第9話 消耗
森を抜けたとき、空が茜に薄く色づきはじめていた。
靴底に貼りついた森の名残が、歩くたび薄れていく。
近くの使われなくなった在所で、最後の休憩を取る。
聞くまでもなく、皆の疲労は限界だ。クィヴェラ族は心も削れている。
背負子の確認をしていたアルヴィンに声をかける。
「……予定より少し遅いな。このまま行くか?」
「この在所がもう少し整っていればよかったのですが……。野営は負担が大きいです。シンビルに入りたいですね」
「街に入っても、衛庁舎に寄ると長くなりそうだな。今夜は俺の家を使うか」
「そうですね。でもその前に、無事に門を通してもらえるかどうかですが」
「相変わらず心配性なやつだな。連中はギデオンを逃がすのではなく、口封じしたんだ。表沙汰にできないことは確定だろ」
行政庁の真意は読めない。黒衣の男は別筋の可能性もある。
今ある情報で考えたってわかることじゃない。
方針を決め、脚を揉んでいるゼディロに近づく。
「このまま街まで向かう。大丈夫そうか?」
「はい。ヴェリナさんが心配ですが……」
森での襲撃で黒衣の男を仕留めた小柄な女はヴェリナというらしい。
脚を裂かれた後すぐに洗浄と止血は済ませ、促癒薬も投じたが、所詮あれは自然治癒を急がせるだけだ。
すでに発熱が始まり、食事も取れていない。早く横にさせてやりたい。
老夫婦を背負子に括り直し、交代で運ぶ。
俺は軽荷帯の帯環に手持ちの革紐や巻布を結んで、前吊りの簡易担架を組んだ。
ヴェリナをそこに寝かせ、なるべく負担がないよう進む。
華奢な彼女は、仮に軽荷帯の効果がなかったとしても運ぶことは苦ではなかっただろう。
とはいえ、重さに関係なく俺の行動は制限される。
ここから先は街道だ。大した魔物は出ないことを祈ろう。
「あと少しだ。我慢してくれ」
ヴェリナの息は荒く、言葉もなく小さくうなずいた。
✣ ✣ ✣
やがて空の色が落ちはじめ、魔導灯のカンテラを灯した。
カリーナは明るく振る舞い、クィヴェラ族に声を掛け続けている。
シンビルの外壁が覗き、皆の歩調がわずかに軽くなる。
南門へ近づくと、気付いた門兵から声がかかった。
「おう、ルーク。ずいぶん大所帯だな。何があった?」
「保護対象十二人、負傷者あり。詳細は明朝、衛務庁に報告する。頼む」
門兵は話を聞くと荷と人を素早く一巡し、記録札を差し出す。
「許可する。要るものがあれば衛兵の詰所から使いを出すぞ?」
「助かる。乳漿水を貰って家に届けてほしい。それと、エンシオのところに頼んで人数分の飯を手配してくれるか。そっちは後で自分で取りに向かう」
「了解。すぐ向かわせる」
最低限の検分を終えた俺たちは、門兵に礼を告げ市内へ入る。
シンビルは広い。南門から中心部までは坂が続き、距離もある。
今夜は南門近くの小さな丘の上にある俺の家へ向かう。この人数ならなんとか収まるだろう。
家に着くと、先にヴェリナを客用の寝室へ運びこむ。
他は倉庫で荷を下ろし、玄関脇の洗い場で汚れを落とす。張りつめていた表情が、ようやく少し緩んだ。
使いに走ってくれた衛兵から乳漿水を受け取る。
単に乳漿を水に溶かしたものだが、病人の栄養補給にうってつけだ。
ミュナが乳漿水をヴェリナの口元へそっと傾けると、乾いた唇が湿り、喉が小さく上下した。
ミュナはうなずき、ヴェリナの脈と呼吸を確かめる。
意識もはっきりしている。ひとまず安心だろう。
この場はミュナに任せて、俺は改めて倉庫に向かうと、普段は使用していない魔導具を取り出した。
霞蔽筒――こいつは魔力を通すと、定まった範囲に薄い殻膜を張り、光の屈折を狂わせる。
庭の中心に置いて手を添える。魔力を思った以上に吸われ、疲れた身体にはこたえた。
ミーリなら家の中にいても誰か近づけばすぐに気づく。街中なら衛兵の巡回もある。これで十分だろう。
「俺はエンシオのところへ行ってくる。狭ければ居間の長机はどけて、倉庫にある敷物と座卓を使ってくれ」
アルヴィンたちに任せ、南区の住宅地を走る。
角を曲がったところに、エンシオが切り盛りする酒場の灯りが見えた。
外まで賑やかな声が漏れ、扉を引くと鈴が鳴った。
「エンシオ、急ですまんな」
「ようルーク。ちょうどできたぜ」
炒めた根菜と肉を葉菜で包んだ柔萵葉包みや、霜大麦パンなどを、包んで袋に詰めてくれる。
「こっちのシチューは鍋ごともってけ。また飲みに来いよ」
「ああ。無理を言って悪かったな。助かった」
代金を支払い、袋を帯環に掛けて鍋を担ぎ帰路につく。
すれ違う知り合いに「こんな時間に炊き出しか?」なんて冗談を投げかけられながら家に戻る。
裏口から台所に入ると、カリーナが顔を出した。
「お鍋、温め直しますね」
カリーナが灼環盤に魔力を流してくれ、俺は鍋を置く。
「ありがとう。……少しはみんな落ち着いたか?」
「はい。ミュランくんなんて、見たことないものばかりで興味津々の様子ですよ」
ミュランは三人家族のうちの男の子で、まだ六つぐらいだろうか。幼い子では唯一の生き残りだ。
雑多な道具だらけの家が珍しいらしく、目がよく動く。その様子に、周りの顔つきも少し和らいだ。
道中からずっとカリーナは彼らに目を配っている。こういうところは彼女の美点だ。
居間に座卓を出し、飯を並べる。
「遠慮せず食べてくれ」
「なにからなにまで世話になり、申し訳ない」
はじめは少しずつだったが、食べ始めると徐々に手を伸ばす頻度も増える。口に合ったようでよかった。
食事を終えると、少しずつ皆の口数も増えてきた。
ヴェリナも乳漿水のほか、二口ほどは食べられたようで、今はリュティスが様子を見てくれている。
寝床は簡単に決め、個室は女性陣優先で使ってもらう。
湯寛桶や浴湯室の使い方も説明した。
初めて見る魔導具に戸惑いつつも、新鮮味を感じているようだった。
食器を片づけ、ゼディロに向き直る。
「明朝、俺とアルヴィンと共に衛庁舎へ赴いてもらう」
「……はい」
「すでにエツィナの戦業士が報告をあげているはずだ。シンビルの上層部にも話は回っているだろう。門を潜れた時点で、いきなり荒事になったりするようなことはない。あまり心配するな。あったことを正直に話すだけでいいんだ。とりあえず今日は、なにも考えず休んだほうがいいと思うぞ」
「お気遣い、ありがとうございます」
ゼディロは深くうなずき、他のクィヴェラ族もそれに倣う。
(さて……)
アルヴィンと短く目配せをして外へ出る。
夜風に庭が撫でられる。
裏手に回って、丸太を割っただけの椅子に腰を沈める。
「なんとか無事に帰ってこれたな」
「はい。最善を尽くせたとは言えませんが」
「予めわかっていたならまだしも、あんな森の中じゃ他にやりようもなかっただろ」
「決断に時間がかかったことで、取れる選択肢を狭めました」
俺だって出足が遅れたことに後悔がないわけではない。
特務局の連中だって、殺さずに済ます方法はあったかもしれない。
理想を語るのとやるのとでは大違いだ。
しばし沈黙が流れ、改めて切り出す。
「俺たちは衛務庁の戦業士だ。独業戦人のようなはぐれのやつらと違う。依頼に背いたこと、後悔はないか?」
「虐殺に手は貸せません。見ているだけ、というわけにもいきませんでした」
「ましてや行政庁からの依頼だ。ギデオンの様子はおかしかったが、クィヴェラ族が本当に反乱因子の可能性はある」
「真っ先に逸脱したあなたが、それを言いますか」
「……俺は、ああいうのは、どうしても許せないんだ」
「俺も同じです。俺たちも、それ相応の覚悟をもって行動しました」
こちらを見るアルヴィンの目に嘘はない。
「そうか。ならいいんだ」
「ルークさんは本当にやさしいですね」
「何だよ急に、おちょくってんのか?」
「違いますよ。カッコいいなって。本当に尊敬してます」
俺が鼻を鳴らすと、アルヴィンは笑って先に戻っていった。
あの調子なら、心配する必要もなかったか。
俺も後に続くと、軒先でリュティスが空を見上げていた。
「念のため、今夜は中にいとけ」
声を掛けると、彼女は胸に手を当てて振り向いた。
「はい。気をつけます」
「……昨日とは随分、雰囲気が違うじゃないか」
「その……あのときは少し、胸の高鳴りが抑えられず……」
リュティスが頬を赤らめ、視線を逸らした。
「よくわからんが、クィヴェラ族にとっては大事なことなんだろう? 逃げはしないから、明日改めて話そう」
「はい。ありがとうございます」
寝室へ向かう背が、戸口で振り返る。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
家の中では寝息が重なり、布の擦れる音がときおり静けさを区切る。
ふと空を見上げると、雲間に一つだけ星が覗き、すぐに見えなくなった。




