2 水鏡都市ネレウス
水鏡都市ネレウスには独特な法律があった。
それはネレウスに住む誰もが行わなければならない義務として人々に周知されている。
そんな義務を果たす為に、神殿の裏に広がる庭では子供たちが真剣に絵を描いている。ここは木に囲まれているから風も強くは吹かない為、絵を描くには適していた。神殿に住む子供たちは無言のまま鉛筆を動かし、絵が得意な子は既に絵具を取り出している。
彼らが描いているのはローテ神を題材にした絵だ。
必ず描かなければならない神の絵はまさに偶像崇拝と言えるだろう。
毎日一枚、ローテ神の絵を描き、それをネレウスの役所に提出しなければならないのである。絵の提出場所はそれ専用の窓口があり、役所内に入らずともいい場所にあった。絵は大きさを問わず、どのような表現でも受け入れられた。人々が提出した絵をその後どうしているのかという説明はないものの、それを疑問に思った者はいなかった。
冷たい風が段々と心地よい生暖かい風に変わっていく昼時に、シオンは先程ユートに言った通りの構図の絵を描いていた。現在は下書きを終えて、絵具で重ね塗りをしている段階だった。
色の似ている水と天を水平線で区別しているが、これだけでは違いがなかなか見えてこない。なので、水の部分は濃い青に、風で波立つ部分は白、太陽光で輝く部分は黄色、そしてグラデーションに緑も加えていくと、下半分の雰囲気が変化していく。水の上に座り込んでいるように見えるローテ神は、横顔をシャープに、しかし立体的にする。天は上から下に白んでいくように調整する。こうして信仰する理想の神が具現化され、我々の目の前に現れるのだ。実際に姿が見えなくとも、そこにいると感じる事ができる、コスパの良い信仰方法と言えるだろう。
「……できた」
「おや、シオン。もう完成したのかい?」
「はい、どうですか?」
子供たちが絵を完成させるまで、本を読んで椅子に座っていたゴールデン神父は微笑んで、シオンの方を向いた。
絵を見てほしいというシオンの呼びかけに応じて、椅子から立ち上がると、完成した絵を見るためにシオンの側に移動した。
「うん、やはりシオンは才能があるな……とても素晴らしいよ」
「ありがとうございます」
「では、片付けをして、絵をあの木の下に置いて乾かしておきなさい。あと、井戸に行ってきなさい。手が絵具で汚れただろう?」
ゴールデン神父はそう言って、シオンの両手を見つめていた。
それに気づいたシオンはすぐに手を背中側に回して、絵具の付いた手を隠そうとした。
「そんなに汚れていません、子供じゃないので」
「……私からしたら、まだ子供なんだがね~?」
「もう十一です。フン!」
子供扱いをされて顔を真っ赤にしながら怒っているシオンに、神父は穏やかにニコニコとしていた。
穏やかな時間が流れている中で、そこへ一人の男が来訪してきた。バタバタと足音を立てながら、シオンたちがいる神殿の裏庭へ繋がる扉を開けて高らかに声を上げる。
「ゴールデン神父!! ここにいらっしゃいましたか!!」
その声はその場にいた者達には騒がしく、耳をつんざくようなものだった。シオンも顔を歪めて、細い腕の内側で耳を塞いでいた。
ゴールデン神父はその声に呆れた様子で振り向き、苦笑いのまま応対した。
「あぁ……その声はトーレ様でしたか。お元気そうで何よりです」
「えぇ! 俺は元気ですよ!」
「はぁ……それはよかったです。それより、何かあったのですか?」
「あぁ、いけない、俺としたことが。ゴホン、失礼。そうなのです、顔の広いゴールデン神父にお願いしたいことがございまして……」
「なるほど、何かご事情がありそうですね。勿論、私ができそうなことでしたら、お手伝いさせていただきます」
「ご快諾頂き、ありがとうございます、ゴールデン神父。では、中で……」
「分かりました」
ゴールデン神父はトーレと共に神殿内へと入っていく事になり、裏庭には子供たちだけになった。
シオンの横にいたユートは大人二人がいなくなったのを確認してから、すぐにシオンの方を向いた。
「シオン、今来た人はおそらく軍人だ……俺、初めて見たよ~」
「僕も初めて見た。近所に住むおばさんの話じゃ、軍人て、基本的に年に一回しかネレウスに来ないらしいし」
「あぁ、アシエからネレウスに派遣される軍人は三人で、年に一回だけやって来て、一年ごとに交代するらしいよ」
「……アシエ……?」
「前に先生が来て、教えてくれただろう? この国の各都市の事!」
ユートがぐっと顔を近づけて反応を伺うと、シオンは苦虫を潰したような顔をした。
「……覚えてないかー、そうか、じゃあアシエの場所は分かるか?」
「それは分かるよ! スーペリアの北だろ!」
「あぁ、そうだ! 偉い偉い!
そう、スーペリアの北に広がる鋼鉄都市【アシエ】は国軍の最重要都市だ。
あそこは一番目に自治権を認められた都市でね? それでね~」
「もういいよ、分かったから」
「え、もういいのかい?」
「アシエについて大まかに分かればいいし……そのままいくと他の都市についてまで説明しようとするだろ?」
「勿論!!」
「だから、いい。僕は画材を片付けないといけないし」
「えー!!」
シオンはなんでだと騒いでいるユートを無視して、絵具がべったりとくっついている筆や水入れをまとめてから井戸の方へと向かった。
井戸は国営の水道施設からパイプで繋がっており、その施設から水が送られている。湧き出た水ではないので、井戸と言うにはおかしいが、この国ではそう呼ばれている。
シオンは井戸から新たに汲んだ水を使って筆についた絵具を落とした。色は水に溶け込み、色づいた水だけが桶に残った為、それを下水道の穴へと流した。絵具は植物から作ったもので、環境に配慮されているのでそのまま流せるようになっている。この下水道もまた水道施設へと繋がっているらしい。
すべての画材を洗い終えた後、シオンはまた井戸の水を汲んで、桶の中の水を座り込んで見つめていた。
周りには誰もいない。
「……水を汚すな、覗くな、触るな………この水は他国から輸入した水だ。
だから、汚してもいいし、こうしてじっと覗けるし、触れる事ができる。
この水が無ければ、生きていけないんだよな……僕の好きな絵すら……」
一人呟きながら水に手を入れていると、ゴールデン神父が戻って来ていたらしい。裏庭の方から子供たちの騒がしい声が聞こえてきたのだ。
他の子供たちが騒がしくなったら、そろそろご飯の時間だと分かる為、慌ててシオンは立ち上がった。彼らが片付けをしに来るかもしれないのだ。
バタバタと画材を持って、自室へと駆け上がると、バンと音を立ててドアを閉めた。
「あー、独り言なんて聞かれたら恥ずかしいし……色々言われるに違いないし……」
画材を机の上に置いてから、ベッドに飛び込んだシオンは危なかったなと赤面した。それなりに自分自身に興味を持ち始めるお年頃ではある彼は、他人にどう見られているのかを気にするようになっていたらしい。
数分後、シオンはベッドから起き上がって、上着をロッカーから取り出した。上着を羽織らずに腕にかけたまま、自室を出るといい匂いのする方へと足を向けた。
「食堂に行って、その後広場に行こう」
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