平安京の鬼 (二)
鬼童丸は自分に向かって来た貞光の太刀を避け、綱の屋敷の屋根へと身軽に飛び移った。刀を握った右腕を除いた手足で着地し、騒乱の様子を眺める。
自分が彼らに確実に勝てる程強くはないことは分かっている。だが、母を殺した武士の同類を目の前に逃げるということは彼には許されぬことだった。
鬼童丸が獲物を物色するように月に照らされる戦場を見渡していると、唐突に太刀が横に回転しながら飛んで来た。鬼童丸は逆手に握った太刀でそれを弾くが、予想外に強い衝撃を受けてよろめく。
弾いた刀は屋敷の屋根の上で何度か跳ねた後、どことも分から飛ばされて来た方とは屋敷を挟んで逆へと落ちて行った。
「おい化け物、そんなところに逃げるとは怖いのか? さっさと降りて来い」
何とか屋根を抉るように左の掌で握り、踏み止まった彼に、そんな罵声が浴びせられる。人にしては図体が大きく、その上装束の上からでも分かる程厚い筋肉に覆われている。髭も濃く、その容姿はまるで鬼か熊を思わせる。
「刀を投げるような馬鹿に何を言われる筋合いはない!」
鬼童丸は屋根の上から飛び上がり、感情のままに月を背に鬼の姿に変化する。頭部からは二本の角が生え、全身の肌が茶色に染まる。口は笑むように裂け、そして刀を握る指の先に爪が伸びる。
ほとんど考えもなく落下とともに振り下ろされた太刀は、しかし簡単にその武士には避けられた。その上で片腕を取られ、そのまま投げ飛ばされる。人にしては異様な力だった。男はにやりと笑い、何とか足から着地した鬼童丸を振り返った。
「俺は坂田金時、お前、名を何と言う」
金時と名乗った男が尋ねる。鬼童丸は刀を構えたまま答える。
「鬼童丸」
「ほう、お前があの酒呑童子の子か。そんで、俺と同じ人と妖の子」
金時は背負った巨大な鉞を両手に構え、そしてそう言った。鬼童丸は目の色を変えて金時を見る。
「お前も……、半妖なのか」
「ああ、俺の母親は山姫という鬼だった。お前と同じ、鬼と人の子よ。だが、お前は親父さんから授かった力を無駄に使ってると見える」
金時は鉞を肩に担ぎ近付いて来る。鬼童丸はその姿を睨む。あの鉞があの男の本来の獲物なのか。故に刀など投げても平気だった。それとも、あの一撃で鬼童丸を仕留めるつもりだったのか。
「こんな夜盗のようなことにしか力を使えんとは。折角授かった力の無駄遣いってやつだ。もう俺には引導を渡してやることしかできん」
金時は斧を振り上げた。鬼童丸は黙したままにいる。
「稲成姫も悲しんでいるだろうな」
その言葉を聞いた瞬間、鬼童丸は太刀を頭上に掲げ、振り下ろされた鉞の刃を止めた。食いしばった奥歯がぎりぎりと軋んだ音を漏らす。
「お前に何が分かる……!」
鬼童丸が鉞を弾き、今度は金時がよろめく。鬼の鋭い視線が金時を突き刺す。
「お前のように何でも持っている奴が、俺に何を言えるんだ!」
鬼童丸が金時に飛び掛かった。逆手に握った刃の先は金時の頬を掠め、血が飛び散る。金時は鉞を振うが、既に鬼童丸の姿はそこにはなく、刃が深々が土に突き刺さった。
「青臭い子鬼かと思ったが、中々やるじゃねえか」
金時は笑みを浮かべるが、鬼童丸の顔は怒りに歪む。何よりもこの男が母の名を語ったのが許せなかった。
この世でたった一人自分を受け入れてくれた母。その母は目の前にいるような武士のせいで命を奪われたのだ。それなのに母の心を代弁するような言葉を発するなど認めることはできぬ。
母が本当に悲しんでくれるならどんなに良いだろう。だが今この現には、涙を流す母はどこにもいないのだ。
それならば、母の仇を取り続けるまで。誰のためでもなく、己のために。
鬼童丸は獣のように身を低くして地を駆ける。あの鉞の一撃を身に浴びれば命はないだろう。だがそれが何だ。鬼童丸は今、この場で死ぬつもりなど毛頭なかった。
怨みの中で生きて来た鬼童丸という在り方を、この男に分からせてやらねばならぬ。
横に振われた鉞を鬼童丸は両手に握った太刀で防ぐが、そのまま弾き飛ばされて壁に叩きつけられた。凄まじい力だ。しかし鬼童丸が怯むことはない。地響きを立てながら追撃に向かって来る金時へと鬼童丸も走り出す。
「お前は気に入らない、だから斬る!」
「上等だぁ! 鬼の子ぉ!」
今度は縦に振われた鉞を鬼童丸は跳び上がって避けた。宙で体を捻り、金時の背後に着地すると同時に太刀を持つ右腕を伸ばして挑みかかる。その首を刈るつもりだったが、金時もその図体に似合わぬ素早さで身を屈め、一撃を避けた。
振り向き様に叩き込まれる鉞の刃の上を蹴り、鬼童丸は金時から離れる。そして、半鬼半人同士は互いを睨み合う。
清姫は目の前に立つ柔和な笑みを浮かべる男を相手に選んだ。腰に佩いた刀は二本。茨木のように同時に二本を使うのかとも思ったが、男はそのうちの一本のみを抜いて真っ直ぐに構えた。
「私は碓井貞光。貴女は?」
「私は、清……」
「ほう、貴女があの道成寺の清姫か」
道成寺。嫌な名前を思い出させる。清姫はぼんやりとした視線を貞光に向ける。
「女を斬る趣味はないが、妖とならば話は別。手合わせ願おう」
貞光は一瞬で清姫の間合いに入り込み、刃を上に向けた刀を振り上げた。だが清姫もゆらりと揺れるようにしてその一撃をかわす。そして次の一太刀も後ろに倒れるようにして避け、三度目が振り下ろされる前にその太刀に向かって細い炎を吐き出した。
清姫の口から放たれた緑の灼熱は瞬時に刀を熔解させ、半ばから折れた刀のさっ先が地面に刺さる。だが貞光はすぐさま次の太刀を抜き、清姫に斬り掛かる。
清姫は両腕のみを妖のものへと変化させた。赤みを帯びた硬い鱗に覆われた腕を刀の側面に当て、斬撃をいなす。
そして今度は貞光に向かって炎を吐き出すが、貞光は後ろに跳んで避けた。そして炎の残滓が消える前に清姫の顔へと向けて刀を横から叩き込む。
しかし清姫の牙が太刀を止めた。清姫はそのまま刀身を噛み砕き、折れた刃が飛び散って月に光る。
「ああ、武器がなくなってしまったな……」
あまり困った様でもなく貞光は言い、そして柄を投げ捨てた。清姫も口に残った金属の破片を吐き出して貞光を見る。このままならば容易に焼き殺すことも、絞め殺すこともできるだろう。だが相手は頼光四天王の一人。これだけでは終わる筈がない。
「貞光のおっさん!」
そう叫んだのは、鬼童丸の相手をしていた大男だった。名前は金時と言ったろうか。その金時が投げた何かを、貞光は片手で受け取った。
「ありがたい。やはりこれが最も手に馴染む」
そう貞光が愛おしげに眺めるのは、長い柄を持った鎌だった。柄の部分まで鉄でできているらしいそれを槍のように構えると、貞光は再び清姫と対峙した。
「これはかつて私が大蛇の首を刈った時に使った大鎌でね、十一面観世音菩薩の加護を受けている。先程までなまくら刀とは少し違う」
貞光は一度鎌を後ろに引き、そして一気に清姫に向かって振り抜いた。首元へと迫るそれを何とか屈んで避けた清姫だったが、太刀よりも幾分も早い。力量が先程までとは全く異なっていることは明らかだった。その上、あの鎌自体が妖力を帯びているようだ。
「貴女も大蛇の妖だったね。ならばこれに首を刈られるのも致し方がない。大江山の妖としてこの都を襲っていた以上、貴女は茨木童子と同列だ。生かしては置けない」
清姫は振り下ろされた鎌の柄を変化した両手で掴んだ。そしてそのまま貞光ごと投げ飛ばす。
茨木童子と同じ。それはそうだろう。自分もあの酒呑童子の元にいた妖。命を狙われることなど承知済みだ。それは、あの日身を焦がす程に愛したあの人を自らの手で葬った時から覚悟している。
だが、茨木童子は殺させない。清姫はかつて、酒呑童子と交わした言葉を思い出す。
「儂もな、お前や茨木と同じように元々は人じゃった。そして、儂はかつてお前さんと同じように己の意思で人であることをやめた。儂はそうせねばならなかった。お前もそうじゃろう?」
酒呑童子の言葉に清姫は頷いた。あの時、自分はあの人が許せえなかった。ただあの人に追い付くための体が欲しかった。
それ故に、清姫は蛇道に堕ちた。
「だがな、茨木は違う。あいつは自分で鬼になろうとしていた訳ではないんじゃ。ただ鬼子として生まれ、人として生きて行くことが許されず、あいつは己の知らぬ間に鬼となったのじゃ。故に、初めて出会った頃のあいつは己のことを否としていた。鬼としての己の在り方を知らぬ故にな」
酒呑童子はいつになくしんみりとした調子で言葉を続ける。
「あいつは脆い。じゃがそれは、鬼として生きようとするがための脆さじゃ。茨木童子という、己の中の鬼の姿をいつまでも求め続けているのじゃろう、あいつは」
元は人であり、そして自ら望んで妖となった訳ではないのに、誰よりも鬼としてあろうとする茨木の姿。それは、ただ激情に駆られて自ら蛇体を得、そしてそのまま己の在り方を曖昧にしている自分とは対照的だと、清姫は思う。
「じゃがな、あいつは脆くとも強い。それは儂が認めておる。いつかは儂もこの世から消えることじゃろう。それでもあいつは一人で生きて行けるはずじゃ。あいつは、この酒呑童子の右腕、茨木童子なんじゃからな。しかし」
酒呑童子は大きな口を微笑ませ、清姫に言う。
「なあ清、もしその時お前さんが生きていたのなら、あいつを支えてやってくれ。お前とあいつは真逆じゃが、それ故に清はあいつとともにいてもお前にとっても、あいつにとっても苦痛にはならぬと思うのからのう」
清は静かに頷き、そして口を開いた。
「それは、ずっと遠い日のことのように思えます」
「まあな、儂だって簡単にくたばるつもりはない。じゃがな、茨木も清も儂にとっては子のようなものじゃ。子の行く末の案じぬ親などどこにいる?」
そう酒呑童子はいつものように豪快に笑った。
この日の酒呑童子の言葉が、自分にとって契りとなっているのかもしれぬ。清姫は一度瞬きをする。
持ち上げられた瞼の下の瞳は、細い蛇のものへと変わっている。
ならば、その契りを守るまで。茨木童子は死なせない。清姫の口から緑色の火炎が迸った。
火炎柱が夜を緑に染める。貞光はかろうじて清姫の炎を避けるが、その炎の中から大蛇と化した清姫が突っ込んで来る。貞光の頭部へと鱗に覆われた腕が伸び、顔を掴む。
「私は、今はまだ死ねないの」
そのまま握り潰そうと力を込めるが、貞光も握った大鎌を正確に清姫へと叩き込む。脇腹に刃のさっ先が食い込み、思わず力が緩んだ。
「それに私が従う道理はないのでね」
清姫の腕から逃れた貞光が鎌を振り回す。それは的確に清姫の首を狙うが、清姫は変化した蛇体をくねらせて尾を貞光の腹に叩き付け、軌道を逸らした。掠めた刃が清姫の首を掠め、赤い血が緑の炎に消える。
そのまま尾で貞光を弾き飛ばすが、貞光も地面に叩きつけられる前に左手で大地を押し、体勢を立て直した。その貞光に蛇体の女が迫る。
自分に向かって放たれた矢を右手で掴んだ朱雀門の鬼は、それをそのまま握りへし折った。そして左手で腰に下げた竹筒を取り出す。
「そなたがかの有名な朱雀門の鬼か。武人として、一度やり合ってみたかった相手だ。このような機会を得ることができ、実に喜ばしい」
左手に弓を持った頼光が不敵な笑みを浮かべてそう言った。ゆったりとした動作で矢筒からまた一本矢を取り出し、弦につがえる。
「私も、貴殿のような一時代を築いた武士と相見えることができ光栄だ」
再び放たれた矢は、朱雀門の鬼の竹筒より出でた水によって止められた。その水は次第に形を成し、矢を掴んだ水虎の姿となる。
「亡骸を操るか、噂通りだ」
水虎が咆哮を上げ、頼光へと突進する。頼光は素早く反応し、矢を水虎に向かって射った。それは水虎の眉間に突き刺さり、一瞬その動きを鈍らせる。
頼光は太刀を抜くと擦れ違いざまに水虎を真っ二つに切り捨てた。倒れた水虎は液体に戻り朱雀門の鬼の竹筒に吸収される。
「やはり傀儡ごときでは止められぬか」
朱雀門の鬼は鬼の姿を露わにし、右腕に纏った鎧で頼光の太刀を受けた。流石に素手ではこの男の太刀は防げぬだろうと思ったが、それは予想の通りだったようだ。刃が鉄製の、更に鬼の妖力の通った鎧に食い込んでいる。
「腕ごと首を獲るつもりであったが、そうは行かぬか。いやはや、楽しいな」
頼光はそう笑い、朱雀門の鬼が新たに出現させた翼のある蛇の妖、化蛇の亡骸を一刀の元に切り捨てた。だが液状化した化蛇は彼の周りで渦巻き、視界を奪う。
「無意味!」
頼光が横に刀を一閃すると水は飛び散り、雨のように地に落ちた。その向こうから朱雀門の鬼の爪が迫る。頼光は刀の側面でそれを受ける。
「亡骸を遣うだけではない、か」
「私も鬼だからな」
朱雀門の鬼はもう片方の腕の鎧を頼光の頭部に向かって叩き付けるが、頼光は後退してそれを避け、更に刀を持ったまま矢を射った。至近距離から放たれたそれは朱雀門の鬼の右肩を貫く。朱雀門の鬼は短く息を吐いた。
「ただ茨木童子の腕さえ手に入ればよいのだがな」
朱雀門の鬼は矢を引き抜き、そう呟いた。頼光の相手をするのは骨が折れそうだ。振り下ろされた刀を防ぎながら朱雀門の鬼は思う。
だが、この化け物じみた人間たちの隙を見つけるのは予想以上に難しいかもしれぬ。
朱雀門の鬼は茨木童子を見る。彼はその腕を失う要因となったあの男と戦っている。
武将紹介
・源頼光
多くの妖怪退治の伝説を持ち、史実では摂津源氏の祖。二十余年という長期間にわたり東宮時代の三条天皇に仕えた平安時代中期の武将。彼の伝説としては大江山における酒呑童子討伐の他、巨大な蜘蛛の化け物とされる土蜘蛛、酒呑童子の息子であるとされる鬼童丸等と戦い、その首を獲ったという伝説が残る。また、実際の記録においても大江山の夷賊を追討したというものが残っている。
後世の創作においては頼光四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)という家臣がいたとされ、彼らも頼光とともに、そしてときにはそれぞれで妖怪と戦い、退治したという伝説を残す。
・碓井貞光
頼光四天王の一人であり、頼光と同じく平安時代中期の武将。四天王とともに大江山にて酒呑童子討伐に赴いたという伝説がある他にも相模国碓氷峠付近の出身とされる彼が帰郷した際、碓氷峠に巨大な大蛇が住み付いていた。そこで十一面観世音菩薩の加護のもと大鎌を振るって大蛇を退治し、碓氷山定光院金剛寺を建立し、そこに観音菩薩と大蛇の頭骨を祀ったという伝説が残る。
また滝夜叉姫と言う名の女盗賊、又は鬼女に纏わる伝説もある。筑波山に巣食う滝夜叉姫という鬼女(平将門の娘でもある)に頼光の宝刀「髭切」が盗まれた際、警備をしていた同じく四天王の卜部季武が頼光の怒りを買い流浪の身となった。貞光は彼を助成し共に筑波山へと赴き、共に滝夜叉姫を打ち破って髭切を取り返すといもので、神楽などで演じられている。
また、次に紹介する坂田金時に関して、足柄山において金太郎を見出し、頼光の元へと連れて行くという役割を与えられている。
・坂田金時
言わずともしれた金太郎その人であり、平安時代中期の武将。多くの伝説を残しており、出生の伝説では母親が山姥というものが有名である。また父親は雷神、赤い龍とされるものもある。
怪童丸と呼ばれていた幼少時から力が強く、熊と相撲をして勝ち鉞を担いだという。その鉞は母親から与えられたという説もある。前述したように貞光(頼光であることも)に見出され、足柄山から都へと渡った後、頼光の元で大江山における酒呑童子討伐に参加し、戦果を上げたという。




