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― 黄泉夜譚 外伝 ―  作者: 朝里 樹
因縁と劒
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因縁と劒 (三)

 綱は目の前の男が何を考えているのか読まんとして、そしていつもの通りに諦めた。綱よりも一回り年を経た外見をしている白い肌の男は、笑みを作るようにに口元を緩ませ、綱に言う。

「そうですか。腕はもうよろしいのですか」

「はい、それで占朴の結果はいかがだったのでしょう、晴明様」

 呼びかけられた陰陽師は、答える前に後ろに控えていた童に命じて箱を持って来させた。綱にも良く見覚えがある、あの茨木童子の腕が収められたものだ。

 頼光に勧められ、綱は安倍晴明の元を訪れていた。謎は多いが、九尾の狐や死神等の妖たちとも親交があり、かつて大江山での戦の際にも世話になった男だ。

 見た目こそ若いが、この男の齢は既に百を超えているという。本人はそれは母が妖である故だと言っていた。半人半妖である彼は公には既に死したことになっているが、一部の人間のみ彼の存在を知っている。そして稀にこうして彼の力を借りに訪れる。

 薄暗く、少し外より冷えているように感じられる晴明の屋敷の一角。そこには屋敷の主の他、綱と二人の童以外には何もない。ただ柱に訶梨勒(かりろく)の香を入れた小袋が掛けられており、その香りが湿った空気に乗って漂って来る。あの童も、恐らくは式神であろう。

「この腕には確かに未だ妖力が残っておりますね。恐らく、あの鬼の肩とこれとを再び繋げる術はあるでしょう。それに、私にはあの鬼がこの腕を取り返すため現れる未来が見える」

 晴明はあくまで穏やかな声色で言い、そして綱に一つ木札を差し出した。

「これを戸に貼り、七日の間物忌なさい。さすれば鬼は貴方の家に入ることはできない。その間にその腕の傷も治癒するでしょう」

 晴明にまだ傷が癒えていないことを看破され、綱は口籠る。確かに未だ傷口が疼いており、全力で武器を振うのは難しい。

「では、もし鬼が現れても、私にそれを見逃せと仰られるか」

「近頃の鬼は都のものを襲ってはいません。わざわざ刃を抜いて相手を昂らせる方が危険。いらぬ争いを引き起こす原因になります。くれぐれも、自らの中の激情に流されぬように」

 晴明は言い、そして茨木童子の腕が入った箱を綱の方へ差し出した。綱はそれを受け取り、忌々しげに眺める。そして、晴明に目を向けた。

「失礼致しました。では私はこれより物忌に入ります」

「はい。決して戸を開けないよう、肝に銘じておきなさい。それが貴方のためです」

 綱は深く礼をし、その場を去る。晴明の住居を出ると、その影から待ち構えていたように金時が現れた。体格の良い頼光四天王の一人は、綱の隣を歩きながら問いかける。

「どうだった?占いの結果は」

「七日の物忌だそうだ。仕方あるまい」

 金時は「ほう」と腕を組みつつ、綱に疑いの目を向けた。

「何だ。言いたいことがあるなら言え」

「綱が七日も大人しくできるのかと思って。鬼が来たらすぐ切りかかりそうだ」

「私も、辛抱ぐらいはできる」

 綱は笑みを見せることなくそう言った。だが、相変らず金時は首を傾げている。まだ納得行かぬのかと綱が彼を睨むと、逆に金時が笑みを見せて綱に言う。

「まあ、危なくなったら俺たちが駆け付けるからな。安心しとけ」

「お前も辛抱が足らんな」

 綱は溜息とともにそう吐き出した。この若い武士も体を持て余している。妖たちがこの都で暴れ回り、そしていなくなって数年、頼光とその四天王の仕事はめっきりと減った。それ故にこの男も退屈なのだろう。

「しばし待て。また、鬼たちと戦わねばならぬ日がすぐに来るさ」




 酒呑童子の首が、目の前に転がった。両腕で抱えられるほど大きなそれは、真新しい血を滴らせながら彼の右腕である茨木童子の前に、最後の別れを言うかのように落ちた。

 主が死んだことをすぐには理解できなかった。茨木は戦の中で、ただ茫然と立っていた。いつものようにその主の顔が豪快に笑い出すのを待った。だが、それが叶わぬことは明白だった。

 茨木童子は今までにない怒りを感じ、そして両腕の刀がそれに呼応して灰色の霆を纏う。長い時を生きてきて、これほどまでに怨嗟を感じたことはなかった。

 茨木は両の太刀を振るい、ひたすらに大江山を襲ったものたちを斬り殺した。どれだけの屍が積まれようとも、彼の怒りは収まらなかった。

 そして、あの渡辺綱と対峙した。酒呑童子を殺した憎き伊耶那美をその手に掛ける、その前に立ちはだかった彼を切り捨て、そのまま進むつもりだった。だが、切り裂かれたのは綱ではなく、茨木の左腕だった。

 其の時、茨木は大江山の鬼たちが負けたことを悟ったのだ。それは全てを失った瞬間だった。




 茨木は目を覚まし、そして頭を押さえた。またあの夢を見た。かつての敗北の記憶。綱と再び交えたせいか、より夢が鮮明になっている。

 あの記憶は忘れてはならぬもの。だが、夢に見る度に心と体が締め付けられる思いがする。そして目を覚ませば、改めて喪失の痛みを知ることになる。

 あの大江山で失くしたものを、ひとつでも取り返せるのなら。茨木は思う。その可能性を、朱雀門の鬼は与えてくれたのかもしれぬ。

「起きたか、羅城門」

 近くに立っていた朱雀門の鬼がそう言い、また竹筒に入った薬を投げて渡した。茨木は頭を押さえていた右手を伸ばしてそれを受け取り、そして問う。

「ああ、眠っていたようだ。元興寺の鬼はまだか」

「ちょうど、今来たようだぞ」

 朱雀門の鬼の言葉に、茨木は楼の外に目を向ける。朝の陽ざしの向こうに、九つの首を持つ鳥と、その背に乗った妖の姿が見える。




「急な呼び出しで驚きましたぞ、朱雀門様」

 朱雀門の鬼が鬼車を放ったその翌朝、帰参した傀儡(くぐつ)の背に乗っていたのは、僧衣を頭から被った痩せこけた男の姿だった。

 鬼車の背から飛び降りたがごぜと思しき鬼は、一瞬体勢を崩してかろうじて堪えた。朱雀門の言う通り、どうやら体力に秀でた鬼という訳ではないようだ。だがその目には底知れぬ不気味な光が見えると茨木は思う。

 がごぜは幾度か朱雀門の鬼と言葉を交わした後、茨木らの方に目を向け、言う。

「それで、貴殿らが文面にあった大江山の鬼たち、ということか」

「俺は違うぞ、禿」

 茨木が口を開こうとしたが、先に反応したのは鬼童丸だった。がごぜがむっとした顔で半鬼を睨む。

「なんじゃこの生意気な童は」

「良いか禿、俺は大江山に行ったこともないし、興味もない。良く覚えとけ禿」

 自らの憎む大江山の鬼と一括りにされたのが余程嫌だったのか、がごぜの名をまだ知らぬ故か、鬼童丸は辛辣な言葉を痩せた鬼に浴びせる。

「若造が……、わしは六百年を生きる鬼ぞ!」

「何だよ、やるか?」

 鬼童丸が腰に佩いた太刀に右手を置く。それに対してがごぜも懐に手を入れるが、茨木は右手で鬼童丸を制した。

「やめろ。誰かれ構わず突っ掛かるお前の態度は、いつか己を滅ぼすぞ」

 鬼童丸は鋭く茨木を睨むが、大人しく刀から手を放して引き下がった。そのまま憮然とした表情で床に座り込む。茨木はそんな彼に向かって頷いた。ここで鬼同士が争っても何の意味もない。

「がごぜ、お前は変化の術が得意であったな」

 若い半鬼と痩せた鬼の諍いを静観していた朱雀門の鬼が問う。がごぜは未だ警戒するように鬼童丸を見ていたが、朱雀門の鬼の方へと瞳を動かして頷いた。

「ええ。それで、わしは何をすれば宜しいんで?」

「簡単なことだ。渡辺綱は知っておろう?その乳母の姿に化け、やつからその茨木童子の腕を取り返してくれれば良い」

「渡辺綱ぁ!?」

 がごぜは露骨に嫌そうな顔をする。だが朱雀門の鬼は表情ひとつ変えない。

「綱と言えばあの妖切りの化け物でしょう? それをわし一人でどうにかせえと?」

「私たちも後ろに付くつもりではある。だが、戦わずに取り返せるのならばそれが最も簡単だ。綱であろうとも、育ての親の前では油断もするかもしれぬ。あやつらは強い。無駄に争う必要もなかろう。それに」

 朱雀門の鬼は楼の中に佇む他の四つの妖を見渡す。

「もし戦となれば、あちら側には頼光とその配下四天王がいる。そしてお前がいればこちらも五。頭数では同等だ」

 がごぜは溜息混じりに朱雀門の鬼に言う。

「やっぱり戦わせる気なんじゃないないですかい。わしは力仕事は苦手ですぜ」

 朱雀門の鬼が送った文には、そのような内容は書かれていなかったのであろう。書けば来訪を拒むと考えたのか、それとも書かずとも承知すると知っていたのか。

「すまないな、がごぜとやら。力を貸してくれはしまいか」

 茨木がそう言うと、がごぜは仕方なしという風に頷いた。仮にも数百年を生きた鬼。それなりに根性は据わっているのだろう。

「茨木童子殿、か、貴殿のことは聞いておる。大江山における出来事は不運であったな。人と鬼との因縁は切れぬものだからのう」

 かつて人の子を襲い、そして人の子に退けられた鬼はそう感慨深げに言う。がごぜはひとつ深い溜息を吐くと、顔を上げた。

「よし、分かり申した。わしも鬼じゃ。たかが人を恐れたりはせん。鬼として、鬼のため、存分に力を振わせてもらおうぞ」

「ああ、頼りにしている」

 茨木は少し口の端を緩めてそうがごぜに言い、そして未だ憮然としたままの鬼童丸を振り返る。

「お前もだぞ、鬼童丸」

「あんたに頼りにされても嬉しくないな」

 鬼童丸は茨木から目を背け、そう言った。そんな半鬼をちらと見てから、今まで黙していた清姫が茨木に視線を向ける。

「それで、決行は?」

 茨木は頷き、そして答える。

「明日の夜にしたい。できるならば、綱の腕を癒す時を与えたくはないからな」

 そう言いながら茨木童子は自らの右腕を見た。もうほぼ痛みはない。朱雀門の鬼の薬が良く馴染んでいるようだ。自分のために多くの妖が力を貸してくれる。それに素直にありがたいと、片腕に鬼は思う。

 これならば明日には存分に刀を振える。次の戦いはかつての己を取り戻し、そして末末(すえずえ)の己のために。



異形紹介


・がごぜ

 漢字で表記すると「元興寺」となり、かつてこの鬼が現れた寺の名前がそのまま名前となっている。がごじ、ぐわごぜ、がんごう、がんごなど他にも様々な呼び方が見られる。

 飛鳥時代に元興寺に現れたという鬼で、夜な夜な寺の鐘楼の童子たちを襲い、殺害していたところ、自ら名乗りを上げて鐘楼へと現れた雷神に授けられた童子によって髪の毛を掴まれて明け方まで引き摺られた末、頭髪を引き剥がされて逃げ帰ったという。その血痕を辿って行った結果、かつて元興寺で働いていた無頼な男の墓へと続いていたため、この男が鬼になって現れたのだろうとされた。このがごぜの頭髪は元興寺の宝物となり、また童子は後に道場法師になったという。

 平安時代には『日本霊異記』や『本朝文粋』に元興寺に現れた鬼の話が伝わっており、その時点では名前はなかったものの鳥山石燕の『画図百鬼夜行』や『化物づくし』、『百怪図巻』などにおいては僧姿の鬼として描かれており、そこに「元興寺(がごぜ)」と名付けられていたため、現在ではがごぜと呼ばれているようだ。また「がごぜ」はお化けを意味する幼児語として使われることもある。

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