かち
屋根を踏みしめ、イチゾーが跳ぶ。
弐足・円天を得意とするイチゾーにしてみれば、戦闘を行うのなら閉所、狭い場所の方が有り難いが、跳び回る分には街型の様に開放的な空間は有り難い。存在するが、しない街。龍脈を奔る魔力で構成された瓦は踏み砕かれ、空気に溶け、そして数分後には何事も無かったかのようにもとに戻って行く。
そんな風に迷宮を壊しながらイチゾーは跳ぶ。
「んぐもな!」
そんなイチゾーの頭上にしがみついていたニゾーが、頭を右のフリッパーでぺしぺし叩きながらの『敵発見』。五感の内、鳥類が最も優れているのは視力だ。それはペンギンでも例外ではないらしい。イチゾーよりも遥かに広く、遠くをみることが出来るその眼を信じて、右側に方向転換。跳んでみれば、建物の間から道を歩く三匹の角猿が見えた。
「ぐが!」
殺意はやはり頭から。イチゾーの頭を遠慮なく踏みつけて、ニゾーが飛び出す。すぃ、と風の音。その瞬間、空が海となり、迷宮ペンギンが泳ぎだす。
空を跳ぶイチゾーよりも空を泳ぐニゾーの方が早い。旧時代に泳ぐ為に進化した流線形のボディが今、時を超えて風を緩やかに流し、一瞬の間に巡回していた角猿の内の一匹の頭を吹き飛ばす。戦車装甲すら貫く嘴での一撃。それにより仲間の頭が吹きとされたのを見て、慌ててニゾーを視線で追う猿達。
ニゾーはそんな二人に良く見える様にと一直線に空――の様に見える天井を目指して昇って行く。そんなニゾーを追って、角猿達の首の角度も上がって行く。隙しか無い。だからイチゾーはその内の一匹の頭に跳んだ勢いそのままに二本のウォーハンマーを叩きつけた。
命に届いたと言う確かな手ごたえ。やはりハンマーは良い。刃の立つ立たないも、相手の骨の切れ目も意識することなく、思い切り叩きつければそれだけで命が奪える。最高だ。
「――」
無意識にイチゾーの口角が持ち上がる。握ったハンマーから伝わった骨を砕いて肉を潰す感触。それがどうにも背筋を冷たくする。ぞくぞくさせる。
撲殺魔。
どうやらイチゾーにはその才能が有ったらしい。「……」。いや、要らねぇよンなもん。気付いて直ぐにそう思う。血に酔っても、殺戮に酔っても良いことはない。
「ふっ」
と鋭く、短い呼吸で雑念を吐き出し、跳躍。
今回の目的は追い込み漁なので、残った角猿には手を出さず、その代わりしっかりと姿を見せて、屋根に戻る。角猿は追ってこなかった。代わりに逃げ出す。向かった先は出口ではない。それだけを確認して、次の獲物を探す為に跳ぶイチゾー。その頭に泳いで来たニゾーがぶつかる様にして掴まった。「……」。地味に痛い。お前、もうそのまま泳いでろよ。それがイチゾーの本音だ。
だが残念。
幼体の頃からの癖である程度の距離を移動する場合は『こう』するのが当然だと思っているニゾーは辞める気は無かった。
それからも何個かの巡回猿を見付け、その度に適当に間引いて、逃がして、徐々に円を小さくする様にして角猿を追い込んで行った。
既にイチゾーには角猿達の拠点が何となく分かっていた。街の外側にある領主邸とナユタ邸ではなく、中心にあるハンターギルド。そこを寝床にしている様だった。
「……」
だがイチゾーは未だ狩りを続けている。
理由は簡単だ。
馴染ませる。蟲憑きとなった身体と、八咫烏としての技を馴染ませる必要があった。右腕の暴れん坊はどうやら『戦う』ことに肯定的な性質の様で、身体能力も随分と強化してくれている。見張り猿のBが良い例だ。イチゾーは頭をサッカーボールにするつもりはなかった。
だが、結果はアレだ。
斬れる刃物は頼もしいが、斬れ過ぎる刃物はよろしくない。
だからイチゾーは今、角猿達を使って新しい身体の性能を確認していた。
だが、それも徐々に終わりに近づいていた。
徐々に動きが洗練されて行く。壊すと壊さないを選べるようになっていく。それは見る人が見れば驚愕する速度だったが、イチゾーにとっては当たり前のことだった。
八咫烏。その技の要が身体操作である以上、元よりイチゾーは身体の扱い方は一流なのだ。
槍の様な軌跡で跳び付きながら、両手のウォーハンマーをくるりと半回転。柄頭から鉤爪へ。そのまま角猿の顔面に叩き込み、突き刺さったソコを起点に方向転換。首をねじ切りながら直角に曲がり、その先に居た角猿の頭を踏みつけ、胴に埋めてやりながら跳躍。
いつしか屋根を踏む足から音が消え、当たり前の様に壊さなくなっていた。そしてそれでいて速度は落ちない――どころか、更に早く跳ぶ。
「ぐな!」
と追いつけないニゾーからの苦情。それに応じる代わりに一度だけ踏み込みを深くする。膝を曲げる。ふくらはぎの筋肉が張る。力が溜められる。一秒に満たない停止。その隙を突く様にニゾーが頭に掴まる。解放。力強く屋根が蹴り飛ばされるが――やはり音は無し。
――もう良いな。
その一歩で以って自分の身体を掌握したと判断したイチゾーは角猿イジメを終わらせてハンターギルドを目指して進みだした。「……」。行商人のレオにも陸竜のマイキーにも馴染みが無かったせいだろう。街の中心部は色が濃い場所が多いが、目指すハンターギルドには色が無かった。
だがそこに辿り着く前に狙いの獲物を見付けた。
大猿程大きくはない。それでも周りの小猿と比べれば明らかに大きい。二メートルほどの背丈の中猿が街の中心を奔る街道を走っているのが見えた。
棍を持って居る。
彼は『何か』から逃げる様に時折り背後を確認しながら走っていた。「……」。カズキだろうか? そうおもう。イチゾーと違って身体の『調整』が必要なかったカズキが先に襲撃した。それは十分にあり得ることだ。
「――」
それならば、と一度呼吸を深くするイチゾー。その頭の上からニゾーが空に飛び込む。それを確認して、わざと音を立てて跳ぶ。先行していた小猿を蹴り飛ばし「ギィ!」と叫びを上げさせ、イチゾーが中猿の進路を塞ぐ様に前に立ち、石畳を砕く轟音と共に背後に降りたニゾーが「ぐがああああああああ!」と大口を開けての咆哮。
前と後ろを塞がれた。そのことに気が付いた中猿が足を止め、見まわす。その瞬間にイチゾーは駆け出していた。
ウォーハンマーの頭を握り、駆け出す。気が付いた小猿が飛び掛かるのをハンマーの鉤爪で殴り、その勢いで柄へ手を滑らせ、叩きつけ。眼球を貫かれた小猿がゴミの様に地面に叩きつけられ、踏み潰され叫びを上げる。
その音に救われ、中猿が咄嗟に眼前に棍を掲げる。そこにイチゾーが両手に握った二本のウォーハンマーを叩きつけた。衝撃。勝ったのはイチゾーだった。ガードを吹き飛ばし、二つの鉤爪が肉を抉り、中猿に二本の溝を造る。
だがその程度で中猿は止まらない。傷を負いながらも、爛々と赤い瞳を光らせて片手で棍を横薙ぎに払う。咄嗟、イチゾーがしゃがむ。何とか間に合ったが、勢いだけで髪の毛が少し散らされた。「……」。斬れない武器で斬る。やはり中猿がここのボスと言うことで良さそうだった。
横薙ぎから変化しての唐竹。今度はソレをイチゾーが受ける番だった。クロスさせたウォーハンマーの交差点で受け止める。そしてそこに頭突きを叩き込む。しゃがんで溜めたバネを解放。カウンターの要領で止まった棍を勢いよく弾き飛ばす。
――空いた。
強制的に万歳をする形にされた中猿。がら空きに成ったその中猿の腹にイチゾーの蹴りが叩き込まれる。中猿は吹き飛ばされ――ることなく、その背後に現れたニゾーの頭突きで弾き返される。「――」。急テンポで叩き込まれる二連撃に角猿の肺の中から空気が失われ、体勢が崩れる。前から後ろから、そして再びの――前。柄頭を握っての右フック。顎を砕きながら、緩められた握力に従い、滑る様に、再び柄へ。今度はそのまま遠心力を乗せて右手が戻され、横薙ぎ。鉤爪が中猿の頬を抉りながら強制的に左を向かせて――本命。ぎっ、と柄が軋む程に強く握られ、身体ごと回る様にしてイチゾーが右のウォーハンマーを叩き込む。
右手一つでの三連撃。それで崩れた中猿。それで終わらせる気のないイチゾー。振った勢いそのままに背中を見せながら回転につなげ、跳びあがる。
回転力を威力に。
重力を威力に。
回りながら両手に握られたウォーハンマーが描く軌跡は上から下。中空で回転しながらの一撃が、ふらついた中猿の頭を捕らえて砕く。
石畳の地面に中猿の顔面が叩きつけられ――ない。両手。棍を手放した中猿の両手が地面に触れ、関節で衝撃を殺す。「――!」。拙い。それをイチゾーは判断出来た。だから来ると覚悟をした。
回転蹴り。
地面に着いた両手を軸に、中猿の身体が轟音と共に風を切る様に回り、蹴りが放たれる。
大技を放った後。その隙を突く一撃。イチゾーはガードが間に合わないと判断して、咄嗟に足首だけで後ろに跳んだが――
「っ!」
中猿の長い足は逃がしてくれない。その先端の鋭い爪が鼻を横切る様に切り裂いた。「は、」。思わず零れる笑い。紙一重。逃げ遅れていたら頭を半分にされていた。もう少し上だったら目が切られていた。その感触。命を削られたその感触に血が熱くなる。
「生命力強化」
言う前に多分、右手の彼は動いていたのだろう。血は既に止まっていた。イチゾーは乱雑に服の袖で血を拭い、中猿を見据える。頭の形が変わっている。その状態で一撃を放った結果、口を閉じることも出来ず、色の悪い舌を、だらん、と垂らしながら荒く呼吸をしていた。
ぺきぺきと乾いた音が中猿から聞こえてくる。頭の形が少しづつ戻り出している。一番最初に鉤爪で造った肉の溝はとっくに塞がり、新しい毛まで生えている。
「……」
魔力はどちらかと言うと向こうのモノだ。
イチゾーよりも明らかに回復が早い。「ぐがあ!」殺気だったニゾーが横に並ぶ。何をしている? 行くぞ! 殺すぞ! とペンギン様は仰せで在られた。それを見ながら――「……」。どうするかな? そんな思考。待つか、行くか。待てばカズキの援護が入るかもしれない。だが待てば小猿が集まって来るかもしれない。小猿は簡単に殺せる。殺せるが、囲まれて石を投げられたらウザい。その状態で中猿を相手するのはキツイ。
その思考は一瞬だった。
だが中猿はその隙を見逃してくれなかった。
それでも向かって来たのであればイチゾーもニゾーも対応して見せただろう。
だが中猿が取ったのは逃亡。
迷ったイチゾーとは異なり、迷いなく選んだ一心不乱の逃亡。追う。反射に近い行動で一歩を踏もとしたイチゾーの足が止まる。
――おかしくないか?
そこまでか? そんな疑問。そこまでコイツは俺が怖いか? その疑問。勝てる。一対一ならほぼ。その自信はある。アイツもそれは分かっているだろう。それでも生命力と力はあっちが上だ。一撃を叩き込むだけで天秤は傾く。だからそこまで必死に逃げる必要はないんじゃねぇかな? そんな疑問。嫌な予感。
魔力が無い内から、魔力を持ったモノ達を相手にして生き延びてきた直観。それが一歩を止めて――
「ぐがが!」
逃がすか! と追うニゾーが付けたゴーグルのバンドに鉤爪を引っかけ、そのまま引き倒す様にして後方に放り投げた。
「ぐなあああああああああああああああああ!」
本気で怒るニゾーの声。それを聞きながら「硬化ォっ!」。全力で魔法を使い、右腕の蟲に全力で警告を送り、後方に跳び退るが――間に合わない。八咫烏の一歩でも届かない。前。前に行こうとしていたのが不味かった。重心を造っていたのが不味かった。そのせいで逃げ遅れた。
空が落ちて来た。
空は岩の様だった。落ちて来たソレは中猿を押しつぶし、そのまま回転を始めた。石畳が砕かれ家屋が砕かれ、間に合わなかったイチゾーを吹き飛ばす。
嵐に勝てるはずがない。
弾き飛ばされたイチゾーは地面で何度もバウンドして、それでも勢いを殺し切れず、一気に捨ヶ原中央の憩いの場に造られた噴水にぶつかり、それで漸く止まった。骨が折れた。呼吸が止まった。呼吸が出来ない。胸を叩く。一回、二回。
「――かひゅ」
それで漸く呼吸が出来た。肩で呼吸をする。俯き、大きく開いた口からは涎に紛れて血が流れていた。造りモノの水に血と唾液は溶けることなく、ポタポタとまだら模様を描く。
それでもどうにか現状を把握しようと顔を上げる。
空を泳いでいるニゾーが見えた。――無事なようだ。
そんなニゾーは回転する大岩をイチゾーに近づけない様にちょっかいを出して注意を引いていた。ちら、とニゾーがこちらを見た。そんな気がしたので、大丈夫だ、と言う様に軽く片手を上げる。
ニゾーがうっとうしかったのか、それとも別の何かがあったのか、大岩の回転が緩やかになって行く。魔力で編まれた家屋の破片が、空気に溶け、その大岩に吸い込まれていく。
「……マジかよ」
思わず呟く。
今更になってこの迷宮は白血球を造り出したらしい。
回転を止めた大岩から手足と頭が生えた。そいつは魔力を吸い込む様に大きく息を吸い――
「―――――――――――――――――――――――――!」
音を吐き出した。
それは亀の様な甲羅を持った竜。
それは恨みで変じた不死へと変じた竜。
主人を守れなかった悲しみで、或いは理不尽に己を殺された怒りで世界を呪う魔竜。
不死陸竜と化したマイキーが居た。
白く濁ったその瞳には恐らく何も映っていないのだろう。マイキーは猿どもを磨り潰し、街を、生みの親である迷宮を砕いて尚、止まることなく、世界に向けて吠えた。
滅べ、と。
それは純然たる恨み。それは純然たる殺意。
イチゾーのことも、ニゾーのことも分からない。それ所か、もうレオのことも分からないのだろう。
ただ、痛くて。
ただ、悲しくて。
ただ、憎い。
純然たる世界の敵。人も、魔物も、己以外全てを憎み、恨み、殺そうとするモノ。
ソレが居た。その白濁した眼球が、何も映さないはずの眼球がイチゾーを捕らえ――
「―――――――――――――――――!」
殺意を叩きつけられる。殺すと言われる。「は、」。同情はする。墓を造って手を合わせてやっても良い。だが、殺すと言うなら。こちらを殺すと言うのなら――お前が死ね。
――かち。かちかち。かちかちかちかち。かちかちかちかちかちかち!
右腕の蟲がイチゾーの戦意に合わせて牙を鳴らす。その音が心地いい。その意気が頼もしい。何だ。あたりじゃないか〈生命力強化〉。イチゾーは素直にそう思った。
だってこの状況からでもまだ――全力で行ける。
きらら系のマスコットを務められそうな蟲さん。




