十歳
喉が乾いた時、そこに水があったら、飲むでしょ?
特殊な能力を持つ家系を貴族と敬い、人々に恐れられている世界。
それは、血
それは、命
それは、光
私には、テーブルに置かれたコップの水。
その日、私は飢えていた。
その日、いえ、常に私は飢えていた。
「腹いっぱい食わせてやる」
その言葉に頷いた。
今より悪い状況など、無いだろう。
「そいつを、見られるようにしておけ」
「ウィ、ムッシュー」
それらは同じ服を着た、知らない言葉を話す。
喚き散らしながら、私は何か罵倒されているようだ。
私の、服とも呼べない布が、乱暴に剥ぎ取られる。
タワシのような固いブラシで、乱雑に体を洗われた。
シャンプーの泡が目に染みる。言葉が通じないし、寒いし痛い。
頭の上から水をかけられ、そして、湯舟に投げ込まれる。
「温かい」
やっと人になった気がする。
猫足浴槽の縁に腕をのせ、その上に頬をのせ、何年かぶりの幸せを感じた。
誰もいなくなり、そのまま温かさにウトウトしたころだった。
「温まったのなら、早く出なさいね」
優しい声がした。
「え?」
私に分かる言葉を話すその女性は、あれらとは違う服を着ていた。
私が湯から出ると、丁寧に体を拭き、優しく髪を乾かし、綺麗な服を着付けてくれた。乱暴に洗われた箇所が赤くなっている。その傷を見て、言葉の分からないあれらに怒ってくれた。
「こちらへついていらっしゃい」
「わかった」
その女性についていくと、最初に私に声をかけた男が待っていた。ここは髄分と豪華な部屋だ。調度品が多い。
「ずいぶんと化けたな。よしよし。あちらに座れ」
「はい」
椅子が引かれ、私は食卓についた。
とても良い匂いがする。
たくさんのフォーク、たくさんのナイフ。
カトラリーが揃っている。懐かしい。
小さな料理ののった皿が提供された。私は思わず提供者を目で追う。
「食って良いぞ」
あの男が言う。
私が迷わず外側のフォークとナイフを手に取った、その時、向かいからガタッと音がした。
静かに半分に切り分け、2口で食べた。
次の料理が出され、これもこぼさず綺麗に食べる。
スープが出され、こちらから向こうへスプーンを動かしたところで、声をかけられた。
「お前、マナーを習ったことがあるのか?」
「7歳まで、貴族だった」
「なんと! これは掘り出し物だ!」
男はニヤニヤしながら、私に次々と食べ物をすすめてきた。
メイン料理は、とても柔らかい肉だった。気の済むまで追加を許された。
柔らかいパンなど、久しぶりに食べた。せめて、このパンを持ち帰れないだろうか。
何と、デザートまで出された。
香り高い紅茶といただくデセールなど、2度と食べることはないと思っていた。
これは、母が好きだったクレープシュゼットだ。焼きたてクレープに、温かいオレンジソースがかかっている。
「おかあさま」
私は涙が溢れ、久しぶりの人間らしい食事に、昔を思い出したのだった。
「貴族令嬢らしく振る舞うなら、ここに置いてやる。講師もつけてやる。どうだ?」
あの男が言った。
「やる!」
「よし、まずは言葉からだな」
あの男は、幼児クラスを教える講師を手配しようとしていた。
「少しなら出来る。家庭教師とおかあさまに習った」
「なら、それらしく喋ってみろ」
「わかったわ。マナーの講師をお願いできるかしら?」
回りに舐められないためにも、強く汚い言葉を使っていた。久し振りの言葉の切り替えは、気持ちがザワザワする。
「よし、良いだろう」
あの男は満足げに頷き、簡単な自己紹介をすると、使用人に指示を出してから、部屋を出ていった。
「あなた、お名前は?」
「蘭。夜香 蘭」
なぜかその女性は、私の名前を聞き、驚いた顔をした。
「お年は?」
「10歳、だと思う」
「それでは蘭さん、お部屋にご案内いたします」
私は客以下から、客レベルに格上げされたらしい。
広い屋敷を移動し、通された部屋は、天蓋の有るベッドがある、とても懐かしい感じの部屋だった。
「この部屋をお使いください」
「あの、さっき、私の名前を聞いて驚いたみたいだったけど、私を知ってるんですか?」
少し慌ててからすぐに答えてくれた。
「あ、私、錦 百合と申します。あなたの名も、私の名も、ヒヤシンスの和名なのよ。同じだなって、驚いたのよ。それに、この屋敷には、もう1人、飛 信子さんが居てね、その名前も、ヒヤシンスなのよ」
何となく、仲間意識なのかな。
「へえ。私の名前って、ヒヤシンスなんだ」
「今度紹介するわね」
「うん、じゃなく、はい」
「困ったことなどは、私に何でも言って下さい」
「わかった、じゃなくて、わかりました。ありがとう」