第3話:『虚構』と『現実』を分ける境界線
『物語』には、決して超えてはならない境界線がある。
虚構と現実を分かつ、見えない壁。
その壁を壊すとき、世界は『物語』になる。
私は、今、その境界線の上に立っている。
左には、この世界の創造主を名乗る少年。
右には、この物語の主人公を名乗る謎の存在。
そして、中央にいるのは、私という名の『登場人物』。
零士の部屋は、一瞬にして静寂に包まれた。
いや、違う。静寂ではない。
そこには、三つの異なる呼吸音が、か細く、しかし確かに響いていた。
一つは、驚きと恐怖に震える私。
一つは、いつも通り感情の読めない零士。
そして、一つは……私の背後に立つ、灰色のマントを羽織った『グレイ=レイヴン』。
「……嘘つき?」
零士が、初めて明確な感情を声に乗せた。
それは、ほんのわずかな、しかし侮蔑に満ちた笑い声のようにも聞こえた。
「君は、誰に言っている?」
零士は、椅子に座ったまま、不敵な笑みを浮かべた。
「俺は、この物語の作者だ。この世界の神だ。
俺が書いたことが、この世界の『真実』になる」
「だからこそ、あなたは嘘つきだと言っている」
グレイ=レイヴンは、静かに、しかし断固とした口調で答えた。
その声は、私の心に直接響いてくるようだった。
「この少年は、あなたを『物語のヒロイン』と呼び、自らの手で書いた物語の結末にあなたを閉じ込めようとしている。
しかし、それは虚偽。なぜなら、この物語の真の作者は、この世界を創造した『神』ではない。
この物語は、あなた自身が書いたものだからだ」
その言葉に、私の頭は真っ白になった。
私が……書いた?
「何を言っているの……?」
「私は、あなたが無意識の内に生み出した『物語』。
あなたが書くことをやめたとき、あなたの『人生』も終わる」
グレイ=レイヴンの言葉は、零士の言葉と同じくらい、私の心を深く抉った。
零士は、そんな私たちを見て、嘲笑うかのように言った。
「物語を紡ぐのは、いつだって作者の特権だ。
登場人物は、ただその役割を演じるだけ。
鏡夜さん、君は自分が『作者』だとでも思っているのか?」
彼の言葉は、まるで鋭い刃物のように、私に突き刺さる。
私は、自分が『作者』だとは思えない。
ただ、彼の書いた物語に依存し、自分の存在を保つことしかできない、哀れな『依存症患者』でしかない。
その時、グレイ=レイヴンは、静かに私の背後から一歩前に出た。
「君は、この少年の言葉を信じるか?
それとも、自分の心の声を信じるか?」
彼女の言葉は、私に選択を迫っていた。
零士の言う通り、私は彼の書いた物語のヒロインなのか?
それとも、グレイ=レイヴンが言う通り、私は無意識のうちに物語を紡いでいる、作者なのか?
私は、ただただ、この二人の『作者』と『主人公』の間で揺れ動く『登場人物』でしかなかった。
どちらを信じれば、私の『人生』は続くのだろう?
どちらを信じれば、私は『私』でいられるのだろう?
その答えは、私自身の中にしか存在しない。
私は、震える手を強く握りしめ、二人に告げた。
「私は、どちらも信じない。
……私は、私の人生を、私自身の意志で生きていく」
その瞬間、零士の無表情だった顔が、一瞬だけ歪んだように見えた。
そして、グレイ=レイヴンのフードの奥の瞳が、僅かに光を放ったような気がした。
私の決断が、この世界の『物語』を動かす。
虚構と現実の境界線は、私の意志によって、今、新たな物語を紡ぎ始める。