アイツ
─こんなところで寝たら、風邪ひきますよ。氷壁さん─
思えばアイツは、いつも俺の心配をしていた。俺がどれだけ夢職の仕事を成功させても、アイツはどこか不安定な俺のことを、分かっていたのかもしれない。白にも、黒にもなりえるグレーの心を持つ俺は、アイツにとっては目を離せない存在だったのかもしれない。
ずっと一人だった俺に、アイツはずっと側にいると言った。
それが嬉しかった。初めて誰かに寄り添ってみたかった・・。
優しいアイツ。
頼れるアイツ。
俺が殺してしまった、アイツ・・・
「これが最後のところかぁ・・ここにもいなかったら、どうすんだよ?氷壁」
「一から探すに決まってんだろ」
すでに二つの場所に行ったが、どちらもハズレ。二人の頭には、三つともハズレという最悪の結果がずっと過ぎっていた。
「・・氷壁よ、大丈夫か?」
芥川の唐突な質問に、淑は鼻で笑った。
「大丈夫って、何が?」
「いや・・だからさ・・烏と会えたらお前さ、プッツンしちゃうんじゃないか?」
淑が首を振る。
「それはない。一回烏に会ったが、俺は冷静だった」
「薫のことを言われても、冷静でいられるのか?」
返事が返ってこない。沈黙は、随分長い間続いた。
まずいことを聞いてしまったか・・芥川は、いつだって後悔することを言ってしまう。
「問題ない」
小さいが、はっきりとそう聞こえた。
「ならいいけどさ・・」
不安な空気が淀む中、二人は最後の場所にたどり着く。
開発に失敗した街は、ちょっとしたゴーストタウンになっている。その中でも不気味にそびえ立つ、古びた建物があった。
色あせ、わけの分からない植物が、建物の壁にへばり付くように咲いている。足を踏み入れるのもご免だ。
「まぢでここ?」
芥川の顔に「入りたくありません」とはっきり書かれている。
「行くぞ」
「・・はいはい」
年下の淑を先頭に、腰が引けてる芥川が後を行く。
こいつ、よくビビらず入れるよなぁ・・・
「クソッここもハズレか?」
ドアもない部屋を一つずつ確認するが、空だ。淑の機嫌が悪くなる。
「ハズレならそれでいいからさぁ・・早いトコ出ようぜ」
あの時覚悟した、芥川の心は一体どこに行ってしまったのだろう。
「もう少し見るから、待ってろ」
淑の顔に「足手まといだ」とはっきり書かれている。
「おい、待てよ」
慌てて芥川が部屋に入ろうとした瞬間。ありもしないはずの扉が、淑が入った部屋を塞いだ。
「え・・??」
芥川の目は点になり、淑の目は瞳孔が開いた。
「ど、どうなってんだ?!」
芥川が叫ぶ。しかし、淑の声は聞こえない。
「おい、氷壁!!!」
扉を叩くが、無意味だ。完全に塞がれてしまっている。
芥川が辺りを見回す。すると、暗い廊下の向こうから、足音が近づいてくる。
誰か来る・・。彼に緊張が走った。
「どうなってんだ?」
あくまで冷静な淑は、突如現れた扉をじっくりと見た。
幻覚ではなさそうだ。じゃ、何かの罠か?
「いらっしゃい・・地獄へ」
暗くなった部屋の隅から、一人の男が現れた。
青い目が、この暗闇でも不気味に光っている。
「誰だ?」
「オレ、聡明言うんや。あんた、淑やろ?」
淑は黙って頷く。
「烏がえらい気に入っとった奴やから、一度会って見たかったんや」
「へぇ・・で?見た感想は?」
聡明は苦笑いした。
「せやなぁ・・もっと強い奴かと思ったわ。拍子抜け」
「まだ戦ってもいないのに、分かるのか?」
「勘やけど」
今度は淑が苦笑いした。
「勘か・・俺も拍子抜けだよ。烏の仲間名乗るんだから、もっと強い奴だと思った」
二人の間に流れる殺気は、虫一匹寄せ付けないほど鋭い。
「じゃ、確かめてみるか?」聡明が構える。
「そうするよ」淑も同じく、戦闘態勢になった。
アイツの目は、どんなときも穏やかだった。パートナーとして一緒に夢に入って、そこで大変な目に遭っても、その目はずっと穏やかだった。
何でも笑い飛ばしてしまう。アイツは本当に強い奴だったんだ。
俺にはなくてはならない存在。こんな奴に会えたのは、烏以来だった。だから、烏はアイツを狙った。烏にとってアイツは、きっと最も恐れる奴だったんだろう。
─大丈夫ですよ。氷壁さん─
俺が駆けつけたときは、アイツの体からは大量の血が流れていた。それでも大丈夫と言った。しかも、笑顔で。
動揺する俺の手を握り、喋るなと言っても喋り続けた。
─氷壁さんは、強い人です。その心は、絶対に染まらない。自信を持って─
それが、俺が見たアイツの最期の笑顔。
失ったものは大きすぎて、後悔となり、俺に課せられた十字架となった。
アイツのことを思い出すと、自分の中にある怒りが甦る。
アイツを殺した烏に対する怒りが・・
アイツを守れなかった自分に対する怒りが・・