第23話 対岸
藪を裂いて姿を表したのは、巨大な鹿だった。
枝分かれした青黒い角は豪壮で、角先に向かって青みが増している。
「水導鹿……かなり大きいですね」
カリーナの言葉どおり、水導鹿にしてはかなりでかい。
通常は二珊尺もないはずだが、三珊尺ほどはあろうか。
縄張り意識が強く、気性が荒い魔物だ。警戒心を露わに、対岸に陣取っている。
「ヴェリナ、さっきの水刃に気をつけろよ。角を向けられたら直線上から逃れろ」
「わかりました」
水導鹿から目を離さず、俺たちは徐々に散開する。
低い鳴き声が瀬音を割って、角先がカリーナに向けられるのを見て、俺は間に割り込んだ。
不虧勍断刃で水刃を叩き落とす。
俺が防いだのにあわせて、カリーナが入れ替わるように前に出る。
一方、その間を狙ってヴェリナが空気弾を撃っていた。
脚を狙ったようだが、水導鹿は跳躍してやり過ごす。
着地の刹那、カリーナの波揺振輪が鈍く煌めいた。
放たれた衝撃波は巨鹿を捉えたが、ぐらついただけだ。すぐに立ち直り、水際へ駆ける。
「隠れろ!!」
水導鹿が枝角を大きく振るう。
角先が川面を撫でると、水流が巻き上がる。
角を覆うように水が纏わりつき、水導鹿は身を沈める。
宙に浮かんだ水は無数の槍を形どって、俺たちに襲いかかった。
俺は目の前のカリーナをすくい上げるように抱え、歪乱進甲に助けられつつ岩陰に滑り込んだ。
遠くでヴェリナが木陰に隠れているのが見える。あっちもなんとか無事なようだ。
岩の狭間から対岸を覗き見ると、水導鹿の周辺は嵐のように荒れ狂っていた。
「水場だと本当に厄介な相手だな」
「ですね……早瀬の対岸から現れたのも運がなかったです」
「強引に押し切れなくもないが、手立てがあるか?」
「これが効くでしょうか」
カリーナが軽荷鞄から赤銀の円環具を取り出した。
「それは?」
「乱魔閃環という遺創具です。発した光を直視させることで魔力を乱します」
「ほう。試す価値はありそうだな」
目眩ましを仕掛けることをヴェリナに仕草で伝える。
水槍の波が弱まる機を窺い、水導鹿の視線を惹きつけるように岩場から出る。
不虧勍断刃で水槍をしのぐ俺の背後から、カリーナが環をかざした。
扇状に瞬いた光は巨鹿の目を灼いて、低い唸り声とともに水槍の雨が途絶えた。
俺はその瞬間、川に向かって走った。
歪乱進甲に魔力を通して跳躍する。
赫銘鉄の胸当てに跳ね上げられるように悠々と川を越える。
その勢いのまま大剣を叩きつけるが、すんでのところで躱される。でかい図体の割になかなか素早い奴だ。
――その時、視界の端でヴェリナが手を向けているのが見えた。
俺は足を止めずそのまま追撃する。軽々と躱されるが、同時に俺も後ろへ跳んで大きく間合いを取った。
ざわめきが肌を撫で、水導鹿が孤立した先に青白い筋が走る――。
巨鹿をなぞった糸を辿って、稲妻が蛇行する。
電光に貫かれた水導鹿は痙攣し、よろめいて膝を折った。
動きを止めた巨鹿に詰め寄った俺は、不虧勍断刃で首元を抉る。
断末魔を上げることもなく、水導鹿は血に濡れて沈んだ。
濡れた髪と剣についた血を振り払い、息を整える。
対岸の二人も、川面から露出した岩を伝って慎重な足取りでこちらに渡ってきた。
「ヴェリナ、怪我はないか?」
「大丈夫です。強敵でしたね」
「ああ。だが、咄嗟の割にうまく連携できたじゃないか。水導鹿は五環級のチームでも苦戦することがある難敵だ」
「ルークさんが気づいていなければ、初撃の時点で危なかったかもしれません」
ヴェリナの言葉にカリーナもうなずく。
「ひとまず、こいつを片付けて小屋に戻ろう」
水導鹿も血と内臓を抜いたが、小屋まではそれなりに距離があり担ぐには重すぎる。
この場で処理することもできるが、皮より肉のほうが価値がある魔物だ。
分割切断して三往復することで、どうにか小屋まで運んだ。
✣
小屋で休憩を挟み、解体にかかる。
毯河狸で価値があるのは毛皮、肉、香嚢だ。
このままでは持ち運びが手間なのもあるが、処理の丁寧さは衛務庁の査定にも影響する。
作業用の小屋なだけあって、川から水が汲み上げられるようになっている。
備え付けの桶に水を張り、ヴェリナに教えながら作業を始める。
先に香嚢の口を糸で結んで外し、乾いた布で汚れを拭き取る。
軽く塩を振って、にじみ出た水分を拭き取ったら小袋に分けておく。
次に皮を剥ぐ。こいつの毛皮は分厚く、脂質が多い。
剥いだ毛皮は内側に粉末の木炭を振りかけて、毛を濡らさないように注意しながら、薄めた泡茎樹の煎液でぬめりを落として陰干ししておく。
排水は川には流さず、外に穴を掘って地面に埋める。あとは肉を分けるだけだ。
毯河狸の一連の処理をヴェリナに教えたところで、俺は水導鹿の処理に移った。
こいつの肉は脂身が少なく淡白だが、クセがなく柔らかくかなりうまい。
皮を剥いで腱を抜き、肉を切り分けていると、カリーナが身を乗り出して覗き込んだ。
「こんなに大きな水導鹿、珍しいですよね? 結構な収入になりそうじゃないですか?」
「肉だけでも相当だろうな。冷晶箱に入るか心配だ」
もともと毯河狸狩りの予定だったので、肉が手に入るのを見越して、狩猟携行用の冷晶箱を持ってきていた。
余裕を持った大きさの物を選んだが、水導鹿ほどの大物はさすがに想定外だ。
水導鹿は肉以外にも価値がある。
枝角は切り離すのが難しいので、頭骨ごと持ち帰ることにした。
ヴェリナは角から水が放たれていたことが気になったらしく、切り離した頭骨をまじまじと観察している。
「独特な色味ですが、きれいな角ですね」
「美品は装飾品として人気だな。今回のは欠けもあるが、この大きさなら良い値がつきそうだ」
「今日の狩りでどのくらいの稼ぎになるんですか?」
「そうだな……毯河狸は衛務庁に渡すが、十一匹分なら肉は十六万フェイぐらいだろう。香嚢は十一万。毛皮はこの処理なら十四万といったところか。水導鹿の肉は四十万以上。皮は分けちまったから、合わせて六万。腱が二万。角は買い手次第だが、二十万は固いんじゃないか?」
税を引かれて三人で割っても三十万フェイ以上の収入だ。
「すごい金額ですね。でも、これだけ肉がとれるのは確かに貴重ですね」
「水導鹿の肉はうまいぞ。せっかくだ、自分たちの分も取っておこう」
肉は布で包み、詰め込みすぎないように冷晶箱に収めていく。
狩猟用の冷晶箱は肉の保存に適した温度になるように調整された設計で、一度の魔力供給で半日は冷蔵が持続する。
家にも据え置きの冷晶箱はあるが、ヴェリナは初めて見た携行用の冷晶箱の冷気に目を輝かせる。
「便利な道具ですね。こういった長期的な作用は私たちの魔術の苦手とするところです」
「持続型の魔導具がない生活は考えられないな……おっと、木板の隙間に指を入れるなよ?冷晶石に直接触るのは危険だからな」
俺の声にびくりと身体をすくませたヴェリナに、カリーナが微笑む。
「ヴェリナさんは、街に来てから他に興味を惹いた魔導具がありましたか?」
「どれも素晴らしいものばかりですが……やはり、一番驚いたのは流座ですね」
「あ~。流座は本当に快適ですよね。水道のある都市だけの特権ですね」
カレジナ王国は水に恵まれた国だ。
その中でも水浄化の遺創具、澄命涵台がある首都のカレンティナとシンビルは、やはり別格だろう。
「流座は、機能自体には魔力を使っていないのですよね?」
「そうですよ。水槽の水を重力で流すだけの機械仕掛けでうまく流れるように調整されているんです。魔導具になっているのは下水処理の関係ですね」
下水処理の肝は水に含まれる不純物を分解する浄濾環だ。
当初は下水道の下流側に複数の浄濾環を配備する形で運用されていたが、汚水を無害化して放流するには相当数が必要で、政庁支部の担当者だけでは魔力供給の負担が激しかった。
そこで負担の分散が図られ、最終的には建物ごとの分枝の合流点に小型の浄濾環を設置して、流座から魔力を供給できる仕組みにしたことで、住民が日常的に魔力供給を行うことを促してこの問題は解消された。
喋りながらも作業は淡々と進み、手の空いた者から帰り支度を始める。
肉はなんとか冷晶箱にすべて収まった。
毛皮は騎獣車の後部で、日に当たらないように布で覆って竿に吊るしておく。
今から出れば日が暮れる頃には街に戻れるだろう。
来るときよりも何倍も重くなった騎獣車に満足しつつ、小屋を後にした。
✣
河畔林を抜け、緩やかな上り坂に入るところで御者をヴェリナに代わってもらう。
カリーナには荷を見張ってもらい、俺は降りて歩くことで悠舒馬の負担を減らす。
背に差す西日にむずがゆそうに、悠舒馬が小さくたてがみを揺らした。
「ヴェリナ、戦業士になりたい気持ちに変わりないか?」
「はい。ルークさんの目から見て、どうでしたか?」
「実力は十分だろう。前に話した通り、単身でというのは少し不安は残るかもしれんが……カリーナは同じ魔術師としてどう思った?」
「チームは組んだほうがいいと思います。女性で単身だと賊にも狙われやすいですし、何かにかこつけて言い寄られるのも本当に鬱陶しいので……というか、ルークさんと組めばいいんじゃないですか?」
それについては俺も考えていた。
今日の手応えなら相性は悪くなさそうだが……。
「最初から六環級の俺と組むとなると、白い目で見る奴もいる。気にしないというのなら、俺とチームを組む前提で衛務庁に推すこともできるが……どうだ?」
「えっと……ルークさんは、よろしいのですか?」
「俺もチームを組むことは前から考えていた。いい機会かもしれないな」
俺の横で速度を落として走る騎獣車の御者台で、手綱を短めに握るヴェリナは深く息を吸った。
「では……よろしくお願いします」
「よし。なら、狩りの報告ついでに衛務庁に話をしよう。人となりは審査されるが、ヴェリナならまず問題ないだろう」
胸の底で、言い表せない温もりがじんわりと脈を打つ。
悠舒馬の歩調も、わずかに軽くなったような気がした。
荷台からカリーナのからかい声が飛び、高原を撫でる風に溶ける。
遠くに見える西門に夕陽が差し込み、光を吸って燦めいて見えた。




