親子
狩猟団である八咫烏衆には当然だが、蟲憑きであり、ハンターであり、技を伝えている八咫烏以外にも多くの普通の人がいる。
蟲憑きになることを拒否した者。卵は呑んだが、まだ修行開始前の子供。それと引退した元蟲憑きなどだ。狩猟団故、彼等は軽んじられる――訳はない。
日常生活では旧時代から受け継いで来た技など大して――洗濯物が高い木に引っ掻かかった時くらいしか使い道は無い。
蟲憑きと言えど、食事をして、身体を洗って、綺麗な服を着て、たっぷり寝るから元気に修行が出来て、狩猟が出来るのだ。
そう言う訳なので、彼等の中でも女衆の権力は強い。正直、長老衆よりも強い。
蟲憑きに成った場合、妊娠しても高確率で胎児を中の蟲が食ってしまうので、蟲憑きにならないことを選ぶ女性は多く、そして大半が八咫烏の妻や娘、或いは恋人だからだ。
かあちゃんは怖いし、娘は可愛くて、恋人の機嫌を損ねると大変メンドクサイ。
それもまた八咫烏衆が旧時代から継いで来た真理の一つだ。
さて、イチゾーは八咫烏からの評価は高くて低い。
歩法の練度に伴わない刃音の練度。眩しい癖に、跳べない烏は憧れであり、失望の対象だった。
――では、その他からの評価は?
子供には割と好かれている。引退した様な連中にもだ。そして女衆からの好感度も低くない。
カエデが、がるがるしているので、同年代の少女はちょっと近づき難く感じているが『割と良い』と言う評価をされている。口調は荒くとも、態度はそこまで悪くないし、目つきはちょっと悪いが、顔だって悪くない。
割れた食器の修繕なども出来るので年上のお姉さま達にだって好かれている。そもそも八咫烏衆は家族で、イチゾーは息子の一人だ。そんな訳で――
「……あー……何してんだ?」
イチゾーが自分の寝床で目を覚ました時、出迎えたのは女衆の怒りにより正座させられた八咫烏当代の雅号持ち達だった。ちょっとシュールだ。
「ぐあ!」
おはよ! と挨拶をしているニゾーが丁度、陸號丸の膝に重石を乗せる所だった。「……」。拷問かな? そんなことを考えるイチゾーの前で雅号持ち連中は「良かった。起きてくれてほんと良かった」「このまま一生正座させられるかと思った……」「もう重石、どかしても良いんだよな? な?」と、とても楽しそうだった。
「……」
まぁ、楽しそうだが、仲間に入れて貰いたくなる程に楽しそうな訳では無かったので、イチゾーは呻く六つの置物を放置して、身体を起こす。
「ぐあぐ?」
「あぁ、もう動ける。俺、どれ位寝てた?」
「ぐああああー」
「三日!? どうりでクソ腹減ってると思ったわ……」
「ぐあー」
「おーサンキューな」
ニゾーからペットボトルのコーラを受け取る。空けて、一口飲んで――振る。流石に今のコンディションで炭酸はキツイ。「……ぐな」。コーラを愛する迷宮ペンギンであるニゾーがその冒涜的な行為にとても嫌そうな顔をしているが体調優先だ。許して欲しい。
炭酸が抜けた上に常温と言うペンギンに渡したら殺されそうなコーラを飲みながら、イチゾーは食いモノを分けて貰おうと炊事場を目指して歩き出した。
「……起きたんなら付き合え、クソ息子」
それを見計らった様に声を掛けて来たのは、赤い肌の小鬼種。
一つ足りなかった正座する置物だった。
前を行くイチヒコの後にイチゾーがてこてこと続いて、その後を更に小走りのニゾーがぺたぺたと追う。それはこの十年で何度もあった光景だった。
「……」
父の背中。
最初は見上げていた背中を、何時しか見下ろす様になった。それでもこの光景はずっと変わらないモノだと思っていた。
けど、これが最後かもしれねぇな。イチゾーは前を行く父の背中を見て、そんなことを思った。
チビ、デカ、チビ。そんな風に凸の形を造りながら歩く二人と一羽が辿り着いたのは、狩猟団の胃袋を満たす共通の炊事場――では無く、主に夜に酒と一緒に、或いは狩猟後の飢えた胃袋を満たす食事処だった。福利厚生の外側なので、炊事場と比べると割高だが、街から街への狩猟団では食事は立派な娯楽だ。三店舗ほどある中、イチヒコが入ったのは、揚げ物メインの店だった。
迷宮ペンギンはコーラを愛している。
そしてコーラと同じ様にコーラに合う食べ物も愛しているので、揚げ物も大好きだ。
旧時代にはペンギンは海で暮らし、魚しか食べていなかったと聞いたことが、多分嘘だとイチゾーは思っている。だってニゾーの好物はポップコーンのバター味だ。絶対に海には無い。
ランチタイムも過ぎたので、暇――と言うことも無く、訓練後の八咫烏や、ソレに付き合っていたペンギンの為に安価なコロッケを揚げていた店長の炭鉱種は入って来た三日前にやらかした時の人、壱號丸親子に少し驚いた様に目をぱちくりしたが……そこは商売人。すぐさま気持ちを切り替え、何事も無かったかのように「いらっしゃい」と言うと奥の席に座る様に促した。
取り敢えず――と注文を取りに来たペンギンにコーラ三本と、すぐ食べられるポテトサラダに、今揚げているコロッケを三つ、それから串盛りを五人前にモモとナンコツの唐揚げ、そしてニゾーがポップコーンを頼む。コウテイペンギンと思われる大柄な店員ペンギンは「ぐあ!」と元気よく返事をすると店主に注文を伝え、折り返して瓶コーラ、ポテサラ、コロッケを持って来た。
「ま、取り敢えず、だな」
カンパイ、と瓶をぶつけ合う。チン、と高く、硬い音。一口飲んで、コロッケを一口齧る。揚げたてで熱い。それをほふほふやりながら、それでも耐え切れずにイチヒコとイチゾーはコーラで流し込んだ。
「は、」
「ははっ」
同じ様な行動を取ったのが面白くて、二人して笑いあう。それで会話が途切れる。
次に会話が始まったのは、頼んでいた料理が一通り来た時だった。
「……変なとこが似たな」
ポップコーンを啄むニゾーを見ながら、イチヒコが口を開いた。
「? 何がだ?」
「さっきのとかだよ。テメェも猫舌だろ?」
「……そうだけどよ。似るもんなのか?」
「さぁな。でも口調は似ただろ?」
「冗談だろ? 俺はアンタみてぇにクソクソ言わねぇぜ? どこに出しても恥ずかしくないお上品な紳士サマだよ」
「……本当にテメェがお上品な紳士サマならオレはカエデちゃんに睨まれねぇンだわ」
「そらご愁傷様で」
取り留めのない会話。
お互いに本題に触れない様に、ふわふわと表面だけを撫でながら串揚げを口に運ぶ。ニゾーもポップコーンに夢中だ。ペンギンらしく手を使わず、啄む様にして一個一個食べている。「……」。そんな様子を見ている内に、イチゾーの皿が空になった。だからイチゾーから切り出した。
「……破門か?」
「へぇ? 試してたことには流石に気が付いたか……」
「はっ、そらあんだけ露骨にやられりゃな」
何故ならイチゾーは――もうだいぶ名残は無くなったが、賢いお子さまだったのだ。
先の殺し合い――の様なモノ。あれが何かの試験だったことにイチゾーは既に気が付いている。自分が生きている。その事実もそうだが……あの戦い終わりは一瞬だった。
イチヒコが本気を出した――訳では無い。少し、その気になった。それだけ。だが、その瞬間にイチゾーは負けた。速かった。見えなかった。それ程の差があった。技を磨くだけでは届かない、生物としての、或いは人類と蟲憑きと言う種族の差。身体能力の差があった。
八咫烏衆の技としての全盛期は間違いなく、旧時代崩壊直後だろう。
技しかないので、全力で磨いていた時代だ。
だがハンターとしての八咫烏衆の最盛期は今だ。技と身体、魔法もある。蟲憑きと言う力を手に入れた今の方がどうしたって強い。
技しかないイチゾーは、イチヒコからしたら一瞬で殺せる様な相手でしかない。あの喧嘩でイチゾーはそれをはっきりと理解した。
だからイチヒコ達はイチゾーを試していた。
そして恐らく――いや、間違いなくその試験にイチゾーは落ちた。
技は磨いた。それは胸を張って言い切れる。
だがイチゾーに羽は無い。飛べない烏であることに違いはないのだ。
だが――
「……逆に訊きてぇンだがよ、何で破門だと思ったんだ?」
「……赤刃音が使えねぇ。つまり、俺は八咫烏にはなれねぇだろ?」
んで、技術の流出は拙いので、アキレス腱とか切られるんだろ? とイチゾー。
「何か勘違いしてる見てぇだが……ウチの歩法は別に秘伝でも何でもねぇからな?」
老舗うなぎ屋のタレとかの方が未だ秘伝してくるくらいだぞ? とイチヒコ。
「……そうなん?」
何か「お前は技を修めてる。持ち出されたら拙ぃだろ?」とか言われて様な気がするが、イチゾーの記憶違いだったのだろうか? 「……」。いや、絶対違う。絶対言ってた。
「そうなんだよ。……ここの店、来たことは?」
だと言うのに、イチヒコは悪気なく続ける。
「……割と良く」
小腹が減った時に来る。良くニゾーとコロッケを食べている。
「ここの店主、脱落組だぞ」
「……そうなん?」
「そうなんだよ。お前と同じペンギン憑きだしな、将来を有望視されてたけど――料理の方が楽しかったから辞めたンだよ」
じゃなきゃペンギンが店員やってる訳ねぇだろ? とイチヒコ。「……」。言われて見れば、ペンギンが店員なのは変だ。イチゾーはペンギン語が分かるから全然平気だが、普通なら不便だし、迷宮ペンギンは最強生物の一角だけあった結構戦闘狂だ。揚げ物屋で注文を取っている様な平和なナマモノではない。
「だから破門何てもンはねぇ。アレも『儂、ちょっと思ったんじゃけど……お前んとこの倅、追い込めば赤刃音使える様になるんじゃね?』とか長老衆が言ったからやっただけだしな……」
「……あァ、そう」
吐き捨てる様にそう言ったイチゾーの目に危ない色が灯る。
長老連中は不老であって不死ではない。つまり……殺っても良いのでは? そんなことを思ったのだ。「……」。と、言うか――
「――ンならこの空気は何なんすかね、パパ上サマ?」
さっきから破門で、アキレス腱切って放逐されそうな空気だよな?
「まぁ……破門じゃねぇけど、放逐はするからなぁ」
「あ?」
「何でオレに一瞬で負けたと思う?」
「……」
思わず黙る。負けた原因では無く、『一瞬』で負けた原因。それにイチゾーは、はっきりと答えることが出来る。だが、答えたくはない。そう言う内容だった。
それを分かっていてイチヒコも聞いたのだろう。返事を待ったのは串一本を食べる時間だけで、直ぐに答えを口にする。
「分かってんだろ? 技、歩法でも、赤刃音が使える、使えないでもない。ただ単純にオレが蟲憑きで、お前が蟲憑きじゃねぇからだ」
「……」
「八咫烏の技なんざその程度なんだよ。だから散々言ってただろ? 誇りなんざ持つな、こんなモンはただの技術だ、ってよ。……お前が綺麗に歩いて見せた時、他の雅号持ちが驚いてただろ? あの不様が今の八咫烏だ。お前にはあんな風には成って欲しくなかったンだが――」
なのに、と一息。
「お前、酔ってただろ? えぇ?」
「――」
イチゾーはその言葉に何も言い返せない。良い気には成っていた。間違いなくなっていた。ただの技術。口ではそう言っていたが、本心ではその技術を誇りにしていた。
「……旧時代はアレで狩れてたんだろ?」
だから今もこんな言葉が出てしまう。
自分の修めたモノが単なる技術だと認めたく無くて、人類の希望なのだと、いや。そうで無くとも、何か特別なモノであると言って欲しくてそんな言葉が出る。
「昔は装備も赤刃音だけじゃなかったらしいからな」
――本来の八咫烏は黒い強化外骨格を纏ってたらしいぜ?
それでやっとだ、とイチヒコ。
ただの人類は最先端の装備を纏い、極限の身体操作術を修めて、やっと魔物と戦える様になっていたのだ、とイチヒコは言う。
「そもそも八咫烏は忍者みたいなもンだ。正面切っての戦闘は他の系譜、〈鬼〉と〈鵺〉だ。――んで、そんな程度なのに、お前はソレを誇っちまった」
「……」
「お前、赤刃音捨てただろ? 使えねぇ『物』だと判断して。あれが正解だ。武器にも、防具にも、技術にも誇りはねぇ。『道具』で『手段』だ」
だから――
「誇りが欲しけりゃオレの雅号をやる。でもな、これ以上、八咫烏衆に居ると、お前は『誇り』で腐る。だから卒業だよ、クソ弟子」
ンで、これが卒業祝いだ、と皿が回収されたテーブルの上に二本のハンマーが置かれる。テント設営用のモノと比べると、造りがしっかりしている。柄は木製で無く、ヘッドから繋がっての一体型の金属製。打つ為のヘッドの槌頭も、貫く為の鉤爪も、あの時使ったモノとは異なり明らかに『殺す為』に造られている。ハンマーでは無く、ウォーハンマー。
それが置かれる。
「やるから出てけ」
本作の裏コンセプトその②
拙作『剣客ウルフ』の否定。
……いや、これ一区切りついたらあっち書く気だから混乱しそうなんですけどね?
今日のペンギン語は「ぐあああー」
単純に(いっぱい)だけど、数を表す場合、だいたい『三』に使われる。
因みに『一』は(少ない)を表す「ぐ」
『二』の場合は両フリッパーを挙げて「ぐ」
そして四以上を表す言葉は全部「ぐあああー」。
ペンギンが数えて良いのは三までなのだ。
そんな侍魂。