Seaweed explosion 02
「ふうん、この程度か」
川原成美はペットボトルを握り潰しながら、高らかに笑った。
「二十六発かな? それで、当たったのが三発。その内、足をかすったのが一発で、胸元で握りつぶされたのが二発」
「……」
「確かに予想よりは速かったよ。でもこれじゃあ武器にもならないね。精度も威力も、何もかも足りない。よくそれで人に向けて発射しようなんて考えが出来たもんだ」
「……」
「しかも幾つか窓を割ってるし、外に吹っ飛んでったのもあったし……後先を考えないからそうなるんだ。あれがもし外にいた人に当たったらどうするの? 責任取れるの?」
「っ……」
「まあ何だっていいけどね。次からは自分より強そうな相手に偉そうな態度は取らない事だ。どうしたの? 開いた口が塞がらない感じだけど……」
「畜生……!」
「他人に危害を与えておいて畜生もないもんだよ。むしろ畜生の方が無駄な殺生はしないからまだましかもしれないし。君こそ人間である事に意義を感じられるような生き方をしてるのかい?」
「黙れ! 帰れ糞野郎!」
「最初から帰りたいって言ってたのは私なんだけど……まあいいや。ありがとう、次の記事のネタが出来たよ。今から近くの先生呼んでくるから、それまでにその窓ガラスを何とかした方がいいと思うよ」
川原成美は散乱した窓ガラスを指さした。項垂れる島田勝義。
「じゃあね、次はもうちょっとましな用事で呼んでね」
川原成美は教室を出るついでに、水ロケットの飛んでいった窓を覗く事にした。
(国道まで行ってたら車に当たってる事もあるかもしれないな、そうなったら大事件だ……まあいいや、ネタになるし、水ロケットにそこまでの威力があれば会長も浮かばれる事だろうし……あ、死んでないか)
しかし窓を覗き込み、その水ロケットが生み出した結果を見れば、流石の世界最強の文芸部員、川原成美であろうとも、その衝撃を言葉にせずにはいられなかった。
「若布だ……」
神奈城悠はあまりの衝撃に、言葉が出てこなかった。決して彼女自身のボキャブラリーの問題ではない。この状況を言語で表現するのは不可能と言ってもいい位に、脳の判断能力を超えるエネルギーが一瞬にして通り過ぎ、そして形容しようのない、圧倒的な超現実が、彼女に降り注いでいたのだ。
「若布だ……」
そう、若布である。それは誰の目にも明らかで、最初から分かっている事だ。
現実が想像を超えたときには、人は手元の現実的な現実を確かめながら、想像に現実を合わせていくという作業をする。そうしなければ自我は崩壊してしまう。現実は本来、想像を超えてはならないものなのだ。想像には制約が無いが、現実には制約がある。重力には従わないといけないし、法律を守らなければ生きていけないし、飯を食べなければ死んでしまうし、若布のない味噌汁は食えたものではないし……そう、想像は本来現実を超えた部分にあるものなのである。この場合の現実に生まれた爆散した若布は、確かに世界のルールとしての制約を超えている訳ではない。しかし、そういう事ではない。そこが問題では無いのだ。目の前で、手元にあった若布が爆散するという事。この超現実的な現実だけでは、神奈城悠の自我を狂わせる事は無かったかもしれない。
若布が爆散した直後……彼女は、舞い散る若布を眺めながら、狂いそうになる自我を押さえつけながら、奇跡的にも、辿ることのできる現実を手繰り寄せた。彼女は、爆散する若布に目を奪われながらも、あるものに気がついたのである。それの正体が水ロケットであると、彼女は気付かなかったが、しかしそれでも、自我を保つためには、それが若布を爆散させた原因である事に気付く事が出来れば、それで充分なのだった。
彼女は若布が爆散するのと殆ど同時に、彼女の右から、何かがぶつかる音を聞いた。硬いような柔らかいような、重いような中身の詰まっていないような、それはまだ彼女の聞いた事のない音であったが、少なくとも彼女は、それで粗方今の状況を理解した。彼女の想像と現実が、やっと繋がったのだ。現実が想像に包括された。若布が爆散してから僅か0.8秒の事であったが、彼女がその瞬間、安堵したのは間違いない。
しかし、再度、現実は想像を凌駕した。
(何だ、これは……!)
矢印だった。
それはとても大きな大きな矢印だった。
水ロケットの飛んできた方向から、彼女の手元を通りすぎて、道路で跳ねて、男子寮まで続く矢印。
エネルギーの軌跡。
水ロケットのエネルギーの軌跡が、視覚化されて、矢印となって。
それは確かに、現実に存在していた。
彼女の手元を通り過ぎたロケットの軌跡が、矢印となって目の前に現れている。
まさに奇跡だった。
神奈城悠がやっとの思いで辿り着いた現実的な現実は、一瞬にして崩壊させられた。
それはあくまで、彼女の作り出した仮想的な現実だったのかもしれない。
それでも彼女は、上書きされた現実に自我が揺らぐのを感じた。
それはあくまで、偶然の事だったのかもしれない。
それでも彼女は、それを必然であると信じるより無かった。
「何故」を超えた、理解を超えた、自我を超えた、想像を超えたものが、目の前にある。
それが例え信じられなくとも、彼女は無理矢理それを信じるより無かった。
自分の信じられない世界では、自我を保ち続けられない。
彼女はそうして乗り切った。
エネルギーが矢印として見える世界を、現実として認めるしか無かったのだ。
それは選択肢としては最善だったし、運命としては最悪だったけれど、それでも彼女は、崩壊された自我を、想像を超える現実を新たに現実として上書きする事で、復活させたのである。
そして、現実には重力という制約がある。
爆散した若布は重力に導かれ、辺野古高専の入口近くに撒き散らされた。
そして、重力とは全ての物質に普遍的に働く力である。
彼女の自我が崩壊してから約2秒後、水ロケットから放出された水が、彼女の周りに降り注いだ。
若布が増えた。
「なーんじゃこりゃー……」
窓の外から、じわじわと増える若布と、若布に覆われて腰の抜けている神奈城悠を見て、川原成美はそう呟いた。
「大事件だね、事件と呼べる代物では無いかもしれないけれど」
そう続けて、彼女は廊下を歩きだした。
「記事に出来るかなー」
その後、水ロケットの撒き散らした水のせいで、一瞬だけ虹が出来たのだが、それを見た人はいない。