父の背 (二)
叔母を失ったことが、父に朝廷への怒りを抱かせることとなった。
無論叔母を直接殺したのは朝廷ではなく、あの娘だ。だがそれを見たのは私だけであったし、あの場所には何人も都の武士たちの亡骸が倒れていた。
父は朝廷のものこそが叔母を殺したのだと、そう報せを受けたのだろう。もっとも、あの娘がいなければ叔母はあの武士たちに捕らわれるか殺されるかしていたのだろうから、あながち間違いではないのだろうが。
そう、父は変わって行った。まるで戦うことだけを糧として生きる鬼のように、ひたすらに血と戦を求めるようになった。
実際に父は強かった。常に自ら戦地へと赴き、己に従う兵たちの誰よりも戦果を上げた。だがあれは人の強さではなく、正しく鬼の強さであったろう。
父は戦うため、呪いに秀でた興世王の力を借り、己が体に呪いをかけた。呪術は父の肉体に作用し、まるで人とは思えぬ容貌へと変えた。
その五体は刀の刃を通さぬ鉄の如き頑強さを誇り、左目には色の違う二つの瞳を灯した。体躯は七尺を超え、更に己が体毛から分身を六体まで生み出す術を身に付けた。
その実、父は以前に増して強くなり、凄まじい勢いで東国を支配して行った。私はそのまま父がいつか平安京をも支配してしまうのだろうと思っていた。そしてこの国をひとつにしたとき、父はあの異形の姿を棄て、また元の優しく温かな父に戻ってくれるのだろうと根拠もなく信じていた。
異形となった父はほとんど私たちのことを見てくれなかった。ただ目の前の敵ばかりを瞳に映していた。それでも私が父を嫌うことはなかった。父が戦うのは、父の背の後ろにいる私たちを守るためだと知っていたから。
私は一日でも早く父の隣に立ち、戦うことを望んでいた。だけど私はその機会さえ奪われてしまった。
私が父の死を知ったのは、身を匿われていた陸奥国の恵日寺においてであった。最初は誤りの知らせだと思った。だが、やがて私はそれが真だと知った。
私は父が負けることなどないと信じていた。すぐにでもこの場所に迎えに来て、私をあの相馬の大内裏に連れて帰ってくれるのだとその日を心待ちにしていた。その全ての希望が一瞬にして奪われた。
父を討ったのは、父と血の繋がりを持ちながら良兼の跡を継ぎ、父の宿敵と化していた貞盛と彼に味方した父の旧友、藤原秀郷だった。興世王の呪いによってその身体を鉄身へと変えられていた父は、唯一の弱みであった右目を射抜かれて死んだ。
父の右目のみが呪いの加護を受けていないこと。それを知っていたのは父のごく近くにいるものだけだった。そして秀郷が父を討ったと知ったとき、父を裏切ったものが誰であるかは容易に察しがついた。
秀郷の娘であり、父とあの男が友である印として父の側室となった桔梗という女。あの女が父を裏切ったのだ。父は旧友と、自分が寵愛した女に裏切られた。そして朝廷の手によって殺された。
それなのに、私は何もできなかった。父を討った仇を知っていても、それがかつて父の友として幼い私を抱き上げた男と、その娘であり私とも言葉を交わしていたあの女の裏切りだと分かっていたのに、私一人ではどうすることもできなかった。
それは私がただ一人の力も持たぬ娘だったから。ただ誰かに守ってもらうだけで生きていたから。
私は、私自身が許せなかった。それから数日の間は怒りと悲しみがないまぜになって、何もできなかった。そんな私に追い打ちを掛けるように、常陸国にて父の帰りを待っていたはずの母が死んだとの報せを受けた。
母は、父との間に授かった私の幼い弟を生み、そして父の名を呼んで死んだのだと聞いた。そして、父の側についていたものたちもまた父が死んだ戦で皆殺された。
私は、幼い弟を残して朝廷に全てを奪われた。父も母も兄弟も平家の一族も。だが父の血がなせる業か、最後に私の心の内に溢れたのは悲しみよりも怒りだった。怨みだった。
その時から、私の戦う理由は父を助け、母を守るためではなく、父や母を殺したものたちへの復讐へと変わった。そこにはかつてあった未来への希望などなく、ただ薄暗くねばついた過去への執着だけが残っていた。
それを父や母が望んだとは思わない。だが私に都を憎まぬ道などなかった。私の愛した父を奪い、母を死なせた彼らがこれからもこの国の中心で居座り続けることが我慢ならなかったから。
そして、私は己の全てを賭けて戦い続けることを誓い、それが私の全てとなった。
父を失った一四の年、私は父を倣い、己の体を呪に染めた。表向きは筑波山にて敬虔な尼として暮らしながら、夜な夜な人を殺めてはその首を筑波山の荒神へと捧げた。
夜を一人歩くものを背後から襲い、その首を切り取って長い石段を上る。それが私の日課となった。
その夜も、私は真新しい血を石段に垂らしながら生首の髪を掴んで一人闇夜を歩いていた。その日の得物は若い女だった。山の麓を無防備に歩いていたところを背後から太刀で刺し殺した。
それは最初に筑波山に人の首を捧げてから、二一の夜を経た日だった。最初の夜に備えた首は既に腐り萎れていたが、山神の領地である故か決して汚らわしい虫が纏わりつくことはなかった。
私は一列に並ぶ二十の首に、また一つ新鮮な首を加えた。ぬめりと切断された断面が地面を滑る感覚があった。首を断たれた女の首は怒るような、怨むような、そんな瞳を虚空に向けていた。
この山におわす荒魂に二一の夜をかけて二一の人の首を供えたとき、望みが叶えられる。私はそう聞いていた。だからその夜、私はただそこで待ち続けた。
そして私の願いは聞き届けられた。この山に住まう荒神に。
「そなたは何を望む」
聞こえて来たのは山を震わせるような恐ろしい声だった。まるで大蛇に飲まれるような、そんな強大さを連想させる音。だが私はそれに怖じることなく、ただ一つ己が望みを荒神へと伝えた。
「人ならざる力を、望みまする」
微かに神の笑う声が聞こえた。直後、私は体の内に並々ならぬ力が沸いて来るのを感じ取った。今までのか弱い女の体が嘘であったかのように私の肉体は書き替えられた。それで、荒神が我が望みを聞き届けて下さったのだと知った。
「そなたはまるで、滝のように溢るる怨嗟と、夜叉のような憤怒を抱いた娘。面白い。ならばそなたはこれより滝夜叉と名乗るが良い」
「滝夜叉……」
私は神にそう名を与えられた。そしてそれは、もうただの人として生きる道を閉ざされたことも意味していた。だが父も母も殺されたこの世で、人として穏やかに生きようなどという気はとうに捨てていた。
父と同じように人の身から鬼の化け物と化したのだと思えば、むしろ喜びさえ沸いて来た。
私は望んでその名を受け入れた。そして私は、人としての名、五月を棄てた。
生き別れた弟、良門があの肉芝仙を連れて現れたのはそれから間もなくのことだった。逞しく長じた彼は私と同じように父の復讐を誓い、そして人としての名、平太郎を棄てたのだと私に話した。そして、そのための力を肉芝仙に授かったとも。
「姉上、これが父上の頭蓋です」
そう良門は変わり果てた父の頭を私に見せた。かつて殺され、見せしめとして晒された父の首。その首級が私たちの元に戻って来た。
私は受け取ったその頭蓋を、万感の思いで胸に抱きしめた。
「この肉芝仙と名乗るものが中央より取り戻してくれたのだそうです。姉上、俺は父上をこんな惨めな姿にしたあやつらが許せない」
良門は拳を握り、震える声でそう告げた。私は彼の言葉に首肯し、そして彼もまた私と同じ思いを抱いていることに底知れぬ喜びを感じた。
私は一人ではない。この愛しく、志を同じくする弟とともに父の仇を討つことができる。それだけでどんなに心強かったか。
私たちには父のように弱きものを守るという大義も、東国をその手中に収めるという野望もなかった。ただ死んで行ったものたちの仇を取ること。それだけが私たちの戦う意味だった。
私たちは肉芝仙の力を借り、人ではなく妖たちを集めて新たな軍団を作って行った。妖たちは人よりも強靭な肉体を誇り、また気性が荒いものも多い。富による報酬を与えずとも殺しや人の血と肉そのものを欲するものたちも数多にいた。そして何より、彼らが人の世から離れた存在であった故に、私たちは朝廷への反旗を翻した将門の子という偏見の目を向けるものは少なかった。
それ故に朝廷への復讐を目指す上においては、父の死とともに何もかもを失った私たちにとっては人を集めるよりも遥かに容易であったのだ。
そして私は復讐の拠点をあの相馬の大内裏へと定めた。主を失ってから数年、人は誰も立ち入らなかったあの場所はすっかり古び、野良の妖たちの格好の住処となっていた。妖たちは好き勝手に内裏を荒らし、父の栄華を侵していた。そんな古内裏に私と良門は二人で訪れた。過去を少しでも取り戻すために。
私は内裏に残していた薙刀を手に取り、目に付く妖たちを屠っていった。初めは妖たちも私に歯向かってきた。だが、神から与えられた私の力は強大だった。そして肉芝仙によって体を作り替えられた弟もまた、人も妖も超える力を持っていた。
妖は力の強いものに靡く。それは人の世界よりも顕著で、より単純だ。だがそれ故に彼らはしがらみに囚われず、主を選ぶことができる。内裏に住み着いていた妖たちの内、生き残った多くは我々の傘下に加わった。
数多の妖たちを従えた私と良門はその内裏を立て直し、そしてそこを中心として力を蓄えて行った。私は内裏の中で妖たちを取りまとめ、そして良門は諸国を巡って様々な妖や、我々に与する人間たちを集めて行った。
道半ばまでは順調だった。数百の妖が私たちの元に下り、朝廷に家族を殺された我々と同じ目的を持つ数百の人間たちが集まり我々に仕えた。私は息をひそめ、朝廷へと刃を向ける日を待っていた。
だが、都はまたもや私から全てを奪って行った。あの朧の月が浮かぶ夜、現れた一人の男が再度の破滅の始まりだった。
大宅光圀。男の名はそう言った。彼は堀江次郎当春と偽りの名を名乗っていたが、その素性は彼を監視していた妖たちからの知らせにより筒抜けだった。その上彼の妻である唐絹の身柄は私の手の内にあり、それを利用して名のある武士であったあやつをこちらに引き入れようという魂胆もこちらにはあった。
それに、相手は武士であろうとただの人。抗えば容易に殺せると踏んでいた。この手で首を捻ればそれで終わり、そう考えていた。
それは人ならざる、また妖をも超えた力を与えられた故の慢心であったのだろう。だが私の予想に反し、あの男は太刀を手に私と互角に戦った。
更にその戦いの最中だった。夜の闇の中、内裏を数百の松明が取り囲んだのは。率いるは源頼信。彼らはこの美しき内裏になだれ込むとともに火を放った。
私の隙だったこの場所が二度目の破滅に向かうのを、私はなす術なく見ているしかなかった。頼信とその部下たちは内裏の妖たちを血祭に上げ、そして私に仕える侍女たちは絶望し、次々と自ら命を絶って行った。その地獄の底のような光景に囲まれながら、私は光圀と対峙した。込み上げて来る涙を堪えながら薙刀を振るった。
だけれど勝敗は明らかだった。朝廷のものたちは私が築き上げたものたちを奪って行った。あの日、父から全てを奪ったように。
火の手は夜の闇を侵すように広がって行った。私をあざ笑うかのように炎は内裏を舐めて行く。もう一人では勝つことはできない。私は諦念した。
だが、それでも光圀や頼信に命を奪われるのは御免だった。
私は薙刀を投げ捨て、光圀を前に短刀を引き抜いた。
「私は女に生まれたと言えども猛将の子だ。いかなる男にも劣るものか。将門が娘滝夜叉の最期の体はかくありしと目に焼き付けろ!」
私は叫び、短刀を腹に向かって突き刺し、腸を掻き破った。凄まじい痛みが走った後、私の意識は暗闇に落ちた。
異形紹介
・七綾姫
将門に関連する物語に登場する女性の名前で、将門の妹や娘として描かれる。またその立場も様々で、歌舞伎『戻橋背御摂』では将門の遺児であり、葛城山の土蜘蛛の術を操り、源頼光らを怨み死んだ父の無念を晴らす為、自ら蜘蛛に変じる。また『金幣猿島郡』においては将門の妹として描かれており、こちらでは源頼光と許嫁の関係にあり、また頼光は安珍という名の僧と身分を偽って
かつての乳母である如月尼の庵に匿われている七綾姫と密かに会っている。だがその庵には如月尼の実の娘であり、また都で出会った頼光に恋い焦がれるが故に盲目となってしまった清姫がおり、本来七綾姫の身代わりとして差し出されるはずだった彼女は、皮肉にも頼光の探していた刀、村雨丸の威光によって視力を取り戻し、七綾姫の許嫁が誰なのかを知ってしまう。愛しい男の許嫁の為に死ぬのは嫌だと懇願する清姫だったが、その願いも虚しく命を奪われ、その魂は七綾姫を慕いながら彼女に利用され、裏切られ、自分と同じく七綾姫を恨む藤原忠文と合体し、双面の鬼と化し、七綾姫らを悩ませるという物語になっている。また、この作品においては滝夜叉は将門の妻として描かれており、死した将門の魂は滝夜叉の体に入り込み蘇るという設定となっていた。
他に歌舞伎『四天王楓江戸粧』における七綾姫は頼光四天王の一人、卜部季武の女房として登場する。ここにおける七綾姫は将門の遺児であり、また良門の妹として描かれている。




