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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
滝夜叉
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滝夜叉 (三)

 緑色(りょくしょく)の炎が辺りの雪を溶かし尽くした後には、もう鬼童丸と茨木童子の姿はなかった。白い湯気と化した雪を薙刀の刃で切り裂き、怒りに顔を歪めた滝夜叉の顔が現れる。

 その額からは鬼女の証である二本の角が微かに生えかけていたが、滝夜叉が怒気を吐き出すように息を吐いたことで体に戻るようにして縮み、消えた。今ここで妖としての姿を現すことに意味はない。ただ妖力を無駄に消耗することにしかならぬ。

 かつて、戦の際には己が心を乱さぬことが肝要だと父に教わったことを思い出す。その教えは未だ実践できていない。もっと鬼の力を使いこなせねば強くはなれぬ。

 そう自分を戒め、滝夜叉は薙刀を背に負った。あの炎は鬼童丸らの仲間の妖が放ったのであろう。一瞬だが炎の向こうに蛇身の妖が見えた。そしてその妖力によって生み出された炎によりあの鬼たちの妖気の気配は掻き乱され、辿ることは難儀のようだった。

「次に会うたなら、必ずやこちらに下すぞ」

 滝夜叉は白い息とともに呟き、そして蜘蛛丸と夜叉丸を従え雪原を去った。




「三人いれば勝てたじゃんかよ。何で逃げたんだよ」

 腕を組んで座り込んだ鬼童丸がそう茨木に不満をぶつける。その乱雑に切られた髪を伝い、解けた雪が水となって腐りかけの木の床に落ちた。

 彼らは旅の途中に見つけたとある廃屋の中にいた。長らく放置されていたのだろう、壁は穴だらけで天井も雪にたわみ、すぐにでも落ちて来そうな有様だった。だが強靭な体を持つ鬼たちにとってそれは大した問題ではなく、それぞれが冷たい床の上に思い思いに座り込んでいる。

「あの娘を殺したところでただこちらもただ消耗するだけだ。何の意味がある」

「そりゃあ俺の気が晴れるだろうが」

 茨木の返答に、鬼童丸が納得がいかないといった様子で言葉を返す。茨木はそのまま黙ってしまうが、代わりに口を開いたのは部屋の隅で何やら壺の中に手を入れ、中身をいじりまわしていたがごぜだった。

「お前は直情的過ぎるんじゃ。少しはわしらに掛かる迷惑を考えろ」

「臆病禿は黙ってろよ」

 鬼童丸は更に不機嫌になってそう言った。そして足を投げ出し、首を曲げてぼろ小屋の天井を仰いだ。がごぜはふんと鼻息を鳴らしたものの、壺の中に夢中なのかそれ以上の言葉は返して来ない。

「滝夜叉に遭った、と言ったか」

 部屋の中心で胡坐をかいていた朱雀門の鬼が茨木と鬼童丸の方を見てそう唐突に尋ねた。茨木が彼に目を向ける

「ああ。何か知っているのか?」

「直接会ったことはないが、話は聞いたことがある。滝夜叉姫はかつて平安の都に反旗を翻した武士もののふ、平将門の娘だと。彼女は戦に敗れ死した父の遺志を継ぎ、弟良門とともに平安京の転覆を狙ったが、彼女らもまた朝廷が遣わした大宅中将光圀おおやのちゅうじょうみつくにという武士に調伏されたと聞いている。だがお前たちの言うことを聞く限り、滝夜叉は生きていたということになるな」

 鬼童丸は朱雀門に目を向けつつ、興味深げに顎を擦る。

「あの女も将門だかなんだかって言ってたな。そいつが何で俺に突っかかって来るんだよ」

 床に寝そべりながら鬼童丸はそう声を発した。朱雀門はその鬼童丸を一瞥し、答える。

「光圀との戦では滝夜叉の配下であった多くの妖が殺されたと聞いた。彼女がまだ朝廷を狙っているのなら、より多くの力が欲っしていると考えられる。お前はまだ幼いと言えど強力な妖気を発している。故に手下として使えると思われたのだろうさ」

「誰があんなやつの下につくかっての。言っとくけど俺はお前らの下にもついてないからな」

 鬼童丸は寝たまま小屋の中の鬼たちを指してそう言った。茨木はそれを無視し、言う。

「つまりあの滝夜叉という娘の目的は都の乗っ取りか。人の世の中心は最早東国に移ったが、どうするつもりなのだろうな」

「さあな。将門もかつて東国にて旗を上げた武人だ。今源氏に支配された関東やこの日の本をどう思っているのかは興味はあるが、所詮我々には関わりのないことだ」

「そうだな」

 小屋の壁に背を預けて座っていた茨木はそう言って立ち上がり、部屋の中の鬼たちを見渡した。朱雀門の言う通り、滝夜叉という鬼の娘がこの世にどんな未練を抱いていようとも、茨木らの目的には何もかかわりがない。それよりも今すべきこと、考えることはある。

「夜になればここを出るぞ。それまでは体を休めてくれ。今宵は雪の中を行くことになりそうだからな」

 鬼たちが各々返事をしたのを確認して、茨木は外の様子を見た。空の向こうから降り続ける氷の花は、まだまだ積もり足りないようだった。




「ほう、茨木童子らと会ったのか」

 相変わらず水気を含んだ不快な声で肉芝仙にくしせんは言った。滝夜叉は岩壁に薙刀を立て掛けながらその問いに答える。

「ああ。今までに出会った妖たちに比べても相当に強い妖気を纏っていたよ。あれらを従えるのは骨が折れるだろうな」

 滝夜叉は側に使えた蜘蛛丸と夜叉丸に下がるように合図しながら、纏った煌びやかな衣が汚れるのも構わず自身は地面に腰を下ろした。そこは配下となる妖探しの途中に見つけた洞穴の中。容赦なく穴の中にまで吹き付ける寒風に顔を顰めながら、滝夜叉は何やら喉の奥で笑う肉芝仙を見た。くつくつと蝦蟇が声を押し殺して鳴くような奇怪な声が響いている。

「何を笑っている」

「いや、お前さんが興味を持ちそうな話を思い出してな?」

 肉芝仙が上目づかいで滝夜叉を見る。滝夜叉はそれを不愉快に思いながらも、話の続きを促した。

「お主、もし死した将門を蘇らせる術があるとしたら、どうする?」

 肉芝仙が小さく首を傾げ、滝夜叉に尋ねた。滝夜叉はちらと彼を流し目で見て口を開く。

「なにを言う。父上はもう蘇ることはないと言ったのは貴様ではないか」

「それはあくまで将門様が自身の力で蘇ることはないという意味じゃよ。しかし我々他者の力により、将門様の再びこの世に健在させることができるとしたら、どうじゃ?」

 滝夜叉は目を見開く。それは俄かには信じられない提案だった。死んだ者が妖や怨霊等.、その姿や性質を変えてこの世に現れることがある、ということは滝夜叉は身をもって知っていた。だが父、将門はそれらの化け物にならずにただの死体となって眠っている。何度望んでも彼が滝夜叉のように鬼となって蘇らせるすべがあるというのか。

「そんなことが、できるのか?」

「鬼に伝わる秘術の一つにな、反魂はんごんの術というものがある。その名が示すように死者を蘇生させるための術じゃ。その方法はほとんど伝わっていないのじゃが、先の茨木の下についているという朱雀門の鬼、そやつは反魂の術の方法を知っているとの話を聞いたことがある。それに頼ればもしかすれば、将門様はこの世に再び立つことができるかもしれんぞ?」

「反魂の、術……」

 初めて聞く妖術だったが、肉芝仙は滝夜叉よりも遥かに多くの知識を蓄えている。それが実在する可能性は十分にあった。

 それにもし、父がまたこの世に存在してくれたのならば。滝夜叉は考える。父をこの国の新皇にするという彼女のもう叶わぬと思っていた夢を、現のものとできるかもしれぬ。

 滝夜叉は顔を上げ、肉芝仙を睨むように見た。

「術を行うためには、その朱雀門の鬼とやらが必要なのだな」

「その通りじゃ。話が早いの。鬼を捕まえて来れば、あとは儂がやってやろうぞ」

 肉芝仙はくぐもった笑い声とともにそう答えた。滝夜叉はそっと頷く。

「分かった。何としてでもそやつを捕え、従わせる。そのためにはもっと多くの妖が必要だな。蜘蛛丸」

 洞穴の奥の暗闇から蜘蛛丸が影のように現れた。その細身の男の姿をした妖に滝夜叉は告げる。絶対にその朱雀門の鬼とやらを逃してはならぬ。その思いは強い情念となって彼女の体を満たして行く。

「相馬より腕の立つ妖たちを集めて来よ」

 蜘蛛丸は無言で頷き、そして疾風のような身のこなしで雪景色の中に消えた。滝夜叉はその姿を見送り、そして呟く。

「もうすぐです。もうすぐお会いできるかもしれません、父上……」



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