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大陸奇譚  作者: 和泉ナギ
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エンプーサの囁き 2

 日はすでに山の頂上に差し掛かり、一日を終えようとしていた。

 予定より遅れて草原を越え、次の目的地に行く為に越えなければならない川に差し掛かった時には、日は山の頭から僅かに顔をのぞかせているだけだった。

「たしか、川沿いに村があるはずですね。今日はこの辺に一晩泊めてもらいましょう」

 そう言ってパセは辺りを見回した。

 すると、川岸の渡し場で後片付けをしている老人をみつけ、声をかけた。

 アヴィは大きな葉を日傘代わりに、クルクル器用に回しながら後をついて行った。日が沈みかけてもまだ気温は高い。

 そんな中、アヴィの懐でオラージュは眠り続けていた。

 パセが老人に宿を訪ねると、村はずれの一軒の家を紹介してくれた。人の良い未亡人が一人でやっている小さな宿があると言うのだ。礼を述べ、アヴィを伴って教えられた方へと歩き出した。

 その時だ、実に珍しい事が起こったのは。

 アヴィの懐で眠っていたはずのオラージュが、突然飛び起きたのだ。

「どうしたの?」

 驚いたアヴィが歩みを止め、尋ねた。

 珍しい出来事に、パセも覗き込む。

 貧血症で、低血圧の彼が、自分からハッキリと目覚める事は『ない』に等しい。いや、一つだけ……。

 まあ、これは後で話すとして、オラージュの全身の毛が逆立っていた。

 本人(リス?)さえ驚き、辺りを見回している。

「なにか……悪寒が。……ここ、何処だ?」

 場所を聞くあたり、今までよく眠っていた事が伺える。

「プランレーヌ川まで来たんだけど、予定より道草食ったからこの村に泊まろうと思ったんだけど……「マズイ」かい?」

 パセはオラージュに尋ねた。

「お前の方が専門だろう?オレのは『勘』。……でも、この『気』……」

「毛が逆立ってる~~~~♪」

 首元を撫でるアヴィの手に、オラージュは思わず気持ちよさそうに咽を鳴らしてしまった。我に返ったオラージュは小さな手でアヴィの顎にアッパーをくらわす。

 緊迫感は何処に……。

「やめんかっ!!気持ちい……、じゃなくって!!うっとおしい!!!」

 2人の漫才を無視するかのように、パセは言った。

「今晩泊れる所、ここしかないんだけど?」

 困っている様で、(絶対)困っていない顔をしたパセは、村のはずれの一軒の家を指し示した。

 しかし、殺風景な村だ。

 民家は多くもなく少なくもなく。

 日が落ちるとはいえ、あまり人に出会わないと言うか、それよりも若い人を見かけないのだ。過疎の村なのだろうか?

「何も、自分から檻に入ンなくったって……」

 オラージュが露骨にイヤな顔をする。

「そこまで解って見過ごすなんて、神に仕えるものの言葉とは思えませんね」

「仕えてるのはお前だけだよ!」

 ころころと笑いながら歩き出したパセの後を、黙って聞いていたアヴィは慌てて後を追って歩き出した。

 オラージュはアヴィの懐に奥まで入って、宿についても顔をなかなか出さなかった。



 パセ自身、僧侶と言う事もあってか、宿屋の女主人は大層な歓迎をしてくれた。

「近頃、あちらこちらで妖獣が暴れているとは聞いておりますが、幸いこのあたりはさしたる被害もなくすんでおります。これもひとえに神と、お仕えする神殿の方達のおかげと思っております」

 女主人は手をあわせ祈った。

 急な客に、女主人は何もないと言いながらも十分な料理を出してくれた。食事の最中は、アヴィがここへ来るまでの経緯をいつもの調子でしゃべった。

 屈託のないアヴィのしゃべりに、まるで子供の冒険談を聞く母親のように、相槌をうちながら最後まで聞いてくれた。

「今夜はゆっくりお休みください。なにぶんここは田舎、静かな事だけがとりえのようなとこですから」

 笑って女主人は食事を終えた2人を部屋へと案内した。

「この辺りでは、妖獣の被害はないのですか?」

 部屋へ歩きながらパセは女主人に尋ねた。

「これといった話はないのですが、近頃、村で子供達が亡くなるのが続きまして……。朝起きてこないので、様子を見に行ったら、何か恐ろしいものでも見たように苦しそうな顔をして死んでいたとか……。これも何かの妖獣の仕業なのでしょうかねえ?」

 そう言って、女主人はアヴィを見た。

「皆まだ、これぐらいの年の子ばかりで……。子供達もだけど、残された親達も可哀想で……」

 女主人はそう言って目頭を押さえた。

「……・・」

 部屋の前でパセが明日の出立時間を伝えると、女主人は挨拶をして自室へ去った。

 部屋に入る早々、疲れもあってか、2人はベットに入り眠った。



 夜半近くになると、雨がぱらついてきた。

 雨は、夜の闇をさらに引立てるかのように降り、あたりを黒い闇へと誘う。

 村には獣や家畜、虫の声さえなく、ただ雨の音が響くだけ。

 まるで無人の村のように……。

 そんな中、平和な寝息をたてる2人がいた。

 パセとアヴィだ。

 そのアヴィが、しばらくするとベッドの中で微かなうめき声をあげていた。

「ん、……うう……・」

 シーツを握りしめ、額には脂汗まで滲んでいる。どこか苦しいのか、それともイヤな夢でも見ているのか。普段の様子からは見る事の出来ない表情に、涙さえ浮かんでいる。

 アヴィはこの10年、良く夢にうなされる。

 どんな夢を見ているのかは、当人も起きれば忘れてしまうと言うので、未だ不明のままである。ただ、『2人の兄』がその姿に気付き、優しく抱いてやるしかないのだった。

 しかし、その日に限ってパセは寝息をたてたまま起き上がる様子もない。

 雨の音にかき消されているとは言え、この様子に気付かないとは……?

 その時、そのアヴィの傍らに立つ者がいた。

 宿の女主人だった。

 いつの間に部屋に入ったのか。女主人の部屋まで、アヴィの声が届いたのか?

 いや、では何故パセは……?

「可哀想に、うなされて。よほど怖い夢を見ているんだね?」

 そう言って、アヴィのベッドに腰を下ろし頭を撫でた。

「自分の最も恐れている事を、辛い事を……」

 うっとりするような目で覗き込む女主人の口から、ひと雫の涎がこぼれ落ちた。

「今日はなんて良い日なんだい。こんな可愛い子供と、綺麗な坊さん……くっくっくっ。めったにないご馳走だねえ」

 パセも気付く気配がない。それどころか目覚める様子すら一向にない。

 料理に薬でも盛られていたのだろうか?

 こぼれ落ちる涎をなめ取る舌は、青く長く、不気味に輝く瞳はアヴィを捕らえて離さない。そして、ゆっくりとアヴィに手を伸ばそうとした。

 その時、今まで降っていた雨が止み、雨雲がゆっくりときれ、月が顔をのぞかせた。

 月の明かりがカーテン越しに差し込み、女の顔を映し出し、そして影をもつくり出す。

「?!」

 アヴィに手をかける寸前、女は気付いた。月明かりが映し出した影が不自然である事を……。

「誰だい?!そこにるのは?」

 そう、今日この宿に泊まっているのは2人。アヴィはともかく、パセは相変わらず動く気配すらなくベッドで寝ていた。

 では、自分の影といっしょに映し出されたもう一つの影は?

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