第10話 報告
小さな丘の上から見下ろす街は、まだ半分眠っているようだった。
屋根に残る白露が朝の陽射しをはじいた。
家のことはカリーナたちに任せて、アルヴィン、ゼディロと三人で衛庁舎へ向かう。
道すがら、視線がいくつかゼディロに吸い寄せられる。
黒い髪と金の瞳は日中だと少し人目を引く。
衛庁舎の受付で記録札を出し、昨日の入市について報告する。
クィヴェラ族の確認は、職員同行で後ほど俺の家で行う段取りになった。
勝手に依頼に背いたわりに、手続きは滑らかだ。エツィナや門兵からの報告で、ある程度の状況は予測していたのだろう。
「承りました。支部長がお待ちです。奥へどうぞ」
早い時間は職員もまだ少なく、静かな廊下を奥へ進む。
部屋に入ると、ラザードが立ち上がって出迎えた。
「ルーク、アルヴィン、ご苦労さん。で、そちらが……」
「ゼディロと申します」
挨拶もそこそこに、いつもの席へ腰を下ろしかけたところで、ラザードに手で制された。
「すまん、今日はこっち側に座ってくれ」
誰か来るってことか。深くは問わず、言われた通り斜め向かいの席に腰を下ろす。
「クィヴェラ族か。外見の特徴は確かに一致する……ゼディロさん、失礼ですが何か証明できる手立てはありますか?」
短く間を置き、ゼディロは指に柔らかな光を灯す。
魔導具を通さない常識外の光は、すぐに空気に溶けて消えた。
「……なるほど。確かに、噂どおりです」
ラザードが静かにうなずき、口を開きかけたときノックが響いた。
「支部長、参事官がいらっしゃいました」
ラザードが席を立ち、俺たちもそれにならう。
扉が開き、見知らぬ男が入ってきた。身なりに品がある。
男はラザードと短く握手を交わし、穏やかな声で切り出した。
「行政庁参事官のネルセン・オルノと申します。突然の非礼をお詫びします。まずは、クィヴェラ族の保全に尽力くださったこと、心から礼を申し上げたい」
想定していなかった展開に、思わず声が漏れる。
「どういうことだ……?」
ラザードがネルセンに席を勧める。
皆が席についたところで、ネルセンはラザードへ一度だけ視線で断りを入れ、それから続けた。
「昨日、ラザード殿には概略をお伝えしました。今回の依頼は本来、クィヴェラ族の保護が目的でしたが、特務局第二戦隊のギデオン隊長が指示を逸脱し、内容を偽装した形跡があります」
アルヴィンが低い声で問う。
「ギデオンは独断でクィヴェラ族の虐殺を行おうとした、という理解で間違いありませんか?」
「はい。同局第三戦隊と結託していました。近頃、行政庁と衛務庁の折衝が激しくなり、その混乱に乗じて密かに事を企てたようです。誠に恥ずべきことです」
「……ギデオンたちは、なぜそのようなことを?」
「彼らの個人的な思想は周囲の者から確認されていますが、動機の全容は調査中です。何者かに唆されたのかもしれません。できれば、現地での顛末を伺えますか」
アルヴィンが、ギデオンとの出会いから集落での出来事、クィヴェラ族を連れ帰ったところまでを正確に伝える。
クィヴェラ族の内情や、リュティスの件には触れていないが、嘘偽りなく話した。
ネルセンは短く相槌を打ち、眉根を寄せる。
「なるほど……度し難いですな。詳細な報告ありがとうございます。内密なことですが、現在、行政庁では過去のカレジナ崩律をめぐる誤解の是正に動いています。現行政庁は先人の行いを軽挙妄動だったと断じており、クィヴェラ族はこの国に必要な人材と認識しております。今回クィヴェラ族に死者が出るような結果となり、心よりお詫び申し上げます」
頭を下げるネルセンに、アルヴィンが改めて質問をする。
「いきさつの中で説明しましたが、ギデオンを始末した黒衣の男には心当たりがありますか?」
「いえ、その情報だけでは思い当たるものはございません。しかし、そのような存在は見過ごせません。こちらで調査させていただきます」
物腰は終始丁寧で、言外の含みもない。
話の区切りでネルセンは立ち上がり、皆も後に続く。
ネルセンが懐から幣環体を取り出し、卓上へ置いた。
「報酬については、こちらをお受け取りください。今回の痛ましい結果に対し、わずかでもお慰めになればと」
提示された額面は当初の条件を大きく上回っていた。
疑念と静寂だけが漂い、俺とアルヴィンは立ち尽くす。
いったんラザードが報酬を預かると、ネルセンがゼディロに向き直る。
「ゼディロ殿、今後についてはまだ考えもまとまらないでしょう。怪我人もおられることです。どうか今は、シンビルでご静養ください」
「はい。ご配慮ありがとうございます」
「落ち着かれた折に、行政庁で正式にお話を伺えればと思います。長官からの書状も預かっています。集落にお持ちする予定だったものですが、こちらに」
ゼディロが書状を受け取った瞬間、胸の奥で冷たい波紋が広がる。理由はわからないが、手紙には妙な嫌悪がまとわりついていた。
ネルセンは一歩下がり、姿勢を正す。
「それでは、またクィヴェラ族の皆さまが落ち着かれた頃に、改めて伺わせていただきます」
丁寧に一礼し、静かに部屋を後にした。扉が閉まる直前まで、笑みは崩れなかった。
「……すんなりだな」
扉が閉まると、見送ったラザードが椅子に腰を下ろす。
「昨日、ネルセン殿から話を聞いたときは肝が冷えたぞ。依頼に背いてくれてよかった、というのは少々癪だが……」
「国の命令で虐殺に手を貸すぐらいなら、戦業士なんて辞めて革命軍でも立ち上げるさ」
「そうか、そんときゃ俺も入れてくれ」
軽口を交わすラザードと俺に、アルヴィンが視線を向ける。
「支部長、ネルセン殿がシンビルに来られたのはいつ頃ですか?」
「昨日の夕方だったが、どうした?」
「保全が目的なら謀略に気づいた時点で、まず集落へ向かうのが自然ではないですか?」
「そりゃ、できるならそうしたかったんだろうが、ネルセン殿ひとりじゃどうしようもないだろ」
「……いつ気づいたのかにもよりますが、確かにそうですね」
「なんだ、疑ってるのか?」
アルヴィンの疑問はもっともだ。俺も同調する。
「まるで初めから仕組んでいたかのように穴がないのは気になる。それに、あの書状。あれはやけに嫌な感じがした」
「なんだよ、嫌な感じって」
「……なんだと言われてもわからんが、そう感じた」
話の最中に感じた冷たい波紋が、何故か無視できない。
説明できないもどかしさに口をつぐんでいると、ゼディロが静かに口を開く。
「もしかすると、綾絆者の教えかもしれません」
ラザードが首をひねる。
「綾絆者? なんの話だ?」
ゼディロの家での出来事を話すと、ラザードは短く息をついた。
「おとぎ話ではないよな?」
「これに関しては、俺もまだ何もわからん」
ゼディロが書状を開いてみたが、ありきたりな招待状のようなものだった。
なんとも言えない空気の中、ラザードが仕切り直す。
「ま、これ以上言っても仕方ないだろ……いずれにせよ、落ち着くまではこちらで面倒を見る。先のことは今すぐ決めなくていいんじゃないか。住まいは、南区に空き家が何軒もある。行政庁支部のほうで確認してくれ。アルヴィン、頼めるか」
アルヴィンがうなずくと、ラザードは俺に向き直る。
「で、疲れてるところ申し訳ないんだが、ちょっと急ぎの依頼が一件あってな。ルーク、これ頼まれてくれないか?」
「この状況で普通頼むか?どんだけ人手不足なんだよこの支部は」
「今朝上がったばかりの情報だ。南西の洞穴があるだろ?あそこに靭蛮熊が住み着いたらしい。街から近すぎる。早めに片付けたいが、みんな出払っててな」
今から出れば夕方には戻ってこられる距離だ。
依頼票を覗き込んだ瞬間、また胸の底に小さな波紋が広がった。
思考より先に、胸の奥から「受けろ」と強く押される。
理由はうまく言えないが、口が先に動く。俺の身体は本当にどうしちまったんだ?
「……わかった。一度家に寄るが、すぐに出る」
ため息混じりに受諾すると、ラザードは笑顔でうなずき、依頼票を差し出す。
「すまんな。よろしく頼む」
アルヴィンとゼディロも一度家まで戻り、クィヴェラ族数人を加え住まいを探すつもりらしい。
受付に戻るとアイリスが出勤していた。
クィヴェラ族の件を話すと、アイリスが同行を申し出たので、四人で家に向かった。
✣ ✣ ✣
家に戻ると、アイリスは卓上に書類を広げ、身分証発行のための情報を手際よくまとめ始めた。
俺は客用の寝室から出てきたミュナに声を掛ける。
「ヴェリナの様子は?」
「傷は治りかけで、まだ熱があります」
「喋れそうか?」
「意識ははっきりしていますので、大丈夫かと」
ほどなくしてヴェリナも含め、全員の情報をまとめ終わる。
アルヴィンがこれからクィヴェラ族の住まいを探しに行くことを説明すると、ほぼ全員が同行することになった。
唯一、ヴェリナの看病にリュティスが残ってくれるらしい。
「家を見に行かなくていいのか?」
「わたくしは、ここに住ませていただきたいと思っております」
俺の質問にリュティスがよどみなく答える。
唐突な宣言に場が固まる。思わずゼディロの顔を見ると、なんとも言えない表情をしていた。
書類を片付けるアイリスの手が止まる。
「……ルークさん、説明していただけますか?」
声音は柔らかくも、責めるような冷たさがあった。
俺が誑かしたとでも思われているのだろうか。
「俺が聞きてえよ。リュティス、どういうつもりだ?」
リュティスは、じっと俺の目を見つめる。
「耀斐司としての直感が、あなた様とともにいるべきだと告げています」
彼女の声は穏やかで、直感とは言うが確信を持ったように言い切る。
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の奥でも導かれるように微熱が灯った。
「……俺がその提案を受け入れるべきだと感じているのも、綾絆者とかいう力によるものか?」
「わたくしも未熟者ゆえ、推測にすぎません。しかし、確かな繋がりは感じております」
胸に手を当てたリュティスの柔らかな眼差しに、初対面のときを思い出した。
耀斐司の力がそうさせるのか、少し昂揚しているようにも見えた。
「……数軒先の空き家も少し手を加えれば住めると思うが、そこではだめか?」
「お望みでしたら、そのようにいたします」
見るからに悲しそうなリュティスの姿に良心が咎める。
周囲の「まあ」「あらあら」といったざわめきが、余計に負い目を感じさせた。
俺は一度逃げるように声を発した。
「……今から少し依頼に出なくてはならない。夕方には戻る。それから改めて話をする。いいな?」
「はい。お待ちしております」
自分の家なのにやけに居心地が悪く、普段より素早く準備を終える。
いまだ不確かな鼓動を抱えたまま、洞穴に向けて帯を締め直した。




