ランペイジ
「……」
とんとん、と軽くウォーハンマーの柄で叩きながら、大猿を見るイチゾー。
位階零の時にイチゾーは大猿から逃げ切っている。魔力が無かったから通らなかったが、攻撃もしている。手玉に取り、恐怖で縛り、馬鹿にしながら逃げ切っている。
では位階弐に成った今ならどうだろう?
勝てる。位階零の時ですらおちょくれたのだから、今なら勝てる――と言うモノでは無い。『逃げる』と『戦う』。その違いがあるので、当たり前だが、鬼ごっこと殺し合いは全くの別モノだ。
かと言って、通用した手を打たない手はない。
故に――参足・鈍天。
とん、と音を響かせ一歩を踏む。
身体操作以上に、今は魔力操作に注意を払う。身体はイチゾーのモノだ。十七年使っている。対して魔力は百頭丸のモノだ。未だ使い始めて一年も経っていない。馴染んでいない。身体強化を完全に切る。その方が良い様な気がしているが――
かち。かちかち、かち、と牙が鳴る。イチゾーの言うことを聞いて良い子にはしている。自分が邪魔になると理解して、右腕に巻き付いている。だが、蟲だ。百頭丸は蟲なのだ。獲物を前に、殺気を向けられて、大人しくして居られる訳がないし、大人しくして良いはずも無い。
そもそも巣になっている以上、そんな風に魔力をオフにすること何て出来ない。
だから流れを整える。
右腕に、いや、足にすら込め過ぎては行けない。イチゾーの延長として機能する様に、万遍無く、普遍的に、身体に魔力を流してやる必要がある。
とん、と右の柱の前に出て。とん、と左の壁の上に現れて。とん、と背後で足音を鳴らして。とん、と大猿が持つ棍棒の上に立つ。
——さぁ。思い出せ。
あの恐怖を。位階零。ただの煩い羽虫に良い様にやられた恐怖を。そして――その羽虫が針を持って帰ってきたと言うことを理解しろ。
踏み込み、狙うは眼。見ろ。大猿の身体に相応しい双眸を姿見に、口角を吊り上げ、笑いながらの一撃。振りかぶった両手のウォーハンマーでその右の姿見を叩き割——
頭突きが来た。
眼球を潰すはずの一撃が硬い頭蓋に叩き込まれ、そのまま押し込まれる。
「ちっ」
咄嗟の防御。〈魔力障壁〉は一瞬で割れ、致命傷を避けるため、右腕、巻き付いた百頭丸を使う。甲殻が割れ、緑色の体液がイチゾーの野戦服を汚す。
やはり『逃げる』と『向かう』は違う。殺気を拾われる。込めた殺気の分だけ逃げるのが遅れる。まいったね。ぷ、と噛み切った口の中の血を吐き捨てながらイチゾーは思う。避けることを前提にしている八咫烏が攻撃を受けた。それはイチゾーの未熟の証だ。それでも一撃は当てた。デコ。硬いが、ハンマーを叩きつける場所としてはそれ程悪くはない。斬撃とは違って、打撃の衝撃は骨を通る。それなのに効きが宜しくない。本当にコイツ、位階参相当か? そんな疑問。
頭を一つ潰されたのが気に入らないのだろう。割れた頭を中に引っ込め、新しい頭を出した百頭丸が、大猿を威嚇する様に、かちん、と牙を鳴らした。
ご機嫌が大変よろしそうだ。
「引くぞ」
そんな百足に、或いは自分に言い聞かせる様に言う。
当初の予定通り、イチゾー、ニゾー、カズキ、えもにゅーの二人と二羽で相手をするべきだ。
そう判断した。油断はしていない。そう言い切れる。それでもその判断の隙間を大猿は隙と捉えた。地面を削る程に身体を倒しながらのショルダータックル。
いや、地面どころか、壁も削っている。残った仲間を押しつぶし、轢き殺す質量の暴力がイチゾーに迫る。早い。怖い。煩い。大猿の雄叫びと、磨り潰される中猿小猿の悲鳴に地面と壁を削る音。小規模な地震。その震源地に立ってるみてぇだな。他人事の様にそんな感想を抱きつつ、音から逃げるのではなく、向かう。
衝突の衝撃の方向を足で変えて、推力に、大猿の巨体を飛び越え、やり過ご――
大猿が笑った。
それを見て、咄嗟、空を蹴り、タイミングをずらす。
肌で魔力の『流れ』を感じる。それが勘違いで無いことを示す様に地が隆起する。槍の様に。獣の牙の様に。イチゾーを穴だらけにするべく。
だが一歩が踏めた。
大猿の狙ったタイミングよりも一拍、遅らせることが出来た。「……」鋭くなった大地の先端に降り立つ。この規模の外界に影響を及ぼす魔法は蟲に借りている人類には使えない。随分と厄介な成長のしかたをして下さったことで。素直にそんなことを思う。
大猿はちら、とイチゾーを意識しながら、棍棒で地面をなぞる様に、或いは叩きつけて暴れ出す。道の先、兵の集合場所として使われていたソコは今や戦場となっていた。
犬妖精達が角猿と戦って居たのだが、そこに大猿が割り込み、敵も味方も無く殺し始めた。
その赤い眼に理性は無い。
戦後のことを考えればこの展開は悪くない。イエローである犬妖精も間引いてくれているので有り難い。だが――
かちかちと牙が鳴る。
百頭丸が怒っていた。犬妖精が殺されていることに怒っていた。イチゾーの感情に引っ張られ、冷静であろうとするイチゾーの代わりに感情を表に出す。体内の魔力が乱れる。
イチゾーと蟲の感情の不一致。それが原因なのかもしれない。いや、きっとそうだ。きっとって言うか、絶対そうだ。そう言うことにしよう。だから――思うがままに動いてみよう。
「おぅ、デカ猿」
「――」
警戒している相手に声を掛けられ、大猿が動きを止め、イチゾーを睨み付ける。
――ひゅん、とイチゾーが左のウォーハンマーを投げたのはその数秒前だった。
振り返った大猿の眼。丁度そこにウォーハンマーの鉤爪が来て――
「くたばれ」
一瞬で間合いを詰めたイチゾーが言葉と共に、右のウォーハンマーでその柄頭を打った。
「ウギィ!」
と漏れる苦悶。思わず棍棒から手を放し、顔を抑え、よろめく大猿。叩きつけられた
一撃により、眼球に鉤爪が叩き込まれていた。
「……」
痛みに、よろめき、下がる大猿。
少し、時間が出来た。だからイチゾーはどうするかを考えた。
——待つべきだ。
それは理解している。それが効率が良いことも、勝率が良いことも理解している。だが、それ以上に感情の赴くままに蹂躙してやりたいと言う欲求が勝った。
「臨む兵」
イチゾーの口から静かな、それでも響く音が落ちる。
「闘う者」
——来る。
イチゾーの腹の底から来る感情の波に、百頭丸がぞわ、と身体を震わせ、右腕に潜る。
「皆陣列ねて――」
人蟲一体。蟲憑きの位階が蟲の浸食度——どれ程同じになったか、と言う指標である以上、蟲と感情の一致は時に身体の一致以上の効果を持つ。
「前に在り」
それは奇しくもカズキが八咫烏であるイチゾーを選んだのと同じ位階を越えた力。
九字切り。八咫烏衆にてイチゾーに仕込まれた暗示による自己強化を為して――
「〈激昂〉」
お前を殺すと、大猿に告げた。
百頭丸が自分の好みで魔力を回した時、イチゾーはそれを咎めた。
当たり前だ。どれ程身体能力が強化されたとしても、それが使えなければ意味がない。そもそも、身体能力を強化した所で大猿相手には左程変わらない。
重い大猿を動かすよりも。
軽い自分を動かす方が効率が良いに決まっている。
その為に必要なのは無駄に強いだけの力ではない。制御の中で正しく、動く為の力だ。
だから〈激昂〉は良くない。八咫烏であるイチゾーとは本当に相性は良くない。だが、今ならどうだ? 百頭丸を好きにさせれば、ブレる。百頭丸を抑えれば、ブレる。だが、今なら? 百頭丸の好きにさせるでもなく、百頭丸を抑えるでもなく、ただ、ただ己の心の思うままに動くことが、百頭丸の激しく昂った心と一致すると言うのならば?
大猿が顔を上げる。彼の太い指では目に突き刺さったウォーハンマーを抜くことはできなかったらしく、そのままだ、赤。赤が。赤い血が、血涙の様に流れている。
それでもその血よりも赤く染まった右目がイチゾーを捉える。ふぅ、ふぅ、と呼吸が荒い。小さなモノ。弱いモノ。自分をかつて恐怖させたモノ。それに対する怒りで両手に持った棍棒が軋みを揚げ、痛みを流し、殺意を生む。
そんな大猿の振り下ろしをイチゾーが避ける。紙一重——と言うには余りに大きな後退。ニゾーでもこの場に居たのなら、やはり〈激昂〉が制御出来ていないのか? と思えそうな程に、大きくイチゾーはその一撃を跳んで避けていた。だが――
隆起した土の槍がそれを否定する。
チ、とイチゾーの髪が一本、千切れて、飛ぶ。
正しく、正しく、紙一重。お返しとでも言う様にイチゾーの眼球を貫こうとした大猿の一手は僅かに一本、前髪を散らすのみ。
「――」
「――」
イチゾーと大猿の視線が交差したのは一瞬。互いに表情は――嗤い。
とん、音。それを残してイチゾーの姿が消える。
参足・鈍天。
身体操作の極致が為す加速と減速にて、大猿を混乱させるべく、現れて、消えて、現れる。
対して大猿が為すのは大嵐。技では無く、力。小細工一切なく、巨木を加工しただけの棍棒を振り降ろし、土の槍を生み、イチゾーの足場を潰していく。まるで癇癪を起した赤子の様な無様。それでもそれで十分だ。力があれば大きい武器が振れる。大きな武器を振ればそれだけで広範囲を破壊できる。
犬妖精も、角猿も巻き込まれるのを恐れて近付けない。
正真正銘でイチゾーと大猿の一対一の舞台が出来上がり――横薙ぎ。
大猿の身体が大きく傾き、棍で地面を削る様にして広範囲が薙ぎ払われる。
土の槍を砕いて砂礫に。広範囲に巻き散らされたそれは何処に居ようと逃がさないと言う大猿の意志の表れだ。
だが、イチゾーはそれを避けていた。
前は駄目。左右も無理。跳んでも砂礫に引き裂かれる。故に――後ろ。砂礫は届くが密度は低いその場所。砂礫の一つが頬を削る。頬から赤い血が流れる。流れた血が――尾を引いた。
壱足・槍天。収まりかけの嵐の中に一気に突っ込んで前に跳ぶイチゾー。大技の後の隙。そこを突く。だが――遠い。巨木に大猿の腕、そして砂礫。それらから逃れる為に跳んだ場所は、イチゾーの間合いの遥かに外。
大きさが強さだと良く分かる。
大きければ力が強い。生命力が高い。間合いが広い。
牛若丸は弁慶に絶対に勝てないのだ。
飛んだ勢いは落ちて、イチゾー地面に落ちる。そのままイチゾーは左に跳んで――
「やれ」
大猿の左目に突き刺さったウォーハンマーに新しい衝撃が加えられる。
跳んだイチゾーを追う様に顔を動かした大猿の死角。潰れた視界の中を、大きく回り込んだ百頭丸が勢いそのままに鉤爪を押し込み、巻き付き、引き抜く。塞がれていた孔が開く。大きく噴き出した赤と、その生暖かさ、そして痛みが戦闘で高揚していた大猿の顔を一瞬だが、歪める。
一瞬だ。
本当に一瞬だったが――イチゾーはそこを突いた。
大猿の目に映るのは胸をはり、身体を逸らし、両手を思い切り振りかぶったイチゾーの姿だった。
——来る。
一撃を喰らうのは、もう確定。咄嗟、顔を上げ、頭では無く、額で受けようとする。
きち、と軋んだのはイチゾーの筋肉か、右腕に戻った百頭丸か。それは分からない。分からないが、思い切り振り下ろした両手のウォーハンマーが大猿の額を砕く。「クソが」。悪態。仕留める気だったのに仕留められなかった。
大技の後には隙が出来る。
だから今度は大猿の番だった。
イチゾーの一手は命には届かなかった。それでも脳は揺らした。大猿の動きはぎこちなかった。出来たのは、強く握った棍棒を思いきる振る。
それだけだった。
それは出来た。
イチゾーが落下するよりも速く、叩きつけられる棍棒。それを流して、力に。棍棒にウォーハンマーを合わせ、回る様に上へ。直撃を避けるイチゾー。
そのイチゾーに向かって棍棒に付着した土が槍となり、迫る。
大猿はこの為に地を薙いだのだ。
大猿はこの為に棍棒に土を付けたのだ。
回るイチゾーに合わせて鮮血が線を描き、ぼと、と何かが落ちる。何かはイチゾーの右腕だった。
「……」
落下。途中でどうにか体勢を整え、どうにか足から降りることはできた。出来たが――右腕が無くなった。
落ちた右腕と残った右腕を見る。肘から後ろを切られていた。
不思議と痛みは薄い。出血もだ。咄嗟に奥に、引っ込んだ百頭丸と〈生命力強化〉のお陰だろう。困ったことにこの状況からでもイチゾーは未だ戦える。〈激昂〉の効果。生命の危機に対する感覚の鈍化。
痛いより。
怖いより。
逃げたいよりも――
殺すが勝ってしまう。
——かち。かちかち。かちかちかちかち!
百頭丸の無数の頭が牙を鳴らす。鳴らしながら頭が編みこまれる。編みこまれ、骨を真似て、筋肉を真似て、腕を真似る。
百足で編まれた異形の右腕が形を成す。
その余りの異様に、大猿が思わず足を引きかけ、己を鼓舞する様に前にでる。腕が無いのだ。死にかけなのだ。怯む必要はないのだ。だから前に出て――
「遅ぇ」
技も、工夫も何もなく、ただ、ただ人蟲一体と化したイチゾーの右の一撃で顎を砕かれ、今度こそ致命的に脳を揺らされた。
「――」
閉じることのできなくなった顎から血を流しながら、揺らされた視界の中を歩くイチゾーを見る。
そこにはハンターが居た。
そこには蟲憑きが居た。
先程までは技を生かす為に蟲を人に寄せていた。アレは人の、この毛無しの性だ。
『己の修めた技を生かしたい』『己の技は魔物に通じるはずだ』と言うエゴだ。
だが、今は――
蟲に人が寄った。
それこそ、魔物が、生来より魔力を持ったモノ達が恐怖した人類の姿。
——蟲憑きの姿だった。
とあるオーディション会場にて――
??吉「ウチで主人公やるならさぁ……結構な確率で腕は捥げるけど、キミ、ほんとに主人公やれるの?」
そんな圧迫面接。
一体、誰なんだ!
こんな酷いことを言う奴はサイテーだゼ!!




