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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
父の背
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父の背 (一)

将門は こめかみよりぞ 斬られける 俵藤太の はかりごとにて

― 将門は弱点であったこめかから斬られ、死んだ。かつて友であった俵藤太の謀略によって ―


『太平記』より 藤六左近


外伝「父の背」


 私、滝夜叉は、かつての名を五月さつきと言った。

 父、平将門の三女として生まれた私は、大変に父に愛でられ、母に大切に慈しまれた。

 その頃、父は下総国しもうさのくに佐倉さくらを治めており、とても多忙で、直接に会う機会はあまりなかった。だが父が自分を抱き上げる手はとても優しかったことははっきりと覚えている。そして幼い頃の私にとって、父の背はとてつもなく大きかった。父の後ろ姿ばかり追っていたからか、父の背の印象は今でも強く胸に焼き付いている。

 私は父の武骨な手や、広い背が好きだった。父は優しく、そして誰よりも強かった。失意の人を助け、寄る辺のないものを世話し、大きな力とする、それが父の在り方だった。それ故に誰もが父を慕い、敬った。

 そして父は深く母を愛していた。そして母もまた、父を愛していた。

 私がはっきりと覚えている、私自身が関わることとなった父の最初の戦いは、その父と母の間にあった絆が原因となったものだった。

 どんな強大な敵であろうとも恐れなかった父。そんな父が唯一恐れたのは、己が側にいるものが失われることだった。




 私の母は父の伯父であり、そして宿敵でもあった平良兼たいらのよしかねの娘だった。その頃の平家は一族内で争いを繰り返しており、父が良兼の兄、国香を殺したことが良兼との確執を生み、そして父との対立の中心に立った良兼は将門を襲い、そして彼の妻と子とを連れ去った。その人質たちの中には私も含まれていた。

 良兼に囚われていた際の生活には、何一つ不自由はなかった。彼にとって母や私たちは娘に孫。将門の元から取り戻したことで目的は達成していたのだろう。それからは新たな人生を自分の元で歩ませようとしていた。

 だが良兼の娘である母は、己が父のその考えを良しとはしなかった。

 父親という存在が夫に比べ大きな力を持っていたあの時代に生きながら、母は夫である将門の元へ帰ることを望んだ。そして母の兄弟たち、私にとっての伯父たちの手助けもあって母は私たちを連れ、良兼の元から逃げて将門の元へと戻った。

 母は、祖父ではなく父を選んだのだ。それに力を得て、そして父は遂に宿敵である良兼を破った。その戦を切っ掛けとして良兼は次第に力を失って行き、やがて失意のうちに死んだ。

 それは父にとっては大きな勝利だった筈だ。しかしこの戦い以来、父は母や私たちを失うことを極度に恐れるようになった。決してそれを表に出すことはなかったが、母はしばしばそれを私に話してくれた。父もひとりの人である、情がある故に恐れもある。だから自分たちは、父にとっての弱点になってはならぬのだと。

 私たちが捕らわれた相手が良兼でなければ、私たちは殺されていたかもしれない、それが何をも恐れなかった父にたったひとつの恐れを覚えさせたのだと。父が言葉として伝えずとも、最も近くで彼を見つめていた母にはそれが分かってしまったのだろう。

 だがそんな父が戦いから逃れられることはなかった。多くの人々を守る長として、父は決してその立場から逃げることはなかった。そして父はその長としての信念の為、朝廷を敵に回し戦うこととなる。

 その契機となった男の名は藤原玄明ふじわらのはるあきといった。彼は常陸国ひたちのくにの住人でありながら、国にとっては民の毒害となる乱人として扱われていた。督促に来た国庁を辱め、国の者たちに掠奪行為を働く男として、彼はついに追補に踏み切られた。

 しかしその朝廷の行動に抗い、玄明は妻子を連れて私の父の本拠地である下総国へと逃げ込んだ。

 常陸国は無論、玄明を捕えて送り返すように父に申し入れた。だが父は頑として首を縦には振らなかった。それどころか父は逆に軍を率いて常陸国府へと侵攻し、そして玄明の身の安全を要求して拒否されると国府軍を撃破した。

 それは父、将門の闘争が平家という一族の中の争いから国を相手取った戦いへと変わった瞬間でもあったのだ。今ならばそれが分かる。だが無論、父は何の意味もなく玄明を庇った訳ではなかった。

 かつて、私は何故玄明を庇ったのか問うたことがある。父の答えは常陸国司が玄明を無実の罪で陥れようとしていたからだという、とても短いものだった。父は何も考えずに国に戦いを挑むような直情的な男ではない。恐らく、父は玄明が無実であるという証を握っていたのだろう。

 それでも、ただそれだけの理由で朝廷を敵に回すなどと父の愚かさを嘲笑ったものもいた。父の行いを諌めた部下もいた。だが私は父の行ったことが間違いだったとは思わない。父は、弱きものを陥れるような卑劣な真似を何よりも嫌う男だった。

 だから父は例え相手が強大な力を持つ朝廷という存在であろうと、決して屈することはなかったのだ。私はその父の背に憧れた。そして、母や、私たちや、民たち、そんな誰かのために命を削って戦い続ける父を守る存在になりたいと、そう願った。




「朕の位を蔭子平将門にお授けいたす。その位置は、左大臣正二位菅原朝臣の霊魂が捧げるところである。右の八幡大菩薩は、八万の軍を催して朕の位をお授けするであろう。今ただちに、三十二相楽を奏でて、早くこれをお迎え申し上げよ」

 父が突如現れた八万大菩薩の使者と称する巫女にその言葉を告げられ、そして自ら新皇という位を名乗り始めたのは、私が数えで一三になったばかりの頃だった。

 その頃の父の下には武蔵権守むさしのごんのかみでありながら任地を離れ、父を頼って来た興世王おきよおう、そしてかつて父が助けた玄明が側近として従っていた。

 呪術に優れた興世王、武術に秀でた玄明の力を得ることにより父の力は更に増大し、関東一円を支配するまでになっていた。

 既に父は朝廷が無視できる存在ではなくなっていたのだろうし、それは父とて同じだった。だが父はどんなに無類の強さを得ようとも、中央における天皇を貶すことも否定することもしなかった。

 桓武天皇の子孫として、父はこの国の東側を領有することを主張しつつも、当時都を治めていた朱雀天皇を本皇と呼び敬っていた。それでも都は急激に力を付けていく父を認めず、中央との対立は深まるばかりだった。




 そんな頃、父は新皇である証として相馬そうま大内裏だいだいりを造り上げた。それを私に見せてくれた日は忘れようがない。

 二二の門、七二の前殿、三六の後宮、それらは悉く金銀が散りばめられ、珠玉が飾られていた。後宮には母と私たち子の住居が用意され、短かな間私はそこに住んでいた。

 父の栄華の証の中で、信念の下に戦い続ける父を待つ日々。それは私が生きた時の中で最も幸せな時代だったと言えるだろう。私は愚かで幼かったかもしれないけれど、どんな夢でも抱けた時代だった。

「我が国はこれからますます大きくなって行くだろう。それを担って行くのは、お前たち俺の子孫だ。良き未来を見せてくれ」

 その全景を私に見せて歩きながら、父は誇らしげに言ったものだ。私もその未来がやって来ることを信じて疑いはしなかった。

 あの時私は父が死ぬことなど微塵も考えてはいなかった。父はいつまでも生きていて、私の側にいて見守ってくれているのだと思っていた。

 それは、私が抱いた儚い幻想に過ぎなかったのだけれど。




 それから間もなく父と朝廷との戦いは激化した。私たちは大内裏に残れば危険が及ぶとの父の判断により、紀伊国きいのくに真砂庄司まなさごのしょうじ清重きよしげの家へと身を隠した。真砂庄司の妻はかつて父の妹、七綾姫ななあやひめの乳母をしていた女で、母や私、そして私にとっては叔母でもある七綾姫を快く匿ってくれた。

 叔母は、姪である私をとても可愛がってくれた。父とは違いとても虫も殺せぬ程に穏やかで、そして綺麗な人であった。

 夫はおらず、しかし慕う男はいるようだった。

 その男は、たまに真砂の家を訪れ、叔母と言葉を交わしていたようだった。男は安珍あんちんという名の僧だと聞いていたが、それが本名かどうかは知らないし、そもそも女と密通を繰り返しているところを見るに僧であるかも怪いようにも思えた。だが私がそれを叔母に尋ねることはなかった。

 ただ私は叔母が幸せであればそれで良かった。叔母に子が生まれたら叔母にしてもらったように精一杯可愛がろうと思っていた。しかし叔母は殺された。よりにもよって妖でも朝廷でもなく、清重の娘によって、叔母は惨たらしく命を奪われた。

 そしてそれは、私の思い描いていた行く末が大きく狂い始めた最初の夜だったのだと、今にして思う。

 あの夜、私は叔母の悲鳴によって目を覚ました。最初は都の兵が私たちの居場所を嗅ぎ付け、紀伊国まで追って来たのだと思った。私は女だてらに太刀を取り、叔母を守り戦うつもりで叔母のいる部屋へと走った。

 だけれどそこには都の武士など立ってはいなかった。刀を持ったものさえその場所で生き残ることはできなかったのだ。

 ただそこに立っていたのは蛇のような目をした若い娘のみ。私より幾つか年上であろうその髪の長い娘は、暗く凍り付いたような蛇の瞳を私に向けた。その時初めて、私はその女が真砂庄司の娘であることに気が付いた。

 彼女の足元には、私の叔母の冷たい亡骸が転がっていた。彼女はまるで狂暴な獣に襲われたかのように、首の肉を引き千切られて既に絶命していた。そして彼女の側には同じようにして殺された死体が幾つも散らばっていた。それは真砂庄司であり、その妻であり、そして腰に刀を佩いた見知らぬ武士たちであった。

 私は声が出せなかった。血の海原と目の前の娘とがすぐには結び付かなかった。だけど、娘は口元から真っ赤な血を流していた。指から血を垂らしていた。それが娘のものではなく、叔母の肉を食い千切り、そこらに転がっている死体を引き裂いたことによるものなのだと分かったとき、私は握った太刀のさっ先を娘に向けていた。

「安珍……さま……」

 しかし娘の眼中に私の姿など映ってはいないようだった。娘は私に背を向けると、ふらふらとした、しかし奇妙に力強い足取りで走り去ってしまった。私は彼女を追おうかと逡巡したが、叔母の亡骸をそこには放置しておけなかったし、近くで眠る母や兄弟たちを残しては行けなかった。

 それに、私は怖かった。手の震えが私の内に巣食う恐怖心を如実に表していた。私の体が、心があの化け物と化した娘と戦うことを拒んだのだ。

 あの頃の私は弱かった。弱さ故に叔母を守れなかった。いや、叔母だけではない。私は父を、母を、そして兄弟や皆を失うことになった。

 


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