前編
幼い時から人の思っていることが聞こえてしまう力があった。
人は表の顔と、思っていることが一緒ではないことがある。
幼いころはこの事実にしばしば心を傷つけていた。
けれど、成長すればそれも受け入れて、今では割と便利な力として使えるようになった。
「レイクハート伯爵令嬢、どうか私と一曲踊ってくれませんか?」
【うっひょー、コイツ顔は地味だけど、胸はでかいし腰は締まってて最高だな】
このように、さわやかに近づいてスマートに手を差し出してくる令息の考えも、筒抜けなのである。
ちなみにこんなのばっかり聞いていると、自分は顔は地味だが体つきはいやらしい女だと思われているのが、わかって複雑だ。
私は疲れていることを理由に丁寧にお断りした。
「そうですか。それでは、また機会が得られることを願っております」
【チッお高く留まりやがって、いけすかない女だ】
こんなのはいつものことだ。
表向きが嫌みのない人ほど、案外心の中は荒れてることが多い。
「ディアナ・レイクハート、また1人なの?本当に友達がいないのね!」
そうすると、ヒールをカツカツと鳴らしながら、聞きなれた声の人物が近づいてくる。
高価なドレスに、はやりの形で結い上げられた髪、胸元に輝く大粒の宝石の首飾り。
そして、派手なメイクにも負けないメリハリのある顔立ちの女性が扇で口元を隠している。
「オイ、またメルローズ公爵令嬢が、レイクハート伯爵令嬢に絡んでるぞ」
「毎回、レイクハート伯爵令嬢にあたりがキツイわよね……」
周りは心配そうに私たちを見ている。
けど、この人たちはそんなことを言いながらも私を良い見世物だと思ったり、伯爵令嬢風情が公爵令嬢と仲良くするなと嫉妬している。
そんな人達と比べ、このヴィアンカ・メルローズ公爵令嬢は私の大好きな方の一人でもある。
【全く、またこの子一人でいるじゃない!変な男に絡まれていたし、心配だわ】
相変わらず、お優しい。
表向きこそ少しきついが、その実、私のようなぼっち令嬢をほっておけない、心根の優しい人なのだ。
私は彼女の心の声を聞いてしまってから、すっかりファンである。
「ご心配ありがとうございます、メルローズ公爵令嬢」
私はそう言って頭を下げた。
「心配などしていないわ!それよりどうせ暇でしょう、こちらへ来なさい」
【この子天然なの?なんだか、いじめられないか心配だわ。私が守ってあげなくては】
そう言って、メルローズ様は私のことを自分の友人のほうへ連れて行こうとする。
私が守ってあげなくてはって可愛すぎないですか!
私は今日もメルローズ様にキュンキュンしながら彼女についていこうとしていた。
しかし、何処からともなくやってきたその人に止められてしまう。
「おや、ヴィアンカ、令嬢を連れて何処へ行くんだい?」
金髪に青い瞳の美丈夫が、メルローズ様に向けて迷いなく進んでくる。
絵本の中の理想を体現したかのようなその人は、この国の王太子殿下レナルド・ルクシオンである。
「レナルド王太子殿下にご挨拶いたします。本日は素晴らしい催しにお招きいただきありがとうございます」
私は、形式通りの挨拶をとる。
「まぁレナルド殿下、ごきげんよう。別に寂しい子を私の友人に連れて行こうとしていただけですわ」
一方メルローズ様は挨拶も簡易的に相変わらずの口調で言った。
それもそのはず。
メルローズ様は、既に幼いころから決まっている王太子殿下の婚約者なのである。
「へぇ、君は本当に優しいね、ヴィアンカ」
【全く、僕のヴィアンカは誰にでも優しくて、勘違いする奴がいないか。本当に心配だよ。例えばこの子とかね】
そう思ってる王太子殿下がにこやかにこちらを見てる。
この人は、メルローズ様のことは溺愛しているが、他の人間を信用していない。
しかもなんとなくだが、この人にも私と同じ能力があるのではないかと疑っている。
【ディアナ・レイクハート伯爵令嬢か。どうも彼女は私だけが知ってるヴィアンカの魅力を知っている気がしてならない。まさか、心の中を読めるのでは?王族の考えを読める人間はまずいな……消すか?】
ひいぃぃぃ!
なんか怖いこと考えてる。
「メルローズ様、わっ私、一人で皆様のところに行ってまいります。王太子殿下とのお二人の時間をどうぞお楽しみください」
「あっちょっと!待ちなさい!」
【今日こそ仲良くなれると思ったのに!】
メルローズ様に呼び止められた気がしたが、こういう時はさっさと逃げてくるに限る。
「はぁ……ひどい目にあったわ」
結局、私は会場を抜けてきてしまった。
いくら慣れているとはいえ、大勢の心の声が聞こえてしまう場所に長時間いるのは疲れてしまう。
【はぁ、今日こそ話しかけられないだろうか……。でも会場に入れない。なんかこう、偶然出てくるのに鉢合わせするとか、ないだろうか。それで、ぶつかった彼女が転んでしまって、「大丈夫ですか?」って聞いて立ち上がらせるために初めて手を握るんだ。彼女は肌がとても綺麗だから、きっと柔らかくて吸いつくような触り心地だと思う。力を入れすぎないようにしなくては】
なんだろう?
何処からか、超ヘタレの心の声が聞こえる。
あと、妄想力高いな……。
【そのあと、お互い自己紹介して、一曲踊ったりして、その日のことをきっかけに手紙のやり取りをして、ゆくゆくは何度かデートを重ねて結婚したい。デートは自然の多い静かな場所や彼女の好きそうな流行りのカフェなんかがいいな。デートのたびに花束を贈って、その花が枯れる前に次のデートをしたら私のことを忘れないだろうか?あと結婚式は西の森の教会で身内だけで。ドレスは彼女の希望が全部叶うものをプレゼントして、それとお互いの瞳の色の宝石の指輪を作って彼女は私のものですって自慢しよう】
明らかに男の人の心の声なんだけど、プランが妙に女子力が高い。
というか、出会いから結婚までいっちゃった。
【はぁ……ディアナ・レイクハート嬢。少しでいいからお話してみたいものだ。】
私??
この人の心の声に出てくるの、私なの??
地味な顔に体だけエロい女と言われた私が、まさかそんなロマンス小説みたいな心の声の登場人物だとは。
ちょっと妄想が過ぎる気もするけど、悪い気はしない。
こうなると、気になるのは誰がそんな心の声を発しているかである。
弱気で奥手な貴族令息?
あまり遠くの声は聞こえないから、この廊下の横に広がる小さな中庭の中にはいそうね。
つい、好奇心が湧いてしまった。
だってこの人の声は、聞いてても疲れないから。
どんな人か、見てみたい。
気づけば私は、中庭に足を踏み入れていた。
流石、城の中庭は、よく手入れされている。
ユキヤナギやウィステリアがちょうど見頃な季節なので、夜だと花びらが雪のようでとても綺麗だ。
【んな゛っ?!ななななんで彼女がここに??】
どうやら、私が見つけるより先に、心の声の主に見つかってしまったらしい。
にしても、すごい心の声。
どこにいるのかしら?
「どうされましたか、ご令嬢?」
そう言って、金属音混じりの足音が近づいてくる。
帯刀してる?騎士なのかしら?
前方からやってきたその人は、気弱な貴族令息には遠過ぎた。
ヒールを履いた私よりも頭二つぐらい大きな身長。鍛えられた身体。短めの黒髪に、キリッとした精悍な顔立ちに灰色の瞳。それに頬から口元にかけての古傷。
この人、知ってるわ。
近衛騎士の副団長でハインツ侯爵家の三男のビル・ハインツ様。
令嬢達のお茶会で必ず名前が出るような有名人じゃない。
無骨でワイルドなのが素敵なんだって。
けど、式典の時も今も、眉ひとつ動かないような鉄仮面だから、あの心の声の主じゃなさそうね。
「ハインツ様、今、どなたかとご一緒ではありませんでしたか?」
「いや、ここには私だけだが?」
ハインツ様は淡々と答えた。
さっきの心の声の人だったらこうはならな……
【か、彼女がわっ私の名前を??というか、こんなところにいたら花の妖精かと思ったぞ】
ん?
一応、念のためにハインツ様の顔を見る。
相変わらず、口角の一ミリもあがった様子はない。
【うっ嘘だろ!ディアナ嬢が私を見てるっ!そんな綺麗な瞳で見ないでくれ、可愛すぎるっ!好きになってしまうではないか!いや、もう好きなんだが!】
あ、やっぱりこの人だ。
というか……外と中違い過ぎない?
面白い人……。
「ハインツ様」
「どうした?」
「今度、デートしてくれませんか?」
女の方から誘うのは、ふしだらなのかもしれない。
けれど、言わないと後悔しそうだった。
「…………」
「あ、流石にいきなりすぎですよ「いつなら」
「?」
「その、いつならいいんだろうか?」
私の声に被せ気味に言ったハインツ様は、
私の両の手を取って聞く。
相変わらず恥ずかしがってる様子ひとつないのに。
【デート??彼女がどうして??いや、もうなんでもいい!絶対にこの機会を逃すべきではない!……はっ?!私はいつのまにか彼女の手を??】
「フフッ」
ハインツ様の心の中だけが大混乱してて、思わず笑ってしまう。
「レイク伯爵令嬢?」
「いえ。ハインツ様の次のお休みはいつですか?」
「三日後だ」
「それじゃあ、三日後で。私のことは、ディアナとお呼びください」
「では、こちらもビルで頼む」
「はい、ビル様」
【リーン♪ゴーン♪】
私が彼を呼ぶと、どこからともなく荘厳な教会の鐘のような音がした。
え?なんの音??
「どうした、ディアナ嬢?」
「今、鐘の音が鳴りませんでした?」
「いや」
心の声が限界突破すると効果音まで聞こえるらしい。
すご過ぎる、ビル様の心の声。
チャンスを逃さまいと返事をしたが、やはり何かおかしい。
私にとって都合が良過ぎる!!
色仕掛け?
しかし、私がディアナ嬢を好きなのは、どこから漏れたんだ?
「ビル、例の件の書類も頼んだぜ」
「そこに置いててくれ、ヒューゲル」
「あいよ」
同僚で同じく副隊長のヒューゲルが私の机に書類を置いた。
そうだ、ついでだから少し相談してみるか。
「……ヒューゲル、私は顔に出やすいと思うか?」
「そんなわけないだろ。俺は絶対お前とポーカーはしないね」
確かに、カードは強い方だ。
それならば、まさかディアナ嬢の前でだけ、顔に出ているのか?
「好きな相手から初対面でデートに誘われたんだ」
「好きな相手??……まてまてまて!相手は?」
なんで、私よりこいつの方が驚いているのか。
「ディアナ・レイクハート伯爵令嬢だ」
「あー、あの顔は地味だけどおっぱいとけつが大きい。そっかそういう趣味……おいおいおいっ胸ぐら掴むな!!」
「あぁ、すまん」
ディアナ嬢への侮辱的な発言が聞こえたので、つい体が動いてしまった。
「いやでも、あの令嬢好きになる理由ってそこだろ?」
「失礼なことを言うな。ディアナ嬢は肌が綺麗で、髪もよくある赤毛だが、色味の鮮やかさが誰よりも綺麗だ。瞳の色も琥珀や蜂蜜のようで美しいし、お前は胸部と臀部にしか目がいってないが細い腰と姿勢の良さも素晴らしい。あと内面も侮辱や失礼な言葉を言われてもけして笑みを絶やさずに感謝さえする大天使だし、花の中に佇むと妖精のようだし、私と話してる時はいつだって女神なんだ。お前、見る目ないな」
「めちゃくちゃ語るな!よく一人の人間のことそこまで喋れるもんだ」
「まだ、あらすじ程度だが?」
「今ので??」
「ああ」
ヒューゲルは、なぜか私の話にげっそりした様子だった。
「ただ、俺でさえお前がレイクハート伯爵令嬢を好きなのは知らなかったんだ。他のやつが知ってるとは思えないな」
「そうだよな」
やはりそうだ。
だとすると、彼女が私をデートに誘う真意とは?
「……まぁとはいえ、お前が王の近衛だからと近づいてくる人間はゼロではない。一応警戒はしておけよ」
「……あぁ」
私は返事をしたものの、彼女を疑うことに気は進まなかった。
その後、デートの約束から三日は、あっという間に経った。
細かい時間などを決めるため、何度か手紙のやり取りをしたが、冗談みたいに長文の手紙が何度かきており、つい笑ってしまった。
人の心の声を聞いて動揺してしまわないようにかなり訓練したつもりだったんだけど、ビル様に関してはついつい気にしないフリができなくなる。
「ディアナ嬢、今日はよろしく頼む」
「えぇ、行きましょう、ビル様」
ビル様は相変わらず無表情だ。
だけど、
【ディアナ嬢、夜会の時の髪を結い上げてたのも華麗だったが、下ろしてる姿もよく似合ってる。フワッと軽い素材のドレスを着てるとやはり妖精のようだ。可愛い!可愛すぎる!これは攫われてしまわないように気をつけねば】
私にとっては、十分過ぎる。
まぁ、私を見送ってくれた侍女のアンは無愛想過ぎませんかってちょっと怒ってたけど。
「それで、今日はどこに行くんですか?」
ビル様が用意してくださった馬車に乗った私は、何か話をしようと聞いてみた。
「今日はスワンレイクに行こうかと思う」
スワンレイクは、私の家から馬車で1時間ほどの場所にある舟遊びをしたり、乗馬を楽しんだりできる湖だ。
「流行りのオペラを劇場で観ることも考えたが、ディアナ嬢はあまり賑やかなところが得意ではないように見えたからな」
どうして、私が賑やかなところが得意でないことを知っているのだろう?
「そう、でしたか」
「湖は嫌だったか?」
「いえ、この前お会いしたばかりなのに、よくご存知なので、びっくりしたんです」
「それは、まぁ……勘みたいなものだ。」
【言えない。王家主催の集まりのたびに彼女が最後の方は抜け出すところを毎回見かけてたなんて。きっとデビュタントの頃からずっと見てたなんて言ったら引かれる】
とんでもない爆弾発言である。
そんな前から私のこと見てたんですか?
デビュタントもう二年も前のことなんですけど??
「それじゃあ、次はビル様のことをお聞きしても?」
「あぁ」
ビル様は、口数の多い方ではなかったけれど、私の聞くことにはどんなことも答えて下さった。
けれど、ご自分のことを話す時より私の事を話す時の方が心の声が饒舌なのは、なんとも気恥ずかしい気持ちになる。
それからスワンレイクに到着した。
少人数が乗るボードが何艘か浮かんでいるのが見えるが、夏にきた時より人が少なくて落ち着く。
「静かでいいですね、ビル様」
「あぁ。ただ、その格好では寒いだろう」
そう言って、ビル様は自分の上着を脱いで私の肩にかけて下さった。
「でも、これじゃビル様が……」
「私はボートを漕ぐからどうせ熱くなる」
【というか、ディアナ嬢は肩が華奢過ぎないか?私の上着を掛けたらそのまま重みでそのまま崩れてしまわないか心配になったぞ。次はもっと軽い上着を着てこよう】
過保護すぎますって。
そんなんじゃ夜会のドレスなんか着れませんよと言いたい。
でも、上着の大きさに改めて、ビル様が鍛えている男性なのだと思い知る。
暖かくて、少しだけ知らない匂いがした。
ビル様がボートを漕いでくださって、他の船のいない場所までやってくる。
「ディアナ嬢。一つ聞いても良いだろうか?」
「えぇ、なんでしょう?」
今日は私から話を振って、それに答えてくれたり、派生した質問をされることはあったけど、ビル様から話を振られるのは、今日初めてかもしれない。
「何故、私をデートに誘ってくれたのだろう?」
【正直、嬉しくて三日三晩考えたがわからなかった。私は彼女が好きだが、彼女は……その、男嫌いだし】
ん?
何故か、ビル様の中で私は男嫌いになってる??
でも、私がビル様に興味を持ったのは、正直この嫌な感情のないまっすぐな心の声を持ったから。
でも、今はまだこの力をビル様に打ち明けるつもりはない。
『気持ち悪い』
『まるで呪いだな』
慣れたつもりでも、もし彼のそんな心の声を聞いたら、やはり……少し寂しい。
「……その、お恥ずかしいのですが、ビル様の精悍なお顔立ちと逞しい体つきに惹かれまして」
昨日初めて出会った彼の内面のことを言うわけにもいかず、絞り出して出てきたのは外見の事だった。
「顔と体……」
ああっ!!
あらためてそう言われるとあまりにも品位に欠ける感じだったかも……。
流石に引かれた?
【この傷の顔を?それに、令嬢方はすらっとした細身の男が好きなのでは?……そうか、ディアナ嬢の趣味は変わっているのだな】
なんか、失礼なこと言ったのは手前なんだけど、こっちも失礼なこと思ってる!!
というか、傷があるとしても、整った容姿なのは本当なのに、自覚がないんですね、ビル様。
【でも、好みが特殊だから、数々のダンスの誘いも断っていたのか、納得した】
なんか納得されてしまった!
いえでも不本意だけど、ある意味これで良いのかも……。
「その、がっかりされました?」
「いや。少し驚いたが、私を好ましく思ってくれたことには変わりないだろう」
ビル様は相変わらず無表情ではあったが、その言葉はとても温かいものに思えた。
【誰かっ!助けて!】
その時だった。
不意に誰のものかわからない声が聞こえる。
これは、子供?
一体、どこに??
ここら辺は見晴らしがいいが人の姿は見えない。
「どうしたんだ、ディアナ嬢?」
急に立ち上がり周りを見回す私にビル様が驚く。
「ビル様!その……」
心の声がビル様に聞こえることはない。
どうやって伝えれば……
河岸の方に、子供の服と、靴らしきものが見えた。
そして、湖の水面は穏やかで、子供が溺れてる様子はない。
【助けて……】
さっきよりもはっきりと聞こえる。
多分、あそこだ。
でも、岸から結構離れているのに子供が1人であそこまでこれるものなのかしら?
いいえ。
なりふり構っていられない。
私はビル様の上着を脱ぎはじめた。
「ディアナ嬢、待ってくれ」
すると、ビル様が私の肩を抱いて静止した。
「飛び込もうとしてるようだが、君には危険だ」
「ビル様、その、子供が溺れてるかもしれません。あの辺りに!」
水面は穏やかで、人が溺れているように見えない。
信じてもらうには、確証がなさ過ぎる。
やっぱり、私が……。
「わかった」
それなのに、彼には迷いがなかった。
ビル様は躊躇なく、湖へと飛び込んでいった。
10秒……
20秒……
ビル様が上がってくる様子はない。
もし、溺れているのかあそこでなかったら。
深追いしすぎて、ビル様まで溺れてしまったら。
30秒……
40秒……
なかなか上がってこない。
何かあったのでは??
不安が強まる中、水面に水泡が上がってくる。
「はぁっ!……」
やがて、ビル様が勢いよく上がってきた。
その腕には、6歳ぐらいの子供が抱えられていて、思わず涙が出そうになる。
「ディアナ!子供を引き上げてくれないか?」
「はいっ!」
私は、ビル様が抱える子供をなんとか引き上げて、ボートに乗せた。
そこあとは、ビル様が自力で器用ボートに乗り込んで来る。
「水を飲んでるかもしれない。処置をするから君は少しでも船着場の方にボートを漕げるか?」
「任せてください」
私はビル様ほどの勢いはないが、なんとかオールでボートを漕ぎ出す。
途中で、子供が水を吐き出しながら息をしているのが確認できて、心からホッとした。
子供は周辺に住んでいるらしく、その日は母親に黙って遊びにきて、結果溺れてしまったらしい。
ビル様の話では、足を水草に取られ、動けなくなっていたとのこと。
もし、発見が遅れていたら……。
「ディアナ嬢、大丈夫か?」
ビル様が心配そうに私の顔を覗き込む。
そういえば、さっき必死だったからか呼び捨てで呼ばれたけど、元に戻ったみたい。
「あ、はい。すみません、お召し物が……」
「あぁ気にしないでくれ。しかし、これではデートにはならないな」
「そう、ですよね」
万一、近衛騎士の副団長が風邪でも召されたら一大事である。
「……君さえ嫌でなければ、私の家に来ないか?」
「ビル様のお宅ですか?」
「あぁ。ハインツ邸ではなく、私の個人の簡素なものだが」
【普通ならば、ここで解散するのだろうが、せっかくのディアナとの時間をここで終わらせたくない。断らないで……くれるといいんだが】
初めてのデートで相手の家にお邪魔していいもの?
でも、私を信じてくれて子供を助けてくれた彼と、私だってもう少し一緒にいたい。
「是非、お邪魔させてください」
「あぁ」
ビル様のお宅は、たしかにこじんまりとした可愛い邸宅だった。
四六時中登城するので、家族を煩わせないためにも、こちらを購入したと言う。
その為、使用人も最低限で、家庭的なのだと言っていた、が……。
「旦那様!お客様がいらっしゃるなら事前に伝令をよこして欲しいとあれほど言ったではありませんか!」
「全く、こんなお嬢さんがいらっしゃるのに何処で水遊びされてきたのですか。ほら、さっさとお風呂に入って来てください!」
「サラサ、エルサ、客人の前で恥ずかしいからそんなに怒鳴るな」
「「旦那様のせいでございましょう!」」
屋敷に入るなり、やってきた侍女にビル様は完全に打ち負かされていた。
アットホームすぎて、なんだか平民のお母さんと息子を見ているようだ。
そっくりな2人の侍女はあっという間にビル様を浴室に押し込んでしまった。
彼女達はサラサとエルサ。
双子の姉妹で、ビル様の乳母だった方達らしい。
「さっ、ディアナ様も参りましょう。お召し物が濡れていらっしゃいますよ」
「え、あのっ……」
ずぶ濡れのビル様と比べれば、私の濡れ方など時間がたてば乾く程度だ。
「さぁさぁ、こちらへどうぞ」
しかし、力はそれほど強くないのに押しの強い二人に連れられ、私まで着替えをすることになってしまった。
【【ビル坊ちゃんがフィアンセを連れてくるなんて!!一大事だわ!!】】
初めて知ったが、双子の心の声は、心の声でも被るらしい。
というか、フィアンセではないです!!
「万が一のために、奥様のドレスを持って来ておいて良かったわ」
「あら、少し胸がきつそうね、苦しくないですか?」
「だっ大丈夫、です」
なんか、あれよあれよと着替えさせられてしまったわ。これ、ハインツ侯爵夫人のドレスってこと?
いかにも高価そうで、私なんかが着るには恐れ多いわ。
「それにしても、旦那様がここ数日どなたかとお会いするために、珍しく手紙を出したり、うんうん唸っていたのは、こういうことでしたか」
「こんな素敵な女性をエスコートするためでしたら、あれだけ必死になっていたのも頷けます」
【【ビル坊ちゃん、なかなかセンスがいいわね!】】
双子の侍女は、私の髪を結いなおしながら、そんなことを言っていた。
この方たちには心の声などなくても、ビル様のことは筒抜けなのかもしれない。
けど、ビル様がそんなにデートの計画を立てていただなんて。
いろいろ準備してくださってたのに中断してしまって、申し訳ないわ。
「さ、できましたよ」
サラサがそういうと、エルサが鏡を持って私に見せてくれる。
二人が片側ずつそれぞれやっていたが、見事なシンメトリーでおくれ毛一つない。
息ぴったりね、なんだかとてもいいものを見た気分。
「二人とも、ありがとう。とても綺麗な仕上がりね」
私は身なりを整えてくれた二人に感謝した。
【【礼儀正しいのも好感度高いわ!!】】
この二人の心の声は何時でもそろっているせいか、普通よりも大きく聞こえるので、なんだか、余計に照れくさい気がする。
「旦那様、お連れしましたよ?」
「……あぁ、大丈夫だったか」
窓の多い部屋に小さめのダイニングテーブルの置いてある部屋は、装飾は多くないが、日当たりがよく、窓から見える庭が可愛らしい。
特に、綿菓子のような紫色の花……初めて見る。優しい雰囲気で綺麗ね。
部屋の中には既に椅子に座り、何故か私を心配するビル様が……って誰?
柔らかそうな黒髪をいつもは後ろに流すようにセットしていたのだろう。
そのせいか、髪を自然におろしたビル様は、少し幼く見えた。
「旦那様、また横着して……」
「お前たちがディアナ嬢を連れて行くから心配で急いだんだ」
「お二人はとても親切にしてくださいました。ドレスまでお借りして申し訳ありません」
「いや、母の古着ですまない」
【本当にディアナ嬢は何を着ても似合うな。できれば、もっといろんな姿を見てみたいな。どうにかしてドレスを10着ぐらい贈れる口実とかないだろうか?】
ビル様、多分そんな口実はないと思います。
ドレス十着は王族の買い物です。
「いえ、お母様はセンスが洗練されてますね。とても素敵です」
私は率直なドレスの感想を述べただけだった。
【【【控えめに言って天使!!】】】
しかし、ビル様と、サラサ、エルサの心の声が被る。
仲良すぎないですか?
家族でもそんなことまずないですからね。
というか、三人の私への評価が激甘過ぎて、勘違いしそうになる。
「ディアナ嬢」
「!?あっ……はい」
「大丈夫か?なんだか少し顔が赤いぞ……まさか、熱でもあるんじゃ」
「いえ……」
そう言ってビル様の大きな手が私の頬に触れる。
というか、顔が近くないですか??ビル様??
【まさか、水に濡れたままこちらに来てしまったのが悪かったか??】
逆になんであなたはこんなに近いのに冷静なんですか!!
「熱は……なさそうだな」
「……ひゃい」
「「ゴホン!」」
すると、サラサとエルサが同時に咳払いをする。
そして、ジトーっとした目でビル様のことを見ている。
「?!すまない」
【なっっっ?!!いつの間にこんなに近づいていたんだ、私は】
心の声は明らかに動揺しているのに、ビル様の顔が変わらないのは相変わらずである。
「いっいえ、大丈夫です」
私、変だわ。
どんな酷い心の声を聞いても大丈夫なはずだったのに、この人の心の声を聞いただけで、なんでもないフリが出来なくなる。
「旦那様、くれぐれもディアナ様に失礼のないようにしてくださいね」
「まだ、未婚の令嬢ですからね」
「お前達は私をなんだと思ってるんだ」
それから、サラサとエルサはお茶を淹れてくれて、2人は部屋を出て行った。
部屋の出入り口の扉を開けておいてくれたのは、2人きりにならないようにと言う配慮だろう。
「その、不躾に触れて悪かった……」
「いえ……お気になさらず」
私はそう言って、サラサの淹れてくれた紅茶を一口口にした。
アッサムの黒砂糖のような濃厚なモルティーフレーバーが口に広がってホッとする。
お茶美味しい。
ちょっと一回落ち着くには、余計なことを考えてはいけないわ。
「君は、紅茶を飲む所作まで綺麗だな」
ふふ、ビル様ってたらまた心の声で私を甘やかして……。
もう今日だけでも甘いお言葉はいっぱい聞きましたからね。
慣れたものです。
……ん?
心に響いてくるんじゃなくて、普通にそこから聞こえた??
「しゅっ、淑女の嗜みですわ」
危ない。
このままビル様の言葉を無視してしまうところだった。
「ディアナ嬢は凄いな」
「え?」
「令嬢として勤勉で、それでいて人助けのために動こうとする勇気ある」
淑女教育は、貴族の女性に生まれたならば義務教育だ。
誰かに褒められたことなんてない。
それに……
「子供を助けてくれたのは、ビル様です。私には何も」
「私はディアナ嬢に言われなければ飛び込まなかった。君の言葉があの子を救ったんだ」
ビル様がまっすぐ私を見ている。
あぁ……私……この人が好きだわ。
出会ってからの時間は少ないけれど、きっとこれからもっと好きになる。
「ビル様」
「うん?」
「どうか、私と交際してくださいませんか?」
「……君には、いつも先を越されてしまうな」
ビル様はそう言って、苦笑する。
初めて、笑っているところを見たかもしれない。
その後は、ビル様とお茶を楽しんで、家まで送って頂いた。
「ディアナ嬢。君に渡したいものがあるんだ」
ビル様はそう言って、どこからともなく花束を取り出すと、私に下さった。
「庭に咲いていたお花ですね。けど、初めて見ました」
「アスチルベという花で、東方で育つ花らしい」
そういえば……
『デートのたびに花束を贈って、その花が枯れる前に次のデートをしたら私のことを忘れないだろうか?』
そんなこと心の声で言ってたっけ。
まさか、本当に花を送ってくださるなんて。
「綺麗だと思っていたので、うれしいです」
「よかった。その、私もディアナ嬢に良く似合いそうと思っていたんだ」
ビル様はどこか照れくさそうに、頬を掻く。
「ありがとうございます、ビル様」
「ディアナ嬢」
花を見ていたら、急に名前を呼ばれる。
「?」
「私のことは、ビルと呼んでくれないか?」
「はい。それでは、私のことはディアナと呼んでください、ビル」
「あぁ、うれしいよ、ディアナ。その花が枯れる前に、また会ってくれるか?」
「はい、お待ちしています」
「また手紙を書く。今日はこれで失礼する」
ビルはそう言って私の手を取って、口づけを落とした。
その流れるような所作があまりにも自然で、かっこよくて、私はまた、顔を赤くしていたと思う。
手の甲に口づけを落としただけで真っ赤な顔をしていたディアナ嬢の顔、可愛すぎた。
帰り道の馬車の中、ビル・ハインツはディアナのを思い出していた。
一生に一度のデートでもいいと思っていたのに、まさか交際を申し込まれるとは……。
デートに誘われた時も、川に飛び込もうとした時も、交際を申し込んできた時も、彼女の思い切りの良さには驚かされる。
しかし、普段は妖精のようにフワフワとしている彼女にああいうところがあると思うと、ますます好きになってしまう。
正直、手の甲のキスでやめた自分を褒めたい。
勢いに任せていたら、抱き寄せて唇にキスをしていたかもしれない。
あぁ、本当に……本当に……。
都合がよすぎる。
家に入ると、父が玄関ホールで待っていた。
「帰ったか?」
「はい、お父様」
先ほどまでの幸福な気持ちが噓みたいに、沈んでいく。
父は私に心の中を覗かれるのを嫌う。
それでもわざわざここで待っているのは、収穫があったかいち早く確認したいのだろう。
「それで、どうなった?」
「ハインツ侯爵の三男、ビル様とお付き合いすることになりました」
「そうか。まぁ、三男では侯爵家とのつながりは期待できないだろうが、この際どうでもいい。必ず結婚まで行き着いてくれ」
【呪われた娘がこれ以上行き遅れていても、困るからな】
呪い。
両親は、私が人の心を読めてしまうのが、呪いだと思っている。
子供のころから何度も何度も心の声を聞いて、もう何も感じないけど、普通の家族になりたかったと願わなかったことはない。
お父様は露骨に、お母様は笑顔で接してくれるがいつも怯えている。
それでも、最低限の面倒は見てくれて、こうして育ててくれたのだからまだいい方だろう。
「彼は、私に好意を寄せてくれています。ご心配には及びません」
「お前の力のことを知ったらどうだかわからないだろう
。力のことは言わずに過ごすのだ。万一、前のようなことがあれば敵わんからな」
【頼むから、これ以上厄介ごとを持ってこないでくれ】
「わかっています」
あぁ、私さっきまでとても幸せなところにいたんだわ。
心の声を聞いても、一度もこんな気持ちにはならなかったもの。
私は、ビルからもらった花束を抱きしめるように、この家の両親の部屋から一番離れた自分の部屋へと向かった。
2.3話で終われればいいと思います。
ブックマークをして続きをお待ち頂ければ幸いです。




