第18話 鍛錬
広場から帰ってきた昼下がり。
家に戻ると、居間の長椅子でヴェリナが冊子をめくっていた。
彼女の話では、マリュはすでにゼディロたちの新居に連れていったという。
綾絆者の力が示すところでは、あいつはクィヴェラ族の命運に関わるのかもしれんが、真偽は定かではない。
その力も、あれからは特に目立った反応はない。
クィヴェラ族については明日、情報屋でなにか進展があればいいのだが……。
鞄から備刻円環を取り出し、壁に釘を打って飾る。
リュティスは彩転晶の淡い光に満足げだ。
「おそらく半月は動くと思うが、念のため、八日石――左端の日石の色が変わるたび魔力を補充したほうがいいだろうな」
「はい。忘れないように書き留めておきたいのですが、紙と筆はありますか?」
「あるぞ」
俺は棚から筆記具を出し、卓上に並べた。
「クィヴェラ族は皆、カラヴァ語の読み書きができるのか?」
このカラヴァシル大陸ではカラヴァ語が大陸共通言語となっている。
カレジナ王国で簡単な読み書きができるのは七割から八割ぐらいだと聞いたことがある。
田舎じゃできない者も多いらしいが、街に住んでるやつは大体できるはずだ。
「里にカラヴァ語の書物がありましたから、簡単なものでしたら皆できるはずです。わたくしは父に教わりました」
ヴェリナも冊子を読んでいるのだから問題ないのだろうな。
長椅子へ目をやると、問われたと思ったのかヴェリナが小さくうなずいた。
リュティスが紙の上端に『Nýlano』『Lokto』『Fláu』『Asilje』と書き込む。
「八日石は明日、黒に変わる。次に青になる九日後からでいいんじゃないか」
「では、その日から魔力供給が終わるたびに一本ずつ線を引いていきます」
リュティスが時計のそばに紙を置くと、備刻円環を見上げる。
ちょうど刻石が、赤から黄に音もなく色を転じた。
華やぎが増した部屋の中で、窓から吹き込んだ凛とした空気は晴石岩に触れてほどけていった。
✣ ✣ ✣
午後、身体を動かしておこうと庭に出た。
歪乱進甲を腕に付けると、興味を引かれたらしいリュティスも外へ出てくる。
庭の隅に置いてある木製の腰掛けを軽く払い、軒下に置いてやる。
ヴェリナは体調が芳しくないようで、先ほど寝室にこもってしまった。
「ヴェリナは寝たのか?」
「はい。ここ数日、あまり眠れていないようです。一人になると考え込んでしまうみたいで……」
「心の傷は時間がかかる。できるだけ一緒にいてやろう」
彼女がうなずくのを見届け、庭の中央まで歩く。
歪乱進甲に目を落とし、指先で触れる。
靭蛮熊狩りでも思ったが、俺はまだまだこの遺創具を使いこなせていない。
不虧勍断刃を抜き、踏み込んで振り下ろすと同時に籠手へ魔力を通す。
狙いどおり、背後に引っ張られるように力が働く。その力に逆らわず後ろへ大きく跳ぶ。
鑑定紙には『力の伝達方向を歪める』と書かれていたが、魔力量により明らかに力が増幅されている。
靭蛮熊に止めを刺したとき、魔力を注ぎすぎたせいか勢い余って上手く着地できなかった。
もう一度、不虧勍断刃を振り下ろし、先ほどよりわずかに多く魔力を流す。
横向きに束ねた力に身体が振られ、滑るように流れた勢いで膝が崩れかける。
咄嗟に地面に大剣を突き立てて身体を支えた。
不意に動かすと調整が難しいものの、事前に考える時間さえあれば、今でもそれなりに扱える自信はある。
いっそ、あらかじめ使い方を絞っておいたほうがいいだろうか……。
「あの、少しよろしいでしょうか?」
軽く動かしながら考えていると、離れて見ていたリュティスが控えめに声を掛けてきた。
「どうした」
「その魔導具ですが、少し違和感があります」
「違和感……?」
近づいてきたリュティスに籠手を見せる。
手触りなど確認して、何か考え込んでいる。
目に見えない何かを探すように、指先が赫銘鉄をなぞる。
「一度、外していただけますか」
「構わないが……」
俺が外した籠手を受け取ったリュティスは、籠手の内側や細部など入念に調べる。
魔力は込めず、重心の偏りを確かめるように籠手を傾ける。
「これは、籠手ではないのかもしれません」
「どういう意味だ」
リュティスは歪乱進甲を自分の身体に当てて、魔力を流す。
「うおっ、なんだ!?」
歪乱進甲が淡い輝きとともに、輪郭がほどけて編み直されていく。
籠手の形は見る影もなく、胸当てのようにリュティスの身体に張り付いた。
「ある程度の大きさなら、自由に形を変えられるようです。おそらく、前の使い手は籠手として使っていたのでしょう」
「信じられん……形そのものが変えられるだと……?」
遺創具は装者に合わせていくらか大きさを合わせる機能を持つものがある。
だが、原型をとどめた範囲内でしか調整は効かない。形自体が変わるものなんて見たことがなかった。
リュティスは胸当てを外したが、形はそのままだった。
俺は返してもらった歪乱進甲の胸に当てる。
彼女に合わせて変形した胸当ては、俺にとってはかなり小さかった。
だが、付けようとした途端、ゆっくりと蠢いて俺に合った形に変形していく。
「なぜわかったんだ?」
「言葉にするのは難しいのですが……この金属は、魔力への反応が明らかに他と異なっています」
「赫銘鉄か。初めて見たときも、使われている量が多いことは少し気になったが……まさか、形を変えられるとはな」
張り付いた胸当ては軽く、動きの邪魔にならなさそうだ。
「試してみる。離れていてくれ」
「はい。お気をつけて」
リュティスが下がったのを見て、歪乱進甲の胸当てにわずかに魔力を入れる。
身体の軸がずれた感覚はあるが、籠手のときほどの違和感はなかった。
俺は不虧勍断刃を振り下ろし、歪乱進甲を使って硬直を消すように上体ごと跳ね上げる。
勢いがつきすぎて身体が宙に浮く。思ったとおりとはいかなかったが、体勢は崩れずそのまま着地した。
相変わらず魔力への反応は敏感すぎる。だが、籠手のときよりも断然扱いやすい。
難しいことに変わりはないが、偏りがなくなった分、はるかに挙動がわかりやすくなった。
「他の形も試してみるか」
胸当てを外し、腰に当てて魔力を流す。だが、形を変えることができなかった。
俺が首を傾げると、リュティスが再度近づいてきた。
「うまくいきませんか?」
「ああ、どうやったんだ?」
胸当てを渡すと、リュティスは難なく形を変えてみせる。
二人で試行錯誤するが、何度やっても俺にはできなかった。
「もしかすると、形そのものを変えるのには、魔術の素養が必要なのかもしれません」
「魔力を流すだけでは駄目、ということか。どういう感覚なんだ?」
「わたくしとしては、魔力を流しているだけの感覚ですが……」
魔力の扱いは感覚的なことだ。比べようがない。
その後、リュティスに手伝ってもらいながらいろいろと試したが、結局、胸当てが俺には合っていると感じた。
槍や棒のように武器にも変えられないか試したが、身体に張り付く形でしか変えることはできなかった。
夢中で試す俺に、リュティスが心配そうに声を掛けてきた。
「少し休まれたほうがいいのではないでしょうか。魔力の使用量は少なくても、連続使用は危険です」
「そうだな、ちょっと休むか」
リュティスの隣に腰掛けを並べて座る。
「その遺創具は、どこで手に入れたものなのですか?」
「ティナの父親のやってる商店で買った。最近、ここから南にあるセビッツって町の近くに魔源窟が見つかってな。そこから出土したらしい」
「魔源窟……ですか」
「周期的に一定数の魔物や素材が吐出される領域のことだ」
「それは存じています。魔源窟から遺創具が手に入るのですか?」
「魔源窟から見つかるものは多いな。むしろ、研究者の中には遺創具が原因で魔源窟が生まれているのでは、なんて言っているやつもいる。何も見つからないときもあるから信憑性は低いけどな」
リュティスはしばしなにか考え込んだ。
顔を上げ、呟くように口を開く。
「遺創具は、やはり我々一族に関わりのある物なのでしょうか」
どうやら、考えていたのはクィヴェラ族の過去に関することのようだ。
「……何か感じるものがあるのか?」
「ルークさんに形が変えられなかったというのは、やはり気になります」
「たしかにな。魔術を使える種族が他にいたという話も聞いたことはない」
思考を巡らせるリュティスは、何かひっかかるものがある様子だ。
それにしても、なんで籠手の姿だったんだろうか。
前の所有者に思いを馳せていると、冷たい風が吹き抜けて、家の窓が小さく鳴った。
「寒くなってきたな。中に入るか」
「はい。ヴェリナさんの様子をのぞいてきます」
「ああ、頼む」
土を払い、倉庫の扉を開ける。
胸に視線を落とすと、濃紅の金鉄に手を当てる。
意に従ってするりと外れた胸当ては、窓から差し込む陽光を吸って、息づくように輝いていた。




