エンプーサの囁き 3
今までとは一転した形相で、押し殺した声には殺気が含まれていた。
普通の人間ならばそれだけで足がすくむか、気を失っているだろう。
「オレはずっといたけどね」
影の主は何ごともないように答えを返した。
女主人の殺気は相殺されていた。と言うよりも、逆に押し返されていた。
殺気でもなく、なにか圧倒されるような別の大きな力に。
女主人は無意識に後ろへ下がっていた。
窓からのぞく『黄金の月』の光りに照らされ、影の主はその姿を現した。女はなぜか平伏したい衝動にかられた。
身長の割には華奢で、伸びた前髪の間からは金色の瞳がのぞく。不適な笑みを浮かべ前髪を掻き揚げながら歩み寄ってくる。そしてアヴィのベットに腰をおろした。女とアヴィを隔てるように……。
「旨かったか? この宿に泊まった人間は……」
その言葉に、一瞬身体が金縛りのように締め付けられる気がした。まるで見えない糸に絡まれたように、鋭く、そして冷たく……。
そんな中、やっと口から搾り出せた言葉は、彼女にとっても意外な問いだった。
「……お前は、人間か?」
意表をついた問いに、彼は不機嫌な顔になった。
「失礼なババアだな!人外なのはお前の方だろうが!!人を化けもんみたいに……お前やパセと同類に扱われちゃぁ、たまったもんじゃ……」
そこまで言いかけた時、後頭部に硬いものが投げ付けられた。
がん!!
「黙って聞いていれば、血の繋がった兄弟を化け物と一緒にするなんて。オラージュ、後でひどいですよ!」
ベッドの上に起き上がったパセが、後頭部の痛みでうずくまる彼を冷ややかな目で睨んでいた。
「なっ?! わ、私の『術』で、しばらく身体が動かないはずなのに……」
驚きを隠せない彼女に、パセはさらりと答えを返した。
「不浄なものはすぐ浄化してしまえるんですよ。とくに、貴女達の『毒気』とかはね」
「けっ。十分人外じゃん……」
ごん!
毒づいたオラージュの後頭部にまた置き物が飛んだ。
「い……ってぇじゃねえかっ!!」
潤んだ目で後頭部を押さえながらパセに食って掛かる。
「あ、あんた達、何者だい?!」
まだ気圧されたままの女主人は、二人に向かって精一杯声を張り上げた。
「……何って、通りすがりの旅の僧侶ですが?」
パセはとぼけたような答えを返した。
「根性悪がプラスされるがな……」
「……オラージュ、君は『兄』をなんだと思ってるんだい?」
涙目のままオラージュはパセと睨み合った。
おいおい、相手が違わないか?と、そんな緊迫(?)した中、ぐーすか寝てる奴もいるが。
その言い合いをしている2人の隙をつくように、女主人はベッドのアヴィに襲い掛かった。阻止しようとしたオラージュの間をぬって、女主人はアヴィを奪い取った。鷹のような鈎爪でアヴィを抱き、背中から生やしたコウモリのような翼で部屋の中空に浮いていた。
「エンプーサ……」
その姿を見てパセは呟いた。
「せっかくの食事を邪魔しおって……。悪夢にうなされている人間の血を啜るのが、私の一番のごちそう……。それを邪魔しおって!」
「だからって、誰が大人しく餌になるかってンだ!!」
言い終わる前にオラージュは踏み込んでいた。
天井近くまで軽々と飛び上がり、振りかざした拳は容赦なく彼女の頬を殴りつけた。その勢いのまま、床に叩き付けられ大穴を開けた。
抱いていたアヴィは手からすり抜け、ベッドの上にいたパセの腕に受け止められた。
そんな事があっても、エンプーサの『術』のせいなのか、それとも何ごとにも動じないアヴィの性質なのか一向に起きる気配はなかった。
「う、うう……」
よろよろと起き上がる彼女に、『手加減』と言う事を知らないのか、オラージュは表情もかえる事なく近寄った。
「ま、まさか……お前達……でも、そんなはずは……」
驚愕の表情で、彼女は必死にオラージュの瞳から逃れようと、身体を引きずりながら窓際へと移動した。
「オレ達って、有名人?」
指の関節を鳴らしながら、陽気にパセに尋ねる。
視線は外さない。
見下すように相手を射る視線は、金色の矢。おどけた表情をしてはいるが、オラージュから漂う鬼気に彼女は、自分が心底震え上がっているのがわかった。
「容赦ない君の悪名が、妖魔達の間でうわさにでもなってるんじゃないですか?」
そんな緊迫した空気の中まだ根に持っているのか、うなされながら寝ているアヴィの頭を撫でながら、さらりと答えた。
「……ぜってー、虫も殺さないような笑顔で切り捨てる、妖魔以上の性悪金髪坊主のうわさだっ!!」
オラージュが負けじと言い返す。
「「……ふふふふふふ」」
お互い引きつった笑いを浮かべながら、一触即発の空気が二人の間に流れる。
そんな事で口げんかしている場合ではないと思うのだが……?
その隙を逃すはずもなく、彼女、エンプーサは黒い翼を広げ、窓をやぶり外へと飛び出した。
「!」
壊れた窓から、生暖かい風が吹き込む。
「……っっのぉ!」
とっさにオラージュは反応していた。
即座に壊れた窓から飛び出し、散った窓枠の破片を掴み、彼女目掛けて投げ付けた。それは迷う事なく、彼女の翼を射抜いた。
『ぎゃああっ?!』
地面に叩き付けるように落ちた彼女は、打ち付けた身体と翼に突き刺さったままの木枠にのたうち回った。
じゃりっ
すぐ側で、土を踏みしめる音。
「さ~って、どうすっかな?」
抗う事も許さない金の瞳が、彼女を見下ろしてそう告げる。
この瞳から逃れる事は、やはり不可能だったのか……。痛みよりも、『恐怖』が勝っていた。その時、
「封印しましょう」
宿屋の方からゆっくりと歩いて来たパセが言った。
「ああっ?!」
不服そうなオラージュにパセは続けた。
「アヴィは眠ったままで、剣は使えません。まして、君に任せたら力技でバラバラ……ってとこでしょう?」
恐ろしい台詞をこともなげに言って、彼はオラージュの前に出た。
見えない恐怖から這ってでも逃げようとする彼女を前に、静かに告げた。
「貴女には今までの酬いとして、一生この土地を護っていただきますよ……」
そして経文でもなく、歌のような聞いた事もない言葉を口ずさみはじめた。この国でも、ましてやこの大陸中でさえ聞いた事がないであろう、その『言葉』は、徐々に彼女の身体を見えない糸で縛るかのように、呪縛しはじめていった。
「?!っ……くっ!!」
口から悲鳴すらあげる事もできず、苦悶の表情で目の前の男を見る。
彼女の表情とは反対に、まるで子守唄でも歌っているかのような穏やかな彼の周りには、淡く優しい光が包み込んでいた。その光が彼女へ向かってじわじわと伸びてくる。
エンプーサは無意識に身をよじった。動けるはずもないのに……。
(『あれ』に捕まったら……!)
『唱い』続けるパセから放たれた光は、彼女を包み込むと一瞬強い光を放ち、何ごともなかったように消え失せた。パセの『唄』も……。
そしてそこには一つのエメラルド色に光る握りこぶし大の石が落ちていた。
オラージュは石を拾い上げた。
「壊すなよ」
パセはそう一言声をかけた。
「しねーよ!」
二人はゆっくり宿屋の方へ歩き出した。
月明かりは優しく二人に降り注いでいた。
「うわあああああああん!!」
「おわっ?!」
部屋の扉を開けると、いきなり夢から醒めたアヴィが泣きながら飛びついて来た。
「トカゲがっ! トカゲが襲ってくるよぉぉぉぉぉぉっ!!」
ただ泣きわめくだけのアヴィに、経緯を説明しようが泣き止む気配は一向になかった。
「パ~~~~セ~~~~~~ェ」
困り果てたオラージュが、助け舟を頼もうと横を見ると、彼はさっさとベットに入ろうとしていた。
「ちょーっと待てい! 人に押し付けて寝るつもりかっ?!」
怒りをあらわにする彼に、パセは背を向けて答え返した。
「そうなったアヴィを鎮められるのは君だけだろう? 後はよろしく……」
そう言ってさっさと布団をかぶってしまった。
オラージュは真っ赤になりながら言い返す事もできず、少しの間パセへの怒りと、アヴィの状況におたおたしていたが、いきなり意を決したように泣き続けるアヴィを抱えて外へ飛び出した。
「……別に、ここでもいいのに」
ベッドの中でパセはそうつぶやき、笑いを堪えていた。
しばらくして外から聞こえていたアヴィの泣き声は、いつの間にか止んでいた。
そして代わりに、一晩中澄んだ歌声が村中に微かに流れていた。
まるで母親の腕の中で子守唄を聞かされ眠るような、優しい歌声が……。




