今までのこと。割と婦人科系が弱かった話。
検査とかの思い出に入る前に、まず卵巣嚢腫になった話をしましょうか。
いやあ、なんか思ったより私、婦人科系弱かったわ。
医学が進んだ現代じゃなきゃ、江戸とか平安とかだったら早死にしてたかもと思います。
産後もいつまでも出血したりとか。
なーんか紐状態なものが産後一週間してから出てきたりとか。
卵膜が残ってたんですねえ。
驚きましたよ、それは。
「なんじゃこりゃあ!」
ってなもんですよ、優作の名セリフですよ。
「昔なら産後の肥立ちが悪かったって奴ですよ。」
これは産後の健診でお医者さんに言われたのです。
卵膜残りは二番目の子の時もそうでした。
「そういう体質なんですかねえ。」
とお医者さんは言うのでした。…ホント、なんじゃそれ。
特に二番目を産んだ後は三ヶ月くらいは夕方になると座り込むくらいでしたね。回復が遅かったです。
お産前後は実家にお世話になりましたが、その後は親戚も近くにいない関東での核家族。それなりに大変でした。
まあともかく、現代に生まれたおかげで2021年の検診で見つかったのです。
ホント、見つかってなかったら今この世にいなかったワケで。
「なろう」に書き込んだりもしてなかった訳ですよ。
ありがとう!現代医学!
卵巣嚢腫はやはり健診で(ここの健診センターではなかった)
「卵巣が腫れてますね。」
と言われたのです。
若い女医さんでした。内診で押すとわかるとか。
そうなんですか…。
まっすぐ〇〇病院に行きました。今お世話になってるところですよ。
その時は紹介状はあまりうるさくなかったな。
その後ですね。紹介状無しだとプラス3000円とか、紹介状がないと見ないとかなって、
「まず、提携の町医者のここに行ってみたらどうですか。そしてそこが紹介状出してくれたら見ますよ。」
となっているのです。
それで、〇〇病院に初めて行ったワケですが、40になったばかりの頃だったと思います。
この辺の病院の中では評判が良かったんですよ。
「あー、確かに卵巣腫れてますね。四センチ?五センチか?茎捻転を起こすかもしれません。」
「え、そうですか。」
「手術しましょう。取りましょう。卵巣がひとつでもいいですよね。」
となりました。
そりゃそうです。40代ですからね…。
茎捻転とは。卵巣についてる管が捻れてしまう事を言います。
卵巣が腫れているとなりやすいのです。
そして地獄の苦しみが襲うそうなのですよ…。
そして、先生は卵巣の絵を書き、
「いいですか、ここが捻れる恐れがあります。するとものすごく痛い。手術までに倒れて救急車で運ばれることがあったら、これを見せなさい。茎捻転を疑って下さい!と。
さあ、お守り代わりに持ってね。」
と紙を渡されました。
「は、はい。」
持ち歩きましたよ。先生の手描きのイラスト。
お財布にいれてね。
もし、腹部の痛みで倒れたら救急車の隊員さんに、
「さ、財布に。め、メモが…!!」
とダイイングメッセージみたいにつぶやく自分を想像いたしました。
卵巣嚢腫の人は割といて、私のパート仲間もそうでした。
お互いパートを辞めてからも(健診センターではない)時々会ってたのです。
彼女は私より卵巣が腫れていて茎捻転を起こし、バス停で倒れて運ばれ、緊急手術になったそうです。
さて。手術の日が近づいて参りました。
手術の前の検査が色々あります。耳たぶに針をさして血がちゃんと止まるかどうか、とか。それも問題ナシ。でクリア。
まだ若かったですし。血圧も血糖値もOKだったのです。
(遠い目)
そして、入院の前の日、最後の検査がありました。
「あの、卵巣の腫れをチェックされると言われましたが…」
「そうですね。」
そして検査。超音波を当てます。
「…腫れてない。」
「え?」
「卵巣が今、腫れていない。」
「はい?」
「手術する必要を感じません。」
「なんですって?という事は?」
「…手術も入院もキャンセルです。」
なんと。そんなことがあるのでしょうか。
あったのです。
どうも私の卵巣は生理周期で膨らんだり萎んだりする様なのです。
「…しばらく経過観察でいいでしょう。」
なんと。
それから二年ほど経過観察して、
「もう大丈夫。また検診で引っかかったら来て下さいね。」
「ハイ…」
と言うワケで卵巣嚢腫は42歳のとき治癒となりました。
切らなくて済んで良かったですよ…。




