第三話:お留守番と、現代社会の境界線
翌朝。スマートフォンのアラームが、容赦なく健一の意識を覚醒させた。 カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて、健一は重い体を引きずるように起き上がる。
「……あ、そうか。夢じゃなかったんだな」
視線を落とせば、畳の上で巨大な毛玉が丸まっていた。 ギンだ。 気配を察したギンが顔を上げると、その瞳は落ち着いた茶色――「ギン」の意識だった。
「悪いな、ギン。俺はこれから仕事だ。……お前はここでお留守番だぞ」
健一は、スーツのズボンに足を遠しながら言い聞かせる。 ギンは「(……クゥ……?)」と首を傾げた。 『主、戦いに行くのか? 俺を連れていかなくていいのか?』。そんな困惑が伝わってくる。
「戦いっていうか、まあ……別の意味で戦場だけどな」
健一は、前夜に錬金術で作った「即席・魔除けの結界」を家の四隅に配置した。 都会に比べて魔力(魂の残滓)が少ないとはいえ、野良の意識が暴走して家を破壊されてはたまらない。
「いいか、ギン。誰か来ても絶対に吠えるな。特に郵便屋さんと近所の婆ちゃんには牙を向くなよ。……『野良』の意識が出そうになったら、このガムを噛め」
健一が差し出したのは、魔力を込めて硬化させた特製の「牛皮ガム」だ。 ギンは不満げにそれを受け取り、ドサリと床に寝転んだ。
駅までの道中、健一はスマホの画面を眺めていた。 昨夜、即興でプログラミングした「従魔監視アプリ」。 家のペットカメラとギンの魔力波形を連動させ、遠隔でストレス値を確認できるようにしたものだ。
「……さすがに俺の低い魔力じゃ、ここまでが限界か」
満員電車に揺られながら、健一は溜息をつく。 隣のサラリーマンがスマホでゲームをしている横で、健一は「従魔の魔力漏洩」を監視している。 会社に着けば、待っているのは昨日と同じ、不毛な会議と修正依頼の山だ。
だが、ポケットの中で微かに振動するスマホが、ギンの存在を伝えてくる。 画面に映るギンは、大人しく丸まりながらも、時折、野良の意識が疼くのか、苛立たしげに尻尾を床に叩きつけていた。
「(……グルル……)」
オフィスでパソコンを叩きながら、健一は密かに思う。 この不自由な日常の裏側に、自分にしか守れない一頭の獣がいる。 その事実だけで、退屈なエクセルの表が、少しだけマシなものに見えていた。
■ あとがき:第三話 お留守番と、現代社会の境界線
第三話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、ファンタジーの華やかな部分ではなく、あえて「生活」のリアルな一面にスポットを当てました。異世界の英雄といえど、現代では一人の社会人。大切なパートナー(従魔)を養うためには、働かなければなりません。
スマホアプリを「魔導監視端末」に改造して、会社からギンの様子を伺う健一。 この「誰にも言えない秘密を抱えながら、日常をこなす」というシチュエーションこそ、現代テイマーものの醍醐味だと思っています。
果たして、ギンの「野良」の意識は、定時まで大人しく待っていてくれるのか。 そして健一は、昼休みのわずかな時間にどんな「戦い」を見せるのか。 不器用な一人と一匹の、ハラハラする共同生活をこれからも見守ってください。
■ 次回予告:第四話「お昼休みの遠隔テイム」




