第14話 料理
家へ戻ると、香草の甘い匂いが廊下まで満ちていた。
俺が帰ったことに気がついたリュティスが居間から顔を覗かせる。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。タリアはもう帰ったか?」
「はい。たくさん学ばせていただきました」
居間に入ると、卓の中央に大鍋が陣取って湯気を立てている。
樽脚羊の肉と甘葱頭、橙蔔を炒め、仕上げに芳勒草を散らした料理だ。
脇には地恵芋のなめらかなスープと、買ってきた霜大麦パンも添えられている。
ゼディロもすでに戻ってきており、俺の帰りを待っていた。
「おかえりなさい、ルークさん」
「ああ。ゼディロも早かったな。新しい家のほうは順調か?」
「まだ細かいものが足りていませんが、数日中には一通り揃いそうです」
「別に急がなくてもいいんだぞ。ヴェリナが完治するのもまだかかる。この家も自由に使うといい」
「ありがとうございます。ヴェリナさんも、起き上がれるようになったみたいで……」
会話の途中、ちょうど客用の寝室の扉が開く。
ゆっくりと歩いてくる足音に目を向けると、ヴェリナが扉口に姿を見せた。
ミュナが付き添ってはいるが、自分の脚でしっかりと歩けている。
「歩けるようになったか。無理はするなよ」
「ええ。ご迷惑をおかけしました」
「気にするな。このぐらい迷惑でもなんでもない」
ヴェリナの黒髪は緩くひとつに束ねられている。
体つきは細いが、ここ数日の食の細さによるものではなく、もとからの線の細さだろう。血色もよく不健康そうな印象はない。
「リュティスたちが料理を作ってくれたが、席について食べられそうか?」
「はい。ご一緒させてください」
「よし。なら早速食事にするか。せっかく作ってもらったんだ。冷めてしまってはもったいない」
手を洗い、皆で卓につく。
皿に取り分け、ひと口。羊肉と甘葱頭の旨味がしっかりと出ており、橙蔔の甘味があとから追いかけてくる。塩加減もちょうどよく、芳勒草の香りが料理を引き立てている。
「美味いな。タリアの教えは役立ったか?」
「はい。調理方法だけでなく、旬のお野菜やお勧めのお店まで、丁寧に教えてもらいました」
「あいつは子が生まれるまでは近所の料理店で働いてたんだ。そのあたりの事情にも詳しいはずだ」
「また分からないことがあれば声をかけて、と仰ってくださいました」
「そうか。よかったな」
リュティスは嬉しそうに、顔をほころばせる。
レティアは霜大麦パンをちぎってスープに浸し、やわらかくして食べている。
ゼディロもミュナも笑みを浮かべていた。
息つく間もなく濃い時間が続いたが、あの襲撃からまだ三日しか経っていない。
笑顔の奥にはまだ複雑な思いが見え隠れしている。
皆が前向きに再起できることを願っていると、ヴェリナから視線を感じた。
目があった彼女は一瞬目を伏せると、遠慮がちに口を開く。
「あの、促癒薬という治療薬を使っていただいたと記憶しています。貴重なものだったりしましたか?」
「促癒薬は戦業士なら安く手に入る。気にしなくて大丈夫だ。詳しく説明する時間もなく、悪かったな。促癒薬は効果が強い分、身体には相当な負担だっただろう」
「いえ、そんな。感謝しかありません。必ずお礼をさせてください」
「あまり気にするな。とにかく、まだ安静にしておけよ。しばらくは傷が開きやすいだろう。瘢護薬の貼薬を後で渡すから、数日のあいだは患部に貼っておくといい」
「……はい。ありがとうございます」
ヴェリナは素直に礼を口にしたが、まだ何か気になることがある様子だ。
少し間を置いて、再度彼女は口を開いた。
「……あの。戦業士というのは、どういったものなのでしょうか」
急な問いに少し驚いたが、手短に説明する。
「戦業士ってのは、衛務庁の管轄下にある実働部隊だ。各支部が国や市民からの依頼を取りまとめ、戦業士がそれを受ける。衛兵や門兵みたいに軍に固定勤務しているわけじゃなく、不規則に起こる荒事の対処や行商の護衛、魔源窟の素材回収なんかが主な仕事だ」
「えっと……国の兵士の一種、ということですか?」
「名目上は衛務庁の所属だが、衛兵たちとは少し扱いが違うな。戦業士は資格さえあれば依頼を受けられるし、仕事量も自分で調整できる。ノルマをこなせば安定した報酬ももらえる。あまりに蔑ろにすれば資格を剥奪されることもあるがな」
「衛務庁に所属している名目があることで、市民からの信用を得て荒事を解決している……ということでしょうか?」
「そんなところだな。一応、衛務庁に所属せずに同じようなことをやっている独業戦人ってのもいるぞ。半端者や揉め事を起こす連中も多く、賊扱いされるやつも少なくない。田舎じゃ用心棒として成り立っている場合もあるが、基本的にあまりいい印象は持たれていないな」
「それって、私でもなることができますか?」
「なんだ、興味があるのか?」
「その……」
少し言い淀んだヴェリナに変わり、ゼディロが口を開く。
「ヴェリナさんは里でも狩りをしていました。襲撃の際も、一人返り討ちにしていたそうですね。ディマロさんが助けられたと言っていました」
ディマロは確か、老夫婦の旦那のほうだったか。
そういえば特務局の隊員の死体にも、俺が手をかけたものじゃないのが数人いたな。
俺はヴェリナに目線を戻した。
「戦業士は特に危険な仕事だ。資格試験では腕前だけでなく人間性も審査される。その上で三環級まではあまり収入もない。戦いが得意だというのなら、適正はあるだろうけどな」
「魔術が使えるというのは、利になりませんか?」
「戦闘のような目まぐるしい状況下で魔術を扱える者は貴重だ。カリーナなんかも魔術主体だな。ただ、長期戦や連戦に向かないのは明確な欠点だ。瞬間的な火力は結構なもんだが、持続力に乏しい。クィヴェラ族はそのあたり、どうなんだ?」
「長期戦に向かないというのは同じようなものかもしれません……」
「それと、魔術師のような後衛職はよほど突出した者でもない限りチームを組むのが基本だが……新人の聡慧人だと、このあたりではチームが見つからないことも多いと聞く」
「その、聡慧人というのは?」
「あ、悪い。変な言葉じゃないんだ。今の世界の大半を占めている俺たちの種を穎理人。例えばゴースジェル共和国のシュミエナ族のような、尻尾を持ち情動を感じ取るといった、穎理人にない身体的特徴や特殊な能力を持っている種を、聡慧人と呼んでいる」
「なるほど。チームを組むのが難しいというのは、何故でしょうか?」
「カレジナ王国にはあまり聡慧人はいないんだ。特にこの周辺ではほとんど見ない。能力がどれだけ有用であっても、信じきれるかどうかは別の話だ。命を預ける相手になる。よく知らなければ慎重になるやつも多い。それに、そうじゃないやつと組むとこっちが困る場合もある」
「そうなのですね……」
「まあ、最初の頃は固定で組まずにその都度チームを探すようなやつもいる。四環級まで上がれば魔術師なら引く手数多だろう。適正試験だけでも受けてみるのはいいとは思うぞ。俺もクィヴェラ族の魔術というのは多少興味がある。完治したら試しに一緒に狩りにでも行ってみるか」
「! ぜひ、お願いします!」
ヴェリナは静かに頭を下げ、少し照れたように笑った。
彼女もやることを見つけようとしている。ならば、なるべく手を貸したい。
食後、卓を片づけてから倉庫へ入った。
積まれた木箱の奥から、きらびやかな枠を取り出す。
リュティスたちとの話で出た備刻円環だ。
四季環が外枠代わりに外周を縁取っており、内側に八つの彩転晶が組み込まれている。
恒刻円環をそのまま小さくしたような形だ。
シンビルの恒刻円環は盤面がゆっくりと回転しているのに対し、この備刻円環は壁面などに取り付ける平面状で造られている。
埃を払って、倉庫の入り口わきに立てかける。ちょうど渡り廊下の先で目があったリュティスが近づいてきた。
「それがおっしゃっていた時計ですか?光が灯っていないようですが、魔力が切れているのですか?」
「そうだな。ただ、このまま魔力を入れても、わけのわからん時刻になっちまう。明日はタリアの魚を取りに行くから、明後日にでも政庁舎に行って合わせてみるか」
「はい。ご一緒させてください」
倉庫から出て居間に戻ると、笛のような甲高い声が聞こえた。
居間の端の布の中を覗くと、小獣が立ち上がりこちらを見ている。
レティアも駆け寄ってきて、一緒になって覗き込む。
「わぁ!マリュ、元気になったの?」
「マリュ?名をつけたのか」
「うん。尻尾が栄穂草みたいだから、マリュ」
先端に穂がついた野草だったか。言われてみれば、なんとなくそんな形をしている。
助けたのはいいが、この先をどうするかまでは決めていなかった。
だが、今でも怪我が治ったあと野に返すと想像すると、胸の奥に例の忌避感がじわりと響く。
俺がなんとも言えない反応をしてしまったせいか、なにかを察したレティアがおずおずと口を開く。
「ねえ、このコ、わたしが面倒みてもいい?」
「俺は構わんが……ゼディロとミュナに相談したほうがいい」
「うん。聞いてみる」
クィヴェラ族は魔物との親和性がある。レティアが二人に確認したが、あっさりと了承されたようだ。
ゼディロの新居が形になれば、こいつもそちらへ移ることになるだろう。
「おまえ、これからは安心して暮らせそうだぞ。よかったな」
「キューッ」
マリュの嬉しげな声が、居間に響く。
内在する波紋が喜びに揺れるのを感じながら、今日は早めに床についた。




