半年
その昔、裕福に暮らしていた。
だが、親の事故死に伴い、押し掛けてきた親族に謀られ、蘭は知らない土地に捨てられた。その際、みすぼらしい服に変えられ、美しかった長い髪を短くザンバラに切られ、貴族令嬢だと訴えても、誰も信じてくれなかった。蘭には幼い妹が居たが、妹がどうなったかはわからない。
それからの数年、蘭は必死で生きてきた。
信念として、盗みはしない。わずかな食べ物を貰うため、店の回りを掃除したり、ごみを片付けたり、そんな中で、蘭はあの男の目に止まったらしい。
ひょいと腕を捕まれた。
「お前、女か? 顔を見せてみろ」
何だと思い睨んだ。
「なかなか良さそうな顔立ちだな。お前、決まった雇い主は居るのか?」
「いない」
「なら、うちに来い」
なに言ってんだ?と蘭はもう一度睨んでみた。
「腹いっぱい食わせてやる」
いつもひもじい蘭は考えた。これ以上悪くなることもないだろうと。
その男は、人材派遣の仕事をしているらしい。名前は神風龍一と言い、その組織の社長なのだそうだ。あれ以来、蘭とは一度も会っていない。仕事が忙しいらしい。
錦 百合は、天涯孤独で、神風の秘書をしているようで、いつも忙しそうにしている。
飛 信子は、この屋敷でメイドをしていて、掃除や裁縫のしかたを優しく丁寧に蘭に教えてくれた。
蘭は与えられた機会を最大限に活かし、どこから見ても、れっきとしたレディに見えるように死にものぐるいで努力した。
「あれを呼んでこい」
神風 龍一が声をかけたのは、メイド服を着て掃除をしていた蘭だった。
「あれとは、どなたのことでしょうか?」
「なんだお前、メイドになるのか?」
「いえ、どのようなことでも覚えようと思いまして、メイド業務もしております。これでどこに売り渡されても困りません」
「ちょっと待て、お前は、俺をなんだと思ってるんだ?」
「人身売買の元締めかと」
「あのなー。人材派遣の会社の社長だと、最初に説明しただろ? ひねくれてとらえるな。お前に酷いことをしたこともないだろ?」
確かに。
見るからに浮浪児だった子供に、温かい食事と教育を与えてくれた以外、何か酷いことをされたことはない。
「なら、本当に、私を拾ったのは、救うためなんですか?」
「それ以外、何があるんだよ」
「私以外にも子供はたくさんいました。なぜ私だったのですか?」
「姿勢だ。お前だけ、他と違って姿勢が良かったんだよ」
成る程。蘭に残っていた貴族の矜持が、蘭を救ったらしい。
「大変失礼いたしました。これからは、改めます」
「是非、そうしてくれ。それでお前、名前は?」
「名乗って良いか分かりませんが、捨てられる前の名前は、夜香 蘭です」
学習の過程で習った。夜香家とは、かなり危ない家だと。
「え、あの、夜香?」
「恐らく、その夜香です」
「うーん、命を狙われかねないな」
「はい」
「なら、俺の名字を名乗るか?」
「よろしいのですか? でしたら、神風 信子と名乗ることにいたします」
「何で信子?」
「元の名と、ほぼ同じ意味なのです。そして、パワーアップです」
「そうか、良く分からんが、お前が良いならそうしてくれ」
蘭は名を改め、神風 信子になった。
風信子も、ヒヤシンスなのだ。なので、神風伸子なら、神ヒヤシンス!
その件を話したら、錦 百合が、物凄く喜んでいた。
蘭の実家だった夜香家は、呪いをする家で、直系しか継げない門外不出の何かがある家らしい。直系が途絶えた時、目に見えて崩壊するものがあるそうで、残された妹は、きっと生きていることだろう。蘭が迂闊に姿を晒せば、本格的に命を狙ってくるのは、火を見るより明らかだ。
蘭は許される限りの勉学に励み、所作だけなら上流階級の娘に見えるようになったが、まだ、髪の長さと歴史などの学習が追い付いていない。
働かなくて良いのですか?と聞いてみたが、「未成年働かせたら、俺が捕まるわ!」と、神風 龍一は笑って言った。
本当に良い人らしい。