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黄金の朝日

 【幸せになりたい。楽して生きていきたい。誰もが思うことだろう。もしそんなことが本当に叶うなら、あなたはどうする?私は掴み取る、幸せを。この手で】

 こんな広告が出回るようになってから、しばらく経つなぁ。どうせ眉唾もんだろ。俺は煙草の煙を肺に目いっぱい充満させて思考を巡らせる。こんな可愛い子にこんなくそ真面目な顔させてくだらねぇこと言わせてんじゃねぇよ。と肺に詰まった煙を吐き出す。

 「あ、タバコきれた……くそ、ついてねぇな……」

運の尽きだ。最後の一本を吸いきってしまった。コンビニに行って今日の分の煙草を買わなければならない。その前に、自分の吸ってる煙草が置いてあるかが問題であることに気付く。

 「あそこのコンビニの店員の子、可愛いから通いたいんだけどなぁ……。俺の吸ってるタバコ、置いてないんだっけ……」

 俺の吸ってるアークロイヤル・スイートは、コンビニではまず見かけない。小さな煙草屋でも売ってない。煙草専門店か、ドンキで稀に見かける程度くらいでしかお見かけしない、気難しい船長なのだ。そんな気難しい船長は甘いチョコレートケーキの香りがして、こんな厳つい顔したオッサンが、チョコレートケーキ食ってんのかと想像したら笑えてきて、それ以来嗜んでいる。

 「行きますか、驚安の殿堂の本店に。あそこなら置いてるだろ、俺の船長さん。カートンで買ってやる」

 この前スロットで結構ボロ負けしたけど、煙草がないと生きていけないのは、喫煙者の性である。

 「あー……金でも降って湧いてこないかなぁ……」

 新宿の職安通りを足早に通り過ぎようとした時、ふと道端にキラリと光るものを見つけた。小銭でも落ちてるのかと期待して近づいてみたら、金色に光を放つ人間の手だった。

 「は?なんだこれ……」

 ぐいっと引っ張ってみると、ガラガラとゴミや缶ビールの空き缶の山から、金色に光る腕と、薄い布一枚しか纏っていない少女が怯えきった眼差しでこちらを見ていた。

 「あなたも、私の身体の金が欲しいの……?」

 「え、いや、つか、君、大丈夫?腕、どしたの?」

 「……私の金が欲しくないの?」

 「むしろ服着なよ、目のやり場、困るから……」

 俺は羽織ってたシャツを少女に被せてボタンを留めていく。

 「君、名前は?」

 「名前なんてない」

 「じゃあ、今日から君は、あーちゃんね。俺のタバコの名前と一緒の名前。それなら馬鹿な俺でも忘れない」

 「あーちゃん……あーちゃん……あーちゃん……」

 少女は噛みしめるように初めての名前を反芻した。なんだかどこか嬉しそうな、愛おし気にその名を呼ぶ横顔がやけに綺麗だった。

 「ねぇ、あーちゃん。とりあえず、ホテルいこっか」

 こんな時、つくづく俺ってクズだと思う。こんな幼気で、金色に光る謎の腕を持ってて、色白な肢体が透けるほどの薄布しか纏っていなかった何も世界の残酷さを知らないような子を、己が欲求で満たそうなんてこれっぽっちもというか、それしかねぇだろ、男なんだから。適当に安いボロくさいラブホテルに入り、一番安い部屋のパネルのボタンを押して料金を払い、部屋に入る。

 「ここ、あなたのおうち?」

 「あ?あー、そう、そう。今日はね。明日は違うとこ。俺毎日違うとこで寝泊まりしてるから」

 「あなた、お金持ちなの?」

 「……そう、俺、実は大富豪なんだ。こんななりしてるけど、あーちゃん一人養うくらい朝飯前なんだよ」

 「じゃあ、あなたは私の金を狙ったりはしないのね。私、初めてよ、私の金を狙わない人に出会ったの、凄く嬉しい」

 そう言って、あーちゃんは天使のように微笑む。俺、こんな子を自分の欲望のままに貫こうとしてたのか……。そうかそうか……。きっと処女なんだろうなぁ……。髪の毛もさらさらのブロンドヘアだし、きっとあっちの具合もイイんだろうなぁ……。ヤるしかなくねぇ?男なら。このチャンス。逃したくないんですけど。正直。

 「どうしたの?」

 「へっ?いやっ?どうもしてないよ?!ヤりたいなーとかね、考えてただけで……あ」

 「やりたい?」

 「……え?わかんない?ラブホきたら、やること。たった一つしかないでしょ」

 「ごめん、わからない」

 「……おい……嘘だろ……何にも知らないってことないでしょ?!保健体育やらなかった?!学校の授業でさぁ!」

 「ほけんたいいく?知らない。なにそれ」

 頭を抱えるどころなんてもんじゃない。この子は性に疎いとか、純粋無垢とかそんな言葉さえも簡単に凌駕している。

 徐にあーちゃんをベッドに押し倒して組み敷いてみる。あーちゃんは、ぽかんとした表情で、俺を見つめて首を傾げる。もちろんそんな目で見られたら、反応するものも反応するわけもない。

 「ホントに何にも知らないんだ……」

 「なにしてるの?」

 「いや、ナニをしようと思ったんだけど……そんな気分じゃなくなったわ……」

 「私に触ってると、あなたも金になっちゃうよ」

 「……ん?金?あーちゃんの、この腕?そういえばなんで金ピカなの?」

 「……それは……私が黄金病だから……」

 聞きなれない単語に今度は俺が首を傾げる番だった。黄金病?聞いたことも見たこともない病名だ。

 「あーちゃん、大人をからかうんだったらもう少しマシな嘘を……」

 「だめっ!!」

 少女のものと思えない力の強さで、腹を蹴られた。

 「ぐぇっ!」

 我ながら情けない声が出たが、びっくりしたのは、それだけじゃない。あーちゃんの腕を掴んでいた、俺の右手の掌が、金色に輝いていたからだ。

 「だからだめだって言ったのに……!」

 「あーちゃん……」

 あーちゃんは、腕どころか右の胸辺りまで一気に黄金化が進んでいた。どうやらもう、右腕は完全に黄金と化してしまい、俺に組み敷かれた形で固まってしまったらしい。かろうじて生きてる左腕と両足でのろのろと立ち上がると、あーちゃんは恨めしそうに俺に言い放った。

 「こんな変な形の腕になっちゃった……。こんなんじゃ、隠れられない。あなたのせいだからね」

 「だから俺にも、天罰が下ったってわけね……」

 と、掌をあーちゃんに見せると、あーちゃんは絶句していた。

 「……あなたも……私に、触れたから……」

 ごめんなさい、と消え入るような声で謝る彼女の頭を撫でた。

 「これで俺らは運命共同体ってわけ。いつかは俺も、全身黄金になるんでしょ?じゃあさ、これから俺たち、駆け落ちハネムーンしようよ。あーちゃんの行きたいとこ、どこへでも連れて行ってあげる。どこがいい?」

 「でも、こんな腕じゃどこにも行けない……」

 「レンタカーでも借りようか。それなら人目につかないから大丈夫なはず。俺のお財布的には、かなり厳しいけどね」

 「じゃあ、海に沈む夕日を見てみたい……。綺麗な海がいい」

 「綺麗な海で、極上の夕日を……。叶えてやろうじゃないの。男に二言はない!」

 とは言ったものの、そんなデートスポット、俺の知る限り全然思い浮かばない。スマホ片手に必死に探す。

 【夕日 海 絶景 関東】

 そんなワードでヒットしたのが、茨城の大洗磯前神社というスポットだった。太平洋に面した岩礁に立つ鳥居が有名な大洗磯前神社。ここの鳥居は『神磯かみいその鳥居』と呼ばれていて、神様が降り立った場所なのだそうだ。

 「海の波が荒々しい感じと、厳格な雰囲気の鳥居だけでもとても立派に見えますが、それに夕日が加わった景色はなんとも息を呑むような美しさ。タイミングが良いと鳥居の間から夕日が覗き込んでいるように見えます……。だってさ、あーちゃん、どうかな?」

 「よくわかんないけど、綺麗なら、そこがいい」

 「今、真夜中だからー……夜通し走り倒せば、明日の夕日、全然余裕でしょ。多分。土地勘ないから迷うかもだけど、カーナビあるし、きっと大丈夫」

 「じゃあ、そこに連れて行って」

 「仰せのままに」

 そうして足早にホテルを出た俺たちは、人目を避けるように裏路地に入り、24時間レンタカーサービスを提供している店で適当に車を借りた。

 「あーちゃん、シートベルト、しっかり締めてね、俺、捕まっちゃうから」

 「やり方、わかんない……しめて」

 「あーもー……一々可愛いな……。こうやるの……っと」

 あーちゃんとの距離が一気に縮まるのはこれが二度目だったが、彼女の様子がおかしいことに気付く。あーちゃんは頬を赤らめていて、俺から視線を逸らしていた。それに気付いてしまった俺も何故かつられて途端に意識してしまう。

 「あー、あー……ごめんね、急に。驚かせちゃったよね?」

 「……別に、嫌じゃない……から」

 「……嫌じゃないなら、こゆこと、してもいいよね?」

 そのまま彼女の唇を奪うと、軽く抗議のパンチを喰らったがすぐに抱擁に変わった。つくづく俺ってクズな男だと思う。こんなことがない限りじゃないと、女の子に手を出せない小心者だなんて、田舎のかーちゃんが聞いたら、男だったらもっと正々堂々としなと拳骨喰らうところだ。とーちゃんだったら、どうしてただろうな……あの酒癖悪い父親なら、女なんてやったもん勝ちよ、とか言い出しかねない。そういうところが、似てしまったんだろうな。とか思いながら、あーちゃんを抱き締める。しかし返ってきたのは、つれない一言だった。

 「……離れて、金に変わっちゃう……」

 「……嫌じゃないくせに」

 「……私で遊ばないで」

 「……遊びじゃないよ」

 「……うそつき」

 「……なんとでも言えよ」

 「……急いで、夕日、見れなくなっちゃう」

 「……へいへい、わかりましたよ」

 パッと離れると、まだ腕には暖かい感触が残っていた。鼓動は早鐘を打つように、ドクドクと鳴り響いていた。散々女遊びをしてきたけれど、こんなに心を揺さぶられる感情を抱いたのは初めてだった。これ、初恋ってやつでしょうか?と自問自答してみる。まさかな……。でも隣に座っている彼女に、少しでも自分のことを好きになってほしいと願ってる自分がいる。悔しいけど。いいオトコ演じるのも楽じゃないよな。いつまで続くかな、俺のいいオトコっぷり。

 新宿から首都高に入り、そのまま環状線六号の三郷線を走る。あーちゃんは夜景が気に入ったのか、窓の外をずっと眺めている。夜景と言っても、時速一〇〇キロで走って、法定速度を余裕でぶち破っている車の速度の前では夜景なんてただの光の残像なのだが。

 「くそっ、渋滞かよ……!」

 こっちには時間がないってのに。一刻も早く約束の地へ着かねばならぬのだ。ガソリンだって最低限しか入れてない。こんなところで無駄にするわけにはいかないのだ。

 「下道通った方がまだ早いのか……?ラジオつけてみるしかないか……」

 交通情報を手にするべく、ハイウェイラジオを付ける。なんとも言えない、ザーザーと機械的な音声が流れてくる。

 「……相変わらず情報過多なラジオだな。で、肝心の常磐道は何キロ渋滞してんのよ……」

 ずっと喋っているこの機械音声は一向に常磐道の情報をくれない。そしてようやく北関東自動車道のワードが出てきたと思ったら、とんでもないことを言い出した。

 「三五キロぉ?!嘘だろ?!おいおい……」

 この先三五キロも渋滞しているというのだ。果たして夕日を拝めるかどうかの瀬戸際になってきた。ナビで見たところ、水戸大洗ICまでは飛ばせそうだけど……。オービスや白バイや、覆面にさえ捕まらなければ、どうとでもなる。真夜中だからこその渋滞。朝を迎えてしまえば、そもそも少しはマシになるのだろうか。そんなことを考えながら、のろのろと車が牛歩で進む。

 「あーちゃん、行き先、変更してもイイ?」

 「え?なんで?」

 「この渋滞じゃ、間に合いそうもないから、もっと近いところで朝日を見ようよ。朝日に反射した水面も綺麗だよ」

 「そうなの?じゃあ、それでもいいわ、あなたに全部任せる。とにかく私たちには、時間がないから……ほら、私もう、動けなくなっちゃってきた」

 と彼女が足を左手でさすると、膝のあたりまで黄金化が進んでいた。時間がない、と俺の直感が言っている。大体あと、もって三時間が限界くらいだろうかというところか……。いや、もっと短いかもしれない、とにかく急がなければ。

 「よっしゃ、晴海埠頭公園に行こう!あそこは今は閉鎖されてるし、誰もいないから、朝日を二人占めできるぞ、あーちゃん!」

 「うん……」

 なんとかなるだろ、多分。ていうか、なんとかしてみせる。それくらいの気概で臨まなければならなかった。

 「大橋JCTまで出られれば、すぐなんだけどな……。そこまで何時間かかるかが勝負だな……」

 「ごめんね、夕日じゃなくなっちゃって」

 「いいの、どの道間に合わないわ」

 「そっか……」

 そんな会話を最後に、車内には静寂が訪れてしまった。

 『寝たのかな……』

 と、ちらりと横目に見やると、バチリと目が合った。

 「あーちゃん?どうしたの?」

 「なんでもないわ」

 ふい、と窓の外を見てしまった。嬉しいと思ってしまった俺と、戸惑ってる俺がいた。

 「タバコ、吸ってもイイ?」

 「煙出るやつ?別にいいけど……」

 「ありがと」

 アークロイヤル・スイートも、これが吸い納めかな、と思いつつ煙草に火を付ける。車内にふわりと、チョコレートケーキの甘い香りが漂う。煙草がどんどん減っていく、吸い納めが止まらない。一箱空になる頃には、渋滞も緩和され、気付けば大橋JCTを過ぎて、大井JCTに居た。時刻は五時十五分になろうとしていた。もう空が朝焼けのグラデーションに染まっている。急がなければ、急がなければ!

 車を飛ばして、十五分。ようやく晴海埠頭公園の駐車場に着いた。案の定、閉鎖されている為、公園内には誰もいなかった。車ごと広場のところまで侵入する。誰も咎める者はいなかった。

 「あーちゃん、起きて!着いたよ、朝日!ちょうど昇ってるよ」

 いつのまにか眠っていたあーちゃんを大きな声で起こすと、彼女は、感嘆の声を上げた。

 「わぁ……。朝焼けってこの事をいうのね……。なんて言ったらいいのかしら……。とても美しいわ……」

 「うん、とっても綺麗だね……。俺も、こんなに綺麗な朝日、初めてかもしれない」

 「でも、悔しいわ」

と、彼女がこちらを向く。

 「何が?」

と問いかけると、彼女は悔しそうに俯いた。

 「私ばっかり、こんなにせつなくなって、こんな思いするなんて」

 「俺だって、こんな切ない思い出ばかりのハネムーンになるとは思わなかったよ。こんなハネムーンになるくらいなら、もっと完璧な口説き文句の台詞を用意して、あーちゃんを喜ばせたかったよ」

 そう、この手は、この腕は、もう彼女を抱きしめることさえ叶わない。ハンドルを握ったまま黄金と化してしまった俺の両手は、朝日の光を反射して、キラキラと煌めいている。そして俺にももう残された時間は少ないのだと悟る。あーちゃんは?彼女はどうなった?急いで彼女の様子を見ると視線が絡んだ。

 「あーちゃん、朝日を見ろよ。夕日は叶わなかったけど、朝日に照らされた海も綺麗だろ?」

 「海よりも朝日に照らされたあなたが綺麗よ」

 「朝日を見てよ、せっかく連れてきたんだから」

 「嫌よ。もう、私には残された時間がないんだから……」

 「わがまま言わないでよ。大丈夫だよ、俺も、あーちゃんも、死なない。黄金にはならない。これ悪い夢だよ」

 「……ああ、もう時間がない……やっぱり私が先に逝くわ……。悔しいから、先に逝って、逃げてあげる」

 「おい、ちょっと待てって」

 あーちゃんは、キラキラと輝く金色の涙を流しながら、極上の笑顔で俺につれないことを言い放つ。

 「やっぱりあなたが嫌いよ。世界で一番大嫌い。生まれ変わっても、また嫌いになると思うわ」

 「……あーちゃんにフラれたの、これで何回目だろうな、俺」

 ふっと自嘲するように嗤って視線を外した一瞬の後、信じられない言葉が聞こえてきた。

 「嘘、大好き」

 「えっ?」

 聞き間違いかと思い、また彼女に視線を戻すと彼女は天使のような微笑を讃えて物言わぬ黄金と化していた。

 -ーやられた。

 それだけしか思えなかった。

 「ちくしょー……。言い逃げかよ……」

 まぁいい。俺もすぐに後を追えるから、待ってろよ、と思っていたその時。

 指先からキラキラと金粉が舞うのが見えた。よく見てみると、黄金が剥がれていっている様だった。じわじわと黄金化が解けて、指先が元の肌色を取り戻していく。

 「……は?なんで……?なんだこれ……俺も黄金になるんじゃないのか……?」

 見る見る内に、指が、腕が、元通りになっていく。

 「あーちゃんは?!」

 彼女の黄金化は解けていないのかと慌てて様子を見てみると、相変わらず可愛らしい微笑のままキラキラと黄金色に輝いていた。

 「なんで……。なんで俺だけっ……!」

 思いっきりクラクションを鳴らす。それを合図に、堰を切ったように涙が溢れて嗚咽と共に制御できなくなる。

 「俺だって、好きだって……伝えたかった……!」

 もっともっと、愛していると、口にすれば良かったと、後悔してももう遅い。なぜなら彼女とはもう、永遠に笑い合えないのだから。クラクションの音だけが、俺の悲鳴にも似た泣き声を掻き消してくれた。それが俺にとって唯一の救いだったのかもしれない。

 世界で一番好きだった彼女はもういない。あの夜が、俺にとってこの世の全てだった。あの夜のことは、何年経っても忘れられずに、今も心に強く息衝いている。

 「今年もこの日が来たな……」

 今日は、俺とあーちゃんが出会って、恋に落ちて、四〇年が経つ日だ。俺はフラれたかもしれないけど、最後は想いが通じ合ったと思ってる。勝手な判断だけど。

 「ああ、今日もタバコがまずいな……」

 あれから大好きだった、アークロイヤル・スイートの味が、大嫌いになっていた。しかし変わらず吸っているのは、あの日のことを、思い出す為だった。

 傍らには、彼女が車の助手席のシートごと切り取られて無造作に置かれている。誰も来ないこの山奥の廃屋で、この黄金像と暮らすには持ってこいだった。

 「ここには誰も来ない。食料も、必要最低限でいい。俺はこのまま、ここで死んでいいんだ……」

 というか、ここで死にたいんだ……。だからどうか神様、早く早く、あの子のいる天国へ連れて行ってください。いや、むしろ俺は、この天使を独り占めした罰で、地獄に堕とされるかもしれない。それでもいい、それでもいいんだ。蜘蛛の糸を掴んで、必ず彼女を迎えに行くから。

 「西日が射し込んできたな……。あーちゃん、これが夕日だよ」

 これが彼女と見る何度目の夕日だろう。この廃屋からの夕日はまさに絶景だった。何度彼女に見せたいと思っただろうか。

 「さぁ、日が沈む……。俺らも眠ろう……」

 その日は秋にしては、酷く寒い夜だった。ましてや山奥の中だし、暖房器具も一切ない廃屋だ。男は、何も身を温めるものを持っていなかった。持っていたのは、壊れたスマホと、ボロボロになった財布と、天使のような微笑を讃えた少女の黄金像だけだった。

 そして翌朝、男は朝日と共に目覚めることはなかった。廃屋の中には、朝日に照らされてキラキラと輝く黄金の像が二体、寄り添うように並んでいた。




                             完


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