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第15話 湖魚

 遠くに鶏鳴が聞こえる早い時間。寝台から抜け出すと、部屋の空気の冷たさに小さく身体が震えた。

 一階へ降り、ある程度の武装と凍棘鱒(クリストフィスク)狩りに必要なものを揃える。


「おはようございます」


「リュティスか。起こしちまったか?」


「いえ。今日は一段と冷えますね」


「そうだな。そういえば、暖籠炉(カルナモル)の使い方はわかるか?」


 首を横に振ったリュティスを炉の前に呼ぶ。


「魔力を通すと、管の部分が熱を持つ。炉の周囲に積み込まれた晴石岩(ハルルマ)という石が熱を蓄える。そいつの放つ熱気で部屋を暖めるんだ。やってみるか?」


「はい。ここに触れればいいのですか?」


 俺がうなずくと、リュティスが魔烏紅金(マカラニウム)の魔力伝導部に触れ、暖籠炉(カルナモル)に魔力を通した。

 管からじわりと熱が伝わり、ゆっくりと晴石岩(ハルルマ)が白みを帯びていく。リュティスは興味深そうに眺めている。


「思ったより魔力を使わないのですね」


「持続型の魔導具は負担が少ないものが多い。効果もそれなりだが、生活道具はそれぐらいが丁度いいもんだ」


 俺は暖籠炉(カルナモル)の出っ張った部分を指差す。


「そこの調整桿(レバー)を左に倒しておけば、今の季節ならちょうどいいだろう。右に倒せば管との接触部分が増えて、より暖かくなるぞ」


「なるほど。よく考えられていますね」


「俺は今から出かける。家に帰るのは夜になる」


「わかりました。いってらっしゃいませ」


 まだ瞼の重そうなリュティスに見送られ、家を出る。静かな街路を抜けて西門へ向かう。


 昨日、ヴェリナが退屈しないようにと、うちにあった冊子をまとめて渡しておいた。

 貰い物で、俺も読んだ覚えのないものばかりだった。

 武勇譚や恋愛譚だったはずだが、暇つぶしにはなるだろう。

 リュティスとヴェリナはそれを読んで共に過ごすようだ。

 ゼディロたちは新しい家の掃除の続きをするらしい。


 俺が向かうは北西のタルビル山だ。目的の凍棘鱒(クリストフィスク)は山奥の湖にいる。

 タルビル山へは果樹園通いの人向けに騎獣車が出ており、職員以外も金を払えば乗れる。

 今日はそれを使って向かうつもりだ。



 ✣



 西門を出てすぐ、騎獣車の並ぶ小広場で御者に声をかけた。


「タルビル山まで凍棘鱒(クリストフィスク)を狩りに行きたい。頼めるか?」


「はいよ!すぐに出るなら二万フェイを人数割り。定刻発の相乗りは赤刻に変わったら出る。そっちなら一人三千五百フェイだ」


 赤刻まではまだ時間がある。

 凍棘鱒(クリストフィスク)の狩りは時間がかかるし、早めに出たほうがいいだろう。


「すぐに出たい。頼めるか?」


「おう!もし急ぎなら、晞毛馬(シーロス)じゃなくて兎貌馬(シャレイラ)で行くかい?」


「そうだな。兎貌馬(シャレイラ)で頼む」


「はいよ!兄ちゃんはデカいが、あと二人は乗れるか。相乗りするやつがいるか、探すかい?」


「どちらでもいい。すぐに乗りたいやつがいるならいいぞ」


 御者はうなずき、振り向くと大きく声を張る。


「タルビル山に急ぐやつはいるかー!兎貌馬(シャレイラ)車で二人までだ!一人いれば一万フェイ、二人いれば六千六百フェイで出すぞー!」


 ちょうど門から出てきた二人組が手を上げて近づいてきて、兎貌馬(シャレイラ)車で問題ないことを確認すると相乗りが決まった。


「はいよ。約束どおり一人六千六百だ」


 御者が空の幣環体(フェイオル)を差し出す。

 いわゆる(から)フェイというやつで、受け取った額がひと目でわかるので取引を誤魔化されにくい。

 主要の幣環体(フェイオル)同士で直接やり取りするのは、揉め事の原因になりやすい。

 幣環体(フェイオル)自体は大量に出回っており、不要なものは政庁支部や衛庁支部で回収して無料配布している。

 複数持ち歩くのは盗みの対策にもなり、国からも推奨されている。

 俺も主要の幣環体(フェイオル)軽荷帯(レヴァ・ルヴィアス)の帯袋の奥に入れてあり、普段使いは帯環に紐でぶら下げた別の幣環体(フェイオル)だ。

 

 支払いを終えると、御者が綱具を荷台の金具と繋ぐ。兎貌馬(シャレイラ)の長耳がびくりと震え、草を食うのをやめた。

 御者が御者台に座り、荷台へ顔を向ける。


「出発するぞ!揺れるから気をつけてな!」


 騎獣が嘶き、走り出す。騎獣車の揺れに耐える時間はなかなか苦痛だ。羽運車(アラアウルカ)の荷台は特に揺れがきつい。

 兎貌馬(シャレイラ)は足が速いが、たまに跳ねるように走る癖がある。

 標準の晞毛馬(シーロス)や、足は遅めだが安定感のある悠舒馬(ムーデン)とは比べ物にならないほどに揺れがひどい。

 だが、歩けば時石が二度は色を変える山麓までの距離が、兎貌馬(シャレイラ)車ならその半分ほどで済む。

 短い距離なら我慢できないほどではない。


 遠くに見える山の南側は、ゆるやかな斜面が続く。

 そこに広がるのは二種類の実のついた樹木だ。

 赤い香蜜檎(アルプル)は酸味と甘みがちょうどよく、豊かな香りが特徴的。

 緑の雪滴梨(ペアラ)はなめらかな食感と強い甘みで、芳醇な香りが際立つ。

 甘味や酒など様々な料理に使われるこれらの果実は大々的に栽培されている。


 山裾で降りて御者に礼を言うと、斜面の山道を登った。



 ✣



 登りきったところで山の懐が開け、脇にトンネルが見えた。

 やたらと冷たい風の抜ける薄闇を抜けると、白んだ湖が現れる。

 吹き抜けから入る風が水面を撫で、薄い氷の膜が流されて岸辺の岩に当たって砕ける。

 まだ水が凍るような季節ではないが、湖の周りは一段と冷え込んでいる。

 広い浅瀬に、銀の影が一瞬ちらついた。目的の凍棘鱒(クリストフィスク)だ。


 魔物ではあるが、戦闘力はない。

 背鰭(せびれ)の棘に触ると凍傷になる恐れがあるが、それさえ気をつければ危険はない。

 臆病な気質の魚だ。釣り餌にも滅多に掛からないし、人の気配がすれば深く物陰に潜り込む。


 ポケットから堅殻実(オーゼル)を出し、細かく砕いて岸寄りに撒く。

 この堅果は、こいつらの好物だ。釣り針が無ければ、ナメた個体なら人がいても湖面まで喰いに出てくることがある。

 持ってきていた儺水豹(セラギノス)革の外套を羽織り、長い棒先に網が付いた道具を握る。

 あとは気配を消して、ただただ反応を待つだけだ。


 湖面を見つめながら思うのは、ヴェリナのことだ。戦業士(アミスト)に興味を持つとは意外だった。

 見た目も華奢で、荒事とは無縁そうな印象があった。

 カリーナなどもそうだが、後衛職でも細いなりにしっかりと鍛えられている。

 クィヴェラ族の魔術にそれを補う術はあるのだろうか。一緒に狩りにいくのは楽しみだ。

 そういえば、カリーナもクィヴェラ族の魔術には興味がありそうだったな――。


 外套にくるまっていても肌寒さが辛くなりはじめた頃、湖面に動きがあった。

 光った銀影に合わせて、長柄の網を水の面と同じ角度で素早く静かに滑らせる。

 縁を先に沈めて、魚の逃げ道を塞ぐように、重たい氷水ごと包み込む。

 体ごと柄を持ち上げると、網の中に一匹の凍棘鱒(クリストフィスク)が収まった。

 脂がのった身は、厚みもあり食べごたえもありそうだ。

 他の魚は既に湖底に逃げている。また湖面に出てくるまで気配を消して待つ。これの繰り返しだ。


 凍棘鱒(クリストフィスク)は常温では長く保たない。

 獲ったそばから湖辺で内臓を抜き、塩を振る。

 冷晶盤(フロストラ)の上に並べると身がきゅっと締まった。


 何度か失敗しながらも、昼すぎには自分の分とタリアの分、それに追加で数匹を確保した。

 獲った魚を鞄の中で二枚の冷晶盤(フロストラ)で挟み込み、立ち上がる。


 雲が日を隠したのを合図に、山を降りた。

 麓に降りるころには日も傾きかけていた。

 定刻発の騎獣車を待ち、街へ戻った。



 ✣ ✣ ✣



 夕暮れの中、その足でタリアの家へ向かった。

 扉を軽く叩くと、中からタリアが出てきた。


「約束のものだ。腹だけ抜いて塩を振ってある」


「仕事が早くて助かるよ」


「俺も久しぶりに食いたかったしな。それに、昨日は助かった」


「あの娘、しばらくあんたの家に住むんだってね?」


「まあな。見かけたら声をかけてやってくれ」


「言われなくてもそうするさ。凍棘鱒(クリストフィスク)、ありがとうね」


「ああ、またな」


 タリアの家を離れ、細い道を北に折れる。向かう先はアルヴィンたちの家だ。

 アルヴィンたちは南区の中でも中央区寄りに住んでいる。

 四軒が連なったような造りで、同じ家の中で別々の暮らしもできるような形になっているらしい。


 暗くなりはじめた街に、窓から魔導灯(ルミラ)の光が漏れている。

 門柱の魔烏紅金(マカラニウム)に触れて魔力を流す。

 しばし待つと、家の中から呼び鈴の澄んだ音がかすかに聞こえた。

 魔烏紅金(マカラニウム)に繋がった小型の速動樽(タキコルヴ)が揺れ、その力が室内の鐘に伝わり音が鳴る仕組みだ。

 門と家が離れた造りの家では、こうした呼び鈴がよく使われる。


 玄関の扉が開き、出てきたのはカリーナだった。


「ルークさん。こんばんは。どうしました?」


「おまえ、たしか凍棘鱒(クリストフィスク)が好きだったろ。今日取りに行ったんだが、よかったらどうかと思ってな」


 鞄の中身を見せると、カリーナが笑みをこぼす。


「わぁ、ありがとうございます!とりあえず中へどうぞ」


 客間ではなく、四家共同の広い居間に案内される。部屋にはミーリもいた。

 カリーナは凍棘鱒(クリストフィスク)をしまいに台所へ消えた。

 俺はミーリに勧められた椅子に腰を下ろす。


 部屋の中は暖かかった。暖籠炉(カルナモル)の周りで晴石岩(ハルルマ)が熱を帯びて白くなっている。


「まだ桂月(十月)だが、今日は冷えるな」


「ですね。こんなに寒いのに凍棘鱒(クリストフィスク)を取りに行ったんですか?」


「タリアに借りがあったんでな。それに、この時期は脂がのって美味いぞ」


「へー……わたし、魚ってあんまり食べないんですよね。リゼッタに行った時に食べたけど、あんまり好きじゃなかったなぁ」


「北の海の魚は臭いし味気ないのが多い。凍棘鱒(クリストフィスク)も淡白だが、臭みは少ないし旨味もあるぞ」


「ほんとですかぁ?」


 魚をしまったカリーナが戻ってくる。


「ルークさんも、夕食がまだなら食べていきませんか?」


「まだだが、リュティスたちがどうしたかわからん。すぐに帰ろうと思っていたのだが……」


 リュティスが料理をすると言い始めたとき、俺がいないときは俺の分は考えなくていいと伝えている。

 時間の定まらない稼業だし、用意してもらったものを無駄にするのも忍びない。

 だが、今から帰ればちょうど夕飯時ではある。まだ準備せずに待っている可能性もなくはない。


「まだ作るのに少し時間がかかります。もしよかったら、一度戻ってリュティスちゃんたちに聞いてきますか?」


「いいのか?なら、そうさせてもらおう」


「はい。お待ちしてます」


 そうと決まれば足早に家へ向かう。

 ヴェリナももう、このぐらいの距離なら問題なく歩けるだろう。


 家に戻ると、夕食はまだだった。事情を告げると、二人ともぜひと答えた。

 戸締まりをして、今度は三人で夜道を北へ向かった。

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