第七話:いぶし銀の二つ名と、ササミの誘惑
「ギ〜ンちゃん! お座り! お手!……きゃあ、上手! 天才じゃない!?」 「(デヘヘェ……ワンッ!)」
健一が帰宅すると、土間では瀬戸がギンの鼻先にササミジャーキーを掲げていた。 ギンは尻尾をプロペラのように振り回し、もはや「野良のプライド」も「魔犬の規律」もササミの香りに溶けて消えている。
「……おい、ギン。お前、せっかくの『薄影の追跡者』が台無しだぞ」
健一が思わず口走った独り言を、瀬戸の地獄耳が逃さなかった。
「……チェイサー? 佐藤さん、今なんて?」 「あ、いや。……昔、この子によく似た犬が出てくる、俺の好きなファンタジー小説があってさ。その犬の二つ名が『薄影の追跡者』。地味なBランクの斥候なんだけど、確実な仕事をするんだ」
健一は冷や汗を拭いながら、咄嗟に「小説の話」として誤魔化した。 さすがに「俺たちの前世だ」とは言えない。
「へぇ、素敵な小説ですね。……もしかして、主人公にも格好いい名前があるんですか?」 「……まあな。そっちは『微温の魔導師』。派手な魔法は使えないけど、仲間が倒れない程度の魔力を絶え間なく流すだけの、これまた地味な中堅さ。……俺は、そういう脇役が一番好きでね」
健一は冷蔵庫からビールを取り出し、栓を抜いた。
「素敵です。……佐藤さんも、その魔導師さんみたいですね。派手じゃないけど、困った時にスッとそばにいてくれる感じがして」
瀬戸の屈託のない言葉に、健一は喉を鳴らしてビールを流し込んだ。 嘘は言っていない。ただ、その「小説」が自分の記憶だということを伏せているだけだ。 ギンは「(……クゥン♪)」と鼻を鳴らし、かつての必殺スキル『影潜り』を、おやつをねだるための「影からのひょっこり出現」に転用して見せた。 瀬戸が「あ! またひょっこり出てきた! 可愛い!」と大はしゃぎする。
「……おいギン。スキルの無駄遣いするな。お前、そのうち小説じゃなくて、ただの食いしん坊の喜劇になるぞ」
健一のぼやきを、瀬戸の明るい笑い声が包み込む。 「中堅の隠し事」を抱えたまま、一人と一匹の現代生活は、ほどよく「ぬるい」温度で続いていく。
第七話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、かつて戦場を駆け抜けた一人と一匹の「異名」に焦点を当てました。 「微温」と「薄影」。 最強ではないけれど、過酷な現場を支え続けてきた彼らのプライド。 それが現代の「ササミジャーキー」や「後輩の笑顔」にあっさり敗北する姿は、ある意味で彼らがこの平和な世界を心から受け入れている証拠でもあります。
しかし、あまりにぬるま湯に浸かりすぎたせいか、大切なものの「危機」に気づくのが一歩遅れてしまいました。 物語はいよいよ、現代の日常に紛れ込んだ「異世界の残響」との戦いへと加速します。
果たして、Bランクコンビはブランクを跳ね除け、大切な後輩を守り抜けるのか。 今後も彼らなりの「いぶし銀の戦い」を応援してください。
■ 次回予告:第八話「影の残響、瀬戸の窮地」




