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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
平安京の鬼
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平安京の鬼 (三)

 渡辺綱と茨木童子。一人の人と一人の鬼は、言葉を交わすことなく互いの姿をその目に捉え、そして同時に太刀を振り下ろす。交えた刃は火花を散らし、歯を食い縛る相手の顔が間近となる。

「郎党諸共覚悟を決めろ、茨木童子!」

「大江山のようには行かぬぞ、綱よ」

 大江山、そして羅城門にて二度戦った者同士。互いの太刀筋は知っている。刀同士をぶつけ合い、時にはかわし、鬼と人は一進一退の攻防を繰り返す。

「貴様はかつて人だったと聞いたことがある、茨木童子。貴様は人であることから逃げたのだな」

 戦いの最中(さなか)、綱はそう憎しみを吐き出すようにそう言った。綱の刀を片腕で受け、茨木は彼を睨む。そうかもしれぬ。鬼子として生まれ、人として疎まれた故に人として生きる道を見失い、そして鬼となったのかもしれぬ。

 鬼となったことを悔やんだこともある。人に戻りたいと願ったこともある。

 だが、今は違う。鬼であるからこそ酒呑童子に出会えた。鬼として、己の生きる道を見出すことができた。

 それは何にも代えられぬ。鬼子として生まれた男は、茨木童子という名の鬼となったことを悔やんでなどいない。それが今、茨木童子の見出した答えだった。

「確かに俺は人であることをやめた。だが後悔はしていない。俺は鬼だ。茨木童子だ」

 茨木童子はかつて酒呑童子がくれた名を叫び、綱の刀を弾いた。無防備になった綱の頭部に向けて茨木は頭突きを放つ。よろめく綱に対し更に蹴りを入れた。

「何が鬼だ……、貴様たちに、どれだけの者が涙を流したのだと思っている!」

 綱は血を吐きながら叫ぶ。茨木はその姿に人としての執念を見る。綱の振う刀は茨木に迫り、茨木はそれを己の刀で受け止める。

 右腕が痺れるような重みが茨木を襲う。茨木は牙の隙間から息を漏らし、そして吼え声とともに綱の刀を弾き返した。

「人の道を捨てた時から、どんな怨みを背負うことも覚悟している。その覚悟があらずして、鬼になどなれるものか」

 そうだ。自分はあの日、酒呑童子に出会った日に人であることを捨て、鬼となったのだ。その先に待ち得る道がどんなものであろうとも、彼に付いて行けば何かが見える、そう信ずることができた。

 酒呑童子の右腕として生きることを決めたのならば、死すまでそれを果たすのみ。

 今度は茨木が綱に向かって刀を振う。綱は片手でその刃を防いだ。やはりまだ傷は癒えていないようだが、それでも茨木の力に拮抗している。

「貴様は人の道を外れた時に死ぬべきだったのだ!」

 綱は血走った目で茨木を睨み付ける。この男の強さは、人であることにしがみ付くが故なのかもしれぬ。

 他の誰でもなく、渡辺綱だからこそこの左腕を取り返す価値はある。

「残念だが、俺にはまだ生きねばならぬ理由がある。まずは貴様に奪われた俺の体、返してもらおう」

「やはり貴様の狙いはあの腕か、茨木童子!」

 綱は怒声を上げる。茨木は口の片端を釣り上げ、笑った。




「どいつもこいつも好き勝手暴れおってこの」

 がごぜは頭に被っていた人の毛髪を投げ捨てながら言った。羅城門は老若男女問わず人の亡骸が捨てられているせいで変化(へんげ)の材料には事欠かなかったが、それでもいつまでも老婆の格好でいるのは気に入らぬ。

 綱の屋敷の周りでは刃同士がぶつかり合う音が大気を震わせるが、そんなことは今大事なことではない。それよりも誰もかれも互いに武器を振うばかりで茨木童子の左腕には目も向けないことががごぜには不満だった。

「あれ盗りゃ終わりじゃろうに。何をややこしくする必要が……」

「待てそこの禿げた鬼!」

 静かに綱の屋敷に侵入しようとしていたがごぜの背に、妙に甲高い男の声が届いた。がごぜはむっとして振り返る。

「誰が禿じゃこの」

 その鼻先を刀が掠めた。がごぜは短く悲鳴を上げ、相手が何者なのか見定める。確かこの男は卜部季武(うらべのすえたけ)と言ったか。

 二度目の季武の攻撃は咄嗟に屈んだがごぜの頭頂部を掠めた。がごぜは苛立たしげに声を上げるも、一瞬逡巡した後に季武に抗うのは止めて彼に背を向けた。

「おのれ! 戦の最中(さなか)に敵に背を向けるとは!」

「わしゃ戦なんぞに興味はないわ」

 がごぜは振り向きざまに手に握った砂を季武に向かって投げつけた。細かな砂粒は刀で防ぐことはできず、季武は咳き込みながら袖を払う。その隙にがごぜは綱の屋敷に上がり込んだ。

 座敷の奥に積まれた数多の木箱。がごぜは試しにその中のいくつかの箱を開け、呻き声を上げた。恐ろしいことにそのどれもから妖の腕が現れる。

「悪趣味な奴……」

 がごぜは仕方なしとひたすらに箱の山を崩しては蓋を持ち上げ、腕を取り出しては茨木のものではないものたちを放る。座敷は乾いた妖の片腕が散乱し、不気味な光景が作り出されて行く。

「貴様何をやっておる!」

 がごぜが鬱陶しそうに振り返ると、季武が刀を振り上げていた。生憎今回は急に呼び出されたお陰で戦うための道具はまともに持ち合わせていない。がごぜは近くに落ちていた萎びた腕を掴むと、季武の顔面に向かって強く投げ付ける。ばちんと良い音がした。

「お、こいつじゃな?」

 がごぜはそのままこそこそと季武から離れつつ、微かにあの茨木童子と同じ匂いを発する箱を見つけ、両手で掴み上げた。そのまま箱を逆さにして蓋ごと腕を落とす。

 そこから現れたのは他の腕たちに比べ、明らかに瑞々しさを保つ太い腕。茨木と同じ灰色の皮膚に覆われたそれを掴み、がごぜは戸を破って屋敷の外に出る。

「左腕見つかったぞ!」

 がごぜは喉を精一杯震わせ、そうしわがれた声を出した。




 がごぜの声に最初に反応したのは朱雀門の鬼だった。頼光の矢に貫かれた鬼車を液状化させて竹筒に戻し、そして新たな竹筒を取り出す。

「良くやった、がごぜ」

 朱雀門の鬼は竹筒を大きく横に向かって振るった。中の液体が水滴となって飛び散り、その一つずつが大きく赤い蜂の姿へと変化する。

「目的は果たした。行くぞ」

 朱雀門の鬼がそう叫ぶと同時に、蜂たちが平安京の武士たちへと襲い掛かった。赤い雲のような塊となった無数のそれらは彼らを足止めするとともに、視界を塞ぐ。




 蜂に動きを止められた金時に鬼童丸が飛び掛かろうとするが、それは清姫によって止められた。傷だらけの蛇体の姿のまま鬼童丸の襟元を掴んで持ち上げた清姫が少し離れた場所にいる茨木に呼び掛ける。

「茨木、分かっているわね」




 蜂の群れを切り刻み、尚も綱は茨木に迫る。茨木は後ろに退いて清姫の言葉に頷いた。

「悪いが、ここまでしてもらおう。左腕が返った今、俺にはお前を殺す程の理由はない」

 蜂の羽音が辺りを満たしているが、その言葉はっきりと綱へ届いたようだった。

「私を愚弄するか!茨木童子!」

「俺は、ここで命を賭す訳にはいかんのだ」

 命の賭け処は別にある。茨木は疼く身体を抑え、刀を腰に納めた。鬼として、酒呑童子の右腕として、生き延びねばならぬ。それはこの左腕を失った際に決めたことだ。

 ならばここでつまらぬ意地を張って何になろう。できるならばここで決着を付け、そして左腕を取り返したいとも思ったが、それはもう叶わぬようだ。

「さらばだ綱。俺はもうこの都を襲うこともないだろう。貴様とも、これきりだ」

 人と妖の寿命は違う。この都がこの国の中心でなくなることがあったとして、その頃にはもう綱が生きているかは分からぬ。人は妖よりもずっと短い歴史しか見ることができず、死ぬのだろう。

 平安京の鬼として最後に戦った相手がこの渡辺綱であったことを、茨木は今更ながらに喜ばしく思う。酒呑童子を介さぬ、己の敵として戦えた唯一の相手であった。綱にとっては憎むべき妖のひとりでしかないのだろうが。

 茨木童子は振り返ることなく、その場を去った。




 夜明けとともに百鬼夜行は姿を消す。その白い光が羅城門にも容赦なく降り注いでいた。

 羅城門は平安京、その内と外を隔てる境界。この門の向こうは都ではなくなる。羅城門の鬼、茨木童子はその境界から一歩外に踏み出した。その左腕は既に元の場所へと収まっている。

 茨木は二度程、左手の指を曲げて伸ばした。片腕でいた時間が長かったせいで未だ慣れぬ感があるが、それもすぐになくなることだろう。

「もうこの都に留まることもないのだろうな」

 茨木が呟くと、朱雀門の鬼が振り返った。

「我々はもう、この都の鬼ではない。時代は変わり、人や妖は動く。それが世の定めだ」

 茨木は頷いた。朝の陽光は次第に強くなる。茨木は羅城門を見上げ、そして目を細める。

 あの綱の屋敷から左腕を取り返してからまだあまり時は経っていない。だが、朱雀門の鬼の薬によって左腕はまだ満足には動かせぬものの、左肩に繋げることはできた。もう一月もすれば元のように太刀を握ることができるようになるという。

 己のための戦いは終わった。後は酒呑童子の仇討ちのためのみに己の生を捧げる。それが茨木童子という鬼の望み。その先は、今は知らなくて良い。

 金時を殺せなかった故にあの日からずっと不機嫌な顔をしている鬼童丸、そして変わらず沈んだ顔をしている清姫が茨木の後から羅城門の境界を踏んだ。その後ろにはがごぜの姿も見える。

 彼らもまた、この都を離れ成すことがあるのだろう。それを茨木が尋ねることもない。

「行こう」

 茨木はそう短く言った。茨木は一度だけ、かつて大江山の鬼たちとともに百鬼夜行の一員として闊歩した都を振り返った。そして、すぐに前を向く。過ぎ去った日々と未だ来ぬ先々は、この今を介して繋がっている。この先にあるのが連綿と続く怨恨の道であろうとも、それは己が決めた行く末。足を止めぬ覚悟はある。

 この道はかつて酒呑童子の元にて大江山の鬼として、平安京の鬼として真っ直ぐに見据えた道と繋がっているのだ。

 古の想いを胸に、かつての平安京の鬼は新たな時代へと向かい歩き始めた。



武将紹介


・卜部季武

 頼光四天王の一人。先に挙げた大江山の酒呑童子討伐や滝夜叉姫との戦いの他、『今昔物語集』においては妖怪・産女に出会ったという話が記されている。川を馬で渡っていると川の中ほどに産女がおり、赤子を抱けと言う。季武はその言葉通りにするが、返せと言われても取り合わずに川を渡ってしまう。すると赤子は木の葉に変じていたと言う。

 ちなみにこの話は日本文献上で初めて産女が確認された話とされている。


・渡辺綱

 頼光四天王の一人であり、自身の伝説も数多く持つ武将。中でも有名なものは酒呑童子の配下の鬼、茨木童子との因縁であろう。大江山での戦いの際に刃を交えている話が残る他、平安京の羅城門、一条戻橋においてその片腕を切り落とした伝説が残る。片腕を切り落とされた茨木童子は物忌をする渡辺綱の元に乳母に化けて現れ、腕を奪って愛宕山へと去って行ったという。

 鬼の正体は茨木童子の他にも橋姫とされることもある。また頼光とともに土蜘蛛、鬼童丸退治にも関わっている。

 史実では美男子としても有名であり、渡辺姓の元祖となった人物でもある。



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