apple 林檎
病室で林檎の皮を剥いた。
ベッドの横の椅子に座り、手の中の実から赤色を剥いでいく。
しかし、私は普段、果物ナイフどころか、ピューラーやまな板、
フライパンなどとも無縁の生活を送っている。
いつこの右手の親指を負傷してもおかしくない。
ベッドの中で体を起こしている彼は、体の下のシーツにできたしわが気になるのか、
それを指で伸ばしてみたり、つまんでみたりしていた。
私の手から、ぎこちない音が途切れながら生まれる。
それだけが鼓膜に仕事をさせる。
ところで、このシチュエーションはドラマか映画みたいだ。
入院している彼氏のために、彼女が果物を剥いている。
出演者は私と彼だ。
面白い。
そんなことを考え、無意識に顔がにやついていたらしい。
「なに笑ってるの?気持ち悪い」
いつの間にか私の方を見ていた彼に、顔をしかめられてしまった。
「別に、何でもない」
そう言ってから、私の口角は思い出したように、再び上がった。
一週間前、彼はバイトに行く途中、バイクで事故に遭った。
詳しくは知らないが、自動車とぶつかり、体が宙を飛んだらしい。
しかし奇跡的に、足の骨を折っただけで済んだのだという。
その連絡を受けた時は焦ったが、病院で元気そうな彼に会うと、
本当に事故があったのかどうかすらも疑わしくなった。
ただ、彼の足につけられたギプスのみが、事実を証明していた。
皮どころか実まで削がれた林檎を、丸ごと彼の右手に握らせる。
「何これ。食べ物のあるべき姿じゃないよね」
「うるさい」
彼の口は文句を言いつつも、そこには歪な形の果実が運ばれた。
彼が林檎を噛む音だけが、白い病室に響いた。