも多いだろう。だがそれでもひとつの大きな時代が終わったことを、朱雀門の鬼は感じていた。

「この世に終わりのないものはないのだな、博雅(ひろまさ)よ」

 朱雀門の鬼は目の前にはいない旧友に向かって、そう呟いた。




 朱雀門、それは羅城門と対となり、朱雀大路の端に作られた巨大な境界。四百年近くの昔から、彼は其処を住処としていた。元々大した理由があった訳ではない。人が来る前から朱雀門の鬼はこの辺りを住処としていただけだ。そこに勝手に人が現れ、この都を作り、そして人のための決まりを作った。

 しかし人ではないものがどこに住もうと勝手であろうと、鬼は都をよく見渡せるこの門に住むことを決めた。名もない鬼は、そのうちに朱雀門の鬼と呼ばれるようになった。

 大路の先にやがて門が見えて来る。その道中、道の端にぬるりとする奇怪な液体が水溜りを作っていた。朱雀門の鬼はそれを見て顔をしかめる。妖の影は薄くなった。だがそれは都の外の妖を呼び寄せる余地も作る。また何か外の妖が都へと入って来たのかもしれぬ。




 門へと辿り着いた鬼は、柱に手を掛けて楼へと登った。楼の隅には大量の書物と、幾分かの食糧が積んである。

 鬼は竹筒を取り出し、中の液体を床に落とした。それは次第に凝固し、先程羅城門において採集した死体に戻る。死体を液体化し、また戻す術を得たことで亡骸を操るのは幾分か楽になった。

 このいくつかの死体を一度ばらばらに切り分け、優れた部分だけを繋ぎ合わせることでひとつの傀儡(くぐつ)を作り出す。元々生きたものではないが、そうすれば十年ほどはまともに動く。そうやって作り出した異形を使い、人の世に紛れ込ませることで朱雀門の鬼はこの都の情報を集めていた。己は人にとって忌避すべき存在であることは知っているため、自身は門の楼から外に出ることはあまりない。人と争って何か得るものもない。ならば打ち捨てられた人の亡骸を使い、人の世を見れば良い、そう考えた。

 百日間も待てば薬が亡骸に染み、見た目も動きも他の人間と見分けはつかなくなる。言葉を話すこともできるし、笑うことも泣くこともできる。だがその体には霊体はない。ただ肉体の機能を使うことができる人形が出来上がるだけだ。

 完全な生を作り出すことは朱雀門の鬼にはできぬ。それは彼自身が最も知っている。

 この術により人を蘇らせようと思ったのは、数百年の時を生きてただ一度だけ。だがそれも結局は果たさなかった。

 朱雀門の鬼は思い出す。かつて人でありながら鬼である彼を恐れず、そして友となった男がいたことを。




 二百年以上も昔の平安京、村上天皇がこの都を統べていたその頃、朱雀門の鬼はいつものように門の楼で月を眺めていた。

 この頃には既に右京は荒廃し、夜にもなれば妖たちが跋扈していた。つい先日も、この朱雀門の下で男が女に化けた狐に騙されたと、そんな話を聞いた。

 だがそんな妖も人も、この朱雀門に上がって来ることはない。この楼には恐ろしい鬼が住んでいるという噂が都には広まっている。朱雀門の鬼自身は自ら人や妖に好んで敵対したことはなかったが、この場所で静かに過ごせるのならばそれで良かった。長年を掛けて集めた書物を読み、また傀儡を通して都の見聞を集め、そしてこの広い楼の中で知識を蓄える。それで十分に生きる楽しみは得ることができた。

 今宵は見事な望月だった。霞の掛かった空に、朧に光る白き月。それをただ眺めるだけでも時は過ぎて行っただろう。だが、夜風に乗って彼の耳に届いたのは、笛の音色だった。

 それが下手な笛であれば、この景色を壊してしまっていたかもしれぬ。しかし柔らかに流るるその音は朱雀門の鬼が今までに聞いた数多の笛を思い起こしても、他に比べるものがないほど美しいものだった。

 その笛の音が、鬼にひとつの気紛れを起こさせた。気が付けば彼は己も笛を手に門を降りていた。人の姿に化けた鬼は、自らも笛を口に当てた。

 笛を吹けば相手は笛で返して来た。相手は人なのか妖なのかは分からぬ。鬼は音色を響かせながら、音のする方へと歩を勧める。

 やがて月明かりの下、ひとりの直衣(のうし)を着た男が歩いて来るのが見えた。鬼と同じように横笛を口に当て、ゆったりと歩みを進めている。どうやら人のようだった。

 笛を奏でながら、ふたりの男は擦れ違った。言葉は交わさなかった。鬼は相手の笛の音を途切れさせたくはなかったし、相手もそうだったのかもしれぬ。そうしてその夜は名も知らぬままに出会い、別れた。




 それから月の明るい夜には、朱雀門に住む鬼の耳にあの笛の音が届くようになった。夜は妖たちが多く人の身では危険だから、光が闇を照らす夜を選んだのかもしれぬ。

 そして朱雀門の鬼もまた、月の明るい夜には門を下り、笛の音を響かせた。そんな夜が三度、四度と続いた頃、鬼と人は初めて言葉を交わした。

「素晴らしい音色だ」

 いつものように男と擦れ違った時、人であるその男がまず口を開いた。鬼も横笛から口を放し、そして言葉を掛ける。

「貴殿こそ」

 互いの笛を認めていたから、言葉は少なくとも十分だった。男は源博雅(みなもとのひろまさ)と名乗った。名のない鬼が答えあぐねていると、博雅はぽつりと言った。

「貴殿は人ではないのか」

 その貌に恐るる色は見えなかった。ただ昔からそれを知っていたように、小さく口の端に笑みを浮かべた。

「いかにも、私は朱雀門に住まう鬼」

 鬼と名乗っても、博雅は驚くこともない。

「やはり、その笛の音は人のものにしては優美であると思うたのだ」

 そう嬉しそうに言い、博雅はそっと自らの笛を差し出した。

「貴殿の笛を、貸してはくれぬか」

 朱雀門の鬼は無言のままにその笛を受け取り、そして自らの笛を博雅の手においた。これは妖が作った妖のための笛。だが、人であっても博雅ならば吹けるだろう。幾度かの夜に行われた合奏は、そう思わせるのに十分な証となっていた。

 博雅は横笛を口に当て、そして息を吐き出した。それは夜に融け行くような優しげな音色に変わり、奏でられる。妖であってもここまで見事にこの笛を吹くことができるものはいない。朱雀門の鬼は溜息をもらした。

「本当に、素晴らしい笛だ」

 博雅は言い、朱雀門の鬼に笛を差し出した。だが、鬼はそれを受取ろうとはしない。博雅の奏でる笛の音を、もっと聞いていたかった。

「良き笛だろう。貴殿なら誰よりも上手くこの笛を扱うことができそうだ。しばらくは、貴殿に持っていて欲しい」

 鬼が言うと、博雅は少し逡巡して、そして頷いた。そして其の日もまた、二人は月の下に別れた。

 それから人と鬼でありながら、博雅と朱雀門の鬼は幾度も言葉を交わす中となった。鬼は人の住む場所へ入ることはしなかったが、博雅は良く朱雀門を訪れた。その楼の上で、尽きぬ話を語らうのが鬼にとっての楽しみとなっていた。

「お前は酒に強いな、博雅よ」

 鬼は杯を飲み干す博雅を見てそう言った。

「良く言われるよ」

 博雅は微笑して答える。鬼も一口酒を飲んだ。季節は秋で、涼しげな風が門の楼を通り過ぎ、酒に火照った体を心地よく冷ます。

 鬼という種族は基本的に酒を好むが、その一人である朱雀門の鬼から見ても博雅は酒が強かった。酒豪と言っても良いだろう。それに、この男と飲む酒は格別に美味だった。

「友と見る秋の月は、とても良いものだな」

 博雅は夜空を見上げ、そう呟くように言った。鬼は静かに頷く。

 博雅は笛だけでなく、琵琶にも堪能であった。今宵のように月の明るい日には決まって、人と鬼はこの門の楼で互いに音を奏でた。

 博雅の何倍という歳月を生き、様々な曲を学んだ鬼であったが、そんな彼でさえも知らぬ曲を博雅は幾つか知っていた。聞けば、逢坂の関の盲人の元へと三年もの間通い詰め、教わった曲なのだと言う。琵琶を弾かぬ鬼であったが、その曲の美しさには心が惹かれた。そして頼めば、博雅は快くその曲を弾いてくれたものだった。

 酒に飽きると、どちらが言い出した訳でもなく鬼が双六盤を出し、二人でそれを挟み、双六を始めた。白黒各十五個のコマをサイの目に従って動かし、自分の陣地に自分の色のコマを全て入れる遊び。本双六と呼ばれるこの遊戯を朱雀門の鬼は好んだ。

「もう何十年も前になるが、貴殿と同じようにこの朱雀門に登った男がいたよ。双六の名人でな、私の方から誘ったのだが」

 鬼はサイを振りながら、懐かしむように目を細めて言った。

「ほう、それで、何か賭けたのか?」

「私は絶世の美女を、相手は全ての財を賭けた」

「して、結果は?」

「私の惨敗だったよ」

 言うと、博雅は本当におかしそうに笑った。

「力では人に負けぬ鬼も、双六では人に勝てぬか」

 鬼も釣られて笑い、言う。

「そういうものだ。だからこそ双六は面白いのだ」

「そうかもしれんな」

 博雅がコマを動かす。

「絶世の美女とは、どういうものだったのだ?攫ったのか?」

「そんなことはせんよ。鬼の術のひとつにな、反魂の術というものがある。それを利用して、いくつもの亡骸からひとりの女を作り上げた」

「人を蘇らせることができるのか」

 博雅は片眉を上げ、鬼に問うた。

「さあな、術を使ったものの中には蘇らせることができたものもいると聞くが、噂に過ぎぬ。私が作ったのはもっと簡単なものだ。人の形をして、自ら動くもの。ただそこには霊体(こころ)はない。反応はすることができても、考えることはできんのだ。人として生きる分には不自由はないだろうがな」

 鬼はコマを動かした。

「そういうものか。その女はどうなったのだ?」

「私は百日間触れてはならぬと言ったのだが、あやつは八十日が過ぎた頃に抱いていしまったようでな。水になってしまった」

「水になるのか」

「まだ、体が完全には馴染んでいなかったのだよ」

 反魂の術は鬼に伝わる術の中でも難しいもの。朱雀門の鬼のものは簡易化したものであるが故、その完成には時間が掛かる。百日間という時は、人にとっては長いものだったのだろう。

「その男ももう、死んでしまった。人の命は短いな博雅」

「仕方がないさ」

 博雅は笑みを見せ、そして空に目を向けた。

「この世でいつの時も変わらぬのは、あの月ぐらいのものだ」

「そういうものか」

「そういうものだ」

 博雅は頷き、そして言う。

「私はきっと、貴殿よりずっと早くに死ぬだろう。だが鬼も死なぬ訳ではないのだろう?死は生きているものならばいつか向き合わねばならぬもの。恐れていても意味はない。精々地獄に行かぬことを願うだけだよ」

 そう快活に博雅は笑う。鬼もそれにつられ、小さく笑った。確かに人も妖もいつかは死ぬもの。悩んでいても仕方がないのかもしれぬ。

「この都も、いつかは落ちぶれるのだろうな」

 朱雀門の鬼が言うと、博雅は「うむ」と首を縦に振る。

「平城京や長岡京も廃れたのだ。この都がそうならぬと誰が言えようか」

「そうだな、私も時代の変わり目をいくつも見て来た」

 いつの間にか、双六の手は止まっていた。

「うむ、だからこそ今この時を楽しもうではないか」

 博雅は柔らかな声で言い、そして己の杯に酒を注いだ。



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