第四話:お昼休みの遠隔テイム
「……佐藤さん、顔色悪いですよ? お昼、外で食べないんですか?」
後輩の女子社員が心配そうに声をかけてくるが、健一は「ちょっとスマホで調べ物があって」と生返事を返し、休憩室の隅へと逃げ込んだ。 コンビニの味気ないおにぎりを口に放り込み、Bluetoothイヤホンを装着する。
スマホの画面に映し出されたリビングは、惨泩たる有様だった。 先代から受け継いだ障子がズタズタに引き裂かれ、ギンが激しく吠えながら、床を前足で掻きむしっている。
「(……ガァッ! 人間……追い出す……殺す……!!)」
イヤホンから流れる唸り声は、明らかに「野良」の意識だ。 そして画面の端、縁側の向こうの庭に、ゆらゆらと揺れる「黒いモヤ」が見えた。 それは魔物ではない。この土地に溜まった、古い土着の「嫉妬」や「恨み」が形を成した霊的な残滓――「憑き物」の類だ。
「……最悪だ。ギンの野良本能が、あの不浄な気配に過剰反応してやがる」
このままでは家が壊されるだけでなく、ギンの魂までが現代の悪意に汚染されてしまう。 だが、ここは会社の休憩室だ。大声で詠唱なんてすれば、即座に産業医と面談コースである。
「……やるしかないか」
健一はスマホの画面上で、ギンの首元に設定した「仮装首輪」のアイコンをタップした。 昨夜、微弱な魔力を込めた「電波」で、擬似的な精神干渉を行うよう細工しておいたのだ。
「……ギン、聞こえるか。俺だ。……『共鳴』。落ち着け、あれはただのゴミだ。掃除は俺が帰ってからやる」
健一は周囲から見れば、スマホの動画を見ながら小声でボソボソと独り言を呟く、ちょっと危ないおじさんにしか見えないだろう。 だが、その声には「器用貧乏」な健一が唯一得意とする、対象を鎮めるための「調律」の魔力が乗っていた。
「思い出せ。お前は……銀の首輪をした、誇り高いギンだ。……野良の意地に、自分を食わせるな」
画面の中のギンが、ピクリと動きを止めた。 赤く濁っていた瞳の中で、茶色の光が押し返そうともがいている。 その時、休憩室のドアが開き、談笑しながら同僚たちが入ってきた。 「いやー、午後の会議、憂鬱だよなー」という世間話が響く。
「(……ウ、ゥゥ……ワンッ!!)」
ギンが空に向かって、一際高く吠えた。 それは威嚇ではない。自分の中の「闇」を振り払うための咆哮。 直後、庭にいた黒いモヤは、ギンの放った魔力の波動に圧されて霧散していった。
ギンは荒い息をつきながら、破れた障子の前で力なく座り込んだ。 画面越しに、健一を見つめるような視線が届く。
「……よくやった。……帰りに、いい肉買ってやるからな」
健一は小さく呟き、スマホを閉じた。 額には、冷や汗がびっしょりと浮かんでいる。 午後の始業を告げるチャイムが鳴り、健一は再び「しがない事務員」の仮面を被って、デスクへと戻っていった。
第四話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は「お昼休み」という、現代人にとって唯一の解放時間を、あえて「遠隔戦闘」の場に設定しました。 自分の魔力が及ばない距離で暴走する従魔。 それを救うのは強力な呪文ではなく、スマホの小さな画面越しに語りかける「器用貧乏」な男の、誠実な調律でした。
そして、物語はここから大きく動き出します。 健一が救ったギンの魂、その「野良の意識」が守り続けていた最後の欠片……。 それが、まさか職場の後輩である瀬戸さんに繋がっているとは。 現代の縁と、異世界の魂が交差する瞬間を、ぜひ次話で見届けてください。
次回予告:第五話「雨の夜の傘、彼女の記憶」




