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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
滝夜叉
17/27

滝夜叉 (二)

 雪がちらつく山野において、その鬼の子は一人寒空の下を歩いていた。頭に薄く積もった雪を払い、鬼童丸は白い息を吐く。

 新雪の上に足跡を付けながら鬼の子は迷うことなく歩き続け、そしてやがてひとつの洞穴の前で立ち止まった。かつての記憶が頭を過り、思わず鬼の子の口は緩む。

「母さん、また雪が降ったよ。寒くはないかい?」

 鬼童丸は洞穴の傍に座り込み、今は亡き母にそう尋ねた。母はここに埋まっている。鬼童丸がそこに埋めたのだ。かつて母子二人で過ごしたその場所に、自分のために死ぬこととなった彼女の亡骸を。

 冬が来る度に彼はここに訪れる。母と別れたのもこんな風に雪が降る日だった。母は彼にとっての唯一の家族であり、自分を愛してくれたただ一人の人だった。

 母のため、よくこの野山を駆けて獣を狩ったのを思い出す。あの日々を思い出しながらこの雪景色を歩くと、記憶の中とは少し情景が違っているように思う。自分の背が伸びたからか、それとも年月が山の顔を変えたのか。

 鬼童丸は傍に置いていた妖の毛皮を纏い直した。襲い掛かってきたため返り討ちにした大猪の妖から剥ぎ取ったものだが、寒さを防ぐのに存外役に立っている。

 今日中に山を下りて茨木童子たちと合流せねばならない。自由に動くのは一日だけの約束だ。彼らの言うことに従うのは癪に障るが、それさえも守れないと思われるのはより腹立たしい。鬼童丸は立ち上がり、母に別れの言葉を告げて再び歩き出す。

 朱雀門の鬼によれば、これから東に向かうのだと言っていた。どうやら茨木が執心している死神の娘とやらが東国にいるという。そしてその娘は鬼童丸の父である酒呑童子を殺した本人らしい。

 母を不幸に陥れた元凶である父を憎みさえすれど、それを殺したものには何の恨みも感じてはいない。かといって恩を感じている訳でもないが。

 寒風が一陣吹いて、積もった雪の表層を巻き上げた。一瞬視界が白く染まり、そして鬼童丸の瞳はその向こう側に黒い影を捉える。一瞬のことであったが、若いながらに数多の戦いを経た鬼の目はそれを見逃しはしない。

 鬼童丸は素早く纏っていた毛皮を脱ぎ捨て、そして腰から逆手に太刀を引き抜いた。

 雪の壁を突き破って振り下ろされた鉄の六尺棒を、鬼童丸は太刀を上に掲げて防いだ。雪原に重い金属音が響き渡る。

「何だてめえら!」

 鬼童丸の姿が鬼のものに変わり、同時に風が止んで彼の前に立ちはだかる三つの影が露わになる。一つは先ほど鬼童丸に殴り掛かって来た、六尺棒を片手に握った大男、一人は刀を片手に握った、細身の男、そしてその間に立つ、雪景色には似合わぬ綾羅錦繍りょうらきんしゅう五衣いつつぎぬと、濃き紅の袴を身に纏った妖艶な女。その華奢な両手には薙刀が握られている。

 ただの山賊ではなさそうだ。見た目は人だが、妖気が漂っている。鬼童丸は舌を鳴らして刀を構える。それを見た細身の男が太刀のさっ先を鬼童丸に向けた。

「やめろ蜘蛛丸。そう急くな」

 女がそう細身の男を制した。長く伸びた黒髪が耳から落ち、静かに揺れる。

 女のその言葉に従い、蜘蛛丸と呼ばれた妖は刀を下げた。どうやらあの女が頭のようだ。鬼童丸はそう判断し、見た目二十ほどの齢の女を睨んだ。

 女は品定めするような目で鬼童丸を見る。白く澄んだ肌に真っ赤な唇が映え、その口元には鋭い牙が覗いている。鬼女の類のようだ。鬼童丸は油断なく刀を構える。女だからと言って舐めて掛からぬ方が良いことは、清姫のお陰で十分学んでいる。

「小僧、お前も鬼の子のようだな。名は何という?」

 女は見下すような視線を鬼童丸に向け、そう尋ねた。

「何で俺がお前に名乗らなきゃいけないんだよ」

 鬼童丸は苛立った声で問い返す。再び風が吹き、雪が舞った。その白の薄絹の向こうで女は笑む。

「生意気な子だ。我は滝夜叉。新皇しんのうと名高き平将門の遺児。我が父上の名前ぐらいは知っているだろう?」

 滝夜叉と名乗った女は一歩鬼童丸に近付いた。薙刀の刃が雪原に触れ、雪を削る。

「我は今我が百鬼に加わる妖を探している。どうだ? お前も我等に加わる気はないか?」

 滝夜叉が小首を傾げ、艶麗な笑みを見せる。その美貌もまた彼女の武器ではあるのだろう。だが鬼童丸は馬鹿にしたように目の前の妖女に言葉を吐き捨てる。

「いきなり襲って来て今度はいきなりお前の下に付けって? 馬鹿なんじゃないかお前。そもそも将門なんて知らねえよ」

 鬼童丸の言葉に滝夜叉の表情が歪むのが見えた。薙刀が翻り、その刃先が前に突き出される。

「父上を侮辱することは許さぬ。まずは口の利き方から教えてやらねばならんようだな小僧」

「子供だ小僧だとどいつもこいつも」

 鬼童丸は悪態を吐きながら雪を蹴り、滝夜叉に飛び掛かった。逆手に握った刀の刃が妖女の首を狙うが、縦に構えた薙刀の柄によって防がれる。やはりただの女ではない。武器の扱いも手練れている。

 そのまま滝夜叉は薙刀を回転させ、その柄の先で鬼童丸の足を掬って転倒させる。雪煙を上げて鬼童丸の体が後ろに倒れ、その顔に向かって真っ直ぐに振り下ろされた。

 その刃が顔を二つに割る直前、鬼童丸は刀を顔の前に刀を持ち上げ、それを防いだ。赤い火花を白い大地が反射する。

「どうだ? 降参かえ?」

「こんにゃろ……! 舐めるな!」

 鬼童丸は近くの雪を掌に掴み、それを滝夜叉の顔に向かって投げ付けた。一瞬滝夜叉が怯む。その隙を突き、鬼童丸が後ろに転がって彼女の薙刀を逃れた。

「ほう、やるな小僧」

「小僧じゃない、俺は鬼童丸だ!」

 鬼童丸が雪を蹴った。その刃は滝夜叉の肩を掠め、そのすぐ側に生えた松の枝を数本切り落とした。滝夜叉は舞うような動きでゆるりと鬼童丸から離れ、そして口の片端を釣り上げる。

「鬼童丸……、聞いたことがあるぞ。そうか、お前はあの酒呑童子の子か。ますます我が家来に欲しゅうなったわ」

「俺は俺だ、酒呑童子は関係ない」

 鬼童丸は牙を噛みしめる。相手は三人、しかもそれぞれが結構な妖気を持っている。このまま戦ったところで勝ち目は薄い。逃げる術を探すべきだということは鬼童丸も分かっていた。

 だが敵を目の前にして逃げるなどという選択肢を彼が選べる筈もなかった。そんな屈辱は味わいたくない。鬼童丸は再び太刀を逆手に、滝夜叉姫に飛び掛かる。

 だがその刃は別の太刀によって阻まれた。薄く灰色の妖気を纏ったそれを見て、鬼童丸はうめき声を上げる。

「何しに来たんだよ」

「遅いから迎えに来てやった。お前は誰にも彼にも突っかかるな。余計な面倒が起こる」

「これはあっちからけしかけられたんだよ!」

 鬼童丸に諌めるように声を掛ける灰色の鬼。彼は右手に一本の刀を握り、鬼童丸の前に立っていた。滝夜叉が訝しげにその灰色の鬼を睨み、問う。

「そこの小僧の仲間か。貴様、名は」

「大江山の鬼、茨木童子」

 茨木は腰からもう一つの太刀を引き抜いた。両手に握られた二つの刃は灰色の雷を纏い、舞い落ち、刀身に触れた雪を蒸気に変える。

 滝夜叉は茨木の名を聞き、嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ほう、貴様があの大江山の生き残りか。丁度良い、そこの酒呑童子の子とともに我が傘下に下れ」

「それは御免こうむろう」

 茨木は表情を変えず、淡々と答えを返す。雪は深々と二人の鬼の間に降り積もる。

「ならば力づくでこちらに従わせるまで。夜叉丸、蜘蛛丸」

 滝夜叉の背後にいた妖二人が動いた。雪を舞い上げ、刀と棒とが左右から茨木に叩き込まれる。だが茨木はその場を動かず、太刀を握った両手を広げてその攻撃を刀で受け止めた。冬空に武器同士がぶつかり合う鈍い音が響き渡る。

「邪魔だ」

 茨木が刀を振るった。その衝撃で二人の妖は弾き飛ばされ、雪の中に落ちる。茨木は滝夜叉を一瞥した後、鬼童丸の首根っこを後ろから掴んだ。

「何すんだよ!」

「清、頼む」

 鬼童丸の怒鳴り声には反応せず、茨木が言った。直後緑色の火炎の塊が落下して来て、雪の野を熱と明かりに染めた。雪は一瞬にして蒸気と化し、視界は遮られる。

 そしてその中で、鬼童丸は自身の体が茨木によって持ち上げられるのを感じていた。



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