先輩
娘の恩人だから――
と言う有り難いお言葉を領主サマから頂いたので、位階向上の間の宿は領主邸の客室で過ごすことが出来た。
金欠だったので大変ありがたい。
それでも何時までも世話になっている訳にも行かない。行かないし――根っこがスラム孤児だからだろう。イチゾーは家族以外の人が傍にいると眠りが浅くなるタイプのナマモノなので、身体が動く様になった以上、安眠を求めて部屋を出て行くことにした。
「ニゾー、塵取りー」
「ぐあ」
「……ちょい下がって」
「ぐあ」
「……おっまえ、塵取り下手だなぁー」
センスがねぇよ、センスが、とイチゾーが言えば――
「ぐな!」
うるせぇ! 上手だわ! とニゾーが吠えた。
そんな感じに、ベッドシーツも綺麗に張り直し、八咫烏衆らしく『立つ鳥跡を濁さず』の精神で一週間世話になった部屋を小一時間掃除してから出ることに。
「……」
だが、そこで『そう言えば』と自分達以外の療養中の人物のことを思い出したので、最後に顔を出して挨拶だけはしておこうと言う気分に成った。なったので、ドアをコンコン。三秒待つ。「?」。返事が無い。ちょっと嫌な予感がする。それに背中を押される様にドアを開ける。
レオが居た。
天井の梁から伸びたロープ。
そこに繋がったレオが重力に従い、ぎぃ、ぎぃ、と言う木の音に合わせて身体が揺れる。
ズボンが濡れている。舌が伸びている。目に光が無い。
死んでいる。
「……あぁ」
思わずそんな意味の無い音がイチゾーの口から漏れ出た。
気持ちは分かる。少しだが。竜車が潰された。陸竜――マイキーも死んだ。一度の商売の失敗どころでは無く、今後の人生を質に入れて手に入れた車と竜、それが無くなったのだから絶望するには十分で十二分だ。
――娘を助けたんだから領主も少しは動いてくれるんじゃねぇの?
――俺だって多少はカンパしたぜ?
――ラファとドナはどうすんだよ?
そんな色々な考えが浮かんで消える。言葉にはならない。「……」。イチゾーは無言で煙草に火を点け、枕元の灰皿に立てかけた。
紫煙が昇る。
窓から夕陽が差し込む。
「……死ぬんなら襲われた時にさっさと死んどけよ」
クソが、とイチゾーはレオの死体を罵倒した。
行商人の終わりとしてはそれなり程度に有り触れた悲劇だ。同情はされるが、そこ迄だ。涙を流して、声を張り上げて、この悲劇を起こした社会を責めたてる――そんな余裕は今の人類には無い。
ラファとドナをアリサが引き取ったこともあり、イチゾーもそれ以上は考えないことにした。
人類に余裕はないので、さっさと『次』に進まないと行けないのだ。
イチゾーは蟲憑きに成った。
イチゾーは魔法が使える様になった。
でも魔法の使い方は分からない。だから魔法の使い方を学ぶ必要がある。スペルトレーナー。ハンターギルドに一人はいる魔法のスペシャリストから使い方を学ぶ必要があるのだが――
「イチゾーさんとニゾーさんですか?」
「はい。わたしがイチゾーさんです」
「ぐあ!」
「そうですか。では先生の所に案内するので付いて来て下さい」
左目を眼帯で隠し、隻眼。二つの尻尾。長い茶色の髪を二つに結んだ人間種の小さな女の子からの問い掛けに、教科書の例文の様に答えるイチゾーとニゾー。
何故か捨ヶ原の真の支配者である変わり者の不老者が直々に教えてくれると言うことに成り、ギルドのソファーで待って居た所、迎えとしてやってきたのが彼女だった。
「……」
誰だ? イチゾーは素直に心の中で小首を傾げる。
人間種なので、不老者本人ではない。それは分かる。だって不老者は例外なく精霊種だ。
不老者。文字通りに老いない者。それは精霊種が蟲憑きに成った際、極々稀に産まれる異常個体だ。
他の種族には一切産まれないことから精霊種共が得意気に自分達の種族名に『精霊』とか言う漢字を使ってる原因でもある。「……」。種族名と言い、たかだか『不老』を『不死』と言ったり、ちょっと精霊種の皆さんは自分を良く見せようとし過ぎじゃないですかね?
話がそれた。
念の為もう一度女の子を確認してみるが、ぴこぴこ揺れるツインテールから覗く耳は尖って無い。人間種のものだ。
「……」
本当に誰だ? 付いて行って良いのか?
「? どうかしましたか?」
歩みの遅いイチゾーの態度を不審に思ったのだろう。振り返り、一つだけの瞳に疑問を滲ませながら女の子。
「……パパ上に知らねぇ人には付いてかない様に言われてるんですよ、俺」
だから知らないお姉さんに着いて行って良いモノかと思ってるんです。
飴も貰ってないし、とイチゾー。
「……パパの言うことをちゃんと聞いてるのは良いことだと思います」
何ですか? 飴あげたら大人しく着いて来るんですか? なら、はい、と女の子。
四角い二色の飴をくれた。ニゾーの分もある。「ぐあ!」。単純な鳥類はそれで警戒を解いたらしい。お気楽である。だが、哺乳類であるイチゾーはそう言う訳には行かない。飴は美味しく頂くが、美味しい分だけ警戒した。ぐるるー。
「わたしはセツナです。先生の所で住み込みで魔法を学んでる弟子です。弟子だからこうやって雑用を押し付けられているんです。分かりましたか、イチゾーさん?」
「……分かりました、先輩」
「先輩?」
「俺も先生とやらに魔法習うんだろ? で、先に弟子になってるから先輩」
「んふ。良いですね、それ。良い響きです」
「お気に召して頂けましたか、先輩?」
「はい。お気に召して差し上げましたよ、後輩さん」
魔法を習っていると言うことは、セツナも蟲憑きと言うことだ。
そうなるともしかしたら見た目よりも年齢は上なのかもしれない。イチゾーはそんなことを思ったが――
「わたしは生まれつき卵を持って居たので、見た目通りの――幾つに見えますか、後輩さん?」
ふふ、と惑わす様に、艶っぽく、それでいて子供っぽくセツナ。
「……この場合って上を言えば良いの? それとも下?」
「思った通りの正直な年齢で良いですよ?」
「……」
嘘だ。
気に入らないと『え? わたしそんな年齢に見えますか?』とか言われるのだ。
「十歳」
だからもう、素直に思ったままを言うことにした。分かんないのだから考えても仕方が無い。蟲憑きと言うことは少なくとも十年以上は生きているはずだ。
「惜しかったですね、後輩さん。十二歳です」
蟲憑きになってから二年経ってるので、位階も弐です、と薄い胸を張りながら得意気に先輩。「ほら」。と舌を出す。その舌の上には紅い蜂が居た。位階弐の蟲憑きは蟲を身体の外に出せる。舌の上の蜂はカチカチと威嚇する様に牙を鳴らした後、舌が仕舞われると同時に居なくなってしまった。
「紅蜂。火属性群体型の蟲です」
「マジで先輩じゃねぇですか」
「マジで先輩なんですよ、後輩さん」
そんなやり取りをしながら街の外れ、外壁の際のうっそうとした深い森の中を進む。「……」。森は資源ではあるが、壁の内側に造るのは贅沢品だ。それでもここの持ち主の気分で生かされている捨ヶ原はこの森を許容しないと行けないのだろう。
気分良く、過ごして頂く。
それが生存の為の必須事項なのだ。
何とも理不尽な話だ。
「……」
長老衆のこともあり、イチゾーはあまり不老者が好きではない。
老いなくても脳は腐る。時代からズレ、その修正が出来ず、不老者は時にその讃えられるべき知性の積み重ねが、害となってしまうことがある。
長老衆とか良い例だ。
根性論でどうにかなったら苦労はしねぇんだよボケぇ。何が『儂、ちょっと思ったんじゃけど……お前んとこの倅、追い詰めば赤刃音使える様になるんじゃね?』だクソボケ。お前らが大事に育ててるチーズの発酵室で納豆巻きパーティやってやったかんな。後で絶望しろ。
「先輩から見て、先生ってどう?」
「? ダメな人ですよ?」
「……」
「あ! 大丈夫です! 魔法はちゃんと教えてくれます! 分かり易いです!」
半目になったイチゾーに、慌ててセツナ。
「蟲憑きとしては尊敬出来ますよ!」
ぐっ、と力強くそう断言してくれる。
「……それはつまり、人としては尊敬に値しないと言うことではないですかね?」
「あ、門が見えてきましたよ、後輩さん?」
「……話を逸らしてませんか、先輩?」
「先輩の言うことを聞かない気ですか、後輩さん?」
「……まさか。俺は先輩を敬う可愛い後輩ですよ?」
でも俺、ギルドのスペルトレーナーに習いたくなってきてます。後輩じゃなくなりそうです。
それがイチゾーの素直な気持ちだった。
将を射んとする者はまず馬を射よ。
そんな言葉がある。
「ぐあ!」
飴をいっぱい貰ってとても幸せ。
イチゾーの頭の上のニゾーはその例えで言うなら射られた馬だった。本気で帰りそうなイチゾーの気配を察したセツナに袋ごと手渡された飴ですっかりご機嫌だ。「……」。安い。
「ニゾー、俺にも一個くれ」
「ぐあー」
「……一個ってのはな、本当に一個じゃねぇんだよ。個別包装の袋一つくらいはくれよ」
「……ぐな」
渋々と手渡される。「……」。嚙み切る様に封を切って四角い飴二つを一気に口の中に。安い味だ。
安い味だが、それでニゾーが買収されてしまったので、イチゾーは取り敢えず先生とやらに合う為にセツナの後ろに大人しく付いて、屋敷に入った。セツナの言う通り『ダメな人』である先生とやらは二度寝に入っているらしく、応接間で待たされている。
「……」
紅茶の入れられたカップを持つ。随分と物が良い。生きた年月に相応しいだけの『力』。それがこのカップから、或いは応接室から伝わって来た。
ただの気まぐれで龍骸地方の危険地帯に『街』を造れる。
どれだけの力があればそんなことが出来るのか。今一イチゾーには分からなかった。
だから始め、セツナが連れて来たその人を『先生』だと認識出来なかった。
連想したのは月と銀。
寝起きなのか、セツナに手を引かれる、そのセツナと同じ位の女の子がいた。右目を眼帯で隠した鈍い銀色の隻眼、その瞳とは正反対に、銀糸の様に輝く白銀の髪、新雪の様に透き通った白い肌。綺麗すぎて造りモノの様な印象を受けてしまう精霊種の女の子。
「ほら、先生、しっかりして下さい。後輩さ――イチゾーさん、もう来てるんですから」
「……まだねむい」
「駄目です。起きて下さい」
まるで姉妹の様に、セツナに手を引かれている。「……」。不老者だと理解していても、とてもではないが、『先生』。魔法の教導が出来る蟲憑きには見えなかった。
だがその女の子はセツナの手でイチゾーの前の椅子に座らされる。「うー」、と唸り目を抑えて三秒。それでどうにか眠気を飛ばしたのだろう。
「初めましてだね、イチゾー。私はナユタ。君に魔法を教える様に言われてるんだけど――」
「……乗り気じゃねぇんなら、別に良いっすよ?」
領主サマには適当に言っときますんで、とイチゾー。
「うん? そんなことはないよ? 一応、乗り気だよ?」
「……そうは見えねぇですけどね?」
「私のやる気はちょっと分かり難いんだ」
でも、ほら、やる気!
むん、と腕まくりをして力こぶを造って見せてくれる。「……」。テコテコと歩いて行ったニゾーがその力こぶを押す。見た目通りに、ぷにっ、としていたらしい。「なっ」。ダメ筋扱いされていた。
「……私は純粋な術師タイプだから」
しょんぼりしながら。「……」。それなら何故力こぶを造った? そんな疑問。
「イチゾーは八咫烏なんだよね?」
「……そうっすね」
「それならやっぱり私が教えるよ。有望な子に変な癖は付けたくないからね」
ギルドのスペルトレーナーには任せられないよ、とナユタ。
「……随分と自信があるんすね?」
「? 自信は無いよ?」
天才型だから教えるの、下手だし。
当たり前の様にそんなことを言う。だが、当たり前の様に言ったその口で――
「それでも私が教える方が未だマシだから」
不老者らしい傲慢さでその言葉を言う。「は、」。と思わずイチゾーが笑う。老いないバケモノが持つ『自信』では無く『事実』。それを見せられた。
「よろしくお願いします、先生」
だから素直に頭を下げた。
別の時間軸で生きた、別の常識で生きるモノ。不老者の積んで来た知は腐って居なければ、これ以上ない財産だ。分けて貰えるのなら有り難い。
「うん。よろしくね、イチゾー。でも――報酬、どうしようか?」
「……報酬とんの?」
「貰わないと責任が無いからね」
「……」
行き成りまともなことを言わないで欲しい。
これではまるでイチゾーが、『教えてもらうのが当然だと思ってるクズ』みたいになるので、止めて欲しい。
「金」
「あるからあんまり要らない」
「遺物」
「? 何か持ってるの?」
「水貯めとけるけど、不味くなる石などがございます」
「要らない」
「……」
「……」
「…………」
「……他に良い案は無い、イチゾー?」
「……知りませんが?」
ベッドで相手をしろと言うのなら自信はないが頑張らせて貰いますが? と冗談めかして言ってみたりするイチゾー。
「あ、それ良いかもね」
そうしよっか。お風呂、私が先で良い? とナユタ。
言うが早いか、浴室へ早々に歩き出す。
「……」
採用されてしまった。何となくニゾーを見る。「なっ!」。しゅび、とフリッパーを上げて、セツナの方に歩いて行ってしまった。
「……」
「……」
その流れで何となくセツナと見つめ合う。
「ベッドルームは二階です、後輩さん」
終わるまでわたしはニゾーと一緒に散歩してきますね、と言うだけ言って本当に屋敷を出て行く。
「……」
ただ一人取り残されたイチゾーは何となく応接室の天井を眺めてみた。高かった。それだけだった。
「…………」
ヤるんだな!? 今……! ここで!
一週間寝込んだんですけど!!
連休とか何も出来なかったんですけど!!
実家にも帰れなかったから犬、撫でれなかったんですけど!!!
可哀想。
そんな可哀想な人なので、ちょっとミスしても許してくれますよね? 許せ。
はい。
前回のあとがきに致命的な誤字があります。
新入りは『昆虫モデル』ではなく『虫モデル』です。
小さな違いですが、大きな違いです。感想で推理してくれた人の何人かは「コノヤロー!」となっていることでしょう。許して下さい。
そんな訳であけましておめでとうございます。




