みすぼらしい男
その男はテーブルの前に立つと無造作に椅子を引いて腰掛けた。
「食ってもいいですか」
男は腹が空いていると見え、テーブルの上にある私のパンを鷲掴みにすると、うまそうに食い始めた。
「手紙を書いたのですよ」男は一呼吸置いてから喋り出した。
「ほう」
「旦那さん知りたいですか、私が何を書いたか」
男は私の名前を知らない、しきりに私を「旦那さん」と呼んだ。男はテーブルの上に並んだ野菜サラダに目をやると、やはり「食ってもいいですか」と尋ねた。
私は食事の途中であったが、この男の話に興味があったので「どうぞ」と言った。
男は痩せこけていて、みすぼらしかった。伸びてはいないが、髭の濃い顔立ちで、落ち窪んだ頬の陰影とあいまって、顔はくすんで見えた。パスタを注文してやると、その男はうまそうに食った。
「手紙は書いたのですが、宛先が分からないのです」
「誰に出すのですか」
「旦那さん、それが解らなくなっちゃって。困った、とても困りました」
男は神経質そうに顔をしかめた。
「行かなくては、追われているのです。いや、何もしていません。そうです、この手紙は神様に出そうと決めていたのです。でも神様の住所が」
私にはその男の所作が尋常なものとは思えず、どうしたものかと戸惑いながら「そうかね」と相槌を打った。
次の瞬間、
「旦那さん、私は可笑しいですか。人と変わっていますか、正常ではありませんか」
男は矢継ぎ早に言葉を並びたて、不安そうに私の顔色を窺った。私は心の中を見透かされたようで一瞬たじろいだが「そんなことはない。誰でも分からなくなったり、混乱したりすることはありますよ」と、心の内を隠すように早口で喋った。
男はふらっと立ち上がると「行かなくては」と呟き、店の出口に向かって歩き出した。途中、一度振り返ってなにか口ごもったが言葉にならない。その足取りは、湖畔の朝靄に浮かぶ小舟のように弱々しく揺れていた。私は「もう少し話をして行けば」と話し掛けようとしたが、男の背中は光の中に消えた。
男が立ち去った後、食事を摂る気にもなれず私も帰ることにした。レジで代金の精算をしていると、この店の女主人が私を呼び止めた。
「トモさん、忘れものよ」
見ると、あの男が忘れたのだろう、食べ散らかした皿の間に茶封筒が転がっていた。
「それは困るよ、ここで預かる訳にはいかないよ。そうだ、トモさん預かっておくれよ。連絡があったらすぐ知らせるからさ」
女主人は、「面倒はご免だ」と言わんばかりにその封筒を私に押しつけた。私のアパートはこのレストランの筋向いにある。私は断ることも出来ずに、その封筒を預かった。女主人は後ろめたさを感じたのか「熱いのがあるよ、持っていくかね」と声を掛け、餃子の入ったパックを二つ包んでくれた。そして「お願いね」と念を押し、愛嬌のある笑顔を振りまいた。




