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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
鬼の涙
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鬼の涙 (三)

「二度とこの地は踏まぬ」

 その言葉は、茨木が人としての己と故郷(ふるさと)とに決別することを意味していた。そして人として自分を育ててくれた父と母の元にもう帰ることはない。それが茨木にとって彼らにできる唯一のことだった。

 そして、酒呑と茨木の二人の童子は京を目指して歩いた。その道中に酒呑童子から人の姿に戻る(すべ)を習い、人の目を気にせずとも歩くことができるようになった。

 旅の道中には、様々な妖と出会った。酒呑童子は血の滾るような戦いを好んだ。そして必ず相手には正面から挑んで行った。

 酒呑童子は強かった。卑怯な真似をするものには容赦はせず、そして己と真正面から戦って敗れたものにも手を差し伸べた。

 京へと赴く間に酒呑童子を頭とする妖たちの群れは規模を増して行った。そのほとんどは鬼だったが、中には他の種族でありながら酒呑童子に惹かれ、付いて来たものもいた。

 その中には強い妖がたくさんいた。茨木よりも強いものも大勢いた。だが、酒呑童子は茨木を見捨てることはなく、常に自分の右腕のとして彼を置いていた。

 茨木はその期待に応えるべく努めた。自分の弱さを補うために両の手に刀を持ち、ひたすらにその修練をした。戦の際には常に酒呑童子とともに前に出て武器を(ふる)った。

 鬼として生きる。そう決めた彼にもう迷いはなかった。己を救ってくれた酒呑童子のためにその命を燃やし尽くすことを誓った。

 やがて様々な妖を吸収し、強大な勢力となった酒呑童子を頭とする妖の群れは、丹波国(たんばのくに)大江山(おおえやま)へと辿り着いた。そこに拠点を構え、鬼たちは度々に京を襲うようになる。




 茨木は思い出す。あの(いくさ)の前、最後の宴に興じていた時のことを。大江山でいつものように、変わらぬものたちと。

「いつの間にやら大勢になったのう」

 酒呑童子は珍しくしみじみとした調子でそう言った。

「俺と貴方が出会った時とは大違いです」

 茨木は琵琶を弾きつつ、そう答える。これもその姿に似合わず音を好む主のため、茨木が覚えたものだった。教えは無くとも弾き続ければそれなりに形を成すもの。茨木の持つ(ばち)は四本の弦を掻き、音色を奏でる。

「あいつらも皆、お前や儂と同じく行き場のないものたちじゃったな」

 茨木は頷く。ここにいる妖たちは荒くれ者の集まりだったが、皆人や妖の世から拒まれたものたちだった。行く当てもなく暴れているものたちを酒呑童子は良く受け入れた。それはかつての己の姿と重ねていたからかもしれぬ。

 酒呑童子は酒を食らい、そして茨木にだけ聞こえるような声で言う。

「儂はなあ茨木、こんな鬼どもでも堂々と歩くことができる世が来れば良いと思うとる。人も妖も隠れることなく堂々と、己の力の強さだけで生きていける世になれば良い」

 普段は明日(あす)のことさえ語らず、ただ今を生きていた酒呑童子が、初めて茨木に未来のことを話した。茨木は琵琶を奏でる手を止め、酒呑童子の言葉に耳を傾ける。

「儂もお前もかつてはたった独りの鬼じゃった。じゃがな、これだけの妖を抱えるものとなったからには、こいつらの行く末も考えねばならぬのじゃろうな」

「似合わぬ言葉ですな」

 そう茨木が言うと、酒呑童子は大口を開けて笑った。

「そうかもしれんな。じゃが、儂もこいつらの行く末が見られるのが楽しみなのかもしれん。お前もその時まで、儂の側にいてくれよ」

「御意にございます」

 茨木はそう深々と頭を下げた。それを見て、鬼の主は頷いた。

「儂の後ろを任せられるのは、お前しかおらんのだからな」




 茨木は羅城門の中、溜息をつく。あの頃の自分は幸せだった。ただ酒呑童子の役に立つため、そして鬼である己に恥じぬため、どんな敵にも立ち向かったものだ。その無謀故に(あるじ)や仲間たちに助けられたことも少なくない。

 百年以上もの間、茨木は酒呑童子の右腕であり続けた。その肩書に相応しい強さも身に付けた。

 それももう、過去になってしまった。酒呑童子が望んだ世を、彼はその目で見ることは叶わなくなった。




 平安京では様々なことがあった。中でも京に集いし六つの妖の勢力の争いは凄まじいものだった。

 鬼である酒呑童子、九尾の狐である玉藻前(たまものまえ)、大天狗である崇徳院(すとくいん)、土蜘蛛である海松(みる)橿(かし)、死神である伊耶那美(いざなみ)、そして正体の分からぬ妖、(ぬえ)。それらを頭とした六つの妖の勢力が、平安京でぶつかりあった。それらの妖の群れは京のものたちに百鬼夜行と呼ばれ、恐れられた。

 大江山の妖たちはその中でも最大の勢力を誇った。戦をし、宴をし、そして互いに語らった。茨木にとって己が酒呑童子の右腕であることは誇りであり、存在する意味だった。彼を妖の(いただき)に立たせることが茨木にとっての夢だった。

 だが鬼として、男として、決して戦から逃げることはせず、全てを真正面から相手にした酒呑童子は、それ故に次第に傷付いて行った。

 そしてあの日がやって来た。友好関係にあった玉藻前と伊耶那美の二つの勢力、さらに(みなもと)頼光(のよりみつ)という名の武士が率いる人間たちを同時に相手に、酒呑童子率いる妖たちは戦った。

 酒呑童子の体はまともに戦えるような状態ではなかった。だが、彼はそんなものでは倒れない。己の足でしっかりと大地を踏みしめ、最後の最後まで鬼として戦い抜いた。

 そして、彼が目の前で死んだ時、茨木は全てを失ったのだ。




 長らく忘れていた孤独は、茨木の心に容赦なく闇を作る。己の過去を思い出す程に、茨木はその主を奪ったものたちへの怨嗟を募らせる。

 左腕はもう痛まなかった。茨木は二本の太刀を左右両方の腰に佩く。腕はひとつ失くしたが、この二本の刀は酒呑童子の側近として戦った証左だ。

 かつて鬼としての己を受け入れ、そして生きる道を示してくれた鬼の主。できるならば、何千年も何万年も、彼の元に仕えていたかった。

 左腕を失った今、もう主の好きだった琵琶も弾けぬ。だが片腕なりとも、(やいば)は振うことができる。

 茨木の頬が一筋の雫に濡れる。それは彼が鬼になって初めて流した涙だった。




 茨木童子は独り、夜の下を歩いている。彼が向かうは老ノ坂(おいのさか)。風の噂でここに酒呑童子の首が埋められたのだと聞いていた。

 微かな懐かしい気配を感じ、茨木は立ち止った。ここに主は埋まっている。直感でそう分かった。

「ここが、鬼の主の首塚か」

 茨木は誰に問うでもなく、そう呟いた。そしてもう声を聞くことはできぬかつての主に語りかける。

「酒呑童子様、俺は決めました。貴方様のように百鬼を率い、仇を取る。そして、俺はまた貴方様の望んだ世を目指す」

 酒呑童子が多くの妖を従えたように、自分もまた再び妖の群れを率いる。あの死神に、あの九尾に勝る群れを作らねばならぬ。

 そう誓う茨木に迫る影がある。片腕の鬼が振り返ると、金杖を持った二体の鬼が彼を見下ろしていた。

 酒呑童子の配下ではない。どこかの野良の鬼であろう。

「おめえ、茨木童子だなあ?」

 一体の鬼が言った。茨木は答えない。ただ、右腕を左に差した太刀の柄に置いた。

「貴様を殺せば、俺たちの名も世に轟くかあ?」

 鬼が殴りかかってくる。茨木はその金杖が届くより先に、刀を引き抜いてその鬼の首を刎ね飛ばした。それとほぼ同時に、もう一体の鬼が緑色の炎に包まれる。瞬く間に二つの鬼の亡骸が地に転がった。

「清」

 茨木は炎の現れた方を見た。口元に緑色の火の残滓を滴らせて、女は茨木の方へと歩いて来る。

「酒呑童子様がいなくなった今、今度はその右腕だった貴方を狙う人や妖は多くいる……。分かっているでしょう?」

 清は最早動くこともなくなった、燃え続ける鬼を見てそう言った。

「ああ。だが、いつまでもあの門の中で動かぬ訳には行かんのだ」

 再び生きる道を見つけた茨木に、もう迷いはない。

「俺は百鬼を従え、再びあの憎きものたちと戦う。それが今の俺に与えられた、鬼としての生きる道だ。恐ろしいだの、痛いだのと言ってはおられん」

 茨木は刀を仕舞う。鬼としての己を是とする。酒呑童子に教えられたこと。故に道を決めたなら、それに向かって進むのみ。

「清、お前はどうする?」

「……いいわ。どうせ私も、他に生きる道もない」

 清は表情を変えずにそう言った。茨木は頷く。

 酒呑童子はもういない。だが、その意思はこの茨木の中に生きている。いつか彼の目指した世をこの手で作り上げるまで、鬼としての己を生きる。茨木は主の墓前にそう誓う。

「例え貴方が死のうとも、この(えにし)は絶えませぬ」

 道端に咲いた真葛の花が、静かに夜風に揺れた。



異形紹介

茨木童子(いばらきどうじ)

 茨城童子と書くこともある。平安時代、大江山に住んでいたとされる鬼。多くの鬼を従えていたという酒呑童子の副首領であったと伝えられているが、茨木童子と酒呑童子との関係は主従の他、子と父のようであったとも、また茨木童子が女の鬼であったとされる説においては恋人のような関係であったともされている。

 その出生譚には大きく分けて越後説と摂津説の二種類があり、越後説には美少年であった彼に届いた血塗の恋文の血を指で一舐めしたために鬼となったというものがある。

 摂津説には生まれながらにして鬼子であり、実の親に捨てられ、拾われた髪結床屋で誤って客の顔を傷付けてしまった際、その血を舐めてしまい鬼となったと言うもの、また茨木の里と呼ばれる地に産着のまま捨てられ、酒呑童子に拾われて茨木の名を付けられた、という説がある。

 鬼となり、酒呑童子とともに生きた茨木童子は、彼らを退治しに現れた源頼光とその配下四天王、そして藤原保昌たちと大江山において戦を繰り広げるが、酒呑童子は殺され、他の鬼たちも全て殺されてしまう。この戦においては、茨木童子は主とともにその戦の中で殺されたという話と、ただひとり戦から生き延びたと言う話が語られている。

 生き延びた後に頼光四天王の一人、渡辺綱(わたなべのつな)一条戻橋(いちじょうもどりばし)、または羅城門(羅生門)において戦い、左腕を切り落とされるという話もあるが、元々これらの話に語られる鬼と茨木童子は別の鬼だったようだ。それが後世において同一視され、茨木童子となっていったという。また、この綱との戦いは大江山における戦の前とされることもある。

 羅城門、一条戻橋の話では茨木童子は美女や綱の伯母に化けており、変化の能力があったと考えられる。また、失った左腕を取り返そうとしていたところを見るに、切り取られた腕を再び繋げることもできたのかもしれない。

 現在においても酒呑童子とともに茨木童子の伝説を伝える場所はいくつも残っており、また演劇や文学の中でも様々な茨木童子の姿が伝えられた。

彼は人々から恐れられる鬼であるとともに、人々に愛される鬼でもあったのだろう。

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