位階零
イチゾーが目を覚ましたのは、暖かい布団の中だった。
「……」
天国と言う奴なのだろうか? 基本的に神と言うモノをディスった記憶しかないのだが、ここに居ても良いのだろうか?
「……」
まぁ、追い出されるまでは居させて貰おう。
子供らしい図々しさを発揮して、そう結論付けたイチゾーはもう一度寝る為に布団を引き上げようとした。天国だけあって眩しいのだ。暗い所で寝たいのだ。だが布団が動かなかった。重かった。「?」。何だ? と軽く身体を起こす。ニゾーとカエデが布団にしがみついて眠っていた。
それを見てようやくイチゾーは自分が生きていると言うことに気が付いた。
ニゾーだけだったら一緒にあの世に来たのかと思う所だが、カエデが死ぬ理由はあまり無かったからだ。
それに気が付いて見渡してみれば、天国だから明るいのでは無くて、ただ単に昼間だから明るいのだと言うことが分かった。
薄いレースのカーテンが使われている。ベッドだってリリィの所で触らせて貰った綿が死んだモノとは異なってふわふわだ。「……」。ひくひくと鼻を動かす。香の匂いがした。イチゾーのあまり好きな匂いではない。それでも嗅いだことのある匂いだった。でもどこで嗅いだかは思い出せなかった。
と、そんな風にイチゾーが色々と考えていた時だった。
「お? 起きたか、チビ太?」
「!」
足音なく小鬼種が部屋に入って来た。
ここら辺では余り見ない赤い肌の小鬼種だった。ソイツは持って居た陶器のジョッキを見て、イチゾーを見て、枕元のテーブルに置かれた水差しを見ると。「……」。無言でジョッキを煽り、水を改めて入れてイチゾーに差し出して来た。
「どうしてここで寝てんのか分かるか?」
貰った水を一口飲む。「……」。エールの匂いがした。さっき赤小鬼種が呑んだのは酒だったらしい。酒精の香りに、少しくら、とするが、赤小鬼種の言葉に、過去を思い出す。
分からなかったので、首をふりふりするイチゾー。覚えているのは――目が潰せなかったことだった。「……」。次は石とか棒を突っ込むことにしよう。素手は無理だ。覚えてろよ、クソゴブどもめ――……あ。
「ハンターの小鬼種は?」
「お? そこまでは覚えてンのか。一人は殺した。二人はそれ見て逃げた。チビ太にまた手を出すかは知らねぇ」
「……チビ太じゃない」
「あぁ、そうだった。えーと、チビゾーだっけ?」
うけけ、と笑いながら。
カエデにでも名前を聞いたのだろう。その癖、わざと間違えているのだろう。「……」。性格悪っ。イチゾーは素直にそう思った。
「ま、順番に説明してやる。オレはイチヒコ。ハンターで、そこのペンギンに頼まれてお前はオレが助けた。んで、こっからが大事なンだが……あー……悪いな。先に一応謝っとくぞ?」
ごめんな、と赤小鬼種――イチヒコ。
「お前を蟲憑きにした」
魔力があるので、魔法と言うモノがある。
魔法があるので、回復魔法と言うモノもある。
だが人類は他者に対する回復魔法と言うモノを持って居ない。
当たり前だ。
人類は魔力を宿せない。人類が魔法を使うには蟲を身体に宿してその蟲から借りなければならない。そして殆どの蟲は巣の修復はするが、他の巣の修復まではしない。してやる義理も無い。寧ろ巣ごと死ねよとしか思ってない。別の群れは立派な生存競争の敵だからだ。
つまり、蟲憑きは大なり小なり自分の身体を治す魔法は使えるが、蟲憑きでも他者の傷を癒す様な魔法は使えない。
だが一度だけ。
蟲の卵も入っていない正真正銘で生の人類相手にだけ使える回復魔法がある。
それには群体型、それも巣を分ける習性のある蟲が必要となる。
蟻型や蜂型。そう言った蟲の次期女王に卵を産んで貰うと言う方法だ。彼女も壊れた巣に卵を産む気は無いので、巣を治してから卵を産む。それを利用した回復魔法。それこそがイチゾーを治したモノの正体だった。
この方法を使うと、卵が産みつけられてしまう。そして卵が孵る十年後、六割の確率で死ぬ。内側から蟲に食われる。
だからイチヒコはイチゾーに謝ったのだろうが――
「ハチとアリ、どっち?」
イチゾーはあまり気にしてはいない。呑気に「アリがいいなー」とか言ってる。
イチゾーは孤児で、行き着く先はハンターか娼婦か死体だ。男娼になる気は無いし、死体にはもっとなりたくない。そろそろ卵を飲まないと行けない年で、卵を買う為に煙草や環を貯めていたのだから丁度良かった――どころか『無料で済んだ上に、命が助かってラッキー』とすら思っている。思っているので、素直にそう言った。
「……使ったのは蜂だが、何が孵るかは分からんぞ?」
え? 孤児って皆そんなハードなの?
ちょっとしたカルチャーギャップにびっくりしつつ、万能栄養薬であるコーラをジョッキに入れてやりながらイチヒコ。
それを聞いて、「そうなの?」とイチゾー。知らないことだったので、教えて、と視線で先を促す。イチゾーは賢いお子さまなので、知識欲が旺盛なのだ。
「――蟲は親と、その卵から孵る蟲の種類に関係はねぇンだよ」
イチヒコの方も話す種があるのは望む所なので、それに乗っかる。
魔力を持つ蟲は従来の生物とは生態が異なる。孵る環境によって種類すら変わるので卵の産みの親の種類は関係ない。
だから人は飼いやすい蟲を育て、その卵を飲むことで本来ならば到底人の手に負えない強力な蟲に身体を渡して魔物を狩って来た。
そんなことを教えてやる。
「ふーん」
それを聞いて十年後に死ぬかもしれないイチゾーは興味深そうに自分の腹を押していた。
十年後どころか三日前に死にかけているので、本気で残り寿命に興味はないようだった。
ともあれ。
こうしてイチゾーは蟲の卵を宿した蟲憑きモドキ、位階零になった。
イチゾーが寝かされていたベッドはリリィの後ろ盾となっている街の娼館のベッドだった。
何でもイチヒコの所属する狩猟団、八咫烏衆が贔屓にしているので、その関係で寝床を借りたらしい。
そしてカエデはそれを聞いて娼館に駆け込んだ。
幾ら器量が良く、将来を期待されているとは言え、スラムの孤児だ。本来なら追い返される所だが――娼館のお姉さん達はちびっ子の恋愛が見たかったので、通してあげた。
そこからは大変楽しめた。
眠い目をこすりながらイチゾーの手を握るカエデ。
甲斐甲斐しく額のタオルを換えるカエデ。
願掛けに千羽鶴を折るカエデ。
純愛モノである。お姉さん達のテンションは急上昇だ。カエデにとっておきの香水を付けてやったり、薄く口紅を引いてあげたりした。
だが、イチゾーの方はそんなことに気が付かない。
ニゾーの無事を喜び、起きたカエデよりも先に抱き合い、お互いの無事を祝い合う始末である。看病していたカエデは放置だ。
これにはお姉さまたちの意見が分かれた。
「まだ子供なんだから仕方ない。幼馴染ポジは強いから確保しておこう」
「いや、あぁ言うのは育っても大して変わらない。カエデは可愛いんだから別のに行こう」
の二派閥だ。
まぁ、お子さま二人はそんなことは知らない。
イチゾーは大好きなおっぱいの大きいお姉さんの一部が厳しい目を向けてくることに少し凹んで、そんなイチゾーを見てカエデはほっぺを抓ったりしていた。
カエデとしてはそれで良かった。
イチゾーよりも一つ年上のせいか、或いは幼少期における男女の成長の差か。
カエデは自分がイチゾーに対して持って居る感情の正体に気が付いていた。
そしてそれは抱くだけ無駄な感情だと言うことも分かってしまっていた。
自分は街の娼館に入って、イチゾーはスラムでハンターか死体になる。恋人にも、夫婦にもなることはない。
孤児同士の恋愛の行く先なんてそんなものだ。
だから今少し楽しめればそれで良かった。
それだけで良かった。
なのに――
「……狩猟団に付いてくの?」
そんな小さな楽しみすらも無くなってしまいそうだった。
「うん」
「ぐあ!」
――何か名前が良いから、イチヒコが弟子にしてくれるんだって。
こっちの気持ちになど気が付くはずもなく、明るい声でイチゾー。
傷が治ったので、何時までもベッドを借りている訳にも行かない。そんな訳でニゾーと一緒に荷物の整理をしていた。イチヒコが要らないと言ったので、煙草と環はベッドの使用料とお礼にするようで、先程まで自分が眠っていたベッドの上にイチゾーなりに綺麗に置いていた。
「……」
自分の方を見もしないイチゾーの態度に頬を膨らませるが、直ぐに、ふっ、と苦笑いになる。
イチゾーにとってどっちが良いか。それが明らかだったからだ。
この街に、スラムに残るのと……ハンターの弟子として世界を回る。
どちらが良いか? そんなことは――考える迄も無い。
ここに残ったら、揉めたハンターに殺されるかもしれない。そうで無くとも、孤児の暮らしはいつ死んでもおかしくない。生き延びてハンターに、蟲憑きに無事に成れたとしても手探りでやって行くのと、先生が居てそこから学べるのではどちらが生存確率が高いのかも明らかだ。
だからカエデは無言でイチゾーとニゾーから離れた。
その場に留まっていたら、多分「行かないで」と言ってしまっただろうから。
「……」
それでイチゾーが行くのを止めてくれたなら――未だ良い。
だが、多分、イチゾーは「なんで?」と言う。だってカエデがイチゾーに向けている感情と、イチゾーがカエデに向けている感情は全く別だから。
それが知りたくないから逃げた。逃げて、姉の一人の部屋で、その胸に抱かれながらそんなことを言ったら――
「アンタも付いてけば良いじゃん」
「……」
凄く軽い調子でそんなことを言われた。
金色の髪が綺麗な精霊種の姉は楽しそうにカエデの髪を弄りながらもう一度何でも無い様に「付いてけばその内イチゾーも恋愛感情が理解できる様になるでしょ」と言う。
「でも、わたしは娼館に――」
「この街にいたらね。リリィのバックにここが付いてるって言っても――知ってるでしょ? しっかり世話してくれてる訳じゃないから別に何しても良いんだよ? 世話になったのが長かったら、流石に止めるけど――アンタの年くらいなら良いでしょ?」
「でも――」
「でも?」
「……わたし、可愛いでしょ?」
「……それを言えるアンタがお姉ちゃんは大好きよ」
可愛いわたしが娼館に入らないのは損失でしょ? と言う可愛い妹は、確かに可愛いが、それ以上に性格がとても良い。お姉ちゃんはこう言う生意気な所が大好きだ。
「そうそう。アンタは可愛いからお姉ちゃんが――お姉ちゃん達が守ってあげる」
「……」
「だからわがまま言って良いよ、カエデ」
後ろから抱きかかえる様にして、髪にキスをされる。
このくすぐったさを覚えておこうとカエデは思った。
本作の裏コンセプトその①
ヒーラーのいないファンタジー
今日のペンギン語は――おやすみ! ニゾーのセリフが無いから! 楽! ニゾー、お前もう喋んな!!
そんな心無い言葉。