brother 弟
「お姉ちゃん、まだ?」
さっきから弟は、その言葉しか口にしていないような気がする。
「まだだよ」
私がそう答えると、彼は一瞬泣きそうな顔をして黙り込んだ。
弟は、もう何度もこの行為を繰り返している。
今は俯いて唇を噛んでいるが、しばらくすればまた、先程と同じことを私に聞くのだろう。
「…お姉ちゃん、お母さんまだ?」
ほら。
「まだだって!それに、お母さん、六時までには帰ってくるって言ってたでしょ?」
しつこい弟に対し、少しきつい言い方をしてしまう。
「じゃあ、あとどれくらいで六時なの?」
彼の指は、壁に掛けられた時計を指していた。
「…わかんない、けど…」
最近、学校で時計の読み方を習い始めたところだった。
しかし、窓の外がオレンジ色になってきたことから、
既に夕方になっているのはわかった。
お母さんが買い物に行ったのは、お昼ご飯を食べてすぐのことだ。
「銀行と郵便局に行って、そのあとスーパーで買い物をしてくるからね」
お母さんはお店のチラシを見て、買うものに丸を付けながら言った。
「ちょっと遅くなるかもしれないけど、六時までには帰ってくるから」
弟と私の二人だけで留守番をするのは、初めてだった。
休みの日に、お母さんが買い物に行くとき、お父さんと三人で家で待っていたことはある。
だけど、今日はお父さんは仕事があって、家にはいない。
まだ幼稚園に入ったばかりの弟と、二人きりなのだ。
「お母さん、ちゃんと帰ってきてくれるのかなあ?」
弟は、今にも泣きだしそうな表情と声をしていた。
つられて私も泣きそうになる。
「ぼくのこと置いて、どっか行っちゃったんじゃないのかなあ…」
遠くの方から消防車のサイレンが響いてきて、一気に私の心は不安で一杯になった。
張りつめていたものが、もっと引き伸ばされて、あと少しでプツンと切れそうだった。
怖くて、寂しくて、悲しくて、早くお母さん、早く、
早く帰ってきて。
私の目の前にいる弟が滲んで見えた時、玄関の方で待ちわびた音が聞こえた。