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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
夜の刃
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夜の刃 (一)

ほととぎす 花たちばなの 香をとめて 鳴くは昔の 人や恋しき


―ほととぎすよ。橘の花の香りを探し求めて鳴くのは、亡くなった人が恋しいからであろうか―

『新古今和歌集』より 詠み人知らず

またこの和歌は『平家物語』の中でも使われた。


外伝「夜のやいば


「良く集まってくれたわ」

 数多の妖たちを前にして、滝夜叉はそう妖艶に微笑んだ。寒風吹きすさぶ松林の中、人の姿をしたものから獣のようなもの、そして器物の怪物まで様々な化け物が彼女を見つめている。

「それで、今度の獲物はどんなやつです?」

 妖の群れの中でも小柄な、髪を肩のあたりまで乱雑に伸ばした男がそう尋ねた。黒い直垂ひたたれを纏ったその男の目は、狡猾な色を宿して滝夜叉を見つめている。

「平安京は朱雀門に住まう鬼。それもかつての話だがな。そやつは今あの大江山の茨木童子と行動をともにしている。茨木の名は知っているな、山鴉やまがらす?」

 妖たちの間にざわめきが走る。かつて壊滅したとはいえ、大江山にて猛威を振るった鬼たちの伝説は未だ記憶に新しい。茨木はその唯一の生き残りであり、また大江山の主酒呑童子の右腕であった鬼。その名は妖たちにも広く知られている。

 山鴉と呼ばれた男は酷く嬉しそうな笑みを浮かべた。そして隣に立つ大男の妖に言う。

「茨木童子と戦えるたぁ、ツキが回って来たぜ魔九郎まくろう

 魔九郎と呼ばれた大男は山鴉を一瞥したのみで何も答えなかった。しかしその代わりに、魔九郎の片に乗った痩せこけた男が答える。

「我らの株を上げるには持って来いの相手ですなぁ」

 病に中てられたように掠れた笑い声がその喉から響く。滝夜叉は微かにその整った眉を潜ませた。この男たちは肉芝仙に連れられ、現れた四人の妖の内の三人。あの肉芝仙ほどではないが、下卑た言動が目立つ男たちではある。かつて父とともに戦った平家の兵たちとは違い、志も高潔さもない。ただ自分の力を使うため、他者を傷付けるためにしか戦いを行わない。

 だがしかし、血と諍いを好むその性質たちは戦いの際には大いに役に立つ。滝夜叉は降り積もる雪の中で尚白い首を動かし、妖たちを見渡した。

野衾のぶすま魔九郎まくろう山鴉やまがらす呀助あすけ辻風つじかぜ噇六どうろく、お前たち三人がいれば例え茨木とて敵ではなかろう。命じるはひとつ。朱雀門の鬼を生きたまま捕えよ。それ以外のやつはどうなっても構わぬ」

 滝夜叉の命に妖たちが様々に答える。久々の戦だ。元々好戦的な妖たちを選び、集めてきたお陰で士気は十分だ。大江山の生き残りとその取り巻きなど恐るるに足りぬ。

 滝夜叉彼らに「相馬そうまにて待つ」と告げると、夜叉丸と蜘蛛丸を従えて妖たちに背を向けた。朱雀門の鬼、いやその鬼が持つ反魂の術の方法さえ手に入れば良い。それさえあば、何もかもやり直せる。




 あの滝夜叉姫との遭遇から数日後、茨木らは尾張国に辿り着いていた。妖と言えども人の姿をとっていれば、百戦錬磨の武人のようなものならばともかく普通の人間にその正体がばれることはない。人として振る舞っていさえすれば余計な諍いは起こさずに済む。

「分かったか鬼童丸、何もするなよ」

「何で俺にだけ言うんだよ」 

「お前が最も何かしでかしそうだからだ」

 茨木の横で鬼童丸が舌を鳴らす。四つの道が一つに合流し、人が集まりやすい道辻らしく、この日は市が開かれているようだった。人が集えば店も集う。茨木はここである程度旅に必要な物資を補充するつもりだった。関東はもうすぐだ。その前に消耗する必要はない。

「まあ良い。夜にはここを出る。陽が落ちる前には戻って来い」

「はいはい、じゃあ俺は行くぜ」

 鬼童丸はぶつぶつと文句を言いながら茨木から離れて行く。憎まれ口を叩いてはいたものの、その目は立ち並ぶ様々な店を視界に収めるのに忙しいようだった。半妖と言ってもまだ若い。このような場所では興味を惹かれるものも多いのだろう。

「いいの、一人で行かせて……?」

 茨木の斜め後ろに立っていた清姫が消え入るような声で尋ねた。茨木は彼女を振り返り、答える。

「ああ、あいつももうそこまで身勝手な行動はしないだろう。いつまでも出会ったあの頃のままではないさ」

 口の利き方はあの頃のままだが、と茨木は微かに笑う。鬼童丸と出会って早数年、酒呑童子の子でありながら、父を憎む童として茨木の元に現れたあの時に比べれば心身ともに彼もまた長じている。

「俺たちも目的を果たそう。付き合ってくれ、清」

「そうね、行きましょうか……」

 清姫が茨木の横に並び、歩き始める。まずは食料と水が必要だ。旅先で一々人や妖を襲っていれば無駄に目立ってしまうし、かといって野良の獣を狩るのも時間と体力を使う。金で解決できるものはそうした方が良い。

 茨木はそう考えながら、食物の売買が行われている方へと足を向けた。




「また奇妙なことをしているなお前は」

 朱雀門が壺を小脇に抱えたがごぜに言った。がごぜは低い声で笑い、彼の問いに答える。

「朱雀門様は人や妖のたま無き死体を術に使われますじゃろ? わしはその逆に、体無きたまを術に使えはしないかと思いましてな」

 がごぜはその皺に塗れた手で壺を撫でた。朱雀門の鬼はその壺から微弱な妖気と霊気を感じ、顎を摩る。既に何かの霊体がそこに溜め込まれているらしい。通常ならば壺で霊を閉じ込めておくことなどできぬが、恐らく壺の中に霊媒となるものでも入っているのだろう。

使鬼神法しきじんほうか。しかしあれを人や妖の霊でやるのはかなり難儀だと思うぞ」

 使鬼神法は普通、蛇や犬といった動物の霊を使って行う呪術。そういった力の弱い霊に自分の力を加え、強力な鬼神として使役する呪法だ。それでも使い方を誤れば己が使役するはずの式に逆に食われることにもなる。

 そして死後も現世に留まる程の人や妖の魂は基本強固な自我を持っている。それを捻じ伏せ、己が傀儡として使うのは並大抵の技量では不可能だ。

「精々己が身を滅ぼさぬようにしろよ」

「わしが自分の身を犠牲にしてまで術を使うように見えますかいな」

 がごぜは軽く壺を叩いた。この油断のない男のことだからその程度のことは既に考えてあるのだろう。がごぜは臆病で力は弱いが、他者に害を与える類の呪いに関しては朱雀門も及ばぬ程の才を見せる。もしかすれば人や妖の死霊を使った呪術をも使いこなすやもしれぬと朱雀門は思う。

 茨木の目的地はどうやら江戸のようだ。関東のそこに彼の憎む酒呑童子の仇がいるらしい。朱雀門自身にはその妖に対する恨みはないが、茨木の生き方を通してこの妖の時代の移り変わりを見ようと決めたからには彼とともに戦うつもりであった。がごぜの本意は分からぬが、彼もまた今のところは茨木に力を貸す意志はあるようだ。来る戦いに彼の呪術もまた役立つかもしれぬ。

 そう考えていると、がごぜが不意に声を発した。

「あいつ、鬼童丸がまた何かやっているようですぞ」

 苛立ちを滲ませた声だった。朱雀門はがごぜの指す方を見る。すると、彼の言う通り何やら人間と口論している様子の鬼童丸の姿が見えた。いや、口論というより鬼童丸が一方的に相手に突っかかっているようにも見える。

「全く、あいつは……。どうします?」

「仕方がない。私が止めに行く」

 鬼童丸はまだ人間の姿を保っているが、激昂すればいつ鬼としての本性を表してしまうか分からない。彼の妖力の扱いはまだ熟練しているとまでは言えぬ。

 いや、彼の場合その体に流れている半分は人の血だ。ならば人の姿と鬼の姿、どちらがまことの姿とも定めることはできないのかもしれない。それに鬼童丸自身は鬼神とも呼ばれた己が父、酒呑童子よりも人であった母を慕っているようだった。それが彼を悩ませ続けているのかもしれない。

 鬼童丸は自分を含む全てに攻撃的だ。まるで自分がそこに在る現世そのものが許せないかのように、彼は己が傷つくことを望み、他者を害することを願っているように朱雀門の目には見えた。今はまだ若い故にその衝動に力が伴わないように感じるが、もしも鬼童丸が父である酒呑童子と同じ程の力を持っていたらと思うと末恐ろしい。

 鬼童丸が歩み寄る朱雀門に気が付いたようだった。朱雀門は振り向いた鬼童丸のその右肩に手を置いた。




「こら、童が外に出てはいかんと言われておったろうに」

 中年の男にそう声を掛けられて、鬼童丸は不愉快そうにその男を見た。

 半妖である故か鬼童丸の外見そとみの成長は普通の人間と比べても遅かった。そのせいで人にも妖にも子供として扱われる。鬼童丸はそれが気に入らない。

 自分は一人でも生きていける。実際に母親がいなくなった後、しばらくは一人だった。それなのに誰かの庇護下に置かねばならない小さな童と一緒にされるのが嫌で仕方がない。特にあの茨木らに世話をしてもらっていると思われるのは嫌だ。

「俺は童じゃない」

「体はでかいがまだ子供じゃろうて。もしかして知らんのか、近頃この辺りには子を食らう化け物が現れるんだ。それも昼夜を問わずな」

 男は鬼童丸の言葉に対してそう答えを返した。それでわざわざ見知らぬ他人に忠告まするとは暇な人間だ。そう思いつつ鬼童丸は腕を組む。

「妖が出るのか? それなら丁度良い。むしゃくしゃしてたんだ」

 鬼童丸は指を鳴らした。人や妖を無暗に襲うのは禁じられているが、襲ってきた妖を返り討ちにすることまで咎められることはないだろう。それならばこの苛立ちを存分にぶつけられる。

「なにを言っとる。化け物に食われる前にはよう帰りなさい」

「はあ? お前には関係ないだろ?」

 鬼童丸は男を睨んだ。しかしその直後良く知った気配を感じて振り返った。

「何をやっている鬼童丸」

「また煩いのが来た」

 鬼童丸はうんざりとした顔で朱雀門の鬼を見上げ、自分の肩に置かれた手を振り払った。そして自分を見下ろしている朱雀門の鬼に向かって言う。

「この辺に子供を食う化け物が出るんだってよ。そいつなら切っても構わないだろ?」

「化け物?」

 朱雀門が顔をしかめた。人の姿をしてはいるが、その岩を削り取ったような厳めしい顔と普通の人間の男より頭二つ分は巨大な長身は十分人にとっては恐ろしい姿のように思う。だが鬼童丸を諭していた男は、躊躇うことなく朱雀門にも声を掛けた。

「あんたが親御さんかい? 悪いことは言わん、早くその子を家に帰した方が良い。この周りには、片輪車が出る……!」

 男の言葉は、彼の頭を掴む赤く燃える腕によって半ばで遮られた。女の手のものであろうその細い指は男の頭皮に食い込み、そして首を根本から引き千切る。血が迸り、鬼童丸と朱雀門の体にも降りかかった。

 そして血煙の向こうから、燃え盛る車が現れる。その車は片輪しかない上に人も馬も引いてはおらず、しかしその籠の中には金襴の纐纈(こうけつ)と紅の袴を身に纏った女の姿がある。

 女は自らが引き千切った人間の首を片手で頭上に掲げると、滴り落ちる血をその舌を伸ばして嘗め取った。

「どうやらあの男の話は真だったようだな」

「子供以外も狙われてんじゃねえか」

 朱雀門と鬼童丸は現れた妖に対し、それぞれの武器を握る。この妖があの男の言っていた片輪車というやつだろう。そして片輪車もまた、持っていた男の首を投げ捨てて二人の鬼を見据えた。

「やはり長じた人の血は不味い。肉を食らうは童のものにに限る。さて、鬼の童は美味かのう?」

 片輪車が笑った。そしてそれは、人々の悲鳴が彼方此方から響き渡るのとほぼ同時だった。


 

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