第26話 調和
山道から見える果樹園では、斜面の杭に留まる影鳴鷹の尾羽が風に揺れていた。
香蜜檎と雪滴梨の収穫は終わりが近く、樹勢の弱まった果樹がどこか心細く映る。
見上げれば峰にはうっすらと冠雪していた。隣を歩くヴェリナの白い息にも、暦よりひと足早く凛季の気配が滲んでいた。
山道を経てタルビル山の調査地点へ足を運ぶ。
少し前にこのあたりで爆錨貂熊が出たが、マルコのチームが討伐した。
触れた物に時間差で爆発する印を刻む厄介な魔物で、山岳地に稀に出現する。
単独行動を好む魔物だが、残存個体がいないか事後の調査を行うのが今回の依頼だ。
人の往来がある場所で不規則に魔物が出た時は、決まってこういった調査が行われる。
俺からすれば軽めの依頼だが、ヴェリナにとっては戦業士として初めての依頼だ。
「依頼の地はこのあたりだな。区画ごとに潰していくぞ」
「了解」
支給された地図に従い、静かな山林を北の崖際から順にくまなく調べる。
割れた岩やくぼんだ地面、樹の幹に残る小さな爪痕など、戦闘の名残りが色濃く残る。
ここはシルヤ川の源流の近くでもある。
苔むした地には樹脂が外傷薬の原料になる弧檜が並び、根元の露岩の縁には小さな赤い実をつけた枝葉が点在していた。
ヴェリナがしゃがんで、赤い実を手に取った。
「これは何の実?」
「苔絳実だな。爆錨貂熊も食べそうだが、その形跡はないな」
「採集した跡はあるけど、食べられるの?」
「ああ。律季に生る実で、ジャムにして売られている。レイパユーストによく使われているな。生だと酸っぱいが、食べられなくはないぞ」
ヴェリナが苔絳実を一粒摘み、軽く拭って口に入れた。
「うーん……酸っぱすぎて、あんまり美味しくないかも。その、レイパユーストって?」
「牛乳を固めて焼いた、焦げ目のついた平たいチーズみたいなものだ。甘いジャムを添えて食べる」
「そうなんだ、美味しそう。食べてみたいな」
「苔絳実もいいが、レイパユーストなら甘雲苺のジャムが一番人気だろうな。今ならまだ新物が瓶詰めで出回っているだろう。帰りに店に寄ってみるか」
甘雲苺は涼しく日当たりのいい湿潤な泥炭地という、限られた環境でしか採れない貴重な果物だ。
近年では首都カレンティナから北西にあるトールオという街の東高原で栽培され、陽季から律季にかけてそれなりに出回っている。
直近の痕跡がないことを確認し、二手に分かれて目印を付けながら探索を続ける――。
三時奐ほどかけて広い範囲を調べたが、爆錨貂熊の形跡は見つからなかった。
あらかじめ決めておいた地点でヴェリナの戻りを待つ。
倒木を足場にして見晴らしのいい岩場に登ると、強い陽射しに思わず目を細めた。
ひらけた先、遠い丘陵地に抱かれるように、外壁に囲まれたシンビルの街が小さく浮かぶ。
西門の外の大牧場では、羊の群れが白い帯となって流れていた。
茂みの揺れる音に振り返ると、ヴェリナが近くに来ていた。
手を取って岩場に引き上げると、彼女は景色を見て小さく息をついた。
「羊の群れが、巻雲みたいだね」
「そうだな」
「あの羊たちは、魔物に襲われたりしないの?」
「近くに牧羊犬の雪飾犬がいるはずだ。群れをまとめて、危険があれば吠えて知らせてくれる」
「あの、街にいる足の白い犬?」
「それはおそらく穣白犬だな。猪なんかを追い払うために飼っている農家が多い。雪飾犬も似た犬だが、もう一回り大きく、差し毛の多い犬だ。こっちは放牧している家畜の群れの誘導や見張り役だな」
「そうなんだ。どっちも賢いんだね」
穣白犬も雪飾犬も、昔から人と生活を共にしてきた。
ヴェリナは口元を緩ませ、流れていく巻雲を眺めた。
しばらく景観を堪能し、静けさを背にタルビル山を後にした。
✣ ✣ ✣
衛庁支部へ調査報告を終えて家に帰ると、庭にリュティスの姿が見えた。
リュティスの眼の前で、小さな光が輪を描く。
規則正しいその軌道は、魔術制御の精密さを物語っていた。
荷物を置いてヴェリナと庭へ出ると、手を止めたリュティスがこちらを向いた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。魔術の鍛錬か?」
「はい。魔術の精緻さを磨ければと」
リュティスはうつむき加減に答えた。
かなり精巧な魔術に見えたが、本人はあまり納得していない様子だ。
「さっきのは、クィヴェラ族がよくやる訓練なのか?」
「いえ、自分で考えたものです。伝承も途絶えてしまっていますから……」
耀斐司としての力を磨くといっても、確固たる道標はない。
常に手探りの状況では不安もあるだろう。トラナレイで何か手がかりがあるといいが……。
ヴェリナも真似をして光の粒を動かしてみるが、リュティスほど速くきれいに動かすのは難しいようだ。
しばらく二人が魔術の鍛錬をする様子を眺めていると、家の前の坂下から足音がした。
視線を向けると、相変わらずの嫌味なくらい端正な顔立ちが爽やかな笑顔を浮かべて近づいて来る。アルヴィンだ。
「こんにちは」
「おう、どうした? 家に来るのは珍しいな」
「少し尋ねたいことがありまして」
言いながら、アルヴィンは鞄から赫銘鉄が使われた脚鎧を取り出した。
「カリーナから、ルークさんの遺創具の件をうかがいました。これは迅鋼脚鎧という脚鎧です。軽く頑丈で、多少の歪みや傷は時間をかけて元通りになります」
「俺の不虧勍断刃と同じ類か」
遺創具にはこういった実用性に特化したものが意外と多い。
だが、迅鋼脚鎧は不虧勍断刃より使われている赫銘鉄の量が多そうだ。
「できれば見ていただけないかと思ったのですが、お忙しかったですか?」
「忙しくはないが、リュティスは疲れていないか?」
「大丈夫です。こちらは魔力を流しても何も起こらないのですか?」
「傷の修復に影響があるのかと思っていましたが、はっきりとはわかりません。これが鑑定書です」
差し出された紙片を三人で覗き込む。
――迅鋼脚鎧。
剛捷併せて瞬冴を宿す。
而して迅雷が如く、其の歩みを濁らせず。
羽殻は徒に流紋を翳す。
而して紅翼は地に浅く、其の澱に暇あらず。
「また随分と叙情的だな。リュティスは何かわかるか?」
「聞き馴染みのある言葉はありません。遺創具に少し触れさせていただいてもよろしいですか?」
「どうぞ」
アルヴィンが差し出した迅鋼脚鎧にリュティスが触れて、目を瞑る。
ひとときの静寂を冷たい風が区切り、ゆっくりと金瞳が開かれた。
「おそらく、この遺創具も形を変えて使うものだと思います。試してみてもよろしいですか?」
「はい。お願いします」
アルヴィンがうなずくと、リュティスは脚鎧を自身に装備する。
留め具が蠢いて固定されると、ほどなくしてくるぶしから膝にかけて大小の絢爛な薄紅銀の羽が咲いた。
「……それが、真の姿ですか?」
「なんだか、空を駆け回れそうな造形ですね」
アルヴィンは脚鎧の変化に驚嘆し、ヴェリナも興味深げに顔を寄せた。
「おそらく、それに近い能力だと思います。わたくしが試してみてもよろしいですか?」
小首を傾げたリュティスにアルヴィンがうなずく。
彼女は周囲を見回すと庭の端に向かって歩き、置いてあった木箱に上った。
「おい、気をつけろよ?」
「大丈夫です。遺創具を使ってみます。少し離れていてください」
渋々下がる俺たちをよそに、リュティスは余裕の笑みを浮かべている。
迅鋼脚鎧が淡く輝いた瞬間、リュティスが箱から飛び降りた。
薄紅銀の羽が風を切って、甲高い音を立て宙を滑る。
俺たちの周りをぐるりと一周すると、音もなく着地した。
「こんな能力を秘めていたのか……俺も試してみてもいいですか?」
「はい。お返ししますね」
迅鋼脚鎧を装備したアルヴィンは、同じように箱上から一度試すと、すぐに感覚を掴んだようだ。
塀を蹴って大きく宙に跳び、銀閃が風を裂いて空気を震わせた。
「とんでもない速度だな。あれじゃ目を開けていられないだろ」
「わたくしにはあのような動きはできそうにありませんでした。遺創具の能力よりも、身体操作の影響が大きいようですね」
庭の端まで一瞬で飛んでいったアルヴィンは、速度を保ったまま岩を踏み高く跳び上がる。
流れるようにこちらへ戻って来ると、ふわりと着地した。
「リュティスさん、ありがとうございます! 素晴らしい能力だ!」
「お役に立てたのならよかったです」
「しかし、この能力はなぜ隠されていたのでしょうか。使わないという選択肢があるとは思えないのですが」
「もしかすると、能力を使う時だけ形を変えていたのではないでしょうか? 大きな羽が動きの妨げになりそうですし……それに、少々目立つ意匠かと」
確かに、大きな羽は動くと身体に触れるし、妨げになるであろうことは一目瞭然。
意匠も洗練されてはいるが幻想的すぎて、街中でアルヴィンがこんなものを身につけていたら一際目を引くだろう。
アルヴィンは能力に意識が向きすぎていたのか、リュティスの言葉にハッとした。
「……形はクィヴェラ族の方にしか変えられないのですよね?」
「今のところ、そのようですね」
「……」
しばし、沈黙が漂った。
「いいじゃないか。便利な能力だし、似合ってるぞ」
「……」
笑いを噛み殺した俺の言葉に、アルヴィンは無言で抗議を示す。
「……これ以外の形には変えられそうにありませんか?」
「一度、試してみます」
リュティスが優しく微笑んで、再度迅鋼脚鎧を身に着ける。
その後、試行錯誤の結果、羽の部分の整形には幾分かの自由度があり、多少なりとも風を切る形になっていれば機能することが判明した。
アルヴィンは胸を撫で下ろし、リュティスに深く感謝の意を表した。




