大猿
戦争の始まりは何時なのだろうか?
それは兵隊が一歩目を踏んだ時なのかもしれない。
それは兵隊が銃を取った日かもしれない。
それは戦争にて助太刀の際に交わした契約が果たされなかったせいかもしれない。
それは敵国の兵力を上回った時かもしれない。
それは貧しさに耐えかねた民の嘆きが積もった瞬間かもしれない。
それは宗教と言う名の詐欺行為を人々が信じてしまった時かもしれない。
イチゾーにとって草原迷宮における戦争の始まりは実に静かなモノだった。本隊から送られた伝令の犬妖精に軽く、肩を脛を叩かれた。それだけだ。
夜闇に乗じてイチゾー、ニゾー、えもにゅーと言う梯子無しで城壁の上に行ける一人と二匹が三方向から城壁に近づく。
「……」
城壁の上の角猿達には何処か緊張感が無い。当たり前だ。犬妖精達はここを包囲してからの二週間、一切の夜襲を行っていない。
何度も言うが角猿は敵性亜人。人類程賢くはない――と言うよりは『野生』が強いので人類の隣に立てなかった種なのだ。
始めは警戒して居たが、彼等の中途半端に賢い頭の中では『今日も来ないだろうな』と言う思考がどうしたって過ってしまう。
小猿は城壁の壁よりも身長が低いので、姿が見えない。だから中猿しかイチゾーには見えない。部隊長として三匹の中猿が見張りについている。彼らの内、イチゾーから見て一番手前側に居るAに注視する。偃月刀を肩に担いだAは怠そうに歩き、止まると、腰を伸ばす様に、大きく空を見上げた。
——今。
判断は一瞬。蹴り足は強く、音は無く。一足にて壁の上に降り立ち、仰け反る中猿の口を左手で塞いで、そのまま思い切り後ろに引き倒し、城壁の廊下。石造りのそこに思い切り叩きつける。音。僅かに鈍く。それでもそれ以上の音を上げさせない為に右に握ったウォーハンマーの鉤爪を目に叩き込む。びくん、と身体が跳ねて、力が抜ける。
二匹の中猿。気が付いていない。八匹の小猿。こっちは流石に気が付いている奴が居る。今は驚きが勝って固まっているが――「……」。やっぱ無理だったか。そう思考。八匹? 引っ掛かり。一匹、足りなくないか。
その判断と同時に、背後から音。蹴り足、強く。一直線。音から分かった情報はその程度。
弐足・円天。
城壁の縁。そこに爪先だけを残し、回る。
背後からドス突きをやろうとしていた小猿の視界からイチゾーが消えて、背後にイチゾーが現れる。その背中を踏みつけるイチゾー。気付いた小猿の一匹の口が開かれる。叫ばれる。その刹那——
「食って良いぞ、百頭丸」
右手から放たれた弾丸が叫ぼうと口を開けた小猿の口の中に突っ込んで行く。舌を喰い、無理矢理顎間接を外して奥へ。柔らかい内臓を喰おうともがき、音を殺して小猿も殺す。それと同時に、一歩。
壱足・槍天。
背中を踏んだ足をそのまま踏み足に。地面の代わりに背骨を踏み砕いて二匹目の中猿Bにイチゾーが跳びかかる。
弾丸の様に跳びかかり、狙うは顔面。叩き込むは靴底。槍の様な蹴りがBの後頭部を捕らえ、そのまま顔面を廊下に叩きつける。
音が、鳴った。
もう隠す気は無い。残りの中猿、見張りをしていた廊下の小猿。廊下を挟む形で造られていた搭の中の角猿に、中庭で予備員として休んでいた角猿の軍団に気付かれた――が、良い。もう良い。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
声を出す。大きく。声を出す。敵の注意を引く為に。声を出す。味方への合図として。
そのまま壱足・槍天が崩し、墜天。Bの頭を踏み潰し、それを一歩として残る中猿に向けて走り出す。しゅる、とウォーハンマーの持ち方を変える。柄からヘッドに。鉤爪を前に。
駆け抜けるついでに拳を振り下ろす様にしてその鉤爪を小猿に叩き込む。四発打って、三匹を殺して、一匹を中庭に押し出す。ずる、と右腕の先から何かが抜ける感触。食い終わったのか、殺したからなのか、それともこれ以上離れられるのが嫌だったのか、百頭丸が戻って来て、そのまま右腕に巻き付く。それと同時に中猿Cがイチゾーの間合いに入る。とん、と軽く飛んで、上から下に。体重を乗せてその両肩を鉤爪で抉り、殴った勢いに任せて柄を握り直す。怯んだC。その首に左右から鉤爪を叩き込んで、顔面を蹴り飛ばす。
中猿Cの首が転がり、赤が噴き出す。死体を搭の扉に向かって蹴り飛ばせば、援軍に降りて来た小猿の行列に叩き込む結果となって、行列が倒壊。
角猿達は避難訓練をやって居ないらしく、押すし、走っていたので、最後の『死なない』を守ることが出来ず、それだけで結構死んでいた。
それを確認して、振り返る。
城壁の見張りをしていた残り四匹の小猿に加えて、中庭から階段を上って、或いは向かいの搭から、援軍の小猿どもがわらわらと昇り、現れていた。
「……」
ちら、と城壁から視線を落とす。犬妖精達が梯子を掲げて走って来ているが、未だ距離がある。正門に向かって影が一つ、矢を射かけられるのをモノともせずに突っ込んでいる、カズキだろう。つまりは破城槌。その後ろから犬妖精の本隊が続いているので、あっちは任せて良し。ベルトに括りつけたグレネードに手を掛け、階段を上って来ている小猿の先頭に向かって投げつける。
「ウキャ!」
警戒して居たソイツは直ぐに伏せてやり過ごした。
だから二番目の奴にぶち当たり、不意を突かれたそいつは足を踏み外し、後ろを巻き込んで階段を落ちて行った。大惨事だ。その大惨事の最中に投げたグレネードが、ぽと、と落ちる。
魔力ルールがあるので、ただの爆発では大したダメージを与えられない。
だけど催涙ガスなら話は別だ。
階段の下に地獄が出来上がった。
「硬化」
それを見ながら詠唱を一つ。それはウォーハンマーの硬度を上げ、同時に右腕に巻き付いた百頭丸に告げる。行くぞ、と。行くぞ、殴るぞ、と。行くぞ、殴るぞ、分かってんな? と。
ぎっ、とウォーハンマーの柄が軋んだのはグローブの〈グリップ〉の効果か、それとも百頭丸が強化した身体能力故か。
どちらかは分からない。
どちらでも良い。
舞う様に。円を描いて。両手の歪な羽で――烏が舞う。
廊下に並んだ角猿達を叩き壊し、中庭に落として行く。
「――」
回る視界の中、梯子が掛かったのを確認。攻め手を緩め、後方に跳び、梯子の掛った場所を守る様に立つ。「……」。『おかし』を守らなかった搭の整理がついて、出て来ていた。階段の方は未だ大丈夫そうだが――
「後ろ、行けるか?」
きちきちと足を鳴らし、わざと首に巻き付く様にして、イチゾーの背後を覗き込む百頭丸。そうしてから顔の前にやって来ると、かち、と牙を鳴らした。行けるらしい。
「任せた」
そう言うと身体を這う様にして百頭丸が背後に回って行く。
イチゾーに尻尾が生えた。
動きを阻害しない様に。そう言う気遣いなのだろう。身体を這い、背後に回った百頭丸はまるで尻尾の様に、尾骶骨の所で身体を持ち上げ、かちかち、と牙を鳴らして威嚇をした。
そうして、イチゾーと百頭丸が梯子を守っていると、先ずは白い犬妖精ナイトが昇って来た。早太郎だ。早太郎は盾を構え、イチゾーの背中を守る様に降り立った。
盾で守りながら、剣の払いで、或いは受けさせてのシールドバッシュで小猿を中庭に落として行く。「……」。戦うと言うよりは場所を造る動きだ。良く分かっている。だからイチゾーもその動きを助ける様に前に出る。それを感じた百頭丸も前に戻ろうとするが――
「来ンな。そのままで良い」
イチゾーのその言葉に止まり、不思議そうに別れた二つの頭同士で見つめ合う。
——なにするき?
——しらーん。
そんな自問自答。それに答が返される。
「伸びろ!」
言葉と同時にイチゾーのブーツが鳴き声を上げ、焦げる。靴底を燃やしながらの円天。早く、強く。何をしたいか。それを理解した百頭丸は思い切り伸びて、〈硬化〉の魔法を自分に使う。
遠心力に乗せて、硬いモノを叩きつける。
骨を砕いて、頭を潰して、回るのに合わせて薙ぎ払う様に振られたイチゾーの尻尾の一撃が大量の小猿を砕いて、叩き落とした。
「ががう、ぐわぐ!」
今だ殺せ! 犬妖精の吼え声が上がり、梯子を一気に昇ってくる。
「……」
ここは良いな。そう判断し、百頭丸を右腕に戻す。中には入れない。「……」。その頭を分けようとする。出来るのか? 出来た。イチゾーの狙い通り、ロープ程の太さの頭が十本程出来た。百頭丸が自分の意思で頭を割り、イチゾーを見て、小首を傾げる。次はどうやって殺すの? 蟲らしい感情の乗らない黒い眼でも、性格と、気質と態度を見ていれば何と言っているかくらいは分かる。
だからイチゾーは向かいの搭から次々と出てくる角猿を右腕で指差して――
「巻き付け」
と言う。その指の指す方向に向けて、飛び掛かる百頭丸。彼が小猿たちに巻き付くと同時、イチゾーが中庭に向けて飛び降りる。それに合わせ、腕を引き、百頭丸を戻す。
猿団子が地面に叩きつけられ、肉団子が出来上がった。
門が破られ、城壁は侵された。
突然の夜襲に混乱しながらも角猿達は犬妖精を追い返そうと、城壁に、正門に向かおうとする。
城の大通り。居住区画から外へ向かうその先に――
嵐が居た。
中猿の肩に鉤爪を突き刺し、無理矢理転ばせてその頭を蹴り飛ばす。或いは円の足運びに任せて遠心力の乗ったウォーハンマーで、尻尾で薙ぎ払う。
小猿が一匹、尻尾に掴まった。きぃー! きぃー! と助けを求めるが、近づけない、小猿を捕まえたその尻尾がその小猿の重さと硬さを武器に、モーニングスターの様に小猿を殺して、中猿の骨を折っている。
一人だ。もしくは一人と一匹だ。
それが突破出来ない。死んで使いモノに成らなくなった小猿を尻尾が投げ捨てる。捨てる場所を決めているのだろう。積み重なった死体がバリケードの様になって、道幅を更に狭めて、攻め手を限定させられる。
詰まり、密集したのを狙い。イチゾーが催涙グレネードを放り込む。中間点に混乱が起こり、前と後ろを分断出来た。「……」。少し、休める。
猿どももだが、イチゾーだってそれなりに消耗している。
今の所、犬妖精軍の方が有利だ。だからと言って、イチゾーははしゃぎ過ぎた。調子に乗って前に出過ぎた。
アドレナリンか、或いは百頭丸の気性に引っ張られてか、熱くなっていた頭が少し冷静に成った。この場所は一人で来る場所じゃない。絶対に。
殺せるが疲れる。
勝てるが疲れる。
疲れがたまれば、いつかは負ける。
質を駆逐できるだけの数が用意されている。
迷宮攻略と戦争の明確な違いはここだろう。ふぅー、と襟元を引っ張って、中に空気を入れる。汗をかいた身体には生温い息でも十分に涼しい。
——せめてニゾーが来るまでは引いてやるかな。
暴れ狂って、小猿を振り回しながら別の頭でその肉を喰っていた百頭丸も、もしかして今はそう言うシーンではないのでは? と小猿の死体を、ぽて、と落としてきちきちと足を鳴らして右腕に巻き付いて来た。
そんな時だ。
道が爆発した。
正確には道に詰まっていた角猿達が爆発して、肉と血と骨を周囲にぶちまけた。
イチゾー以上の大嵐。
両手に持った大木を削った棍棒を振り回し、理性を溶かされた大猿は使えない身内を潰しながら、溶けた脳に残されたテロリストの命令を果たす為に、道を歩き。
「――よォ、久しぶり」
「ウゴオオオオオオオオオオオオオオ!」
あの日、自分を馬鹿にしたイチゾーを見付けて、大きく吠えた。
戦闘中は右腕に巻き付いてるか、尻尾になってる百頭丸くん。
実は、ケツと言うか尾骶骨に百頭丸が宿るのも考えた。
でもケツだからなーと言うのと諸事情によりケツは無しに成った。
よかったな、イチゾー、百頭丸!




